01-03-異世界勇者が闘えなくて何が悪い

 一日の終わり。

 今日の稼ぎは1シルバー20カッパー。

 1シルバーは100カッパーだから、120カッパーをも稼いだことになる。これはアルカディアに降り立ってからいちばんの豊作だ。


「このままいけば、いつかは……」


 小銭袋→1シルバー18カッパー

 今日一日で生活費と差し引いて40カッパーの儲け。生活苦で生きるか死ぬかしている俺からすればまさに会心の一日だった。


 小銭袋の中で輝く、久しぶりに見た銀貨の煌めき。


 まずい黒パンを噛み砕きながら、夢想する。

 モンスターの意思を入手し、無双する日を。


 ──


 一日のはじまり。

 安アパートで目覚めた俺は、いそいそと歯を磨き、いそいそとスティックパン (チョコ)をかじり、いそいそと着替えていそいそと学校へ向かった。


 はぁ……。現実とかめんどくせ。


「ぁっ……」


 学校まであと五分というところで涼やかな音色が俺を振り向かせた。


 出くわしたのは同じクラスの灯里伶奈あかりれなという女子だ。

 腰まで伸びる黒髪、背筋はぴんと伸び、そっと両手で黒の学生鞄を持つ楚々そそとしたたたずまい、くりっとした目。

 彼女は美しい靴の音を止め、口を開けてこちらをじっと見ている。振り返っても誰もいない。……やはり彼女が見ているのは、俺なのだ。


「お、おはよう」

「……うす」


 短い挨拶をして、俺は彼女に背を向ける。少し逡巡したようなのあと、俺の鈍くさい足音に彼女の靴の音が続いた。


 灯里伶奈あかりれな

 クラス内で俺が名前を知る、数少ない生徒のうちのひとりだ。


 数日前、放課後の教室。

 黄昏は、ふたりをあかく染めていた。


『あ、灯里伶奈と申します……。藤間透くん、す、好きです。私とつきあってもらえませんか』

『罰ゲームなら他所よそでやれ』


 にべもなく即答し、鞄を背に担いで、彼女を教室に置き去りにした。


 うっは中学校から数えて三度目の告白! 俺超モテるー!

 ……とはならないくらい、俺の心は冷めていた。


 一度目も二度目も、同じ。

 パリピ連中の考えた、罰ゲームだった。

 陰キャやブサメンに告白し、オッケーをもらったところで種を明かし、仲間内でプギャーする罰ゲーム。


 相手こそ全員違ったが、今回もそうに違いない。

 俺はもう、こんなことでときめかない。

 顔を朱に染めることも、心ぴょんぴょんすることもない。


 罰ゲームするなら他人に迷惑かけんなボケ。


 灯里伶奈の告白は、俺にそんな苛立ちしか与えなかった。



「どうすれば……信じて、くれるの?」


 通学路。

 背にかけられた声に、振り向くことはない。


「私、あのとき藤間くんに助けられて、その……」

「伶奈ー!」


 細々とした声は、リア充臭のする女子の声にかき消される。


「うわ藤木じゃん、ヤバ」

「っ……、ぅ……」

「…………」


 俺の背を見たリア充女がひっそりと灯里に耳打ちする。知ってる? それ全部聞こえてんだぜ? まぁそれを口にしたところで「聞こえるように言ったんだよバーカ」って返されるのがオチだから何も言わんけど。ちなみに俺は藤木ではなく藤間である。


 ともあれ「どうすれば信じてくれるの」という問いには、応える気にもならなかった。


 お前はそっち側の人間。

 俺はこっち側の人間。

 そっち側に居て、いまここで俺の悪口を言う友人になにも言い返さないお前を、俺が信じられるわけがないだろ。


 ──


 名前というのは非常に大事である。

 人を印象づけるのに一役買っているし、なにより名前が理由で虐められる場合だってあるのだ。

 あー俺、藤間透って普通寄りの名前で良かったわー。でも名前関係なくても虐められてたわー。


「地味子、さっさと来い」

「は、はい……」


 入学してだいたい一週間。俺がこのクラスで名前を知っている人物は二人しか居ない。

 ひとりはさっきの灯里伶奈。罰ゲームとはいえ、自己紹介されればいやでも覚える。


 もうひとりは……


「オラ地味子さっさとしろ」


「で、でもこういうことは、自分でやったほうが……」


「あぁ? あたしに逆らうの?」


「ひうっ……い、いえっ……どうぞ……」


 俺と同じくクラスで冷遇されている女子。

 なんだかもこもこふわふわした黒髪に、低身長でややぽっちゃりした身体。顔は目が大きいことを除けば平凡。


「おっ、サンキュー地味子」


「うぅ……」


 もちろん彼女は地味子という名前ではない。彼女の容貌やおどおどした性格がそう呼ばせているのだろう。

 

