01-09-あの勇気に対する仕打ちがこれなら

 移り住んだ二人部屋……201号室は、ねっとりとした熱気に包まれていた。


 すでに日は落ち、マナフライと呼ばれる蛍のような虫がエシュメルデの闇を煌々こうこうと照らしている。この部屋の光源は、窓に映るマナフライの灯りと、滔々とうとうと暖色に灯る壁掛けのランタンだった。


 部屋におどる、男女のシルエット。


「い、いきますっ……!」


「足柄山、ゆっくりな。落ちついて。もう初めてじゃないが、経験すくないんだから……!」


「わ、わかってますっ……。すーはー、すーはー……」


「ん……あああああああっ!」


─────

《調合結果》

─────

エペ草

ライフハーブ

─────

調合成功率 66%

アトリエ・ド・リュミエール→×1.1

調合LV1→×1.1

調合成功率 79%

薬草を獲得

─────


「「キッタアアアァァァーーーーーーー!!」」


 これで十八回目の成功。

 【調合LV1】スキル習得に加え、調合を繰り返すことにより慣れたのか、調合成功率はすこしずつ上昇していた。


 アッシマーとハイタッチをして、喜びを分かち合う。手汗がべっちょり付いてしまったが、そんな不快感よりも、アッシマーが成功したという喜びの方が遥かに勝っていた。


「よくやった足柄山! 16カッパーの薬草が十八枚! これで儲けは2シルバー88カッパーだ!」


「すごいっ、すごいですっ! 藤間くんがスキルブックを買ってくれたおかげですっ!」


「薬草にしないでエペ草とライフハーブをそのまま売ったら2シルバー40カッパーだった! お前がいることで48カッパーも儲けたぞ!」


「うぅ……よかったです……ひぐっ、わたし、ちゃんとお役に立ててー……」


 鼻水を垂らしながらむせび泣くアッシマー。俺はその姿にうんうんと頷き、高揚冷めぬなか利益額を考え……。


 ……考えて、首を傾げた。


 調合して儲けた額が48カッパー。

 アッシマーのスキルブックの購入費用が30カッパー。

 部屋移動に伴う家賃の増加が10カッパー。


 8カッパーの儲け。

 …………はて。


「藤間くん藤間くん、わたし、もう一回シャワーしてきてもいいですかっ。……えへへ、そのう……一週間シャワーしてなかったから、洗っても髪がまだ少しにおっちゃって……えへへ」


 俺、昼のシャワー代にもう10カッパー渡してたわ。しかもアッシマーが持ってるタオル、俺が10カッパーで買い与えたやつだわ。


 つまり。


 収支は。


 マイナス12カッパー。


「これで、行ってこい」


「はいっ、……えへへっ、ありがとうです、藤間くんっ」


 バタン。

 ……。

 …………。


 ベッドに顔面から倒れ伏す。


「痛ってぇ……ベッド硬いの忘れてた……」


 それを忘れるほど、ショックだった。

 ぜんっぜん儲けてない。

 俺、あいつといて、全然儲かってない。

 今10カッパー追い銭したから、マイナス22カッパー。


 だってしょうがないじゃん。


 同居人が臭くて寝られないとかいやじゃん。


「はぁぁぁぁぁ……」


 いや、でもよく考えろ。

 そうだ、あいつは採取もしていた。


 アッシマーが採取で手に入れた素材は、エペ草が八枚、ライフハーブが二枚。

 俺が採取で手に入れた素材は、十二枚、ライフハーブ十八枚。


 ちょっと待て。


 儲けの2シルバー88カッパーをふたりで均等に割れば1シルバー44カッパー。

 俺が採取したエペ草十二枚とライフハーブ十八枚をそのまま売れば、1シルバー86カッパー。


 ……あれ?


 ふたり分の生活費をかんがみると、アッシマーとふたりで採取したものを調合して売るより、俺ひとりで稼いだほうが遥かに良くね?


