第35話無能の少女
魔術学園の模擬戦は、基本的に対人戦闘を主流としており、今回のように5分の制限時間を設けるものから、無制限で戦うものまで様々だが、根底としては、競技服に込められた防御術式の残存が0になると敗北、というルールがあった。
この防御術式は、選手の魔力を使って発動するものではなく、学園の教師あるいは、その模擬戦の審判などの外部の人間によって掛けられるものだった。
その防壁は、二重構造になっていて、上層の防壁がゲージの表すものであり、下層の防壁は並の攻撃では選手に傷一つつかないほどの、強力な魔術が付与されていた。すなわち安全装置としての役割をなしていた。
アリスは開始の合図とともに駈け出す。流れのままに腰から抜剣し、相手の懐へ一直線に寄せようとする。
しかし、シュナイダーは、それを拒まんと右手首に装着した腕輪に魔力を流し込む。すると、右手から冷気が漏れ出した。
「其は鋭き氷の棘、アイススピアー!」
詠唱と同時に、右手から鋭利な氷結の棘がアリス目掛けて放たれた。
棘の連射がアリスを襲うも、紙一重の所で初撃を躱すと、そのまま横に展開し、追撃を走りながら回避する。
躱せない棘は、手に取る剣を華麗に振り抜くと、空中の氷の棘を撃ち落とした。
そして、一定の距離を横に走ると、グッと体を急転回しシュナイダーの方へ突進する。
咄嗟の方向転換に、シュナイダーは対応できず、氷の棘は掠ることなくアリスの接近を許した。
アリスはシュナイダーの懐に入ると、鋭い眼光で獲物を捉える。
そして、高速の三点突きの後、休むことのない剣撃の応酬でシュナイダーを果敢に攻める。
流麗な太刀筋と華麗な足捌きは、見る者を魅了する。
いなす術なく、シュナイダーの緑色に光る防御術式が削れるエフェクトが閃く。
「はあ!!」
「ぐうっ!、いい加減にしろ!アイスウォール!」
手首をクイと上に曲げると、詠唱無しで氷の壁を出現させた。
ガキィ!と、鈍い音がアリスの剣に伝わる。
分厚い壁が、アリスの攻撃を完全に遮断した。
シュナイダーは、素早くその場から後ろに下がると氷の壁を解除して、同じく棘の連射を再撃する。
アリスは、それを容易く剣で撃ち落とすと、続く二撃目を仕掛ける。
2人の攻防をアオは、目を見開いて見つめていた。
アリスの美しい剣筋に心を奪われたのだ。アオの記憶に映るアリスは、森を駆け抜け、花を愛でては、絵本の景色にあこがれる少女であった。
しかし、目の前の少女にその面影はない。勇猛果敢な姿にアオは心を釘づけにされた。
そんな、アオの様子をアサギはほくそ笑んでいた。
「すげえよな、アリスの剣技。」
「はい、あんな美しい太刀筋見たことないです。」
「だよな。ジュウベエから見てどうよ?アリスの剣術は。」
「清流のように流麗な剣筋に、あらゆる武術を応用させた見事な足捌き。凡百にはないアリスだけの剣技だな。剣の腕だけなら、儂は敵わないどころか、学園でも比べることのできる者などいないだろうな。」
「そりゃそうだ!アリスは剣聖の血を引いてるんだからな!」
「剣聖?」
ジュウベエの称賛を、自分のことのように喜ぶベルベットは、とても得意げに胸を張る。
剣聖。聞き慣れない言葉だった。
アリスの家系は聖剣の守護者だったはずだ。それ以外にもローズレイン家には語るべく異名があるのだろうか。
アオは、ライドの方を見る。任せろというようにライドは眼鏡を上げた。
「剣聖とは、アルストリア大陸で最強の剣豪に与えられる称号。そして、ローズレイン家は聖剣の守護者であると同時に、数々の剣聖を生み出した家系でもあるけど・・・・最近は、あまり輩出していないような気が・・・。それでも、卓越された剣技の数々はレイヴェルト王国の騎士団でも採用されるほど、誉れ高いもの何だよ。」
「なるほど、道理であれほどの動きが・・・。これなら、魔術が使えないことなど、関係ない。アリスが勝つのは時間の問題ですね。」
アリスの剣術は王国を代表するほどの卓越した技量である。目の前のアリスも攻めの一方であった。
