01-10-夜にひとりで外出ってどういうつもりだよふざけんなよマジで

 ヘドロのようにこびりつく嫌悪の情を貼りつけたまま宿に帰ると、ステータスモノリスの前でアッシマーが鼻歌を歌っていた。


「ふんふんふーん♪ ふんふ……え、ええーっ!? 藤間くん、なにかあったんですか……?」


 心配そうに覗きこんでくる、大きな目。

 人の気も知らないで、と八つ当たりするほどの気力もなく、硬いベッドに身体を横たえた。


「ふ、藤間くん?」


「あー、悪ぃ。小銭袋、作業台に置いとくから。半分持ってけ」


 ベッドの上から腰にさげたものを放り投げると、作業台には届かなかったのか、思ったよりも下のほうでじゃりっと乱暴な音が鳴った。


「もー、だめですよ、お金を投げちゃ……」


 アッシマーに背を向け、あらゆる苦情、会話、接触を受けつけない姿勢を示すと、ありがたいことに彼女はもうなにも言ってこなかった。


「電気、消しますね」

「……ありがとうな、足柄山」


 俺はよほど弱っていたのか、消え入りそうな、しかし確実に自分の声が自身の耳を打った。


 ランタンの火が消えると、まぶた越しの世界が真っ暗になった。なにも訊かないでくれたことに対する柄にもない俺の言葉は届かなかったのか、ごそごそとした音がして、アッシマーが自分のベッドに手探りで戻ったのだとわかった。


──


 朝である。

 布団の中で「あ、今日学校じゃん、やったね!」なんて思うやつは教師を含めて果たしてこの世に何人いるだろうか。


 俺は行きたくない。

 とくに今日は"学校に行きたくない日ベスト3"には入るだろう。なに言ってんだ俺。運動会とか修学旅行とかぶっちぎりで抜いて今日がトップじゃねえか。


 昨晩アルカディアであれだけかましておいて、どんな報復が待っているか……考えるだけで二度寝したくなる。


 サボっちまうか。

 サボったら不登校コースまっしぐらだな。

 べつにそれでもいいか。親は俺になんにも期待しちゃいないだろうし、将来の就職活動とか社会人になって味わう苦労とか考えると、もうなんか普通に大人になりたくないよね。


 ……でも。


 俺は、知ってる。


 イジメの標的がいなくなっても、イジメはなくならないことを。


 ……そうだ。


 昨日俺が自分で言ったじゃないか。


 ああいうのは常に標的を探してる。俺がいなくなれば、次の標的に移るだけ。


 まあそうなったところで、その標的が誰になったところで、俺にはなんの関係もないんだが──



『……き、キモくない、です』


 ……。


 ……。

 …………。

 ………………。



 ………………くそっ。


──


「……ぁ」

「……」


 通学路で灯里伶奈にまた出くわした。


「……お、ぉはょぅ……」

「……」


 こいつ日に日におどおどしていくな。まあ今日に限っていえば、原因は俺だけど。


 つーか話しかけんなって言ったのに、なんで挨拶してくるわけ? 学習しないの? 日本語入力ソフトだってもうすこし学習するよ?