 しかし、それにしてもかわいそうだとは思う。


 足柄山沁子あしがらやましみこ

 彼女のパワーネームは、一度聞いたら忘れない。ああそうか、沁子しみこだから地味子なのか。


 センスのねえあだ名。もはや悪口じゃねぇか。


 そうだな、俺ならこう付けるけどな……。

 昼食の焼きそばパンを頬張りながら、そんなどうでもいいことを考えた。


──


「うわあああああっ! コボルトだっ! コボルトが来たぞっ!!」

「「「うおあぁぉあああっ!!」」」


 アルカディア。

 採取の手を中断し、脱兎だっとのごとく逃げ出す。


「坊主おまえ異世界勇者だろ! なんとかしやがれ!」


「冗談はそのハゲ頭だけにしろやクソジジイ! あんな槍持ったやつと闘えるわけねぇだろ!」


「言いやがったな根暗坊主! 悪口はハゲかクソジジイだけにしやがれってんだこの童貞!」


「オッサンこそどっちかにしやがれ! 童貞の何が悪いってんだ! オッサンに迷惑かけたか!? かけてねぇだろ!?」


 唾を吐く勢いで悪口を言いあいながら、俺は現地民のオッサンたちとなんとか南門まで逃げ帰ると、呼吸を整えながら声をあげる。



「あーくそっ! 調子良かったのに!」


 そう、今日は調子が良かった。

 ずっとE判定だったエペ草の採取が、一度だけD判定で成功したのだ。エペ草×2という2倍の報酬に小躍りしたいほどだった。


 さらに言えば、エペ草の採取よりも難しいライフハーブの採取にもE判定ではあるが成功したのだ。こちらは5カッパーのエペ草と違い、7カッパーで売却できる。


「くそっ! これからってときに……!」


 現実では絶対しないような感情の吐露。

 それだけ残念だった、というのもあるが、オッサンの、きっと悪意のない言葉が、棘となって俺の胸に刺さっていた。


『異世界勇者だろ! なんとかしやがれ!』


 俺たち、現実からアルカディアに来た人間は、現実でもアルカディアでも異世界勇者と呼ばれている。

 現実では、異世界へ”行く”勇者。

 異世界では現実から”来る”勇者。


 モンスターが蔓延はびこるアルカディアを救うため、それぞれに与えられたユニークスキルを駆使して闘う──それが異世界勇者。

 召喚魔法に大きな適性を得る俺のユニークスキル【オリュンポス】もそうだ。

 しかし、召喚モンスターがいない俺に、採取をして日銭を稼ぎ、モンスターが来れば逃げるだけのいまの俺に、勇者の名前は重すぎた。

 


「ぇ……藤間くん?」


 猛ダッシュの疲労から門の脇に座り込み、考えながら肩で息をしていると、戸惑ったような声がかけられた。


 声の主は、白いローブに身を包み、木製の杖を持つ灯里伶奈だった。


「……んだよ」


「あ、ううん、どうしたのかなって。それと……」


 言うべきか言わざるべきか迷った様子で視線を彷徨さまよわせた挙げ句、灯里伶奈は結局それを口にした。


「やっぱり藤間くん、本当は声、大きいんだなって……ふふっ」


 くすくすと屈託なく笑う彼女から、俺に対する悪意は感じられない。


 だからこそ。

 ……だからこそ、女は怖いんだ。


「陰キャは全員声が小さいとでも思ったか」


「ぁっ……違う、そんな意味じゃなくて……!」


「ま、普段喋らないからな。つーか俺に話しかけないほうがいいぞ」


「っ……ど、どうして……?」


 どうして?

 なんでわからないんだ?

 教えてやろうかとも思ったが、さすがに俺の口からいうのは、俺の矜恃きょうじが許さなかった。


「伶奈!」


 ……ほら、俺が言わなくても向こうからその理由が来たぞ。


「伶奈、どうした? ……あれ、藤間くんじゃないか。どうしたんだい?」


 やって来たのはイケメンA、なにがし悠真。


「うわ……ホームレスか?」

「そんなとこに座って汚くね?」


 イケメンBとC。


「つーか伶奈、藤木に話しかけたら格落ちるよ?」

「そーだよー。見ないふりしたほーがいいよー」


 ビッチAとB。


「ぅ……」


 そして灯里伶奈。我らがクラスのトップカーストである。


 さて、カースト頂点、中堅、あるいは俺と同じように底辺に堂々と鎮座する諸兄ならばご存知だろう。

 全てはビッチAの言葉、


『藤木に話しかけたら格落ちるよ?』


 この一言がアンサーである。ついでに俺の名は藤間である。


 俺に話しかけることで、灯里伶奈は格を落とす。

 せっかくトップカーストにいるんだから、わざわざ落とす必要などないに決まっているのだ。

 それは灯里もわかっているのだろう。その証拠にさしたる反論もしない。


 だからやはり、思う。



 あれは、罰ゲームだったのだと。



 俺の視線が冷淡れいたんになってゆくのを感じたのか、灯里は俺から顔を背けた。

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