例え、アリスが魔術を使えないとしても、この勝負を決定づける要因にはならないのではとアオは考えた。
しかし、そんなアオの言葉を一同は沈黙で返す。
どうやらアオの意見には賛同できないらしい。一体どういうことか、アオは、アサギの顔を見ると、彼は苦虫を嚙んだように苦悩の表情をしていた。
「残念だが、魔術の使えないアリスが勝つのことは万に一つもない・・・」
「しかし、現にアリスは相手の防御術式を削っている・・・。そして、相手からの、まともな攻撃も受けていない。優勢なのはアリスのはずですよね?」
「それは・・・あの剣がこの服同様、特別性だからだよ。なあ、ボルグ?」
アサギは、ボルグに投げると、彼は小さく頷いた。
「あれは、汎用魔術刻印型魔工剣。通称、疑似魔剣と呼ばれる
本物の魔剣を打つことのできるドワーフの職人から言わせれば、
「仮初とは・・・・どういう意味です・・・?確かに、アリスは剣無しでは戦えないことは、わかりました。それでも、押しているのはアリスのはずだ。」
「どこが押してるんだ・・・・。シュナイダーのゲージをよく見てみろ。」
アオは、緑のゲージを確認する。そこに信じられない光景が目に入る。
ゲージが、一切減っておらず、その下の表記は100%を示していた。
確実に防御術式を削るのは見えていた。しかし、表記は偽りではない。なら、先ほどのボルグの仮初という言葉が意味するものは―。
アオが何かに気づく顔を浮かべると、アサギは隣で頷き、目を閉じた。
「そう、アリスが削ってるのは競技服の術式じゃない・・。シュナイダー自身が展開した防御術式なんだよ。それも、上澄みを削ってるだけで、完全に破壊できているわけじゃない・・。見ろ、アリスは、攻撃の後は回避に集中している。当然だ、なんせアリスは自身で展開する術式が一切ない、言わば生身みたいなもんだ。だから、あの氷の棘を掠りでもすれば、一気にゲージが削れちまう・・・。」
「そんなアリスが回避に徹している間に、相手の防御術式は完全な状態に修復される・・・。つまり、実質アリスが勝利することは不可能・・・ということですね。」
アリスが必死に攻撃をいなし、隙を見ては懸命に攻撃を仕掛ける。ヒットアンドアウェイの戦法を取っているのは、アリスが選んだ戦法というよりは、そうせざるを得ない状況にあっただけだった。
段々と手数が減るアリスに、氷の棘が襲う。ギリギリで回避するが、その内の一本がアリスの脇腹を掠める。
「ぐっ・・・・!!」
体勢を整えるために後ろへ大きく下がる。ゲージを見ると、緑のラインは大幅に減り、70%の表記を示していた。掠っただけで、この状態。直撃すればどうなるか想像するのも容易い。
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ・・・・・・・。」
アリスの息が上がる。当然であった。アリスは常にシュナイダーの攻撃を躱し、いなす。そして、隙をついて、攻撃を仕掛ける。それを延々と繰り返すのは、数分の間といえど、身体を強化する術式の使えないアリスには酷な戦いだった。
そんな、アリスをシュナイダーは鼻で笑うと、蔑むような目でアリスを睨んだ。
「ふん、なんだその体たらくは。流石、無能のアリス・ローズレイン。貴族の面汚しで相違ない姿だな!」
シュナイダーの罵倒に同意するように周囲のBクラスの生徒たちの笑い声が響く。
アオは、血が滲みかけるほどに拳を握りしめていた。そしてその感情はDクラスの皆が同じく抱いているものだった。
「うわあああああああああ!!!」
アリスの怒号が響き渡る。悔しさと焦りからか、それまでにない冷静さを欠いた突進攻撃を仕掛ける。
しかし、シュナイダーは一切の攻撃を止め、アリスの突進を正面に、仁王立ちしていた。
アリスの渾身の突き攻撃。最大ダメージを与えたように見えた。はずだった―。
アリスの目に映るのは、左手で軽々と剣を止める不敵に笑うシュナイダーの姿だった。
圧倒的な絶望。どんなに足搔いても、アリスが勝てる要素は無かった。