 相変わらず。

 相変わらず、ついてくる。


 そりゃそうだ。同じ学校だもんな。同じ道だよな。


 のそ、のそ、ぴたっ。

 とぼ……とぼ……ぴくっ。


 でもこれ、マジでついてきてるよな。


「この人ストーカーです!」


 ……なんて叫べるわけもない。陰キャの俺にそんなことができるはずもない。

 それに知ってる? この場で俺が叫んでも、捕まるのはパリピで顔もいい灯里じゃなくて、陰キャの俺なんだぜ? 世の中どうなってんだよ。


「伶奈、おはよ」

「ぁ……亜沙美ちゃん。……おはよう」


 背中で声が聞こえた。この声はたしか、昨日ビッチAからクソゲロビッチに進化した、俺を藤木と呼んでいた女だ。


「……どうだった?」

「……」


 昨日の朝とは違い、小声。

 しかし、だからこそ、俺についてのことだろうと推察できた。


 はぁ。

 こんなの悪口に決まってる。聞こえても気分が悪くなるだけだから、少し早足にしようと思った瞬間……


 ぼすっ。


 背中をたぶんカバンで叩かれた。


「……なにすんだよ」


 振り向くと、怒った顔のクソゲロビッチが目に不満を湛えながら俺を睨んでいる。


「話しかけんなって言ったから、カバンで叩いた。文句ある?」


「はぁ……?」


 喧嘩売ってんのかこいつ。


「あんたさー、ちょっと話くらい聞きなって。昨日のアレ、ホントに悪気はなかったんだって」


 昨日のアレと聞いて、エシュメルデの月の下、灯里伶奈が罰ゲームによって俺に話しかけてきた──あの夜以外に思い当たることはない。


「悪気がなかった? ……あれが悪気なしなら、余計タチ悪いわ」


「……は? いやあんた、すこしくらい話聞けって。ほらストップストップ」


 ……なんだよ面倒くせえ。


「あんさー。マジ偶然だったんだって。六人でだべってたら、伶奈が外の空気を吸ってくるって言ってさー。そんで三十分くらいしても帰ってこないから、心配になってみんなで様子を見に行ったんだって。そしたらあんたとふたりで喋ってるし、べつに悪い雰囲気でもなかったからウォッチしてたらあんたに見つかっただけなんだって」


「ざけんな」


「……は? あたしが説明してんのに、あんた今、ざけんなっつった?」


 ビッチの目が据わった。


 三十分くらいしても帰ってこないから……?


 そんなことありえない。

 俺なら、絶対にあり得ない。


 だから、再燃する。

 昨日燃やしたはずの怒りが。


「お前の言葉が真実なら、余計にタチが悪いだろ」


「は……はぁ? どーいう意味?」


 ビッチは俺に詰め寄りながら、声をあららげる。普通の陰キャならこれでビビって口ごもるところだろうが、残念だったな。


 俺は吠え返す陰キャなんだよ。


「エシュメルデの治安が悪いの知ってるんだろ? 俺と灯里が出会ったのは午後九時は過ぎていた。お前ら五人は、そんな時間にひとりで外へ行った友人の灯里を三十分も放置していたことになるな」


 だから、炎上する。

 昨日燃やし尽くせず、胸のうちくすぶり続けた火種が。


「それがどう……あっ……!」


 ゲロクソビッチは今になってようやく気づいたのか、しまったという顔で灯里を振り返る。その反応を見て、目の前のギャルギャルした金髪ビッチも『あの事』を知っていたのだと確信した。


「お前らなんなの? 友達がどうなってもいいの? つーか灯里、お前なんなの、マゾなの? 夜にひとりで外出ってどういうつもりだよふざけんなよマジで」


 俺は知っている。

 だって──俺が助けたから。


 だから、許せないのだ。


 屈強な冒険者がうろうろするあの街で、若くて綺麗な女がひとりで外に出るとか。

 なにされても文句言えねーだろうが。


 ……実際灯里は一度、現実で怖い目にあっているのだから。


 だから、許せない。

 灯里がまた襲われ、被害者になってしまえば、あの日の勇気は──あの日の俺はとんだピエロだ。


 だからこそ俺は、こいつらの罰ゲームを見破った。


 一度襲われた灯里伶奈が、まさかひとりで夜の街をぶらつくとは思えない。

 だからひとりではあり得ない。

 ひとりだと答えた灯里伶奈は嘘をついている。

 だから近くに誰かがいるに決まってる。


 ……ほーら、やっぱりな。ってところだ。


「お前らの話が本当なら、灯里をひとりで外に出しておいて、探し始めるのは手遅れかもしれない30分後。探すメンバーは五人。自分たちは襲われる必要のない安心設定だ」


「ふ、藤間くん……? も、もしかして昨日、私に『虐められてるんじゃないか』って訊いてくれたのは……」


「治安の悪い夜の街に女ひとりで出歩くことを止めない……ましてや灯里を止めないなんて、もはやイジメだろ。灯里も灯里だ。なに考えてんだよふざけんなマジで」


 だからこそ発覚したんだけどな。お前らの罰ゲームを。


 ビッチの顔は狼狽ろうばい

 灯里の顔は唖然あぜんだった。


「ごめん、伶奈……あたしら、あんたのことマジでなにも考えてなかった……マジごめん」


「ううん、私が悪いの……。男子が怖くて逃げちゃったから……」


 そんな声に背を向けて歩き出す。


 吐き捨てておいてなお、俺の心は晴れない。春の青空がただただ無神経に俺を見下ろしていた。

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