01-08-右だけ陥没でもしてんの?

 女将の紹介もなにも、スキルブックショップは宿屋の斜め向かいにぽつんと佇んでいた。


 しかし外見からはスキルブックショップどころか店にすら見えない。エシュメルデでは庶民の……レンガ造りの住宅まんまだ。違うところは入口がガラス扉になっていて、扉の上部に本のイラストが掲げてあるだけだった。こんなのわかるわけないだろ。


 扉を開けば、カランカランとまるで喫茶店のような心地よい音色が耳朶じだを打った。薄暗い店内を見渡そうとすれば、


「こんばんにゃー♪」


 甘ったるいアニメ声……むしろきょうび聞かないようなあざとい声が俺たちを迎え入れた。


「いらっしゃいにゃせー♪ にゃんにゃん♪」


「ぅぉ……」


 手招きのポージングをする少女を見て、まず脳裏に浮かんだ言葉は"徹底"だった。


 メイド喫茶の店員はメイドになりきる。

 しかし若い子はまだ恥ずかしさの残る振舞いだし、なりきったメイドさんはお年を召していたりする。

 若くして才あるメイドさんは一目置かれるが、休憩時間中は裏の階段で煙草を吸っていたりする。


 ……とまあ、俺からすれば"なりきり"は所詮なりきりだし、演技であり偽物だ。当然だ。本当のメイドさんではないのだから。


 しかし。

 この少女は、本物だ。

 この徹底ぶりは、間違いなくプロだった。


「はにゃ? どうかしたかにゃ?」


 赤毛。猫耳。肉球。

 猫目。6本の細い髭。『ω』←こんな口。

 これで体が毛むくじゃらであれば、完全に獣人だった。


「あ、いや、その」


 その徹底ぶりにされる。いやこっちにもそういう覚悟がいるって。


「あんちゃん、なーにやってんだい。……よっ、ココナ。調子どう?」


 俺の背中から女将さんの声がすると、ココナと呼ばれた猫コス少女は目を輝かせ、


「ママーーーー!」


 と、客ふたりそっちのけで女将さんへダイブした。


──


「女将さん、お子さんいらっしゃったんですね……」


「そ。娘のココナ。あたしの母親がケットシーでさ。あたしがハーフ、この子がクォーターなんだけど、隔世遺伝かくせいいでんってやつかねぇ。この子のほうが猫っぽくなっちゃってさ」


 よく見れば女将さんも猫耳だった。つーか女将さんまだ二十代だと思ってたわ。とても経産婦には見えない若々しさだ。つーかココナさんって多分、俺たちと同じかすこし下だよな。てことは、女将さんはいったい何歳いくつなのだろうか。


「そ、そのっ、お耳、さわってもよろしいでしょうかっ……!」


「いいにゃー♪ にゃふーん、くすぐったいにゃーん」


 ココナさんにメロメロのアッシマーの肩を叩き、本来の要件に戻る。


「スキルブックにゃ? 毎度ありー♪ ちょっと待っててにゃん♪」


 ココナさんがぱたぱたと店の奥に駆けてゆくと、


「どうだい? 世界一可愛いだろ?」


 女将さんが俺に向かって口角を上げてくる。


 どうする。どう答える、俺。



「その、可愛いっすね」


「あ"!? あんた可愛いからって娘に手ぇ出したら承知しないよ!」


「なにこれ理不尽すぎる」


 いちばん無難な答えを選んだつもりだったのに……。

 「世界一! かわいいよ!」なんて言えるはずもないし「可愛くないです」なんて答えていたら、俺は二時間後、斜め向かいの宿屋で目が覚めていたに違いない。


「はい、ふたりともこのモノリスに手を触れてにゃ」


 冷や汗を垂らす俺の前にココナさんが持ってきたのは、二枚の石板……モノリスだった。


 A4ノートほどの大きさの板を手に取って、言われるがまま触れてみる。すると石板に縦長のウィンドウが表示された。指で弾くと上下にスライドもできる。


──────────

藤間透(ふじまとおる)

53カッパー

──────────

▼─────ステータス

SPLV1 30カッパー

技力LV1 50カッパー

器用LV1 30カッパー


▼─────戦闘

逃走LV1 30カッパー


▼─────魔法

召喚LV1 30カッパー


▼─────生産

採取LV1 30カッパー


▼─────行動

歩行LV1 30カッパー

走行LV1 30カッパー

疾駆LV1 30カッパー


▼─────その他

冷静LV1 30カッパー

我慢LV1 30カッパー

──────────


「お店にあるスキルブックのうち、おにーちゃんが習得できるスキルと価格のリストだにゃん」


「へー……便利だな。足柄山はどうだ?」


「わたしも藤間くんのスキル、見ていいですか?」


 表面に触れると、触れた者のスキルウィンドウに切り替わってしまうらしく、気をつけて持ちながら互いにモノリスを交換する。


──────────

足柄山沁子(あしがらやましみこ)