「ふぇぇ……さっぱりしましたぁー」


 俺はどれほどひとりで考え込んでいたのだろう。アッシマーが部屋に戻ってきて、自分のベッドに座った。


「ほえほえ……」


 幸せそうな顔をして、もっこもこの髪の毛を拭いている。


 目があった。


「あ、あの……?」


 俺が立ち上がると、自らの胸を隠すようにして、身をよじる。


「薬草、売ってくる。今日は16カッパーで売れるが、明日になって15カッパーになったらいやだからな」


 俺がそう言うとほっとしたように息を吐いて、


「わたしもついて行きましょうか?」


「いや、いい。ついでにシャワーもしてくるわ」


 残金13カッパーのうち10カッパーと薬草を持って、宿を出る。


 だめじゃん。

 俺、アッシマーを雇って損してるじゃん。

 だって食費も水代も合わせたら、絶対損してる。


 シャワー施設で汗を流し、ついでに暗い気持ちを流してしまいたかったが、そっちはどうしようもなかった。


 中央通りへ。その中の建物のひとつに入る。


「えーと、このへん……あった」


──────────

取引主:リディア・ミリオレイン・シロガネ

【求】薬草 (残88枚)

【出】16カッパー

──────────


 俺が探していたのは人でも店でもなく、箱。


 この建物は無人市場と呼ばれる、その名の通り無人の市場。

 マーケットボックスという名の箱がずらりと並ぶ異様な建物は、人との関わりを可能な限り避ける俺のような陰キャにとって、おあつらえむきの取引場所だった。


 箱の上部に表示されたウィンドウにタッチし、取引開始のボタンを押す。


「薬草、十八枚、っと」


《薬草18枚を渡しました》

《2シルバー88カッパーを獲得》

《リディア・ミリオレイン・シロガネより

「お取引ありがとうございました」》

《取引が完了しました》


 メッセージを読むまでもなく、腰に提げる小銭袋の重みが、取引の成功を教えてくれていた。


 これで全財産は2シルバー90カッパーになった。1シルバー程度だった昨晩と比べると、三倍近くに膨れあがった。


 ……しかしこれは、俺とアッシマー、ふたりぶんの財産なのだ。

 そう考えるとひとり1シルバー45カッパー。……あんまり変わってねぇ。


「はぁ……」


 俺のため息は重く、しかしエシュメルデの夜空にあっさりと溶けてゆく。帰り際に見た無人市場にある箱の、


──────────

【求】5シルバー50カッパー

【出】コボルトの意思

──────────

【求】14シルバー

【出】ジェリーの意思

──────────


 召喚モンスターの取得に必要なアイテムの価格は、俺を落ちこませるのにじゅうぶんだった。


「はぁ……」


「えっ……藤間くん……?」


 とぼとぼと歩く背に不釣り合いなほど涼やかな声が掛けられた。


 ……灯里あかり伶奈れな


「……こんばんは」


「……うす」


 美しい。

 白いローブ、彼女には少し大きすぎる杖、茶のシャツとスカート、そして茶の靴という地味な格好ながら、絹糸のような長い黒髪と整った顔立ちは、それを地味に見せない。


 闇のなか、月を背負う彼女は美しい。

 息を呑むほどに。


「その……困りごと?」


「……べつに」


 つい見惚みとれてしまった自分を否定するように彼女に背を向ける。


「あっ……ま、まって」


「んだよ」


 ぺたりと素足の音に、ざっ、という靴を履いた足音が一歩ついてきた。


「こ、困ってることがあったら、教えて……? その、ごめんね? 祁答院けどういんくんが言ってた、モンスターの意思っていうアイテムはまだ手に入れていないんだけど……」


