後ろの席の文学少女が、俺に向けてラブレターを書いている

風親

後ろの席の文学少女が、俺に向けてラブレターを書いている

 昔から自分でも……ちょっと勘がいいと思うことは何度もあった。

 そして、実際には発せられていない声が聞こえてきた……なんてこともあった。

『危ない!』

 子どもの頃、反対側の道路から、聞こえたその言葉で助かった時があった。あったのだと思う。

 本当は誰かが声に出して注意してくれたのかもしれない。そんなことを確かめる余裕もないことがほとんどだったけれど、何度か言葉が直接、脳内で響いたことがある気はしながらも最近はあまり聞こえることもなくなったので、誰にも言わずに育ってきた。


『突然のお手紙失礼します。

 私は、

 東雲君。あなたのことが好きです』


 でも、今日、久しぶりにちょっと長い言葉がはっきり聞こえた。

 俺宛て……?

 いや、気のせい。気のせい。

 ちょっと夜ふかしをした朝の授業中だから、ちょっと、うとうとしてしまっていたんだ。きっと。


(突然の……って変よね、いつも会ってはいるのに。席が近いだけだけれど……)


 ……やっぱり何か聞こえた。

 俺は、そっと視線を落としてノートの字を確認する。大丈夫、ちゃんとした文字で分かるように授業内容がメモってある。意識はしっかりしているらしい。

 いや……それはそれで怖い。


『東雲君。

 突然、こんなことを言われて困ってしまうかもしれませんが……』


(やっぱり出だしはこんな感じかな……)



 悩んでいる気持ちと一緒に、また言葉が聞こえてくる。

 これは……もしかして……。

 誰かの心の声……とか。だろうか。


 『近くの席』と聞こえた気がする。

 教科書を目の前に持ってきて顔を隠すようにしながら、周囲の様子を探ってみる。

 前の席……そして左隣は男だ。まさか三宅君たちが、俺に恋愛感情を持っているとは思えない。

 右隣の新条さんに横目で視線を送る。ギャルっぽい彼女だけれど、最近彼女とはそこそこくだらない話で盛り上がったりしている。好意を持たれている可能性はゼロではないけれど、新条さんがわざわざ手紙を書くとは思えなかった。今も授業中だけれど、ノートは真っ白なままでずっと自分の爪を眺めている。

 となると……後ろの席の藤谷さんかな……。

 今、急に振り返ってみたい衝動に駆られたけれど、授業中だし、そんなことをして不気味に思われたくもない……。

 いつも挨拶を交わすくらいだけれど、ちょっとだけ思い当たることもあったりはする。


(もっと具体的に書いた方がいいよね……)


『この間は、助けてくれてありがとうございました。きっと誰にでも優しくしてくれる東雲君だと分かっていますが、あの日からついあなたの背中を追ってしまっています』


 あ、どうやら、後ろの席の藤谷さんみたいだ。

 そういえば、この間、藤谷さんの鞄を探してあげたことがあった。

 もしかして、いじめとかだろうかとちょっと思ってムキになって探しまわり、いつもの勘の良さで俺は探し当てることができた。

 ただ、いじめとかではなかったようだった。誰かが落としてしまったのはひどい話だと思うけれど、特に彼女を狙ったものではなかった。

「よかったね」

 俺は鞄を手渡しながら、藤谷さんの前で俺もなんとなくほっとしていた。

 ちょっと閉鎖的など田舎の中学出身だった俺は、嫌なことを想像してしまったけれど、今は都会の高校だ。そんなことはなく、ひどいいじめとかではなくて安心した。

 まあ、その結果。そんなに話したこともない女の子にずいぶんと一生懸命に走り回って探した男が誕生してしまった。


(でも、あれだけで好きになったと思われるのも、ちょっと嫌ですね。昔から好きだったわけだし)


 そうなんだ……。

 そう言われると胸が熱くなり、すごく嬉しい気持ちになって、いきなり振り返りたくなってしまう。

 いやいや、駄目だ。駄目だ。

 こんな心の中を覗いているようなこと、ばれたらお互いに気まずいだろう。

 まあ、ちょっと落ち着こう。

 俺の頭がおかしくなったという可能性もまだ捨てきれない。

 新技術の電波が飛び交うようになったのかもしれない。

 それに、この聞こえてくる言葉がどういう時に聞こえてくるかもよく分かっていなかった。



 次の休み時間になり、俺は三宅君たちとたわいの無い話をした後、自分の席へと戻ってきた。

 席に着く前に、ちらりと後ろの席の様子を窺う。

 藤谷さんは、休み時間はいつも文庫本を読んでいる。眼鏡の半分くらいを覆っている長い前髪で視線がどこに向いているかは、立っている俺の位置からだと全く分からない。

(っていうか、あの本、見えているのかな)

