第49話その笑顔のために
天井に大きな穴を空けた倉庫の中心に、光が丸く差し込むと、塵や砂埃が反射して燦爛と輝いていた。
アオは、ゆっくりとアリスの方へ歩き出す。制服の両腕はボロボロになり、素肌を晒していたが、左手の擦り傷以外で、大きな外傷は見られなかった。
冷たい地面で縛られたアリスの元で膝まづくと、勢いのまま抱きしめようとする。しかし、アオの手は直前でピタッと止まると、優しくアリスを抱きかかえた。
「っ!!」
アリスは声にならない気持ちを真っ赤な頬で表現した。手足を縛られた状態では、恥ずかしくても抵抗できない。それだけでなく、アオの真剣でどこか憂いに満ちた目を見て、抗う気持ちは薄らいでいった。
アオは、倉庫の中心へアリスをそっと置く。天から差す光が二人を照らした。
急ぎ、手足と口元に縛られた縄をほどく。アオはアリスに目立った傷がないか隈なくチェックする。擦り傷などは少しあるものの、顔には傷もなく、目立って痕になるような傷は見当たらなかった。
アオは大きく安堵の息を吐くと、また神妙な顔に戻る。二人の間に沈黙の空気が流れると、アリスは口を開こうとした。
「あのっ――」
「ごめんなさい!!」
「え?」
アリスの口火を遮るようにアオの謝罪が重なった。アリスは、突然謝られたことに動揺したが、アオの震える身体が、並々ならぬ気持ちで発言したことなのだと察した。
凛とした面差しでアオを見つめる。煌々と輝く黄金の瞳がアオの光彩に映しだされた。
アオは、その瞳を直視できない。正座をした状態で、ぎゅっと目を瞑り、体を強張らせる。
そして、搾り取る様に言葉を零す。
「あなたの笑顔を守りたかった・・。あなたの苦悩を取り除きたかった。あなたの勇姿を証明したかった。あなたが誰よりも努力していると、見せつけてやりたかった・・。でも、できなかった。果たせなかった。結局、口だけでなにもできない・・。自己嫌悪で完結する、愚かで醜い私は、あなたに何もできない・・。ごめん、アリス・・。」
震える肩が、口が、自分を追い詰める言葉が、アオの悔しさと懺悔を表していた。
しかし、アリスにはアオの言葉が分からなかった。言葉の意味は理解していたが、アオの言葉は圧倒的にアリスの気持ちを考慮していなかったからだ。言うなれば自分よがりの後悔を口にしていた。アオは知らない、アリスの気持ちを。
震えるアオの手を包み込むように、アリスは両手で握った。
はっと、アオは顔を上げる。その目に映ったのは、木漏れ日のように穏やかなアリスの微笑んだ顔だった。
初めてアリスの瞳と目が合うアオ。暖かな掌の温度と煌びやかな瞳が、アオの頬の温度を上げた。
「謝らなくていいの。だって、私はこんなにも救われたのだから。」
「え?」
アオの驚愕の顔に、アリスは少し可笑しくなる。やはり、アオは気づいていない。アリスの気持ちを。誰よりもアリスを想うが故に、アリスの心の内を読み解けていなかった。
アリスがどれだけアオに感謝してるのか。アリスは、それに気づかないアオが無性に可笑しくて笑う。
「学園でBクラスと戦ったって聞いた時、嬉しかった。ああ、この人は私のために怒ってくれたんだなって、そう思えたの。・・・最近、誰かに見守られてるなって感じてた。タオルやブランケットはちょっと、やり過ぎ感あったけど、ふふ・・。でも、嬉しかった。一人じゃないって、言ってもらえてるような気がしたから・・。」
「アリス・・・。」
「今回もそう・・。本当はもう諦めてたの・・。ああ、ここで終わるんだなって、そう思ったんだ。でも、扉が開いて、あなたの顔を見た時に、ブワーって、感情が湧き起こった。私本当は期待してたんだって、ここから救ってくれる誰かを待ってんだって。あなたに救われたの・・。だから謝らなくていいの。そのままでいいの。本当に、ありがとう。私を助けてくれて、本当にありがとう。」
心からの言葉。アリスが抱いた真実の言葉。絶望の淵から手を伸ばしてくれた人。アリスを想ってくれるヒーロー。偽りのない感謝の言葉を捧げた。
アオは、静かに立ち上がると、そっとアリスの手を引っ張る。そして、アリスの手を握ったまま足元に膝まづいた。それは昔、幼いアリスにした誓いの姿勢。アオの誠意のポーズだった。
「アリス・・私にあなたと共に歩む許可をください。あなたの、喜び、悲しみ、痛み、苦しみ、楽しみ、幸せ、全てを私にも分けてください。私は、アリスに何ができるのかわからない。いつだって、口だけの男です。それでも、あなたと一緒に生きることを許してほしい。」
ふわっと胸の中に、アオの言葉が風に乗って吹き抜けていった。それは、アリスが決して口にはできない秘めたる言葉だった。
ずっと、探していた。期待していた。孤独な自分自身を、誰もを拒絶してきたその手を、それでも差し伸べてくれるそんな存在を。
アリスの瞳から涙が流れ落ちる。震える手で目元を抑えると、アオへの気持ちが溢れ出た。
「わ、私・・、初対面の人を殴るような・・ガサツな人間だよ・・?」
「はい、真っすぐと気持ちに正直なアリスは、素敵です。」
「私は、あなたのこと覚えてないのに・・。ひどいことも言ったのに・・・。」
「自分の知らない過去を突然話されたのです、至極まっとうな反応ですよ・・。それに、私は今のアリスと一緒にいたいのです。」
「私は・・私は、いつも強がってるけど・・本当は・・・誰かに、助けってほしかった・・。でも、言えなくて・・。それが、辛くて・・。こんな、めんどくさい奴だよ・・・?」
「いつだって、運命に立ち向かうあなたは本当にすごいです。けれど、もし、辛くて前に進めなくなってしまったら、辛いとか、助けてほしいとか、声は出さなくてもいいんです・・。ただ、少し背中を私に預けてみて下さい・・。それでアリスがまた、前に進めるなら、それは私の誉れです。」
「私ばかりもらって、あなたに何を返せばいいのか、わからないのに・・。」
そう言うと、アリスは顔を俯かせる。
アオの優しい言葉はアリスのこれまで痛め続けた心を少しづつ修復させる。そんな、アオへの感謝の言葉は浮かんでも、相応の対価がアリスには無かったのだ。
アオは立ち上がると、アリスの顔に手を近づける。少しビクっと反応するアリスに、微笑を零すと、アオはそのまま涙を拭った。
「では、笑ってください、アリス。あなたの笑顔が、私の一番の願いですから。」
アオは、アリスの頬に優しく触れる。アリスの体温の高さが手に伝わる。赤らめた頬がアリスの気持ちを体現していた。
アリスは思う。アオは本当にヒーローなんだと。
目の前の少年が、アリスの全てを肯定してくれた。それは、否定され続けた彼女の人生で、初めて受けた光だった。
アオは知らない。アリスはもう十分救われていたことを。
アリスはアオと出会って、笑うことが増えたことを。クラスに興味を抱いたことを。何より、勇気を希望をもらったことを。
アリスは、頬に触れたアオの手を大事そうに上から被せると、優しく握り返す。
その手の体温を感じるように頬に押し付けた。
その時、アリスはどんな顔をしただろう。アオの瞳にアリスが映しだされる。
太陽の光に淡く照らされた少女が、湖畔に咲く花のように笑った。
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