0カッパー

──────────


▼─────ステータス

HPLV1 30カッパー


▼─────戦闘

逃走LV1 30カッパー

防御LV1 30カッパー


▼─────生産

採取LV1 30カッパー

調合LV1 30カッパー


▼─────行動

歩行LV1 30カッパー


▼─────その他

勇気LV1 30カッパー

我慢LV1 30カッパー

〇幸運LV1 1シルバー

─────


「お前これ、本名だったんだな……」


「気にしてるんですから言わないでくださいよぉ!」


 苗字の足柄山は仕方なくても、沁子しみこか……。親はどんな気持ちで名付けたのだろうか。



「まあいいんじゃねーの? キラキラネームとかDQNネームより、余っ程好感持てるわ」


「……ぇ? は? ……えっ?」


 くっきりした二重ふたえの大きな目をぱちくりさせ、俺の言葉を信じられないように口を開けるアッシマー。


「まあそれはいいとして、とりあえず足柄山の【調合LV1】だな」


 小銭袋から大銅貨を三枚取り出し、ココナさんに手渡す。


「毎度ありにゃん♪」


 ココナさんがパチンと指を鳴らすと、奥の本棚から一冊の本がふよふよと飛んできて、アッシマーの胸に着地した。


「えっ? えっ、えっ? ……なんで?」


「指を鳴らすと飛んでくる本……これも魔法っすか?」


「そうだにゃん♪ おねーちゃん、その本を持って"使用する"って念じてみてだにゃん」


 しかしアッシマーはいろいろと理解できていないようで、本を胸元で抱えたまま、視線をあわあわと彷徨さまよわせる。

 ……こうして見ると、文学少女に見えなくもない。


「いえ、わたしがなんでと言ったのは、本が飛んできたことではなくてですねっ」


 なんだか話が一段階遅れていた。


「ちょ、ちょっと待ってくださいね。整理させてくださいっ」


「どこに整理する必要があるんだよ……」


 アッシマーは本を抱いたまま、ふむむーと考えこむ。そして小声でぶつぶつと呟いた。


「……キラキラネームやDQNネームより好感が? 沁子しみこという名前に? ……そんなことがあるのでしょうか……」


「一段階じゃなくて二段階ズレだったな。これはもう時差だな」


「全財産53カッパーの藤間くんがどうしてわたしなんかに30カッパーも? もしかして……ううん、わたしに限ってそんなことは……。……でも……」


「いやお前、流れわかってる? お前の調合成功率を上げるためにスキルブックを買いに来たんだけど。……もしもーし?」


 なんだか自分の世界に入ってしまったようで、アッシマーに俺の声は届かない。


 三秒。五秒。十秒。


 そろそろこいつ殴っていいかな、なんて思ったころ、アッシマーは カッ! と目を開いて、


「藤間くん、こんな高価なもの、頂けませんっ」

「もう金払ってんだよふざけんなボケ」


 俺の習得可能なスキルリストに【我慢LV1】の名前があったのは、間違いなくこいつのせいだ。


「だ、だって、藤間くん絶対わたしのこと滅茶苦茶にするつもりですもん!『さっき調合のスキルブックを買ってやっただろ……?』なんて言って断れなくするつもりですもん!」


「30カッパーで断れなくなるってお前どんだけ安いんだよ! ふざけんなだいたいお前なんて金貰ってもお断りだ!」


「あっ、あーっ! 言いました! 言いましたね!? さっきからずーーーーーっとわたしの右乳首だけガン見してくるくせに! 器用に右乳首だけ視姦しかんしてくるくせに!」


「してねえよ! 全部お前の妄想だろ!? 右乳首だけ見るってどうやるんだよ! だいたいさっきからなんなのその右乳首推し! 右だけ陥没でもしてんの!?」


「や、やっぱり見たんじゃないですかぁー! ふ……ふぇ……ふぇぇぇぇーーん……!」


「げぇぇぇっ! マジでしてんのかよ! しかも右だけ!? マジで!?」


 叫ぶ俺。泣きわめくアッシマー。

 「にゃっ♪」とココナさんが頬を朱に染めたとき、


「うちの娘の前でどんな話してんだクソども」


 女将からふたりにゲンコツが飛んできて、俺たちは気を失った。……これって俺が悪いの?

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