 結構前から、疑問だったけれど、今、じっくりと観察すると改めて思ってしまう。

 藤谷さんが、俺の視線に気がついたような気がした。

 ええい。変にジロジロ眺めて変に思われるくらいなら、声をかけてしまおう。そう思って行動に移すことにした。

「ねえ。藤谷さん」

 俺は横向きに自分の席に座りながら、藤谷さんに話しかける。

「は、はい?」

 びくりと驚きながら、藤谷さんは少しだけ上を向いてくれた。

 その瞬間になにか紙を挟んだノートに手を乗せてわずかに引き寄せたのを俺は見逃さなかった。

 あれが授業中に書いていたラブレターなんじゃないだろうかと思う。

「最近、何か不思議なことがあったりしない?」

「不思議なことですか?」

 藤谷さんは、カーテンの様に覆いかぶさっている前髪からわずかに見える左目を丸くしていた。

「変な言葉が、頭の中で聞こえたりとか……」

「いえ、特にないですけれど……」

 藤谷さんはそんなことを聞かれること自体が、不思議そうに答えてくれた。そりゃ、まあ、そうだよね。

 まあ、でも、この教室で変な電波が飛び交っているわけではなさそうなので、俺は安心して前を向いて授業を受けることにした。


(……良くわからないけれど、話しかけてくれた)

(嬉しいな。そう、この気持ちも伝えないとね)


『桜が舞う季節、入学式のあとで迷っていた私に優しく声をかけてくれて、教室までゆっくり前を歩いてくれた時から、気がつけばずっとあなたの背中を追っていました』


 あ、やっぱり藤谷さんで確定みたいだ。

 そんなに前から、見てくれていたのか……。

 嬉しいけれど、ちょっと怖い気もする。

 あと、俺相手にその季節の挨拶みたいのいるのかな。いきなり渡されたら読み飛ばしてしまいそうとか考えていたけれど、肝心の自分の気持ちについて考えてしまう


(それで、本当に告白されたら、俺はどうする……?)


 いい人だし、地味だけれど容姿が嫌というわけでもない。

 慕ってくれているなら、それは嬉しいけれど……。

(うーん、でも、漫画みたいに眼鏡を外したら、実は美少女だったりしないかな……)

 贅沢で、最低な願いだと自分でも思うけれど、この時はまだそんなことを考える余裕があった。



「藤谷さんって、いいよな」

(え?)

 体育の授業が終わり、俺は三宅君とボールを片付けてケージごと体育倉庫に運んでいる途中でのことだった。

 女子はまだ体育館でバレーボールの授業を続けていた。しばらく三宅くんは疲れたようにゆっくりと休みながら、体育館の中を覗き込んでいた。

「藤谷さん?」

 他にも綺麗で元気な笑顔でバレーボールをしている女子の姿は何人も見えているのに、コートの隅っこでボールが来ないように祈りながら動いている藤谷さんの名前をあげたのは不思議だった。

「そう、あの胸の膨らみのラインが素晴らしいよな。ちょっと抑えすぎじゃないかと思うんだよね」

「何の話だ?」

「何って、おっぱいの話以外に何があるんだよ。ちょっとブラのサイズがあってないんじゃないかと思うんだよね。もっとゆったりしたサイズでいいと思うんだけど、それでもきっと素晴らしい弾力で上を向いていると思うんだよね。上を!」

 まさかと思ったけれど、体育館を覗き込みながら、とても性的な視線でクラスの女子を眺めている三宅君に、呆れながらも自分の欲望に忠実すぎてちょっとだけ尊敬さえしてしまう。

「まあ、でも藤谷さん、ちょっと地味っていうか、暗そうじゃない?」

 心にもないことをいいながら、三宅君の視線を藤谷さんから逸らそうとする。

 そうは言いながらも、俺もボールが飛んでくるたびに揺れる胸の膨らみを体育着ごとじっと見つめ続けて目が逸らせなかった。

「いいじゃん。地味巨乳。実際にはエロいかもしれないし、最高だと思わない?」

 ニンマリと笑いながら、そんなことを三宅君は言った。

「はーい。そこの男子、さっさと運んでください」

 体育館の中から、女体育教師が笛を吹いて俺と三宅君を注意した。覗くなとかそんなことは武士の情けで体育教師は言わなかったけれど、クラスの女子からは嫌そうな声と嘲笑っている声が同時に聞こえてきた。

