02-11-俺の乗る天秤の下には

 あくる朝。


「お……おはようっ」


「……おはようさん」


 いつもの時間、いつもの通学路、いつもの場所で灯里伶奈と出くわした。


 俺が初めて返した挨拶に、灯里は笑顔を咲かせて俺の隣に並ぶ。


 柔らかそうな長い黒髪。くっきりとした二重。気取らないがハッキリとした鼻筋。薄くリップでもしているのか、ぷるぷると柔らかそうな唇。


「あ、あのっ……?」


「あ、悪い」


 そんなつもりはなかったが、かなりまじまじと灯里の顔を見てしまっていたらしい。灯里は恥ずかしいような迷惑なような困ったような、そんなふうに顔を赤らめている。


 俺は、知りたかった。


 俺が最低なのか、

 灯里が最低なのか。



 ……俺たちふたりのどちらかは、間違いなく最低なのだ。

 


「さ、最近、晴れが続いてうれしいね」


「……そうだな」


 俺はもちろん灯里が最低だと思ってる。あの日のあけは、夕焼けのせいだと思ってる。


 ……。


 でも。


 信じてみたい、と思ったのも事実なのだ。


 顔を赤らめて楚々と俺についてくる灯里を。

 屈託のない笑顔を向けてくる祁答院を。

 最初こそ悪意に満ちていたが、昨日楽しそうに採取をしていた高木を。


 しかし、こいつらを信じるってことは、こいつらに唾吐いた俺は最低だ。


 だれかに底辺だと見下されても、俺は俺を見下さなかった。俺には価値があると。だから、信じない。



「そーいや今日音楽の授業あったよな」


「っ……! う、うんっ! あったね! 合唱!」



 自分で言うのもなんだが、俺から会話を切り出したことが余程意外だったのか、灯里は弾かれたように身体を俺に向ける。


「あの先生、きらいなんだよ……」


「えっ? どうして? 優しくていい先生じゃない?」


「俺が口パクしてると注意してくるんだよ。中学じゃ、どの教師も気づかないふりしてたのに」


「理由がひどい!? 藤間くんちゃんと歌おうよ!」


 ただ、知らなきゃいけないと思った。

 俺と灯里、どっちが最低なのか、きっちり決めないといけないと思った。


 過去のしがらみだけでこいつらを判断するのはいやだ──そう、思ってしまった。


「だいたいああいうのは団結力が大事なんだよ? 藤間くんが歌わなかったら、そこから歌わなくてもいいかな、って人が増えていって……」


「……お前、思ったより面倒くさいんだな」


「聞いて!? 私と会話のキャッチボールして!? 多分いまどちらかっていうと、面倒くさいの藤間くんだよ!?」


 そして思ったよりも声がでかい。


 いつもと同じ場所。でもいつもより近い距離。

 どちらが正しいか。それを知るには、これくらいまで近づかなければならないのだ。


「その、ありがとな、昨日、砂。祁答院と高木にも言っといてくれ」


 四月、桜が散り始めた今日も晴れ。

 学校へ続く長い坂をふたりで歩く。


 今日は寝坊でもしたのか、いつもこの辺りで声をかけてくるはずの高木は、灯里に声をかけてはこなかった。


──


「おらお前ら、とっとと二人組つくって柔軟体操しろー」


 陽光の下、テニスコートの上。

 なんで体育教師ってみんな、こんなにも残酷なのだろうか。


 二人組が出来るのが当然みたいなこの風潮、マジでなんとかしてほしい。俺からしてみれば体罰よりよっぽど問題だわ。


 保健室にでも行こうか。

 なんの病気にしようか、やはり腹痛あたりが無難か……なんて考えていると、


「やあ、藤間くん。もしもまだ決まってないなら、俺とどうだい?」


 ジャージすらカッコよく着こなすイケメン、祁答院がやってきた。


「んだよ。パリピはパリピと組んでりゃいいだろ」


「パリ……? あはは、慎也と直人は二人で組むだろうし、余っちゃってさ。どうだい?」


 嘘つけ! イケメンBとCならお前の後ろで「おい悠真、どこいくんだよ?」みたいな顔してるわ! つーか男子の誰もがお前と組みたがってるわ! 余りようがねえだろ!


 しかし悲しいかな、俺と組んでくれる奇特なやつなんているはずもなく、断る理由がない。泣きたい。


「んあ……よ、よろしく」


「やった! よろしくね、藤間くん!」


 ……。


 なあ、藤間透。


 本当にこの笑顔が信じられないっていうのかよ。



 柔軟体操を終えると、テニスラケットを担ぐようにしてイケメンB、Cが声をかけてきた。


「なぁ悠真、マジでそいつと組むわけ?」

「悠真は誰にでも優しいよなー」


 凄いよな、こいつら。

 俺に話しかけてきたわけじゃないのに、俺に聞こえるように俺の悪口を言うんだもんな。


 まあ、慣れてるからべつに「慎也、直人。そんな言いかたやめろよ。俺が藤間くんと組みたくてお願いしたんだ」べつに……いい……?


 喧騒が、止まった。

 みな口を塞いで、背中合わせの柔軟体操の格好のまま、時が止まった。


「なんでいつもそんなに喧嘩腰なんだ。人の痛みがわからないのか? 自分がやられていやなことは他人にしない……そんなの当たり前のことだろ?」


「あ、いや、ちょ、悠真、マジになんなって」


「そ、そうだって。俺らダチとして悠真が心配で……そんなやつと話してたら、格落とすって」


 生まれた静寂を、祁答院のぴしゃりとした言葉と、イケメンBCの取り繕うような言葉が対象的にかき乱す。

 イケメンCのそれはいつか、高木が灯里に言った言葉だった。



「いい加減にしろ。ふたりにも亜沙美にもあのとき言っただろ。格ってなんだよ。いったい俺たちのどこが藤間くんより優れているっていうんだ。もしも人間に格があって、優劣があるのなら、いたずらに他者を傷つけるふたりのほうが余程劣ってる」



 体育の授業。

 場が凍った。

 どの男子も何事かとこちらを眺めている。


 そりゃそうだ。

 クラスのトップカースト、そのトップオブトップオブトップ、ザ・頂点、祁答院悠真けどういんゆうまがはじめて見せた怒りなのだから。


 いつもにこやかで、爽やかで、穏やかな祁答院悠真が怒っている。そんな静寂をかき消したのは、俺でも祁答院でも目の前のふたりでも体育教師でもなく、


「祁答院くんなんかキレてね?」

「藤間に?」

「なんか藤間じゃなくね?」

「なんで藤間じゃなくてふたりにキレてんの? 内輪もめ?」


 同じクラスの野次馬ギャラリーだった。


 どっ。


 ……あっ、おい、ちょっと待て。


 どっどっどっどっ……。


 まただ。


 また、俺の乗る天秤が、下がった。


 その天秤──俺の乗る受け皿の下には、スイッチでも設置してあるのだろうか。



 俺の胸を高鳴らせる、スイッチが。

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