「これが、実力の差だ落ちこぼれめ。剣技に自信があろうとなかろうと、戦闘において魔術の絶対性は変わらない。それを、知ってか知らぬか無駄な足搔きをする・・・泥臭い庶民のようではないか・・。」
シュナイダーは、右の指を軽く動かすと、アリスの足を氷漬けにした。
アリスの必死の抵抗も虚しく、その場からの行動を完全に封じられた。
シュナイダーは、アリスの動きを完全に奪うと、続けて右手を構える。
「貴様に魔術の真髄を刻んでやる。これが、私の固有魔術だ・・・。
凍てつく至点、汝は氷牙を穿つもの、荒天せよ我が無双の槍よ―アイシクル・スティンガー!!」
右手をアリスの腹部に近づけると、掌から巨大な氷の槍が出現する。そして、槍が勢いよくアリスに直撃すると、そのままアリスの体を後方へ吹き飛ばした。同時に防御の術式を完全に破壊する。
「きゃあああああああ!!」
空中を大きく舞った後に、遥か後方でアリスは床に叩きつけられた。上層の防壁は完全に破られ、下層の防壁がなければ、そのまま腹部を貫いていたであろうその槍の衝撃は、防壁を超えてアリスに直接激痛を与えた。
アリスのゲージの表記が0になるのを確認したレッドは、息を一つついて高らかに放った。
「試合終了。勝者・・・シュナイダー・ヴォ―ドラン。」
シュナイダーは勝利宣告を受けると、右手を天に掲げた。Bクラスの一同は歓声に湧き上がる。
アオは、そんな音声など耳には入ることなく、倒れて動かないアリスを見ていた。
「アリス!!」
「待て、アオ!・・・約束しただろ?」
「ですが!!・・・・・アリスが。」
必死にアリスの元へ駆けつけようとするアオを、アサギは肩をぐっと掴んで静止した。
その肩が今にも、駆けたいという意思を感じるほどに震えていた。
アオは、歯を食いしばるようにアリスに眼差しを向けると、シュナイダーがアリスの近くに寄ってくるのが見えた。
シュナイダーは、下等な者を見るような目で悶絶して立てないアリスを見下ろした。
「全くもって不愉快だ。なぜ貴様のような、魔術の使えない無能がこの学園にいるのだ。恥を知れ!自らの過ちを認め、早々にこの学園を去るがいい。」
「おい!シュナイダー。それは、おまえの決めることじゃない。ましてや誉れ高きヴォ―ドラン家は、負けた相手にまで追い打ちをかけるような姑息なお家なのか?」
見かねたレッドがシュナイダーの発言を指摘する。
シュナイダーは、ばつの悪そうな顔を見せたが、すぐに余裕の笑みを浮かべた。
「これは、失礼しました、レッド教諭。ヴォ―ドラン家として、あらぬ振る舞いでした。」
一礼すると、くるりと体を反転させた。そして、大きく高笑いすると、周りの生徒も呼応するように嘲笑した。
「あの野郎・・・。」
「・・全く度し難いほどのクズだな。」
「ああ、だが、ここは我慢だ・・・。ここで俺らが反発したらアリスの矜持を傷つけることになる・・・。」
「・・・・・・・。」
ベルベット、ジュウベイ、アサギが悔しさを浮かべるも、必死に耐えていた。
アオは、ただ沸々と湧き上がる真っ赤な感情を抑えるのに力を注いでいた。
震えるアリス。敗北に、罵倒に、嘲笑に、心を砕かれる彼女を黙って見ることは、アオにとって苦痛そのものだった。
アオの目がアリスと合う。アリスはその瞬間、ずっと耐えていた目元の力が緩むと、一筋の雫を流した。
「アリス―」
呼ぶ声が届くことなく、アリスは演習場の外に駆け出して行った。
アオの右手がその方向に伸びるも、足は動かない。
アサギの言う通りだ。今アリスの元に駆けつけて、アリスを笑顔にできるのか。いや出来ない。きっとアリスをもっと傷つけるだけだ。アリスが必死に耐え抜いた全てを否定してしまうことだ。
その拳に力が籠る。アオは今、するべきことを心に決めた。
「ベルベット・・・アリスのこと頼むわ・・・。」
「ああ、わかってる。アオ、あんたの気持ちはわかるよ・・・。でも、今はあたしに任せときな。」
「はい・・・・お願いします・・。」
アオの肩をポンと叩くと、ベルベットはアリスを追うように演習場を後にした。
Bクラスの喧騒の中、アオは身体を震わせていた。