 祁答院。

 祁答院けどういん悠真ゆうま

 俺にちょくちょく声をかけてくるイケメンAか。


 少し見直した。

 灯里じゃない。祁答院をだ。

 あの会話は「困ってるんだ? ふーん、まあ頑張ってね」という『陰キャの悩みを聞く俺カッケー』だけじゃなくて、真面目にも仲間内で話題に出していたことに驚いた。


「べつに謝らんでいいっつの。そもそも無茶なこと言ったのは俺だしな。……つーかなんでお前ひとりなんだよ」


 すこし苛ついて質問すると、灯里はやけにうれしそうに返してくる。


「女子三人同じ部屋で住んでるんだけど、男子が遊びにきて、その、居づらくなったから、……あはは、抜けてきちゃった」


「居づらく? お前が? いっつも一緒に居んのに?」


「うん……だって、男子ってなんだか怖いから」


 じゃあなんでいつも男子と一緒にいるのか。むしろなんでいま、男子である俺にひとりで話しかけているのか。


 いや、そんなことはどうでもいい。


 そんなことよりも。



 夜の街。なんでこいつはひとりなんだ。


「お前、もしかして虐められてんのか」


「えっ……そんなことないよ? どうしてそう思うの?」


「違うんだな? なら答えはひとつしかねぇだろ」


「藤間くん……?」


 俺は歩き出す。

 宿の方向ではない。


 灯里伶奈を横切り、彼女の後方へ。


 その物陰。


「…………」

「……やあ」


 そこには祁答院を含む、五人の男女が居た。

 身を隠すようにして、俺たちの様子を窺っていたのだ。


「えっ……えっ? みんな、どうしてここにいるの?」


 俺の背で慌てふためく灯里。


「やけに演技上手だな。将来は女優志望か?」


 振り向いて見た彼女は、明らかに動揺していた。


「えっ……どういう……?」


 俺じゃなきゃ、それが演技だと思いもしなかっただろう。


「告白の次は、話しかけるだけで罰ゲームかよ。高校ってのは陰湿だな。俺、お前らにここまで虐められるようなこと、なにかしたかよ」


「えっ……? ……えっ!? 違う……違うっ…………! 私本当に」


「俺からお前らに迷惑かけたことなんて無いだろ? もし、もしもだぞ? 灯里。俺がお前に見せた、生涯初めての勇気……全身全霊、ありったけの勇気に対する仕打ちがこれなら」


「ふじ……ま、くん、きいて、おねがい……」


 あの日。生まれてはじめて、震える足で、冷や汗まみれの身体で、恐怖に歪んだ顔で、自分以外の誰かのために立ちあがった……あの勇気に対する仕打ちがこれなら。


「やっぱり、勇気なんて出すんじゃなかった。陰キャがなにをしても、お前らパリピからしたらゴミクズだもんな」


「ちが、う……。違うっ……!」


「お前らは常に標的を探してる。だからイジメをやめろなんて言ってもどうせ無駄だろ。だから、言ってやる。やるなら相手を選べ。陰キャにも誇り持って陰キャやってる奴もいるんだよ」


 演技が盛り上がったのか、灯里伶奈はついに膝をついて泣きはじめた。背後から大きな声がして、


「藤木あんた伶奈泣かせてんじゃねーよ!」


「あ? じゃあ、お前らはいったい何人泣かせてきたんだよ。格下の涙は数に入らないか?」


 アッシマーのときと同じく、吠え返されると口ごもるビッチA。

 こいつらはそうやって、吠え返さないのをいいことに、こんなことを続けてきたのだ。


 だけど、俺は吠える。

 陰キャだから吠えない?


 ……馬鹿野郎、陰キャが脳内でどれだけお前らみたいな奴らにえてきたと思ってるんだ。


「だいたい藤木って誰だよ。名前間違い続けてマウント取ってんじゃねえよクソゲロビッチ」


 言い捨てて背を向ける。クソゲロビッチも、ビッチBも、イケメンABCも、なにも言い返してこない。


「まって……おねがい、ふじまくん…………」


 ただ、灯里伶奈の演技だけが痛々しかった。


「虐めるのには慣れてるが、悪意を向けられるのには慣れてないってか? 言っとくがお前らみたいなやつ、陰キャの脳内では何度も殺されてるからな。闘いの果てに死ぬんじゃない。お前らに愉しそーーーーー! に殺されたモンスターみたいに、無惨に、冷酷に、残虐に、笑いながらな」


 わかってる。さすがに言い過ぎだと。

 それでも、他人の痛みをわからないやつらの心を斟酌しんしゃくしてやる必要なんてないと思った。


「二度と話しかけんなパリピ。陰キャはお前らに迷惑かけねぇ。ならパリピも陰キャに迷惑かけんなよバーーーカ」


 唾の代わりに言葉を吐き捨てて、今度こそその場をあとにした。


 もう誰も口を挟まなかった。

 後に残ったのは灯里伶奈の泣きじゃくる声と、言いすぎた自覚はあるのにまだまだ言い足りなかったという怒り、そして理解不能な胸の痛みだけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る