 まあ、実際に俺もいやらしい目で体育館を覗き込んでしまっただけに何も言い訳はできなかった。

 大したことではないけれど逃げるように体育館から去っていく俺のことを、藤谷さんがどう思うかだけは心配だった。



 残念ながら、例の言葉が聞こえてくるのは俺に向けてラブレターを書いている時だけらしい。実際の文章とその文章について悩んでいる時の言葉だけが俺の脳内で響いてくる。

だから、さっきの体育館の件をどう思っているのかは伝わってはこなかった。

(良いような……悪いような……)

 考えていることが全部伝わってしまったら、それはそれできっと嫌な気がするけれど、今は気持ちを知りたいと思っていた。


「東雲君。なんでそんなに片寄って座っているの?」

 休み時間に、藤谷さんの方から話しかけてくれた。

「え? ああ、なんとなくね」

 自分でもそんなに意識していたわけじゃないのだけれど、なんとなく三宅君の視線から、藤谷さんの胸を見えないようにしたくてそうしていたとはとても言えなかった。

「ふふ、へんなの」

 さっきのことなんて、特に気にしている様子もなく藤谷さんは笑っていた。

(眼鏡を外したりとかしなくても、笑うと普通に可愛いよな……)

 なかなか遠くからだと、目元を見ることも難しい鉄壁の前髪ガードだけれど……。

 今は振り返るだけで、藤谷さんの瞳が見えることに感謝していた。



(書けたけれど……どうしようかな)


 授業中に、またその言葉は聞こえてきた。

 おお、完成したのか……。

 こっ恥ずかしくてとても読める気がしなかったけれど、断片断片で『好きです』と言われ続けてきただけにやはり一度はちゃんと全部読んでみたいと思わずにはいられなかった。


(でも、どうしよう……。呼び出す?……そんなことできるくらいなら、お手紙を書いてないわよね)



 藤谷さんは自虐的な思考に陥っていた。

 何でもいいです。渡してください。

 俺は授業中にも関わらず叫びたかった。


(下駄箱は、ちょっと開けっ放しすぎるし……ロッカーは鍵がかかっているし……)


 悩みだけが伝わってくる。


(それに本当に読まれちゃうの? と、匿名で出してもいいかな)


 駄目でしょ!

 椅子ががたっと揺れくらいに内心で、俺は突っ込んでいた。




「東雲君。最近、わりと藤谷さんと喋っているよね」

 放課後の帰り道に、三宅君たちとばったりと出会って一緒に駅までの道を歩いていた。三宅君がまた藤谷さんを性的な視線で見ているという話かと思ったら、そう聞いてきたのは三宅君の隣にいたクラスで一番のイケメン向井君だった。

「え? ああ、まあ、たまにね」

「彼氏とかいるのかな」

 爽やかな笑顔で、でも、ちょっと照れながら向井君がそう聞いてくる。

 え? なんで藤谷さん? 向井君なら、もっとクラスのカースト上位の女の子と付き合えるでしょ。

 内心ではそう文句を言っていた。

「か、彼氏はいないみたいだよ」

 困惑している俺の返事に、向井君と一緒に三宅君もにっこりと笑っていた。

「いいよな。彼氏になったら、あの胸を揉み放題だと思うとやべーよな」

(藤谷さんの体を、食い放題のサービスみたいに言うな)

