第39話抗う信念

 「とりあえず早朝、第1演習場に行ってみろよ。そこなら、見えてくるものもあるかもしれないぜ。」

 

 アサギの言葉を受け、アオは早朝の静かな校舎に足を運んだ。

 朝靄の中、人気のない校内は、昼間の生徒たちの喧騒が嘘のように静謐さが満たしていた。

 昨日の雨の余韻なのか、湿り気の多い空気と、まだ乾いてない地面を、煌々と地平線に顔を出した朝陽が反射させた。

 アオは、一直線に演習場へと向かう。

 校舎の裏にある第1演習は、屋外に設置された巨大な演習場で、教師の許可なしでも使用できる演習場であることから、実践系のクラブや魔術の演習のため、特定の生徒が使うことはあるとのことだった。

 しかし、こんな早朝。生徒がいるはずもなく、アオはそれでも何かを期待して歩みを進める。


 アサギは言った。誰かのためになることなどないと。結局は広義の意味で自身のエゴなのだと。

 アオは、尤もだと感じていた。アリスためという建前を築き上げたのは他でもない自分自身だったのではないか。

 まだ、胸の奥でズキズキと棘が刺さるような感覚が残るアオは、アサギの言葉に答えを求める。


 通路の先の角を曲がると、演習場が見える。その位置に立つと、通路の先から空気を裂くような鋭い音が聞こえてきた。

 近づくとその音が大きくなる。アオは逸る脚で角を曲がると、眼前に音の主の姿が見えた。


 音の正体は、剣で空気を切り裂く音だった。

 遊ぶように踊る剣先が、空気をなぞる。流麗な太刀筋は、誰が見ても一流の剣士の動きに他ならなかった。

 しかし、一朝一夕で手に入るわけもないその剣術は、汗が流れるほど剣を振り続けても、一握りに許された剣才を開花させるには至らないのが大半。絶え間ない修練と才能の先に初めて山の麓が見える、それほどまでに研磨された動きであった。

 その麓に立っても、今だ完璧を追い求め、ひたすらに剣を振るう少女。

 アリスだった。


 アリスは、誰もいない静寂の演習場を一人懸命に剣を振るっていた。

 ぬかるんだ地面は、決して良環境ではない。それを、物ともしない豪快な動きと、むしろ良い負荷なるとでも思っていそうな、情熱的な目線と姿勢。

 そして、アオが来た時にはすでに、全身の水分を出したような汗が光に照らされキラキラと輝いて見せる。

 

 (・・・・なんて、きれいなんだ。)

 

 アオは、ただただ、その光景を両の眼で焼き付けた。一歩も動かず、その場で、剣を振るう少女を見つめた。アリスの容姿ではない、その所作すべてに心奪われたのだ。

 それは、聖剣などという大それた大役を背負い、貴族に蔑まれ、魔術が使えないと絶望する、悲劇の少女ではなかった。

 その目には一切の悲愴はなく、ただ自身の可能性を信じ磨く、勇敢で果敢な真っすぐな少女。

 

 (なぜ、こんな、朝早くに・・・決まっている。泥臭い姿を貴族の恥と思われぬためだ。)


 早朝の演習場。砂で固められ地面は、昨日の悪天候の影響で泥となった地面は、アリスの華麗な足さばきで抉られ、辺りに飛び散っていた。

 当然アリスの競技服にも泥はかかる。しかし、それを咎める眼も、声もない。

 自由な剣は、空を踊る。

 

 (なぜ、剣術を磨くのか・・・。魔術以外で、証明するしかなかったからだ。無能でないと。聖剣に選ばれてしまったことを、恥としないために。)


 アリスの剣は、金剛輪際に達しようとするほどの術技であったが、それは魔術による補助なしの、純粋な剣の腕のなせるものであった。

 アオの眼は特別だが、それを最も生かすには、身体強化の神聖術を行使することで、身体能力を底上げする必要がある。

 しかし、アリスは違う。魔術を一切使わなずに、極みに至ろうすることは、生半な修練では無理であった。狂気にも似た長い歳月をただ剣を振ることに身を置いた人間の姿だった。


 「はあ、はあ、はあ、はあ、・・・・ふーーー。・・・今の動きはまだ、あの氷に反応できてない。一番、防御の薄い箇所に飛び込み、確実に一撃を与える動きが必要ね・・・・。」


 アオは、拳を握り締める。自分への怒りと不甲斐なさが、表に漏れ出すように。

 アリスは、激しい動きの合間に、昨日の模擬戦の反省をしていた。

 あの負けはアリスにとって、屈辱的にな者のはずだ。思い出したくもない醜態のはずだ。

 アオが自分勝手に、涙する少女に抱いた感情は何だっただろうか。憐れみだったのではないのか。

 常に前を向くアリスを一番卑下していたのは他ならない自分でなないのか。


 (私は、馬鹿だ・・・・。わかっていたことだ・・。アリスのためと口では言っても、本当はただあの頃の、美しい思い出の中の風景に戻りたかっただけだ・・。アリスは、必死に今を生きているじゃないか!)


 今のアリスを、見ていなかったのは、他ならない自分のエゴだった。

 ようやく、胸の中に刺さる違和感に気が付くアオは、自分への責めよりも、純粋にアリスを想う感情が心を満たしていた。

 それは、誰に賞賛されるでもなく、ただ運命に抗う少女の姿。アオの心に鋭い光が差し込んだ。

 

 (進んでこの道にはいない。決して自分で、選択したことだけではないはずだ・・・。それでも、懸命に闘う、アリスは・・・なんて、きれいなんだ。・・・・私は・・・・・。)


 さらに強く力が拳に入る。

 決意にも似た何かが、アオの眼を燃やした。

 それは、今を生きる決心。決別と行かなくとも、前を向く信念だった。

 

 演習場の端の地面が朝陽に照らされると、乾いた地面が輝いていた。

 剣を片手に踊る少女と、それを見つめる蒼空の少年を暖かな陽がいつまでも照らした。

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