 平常運転の三宅君の発言に、俺も向井君もちょっと引いていた。

「うん。まあ、それだけじゃないけれど、いいよね」

 しかし、向井君は、藤谷さんを好きなことを隠す様子もなく、爽やかな笑顔で三宅君の語彙力の無い発言も含めて肯定していた。

 まるで、一歩ずつこちら側の間合いに踏み込んできているような気がしてきてなんとか押し返したくなってしまう。

「ああ、でも好きな人はいるって言っていたよ」

 俺は牽制するつもりもあって、そう続けた。驚きと残念そうな顔を向井君と三宅君は一瞬だけした気がする。

 なんとか、ちょっとだけ間合いの外に向井君を押し出せたような気はしていた。



「駄目だ」

 俺は自室のベッドの上で何故か正座をして今日の出来事を、再確認していた。

 向井君は、絶対に諦めてなんかいない。

 三宅君ならともかく、向井君に親しげに話しかけられて、仲良くならない女子がいるだろうか。

 いや、いないと俺は断言する。

 これはもう先手を打つしか無いのだ。

 そう決意した俺は、次の日、周囲にクラスメイトがいなくなったことを確認すると藤谷さんを校舎裏まで呼び出した。


 校舎裏の壁際にはかなり大きな木が何本か立ち並んでいた。静かな場所ではあるけれど、校庭で運動部が出している声は普通にここまで届いてきていた。

 藤谷さんは、すぐに姿を現してくれた。まあ、途中まで俺が引っ張ってきたようなものだったけれど……。

 なんとなく文学少女と大きな木は似合う気がする。俺は、その木に並んだ姿を見て喉が渇いているのを自覚しながら近寄った。

「藤谷さん……。あの……」

 呼び出すところまでは、勢い任せでいけたけれどそこからは全くのノープランだった。

 藤谷さんが、そのポケットにしまっているであろうラブレターを、今手渡してくれれば、それで終わりなのになと思いながらも気合いを入れた。

「藤谷さん、好きです。付き合ってください」

 シンプルにそれだけを伝えた。

 藤谷さんが色々、言葉を考えてくれていたのに比べれば全く単純で恥ずかしかったけれど、余計なことを付け加えると肝心なところが伝わらずに失敗する予感しかしなかった。

(世の中の告白する人ってすごい)

 俺は頭が真っ白になりながらそんなことを思っていた。俺は、藤谷さんのラブレターの言葉を聞くことができていたから、まず断られることはないという自信があったから何とか告白できたと思う。

 とりあえず伝えることは無事にできた。あとはもう何とかなるだろうと藤谷さんの返事を待った。

「あの……なんで私なんかに?」

 伝わりはしたけれど、藤谷さんはちょっと信じられないとでも言うようにそう聞いてきた。

「ええと、笑った時の顔が可愛らしいなと思って……」

 俺はそう答えた。それだけではないなとは思ったけれど、ラブレターを書いている時の言葉が伝わってきたのが、好きになる理由になっているので、それを伝えるのはやめておきたいと思った。

(あの脳内に響いてきた言葉とは関係のないところで、何か魅力的なところを……)

 藤谷さんは、見た感じでも、嫌がってはもちろんいないと思っていた。ただ、ちょっと自信がまだもてないだけなのだろうから、俺が惚れているのに分かりやすい言葉を……。

『あの胸の膨らみのラインが素晴らしいよな』

『彼氏になったら、あの胸を揉み放題だと思うとやべーよな』

 つい、三宅君の言葉が頭の中に浮かんできてしまった。確かにそれは魅力的だと思うところだけれど、今はそのことは忘れろと頭を振った。

 ふと見ると、藤谷さんは胸を隠すように両腕で組んで守っていた。

「え?」

「え?」

 俺と藤谷さんは、お互いに驚いたような声を上げていた。

「あ、ええと、今、変な声が聞こえて……」

 藤谷さんは、耳まで顔を赤くしながら、大きな胸を隠していた。

「な、何でもないから」

 藤谷さんは、顔をちょっと伏せた。また分厚い前髪のカーテンで隠されて表情は良く分からなくなってしまった。

(まさか、俺の方からも好きな人のことを考えると脳内に伝わってしまって……?)

(え? ああ、なるほど……)

 い、今の言葉も伝わってしまったらしい。周りから見たら、無言で見つめ合っている怪しい二人に見えてしまうかもしれない。

「なるほど……分かりました。でも、人の考えていることを盗み聞きはよくないですよ」

 声に出して、藤谷さんはそう言った。

 もう全部ばれてしまったようだ。

 盗み聞きをしたわけじゃないと俺は慌てて言い訳をしていたけれど、藤谷さんも本気で不愉快そうなわけではなさそうだった。

「まあ、浮気したらすぐに分かってしまいそうでいいかもしれませんね」

 藤谷さんは、そう言っていたずらっぽく笑った。この不思議な状況をむしろ楽しんでいるように見えた。

(よく考えるとこの状況、ちょっと怖い気もしてきた……)

 それに、いつの間にか立場が逆転してしまっている気がする。俺のほうが好きでたまらないみたいな……うん、いや、それはそうか。

「私もずっと前から好きでした。よろしくお願いします」

 藤谷さんは、ポケットから例のラブレターを取り出すと両手で俺に差し出した。距離が近すぎて、今は藤谷さんの二つの瞳が俺のことを見つめているのが、はっきりと見えて胸が苦しいくらいに熱くなっていた。

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