その気配を察知したアサギは、アオの顔を覗く。真剣な表情であったが、その表所の裏に隠れた感情が漏れていた。
「アオ?」
「アサギ・・。確かに私がアリスに声を掛ければ、アリスの矜持を傷つけるでしょう・・・。だが、今傷ついたアリスは、誰が癒す?その涙を拭って、どう笑顔にする?・・・私にはわからない・・・。わからない私にも、確かにわかることがあります。それは、この感情はもう留めておけないということです・・・。
これは、ただの憂さ晴らし、八つ当たりです。不甲斐ない自分自身への怒りをぶつけたい私の勝手なわがままです・・・。でも、もう止めれそうにないです・・。」
それは、アオがこの学園に来てずっと溜め込んだ自分自身への怒り。アリスの現状に何一つ自分が為せることはないという無力で愚かな自分への底知れない怒り。
アオは、静かに歩き出す。闘技エリアのシュナイダーの元へ。
「ちょ、おい、アオ!待てよ―」
「もういいだろアサギ。もうアリスもいない・・。あいつの好きにしてやれ・・・。」
「ジュウベイ・・・・。ったく、ほんとに、アリスのことが大好きなんだからよー、あのバカは。」
アサギのアオへの静止を、ジュウベイが止める。アサギもアオの気持ちが手に取るようにわかっていた。
だが、いろんな建前が、その場の流れや、アリスの事情を、理由に深く立ち入れない自分がいるのも気づいていた。
しかし、アオにはそれがない。ただ、全ての行動がアリスのために直結している。端から、アサギがアオの行動を止める権利などなかったのだ。
諦めのような笑みを浮かべるとアオを見守った。
アオは、シュナイダーの後ろに立つ。シュナイダーもそれに気づいて、後ろを向く。
Bクラスの喧騒が止まると、アオとシュナイダーに視線が集まった。
「なんだ貴様は・・・なんのようかな?」
「初めまして、私はアオと申します。あなたたちの模擬戦を見ていたら、自分もぜひ手合わせしたいと思いまして、模擬戦を申し込みに来た次第です。」
「ほーう、私の超絶魔術を垣間見ても、恐れずに模擬戦を申し込むとは勇敢だな。いや、しかし相手が相手だしな、私の実力が過剰に見えてしまうのも無理はないか。ハハハハハっ!!」
シュナイダーの笑いとBクラスの笑いが演習場を支配する。
アリスへの嘲笑を、その怒りを、アオは笑顔の裏に隠した。
「いいだろう、私が自ら魔術の手ほどきをしてやる。それでは、レッド教諭準備を――」
「いえ、私が申し込んだのはあなた一人ではありません・・・。」
言葉を途中で止められたことと、意味の分からないアオの発言に苛立ちを見せるシュナイダー。
「なんだと?どういう意味だ?」
「今ここにいるBクラスの皆さん全員に対して申し込んだのです。」
「・・・・舐めてるのか?ここにいる全員を一度に相手取るというつもりか・・・。そんなの、勝負になるはずないだろうが!」
「ふっ、もしかして、負ける時の言い訳が見つかりませんか?」
「なんだと・・・・・。」
アオの安っぽい挑発は貴族たちを刺激した。
シュナイダーの顔が怒髪天の如く燃え上がると、Bクラス全員からアオは怒りの眼差しを受けた。
しかし、アオの表情は変わらない。その程度の怒り、今のアオの中に秘められた感情の10分の1にも満たないものだからだ。
「いいだろう!!貴様のそのふざけたその自信、その態度、完膚なきまでに叩きのめしてやろう。」
ぞろぞろと、Bクラスの生徒がエリアに上がると、アオの口元が少し緩む。
計画通りといった表情を浮かべると、すぐに顔を元に戻す。
「レッド先生許可を出してくれますよね。」
「いや、おまえ、それは流石に・・・・・。」
アオの荒唐無稽な発言、思考に戸惑うレッド。確実に止める場面だったが、それが暴走によるものではないのは、アオの真っすぐな目が物語っていた。
凄みに似た気配を感じ取ったレッドは渋々、エリア中央の外側に移動した。模擬戦の準備を始めたのだ。
「はあ・・・ケガしても知らんぞ・・・・。危険だと判断したら即座に止めに入るからな。」
「ご無理を聞いていただき、ありがとうございます・・・・」
アオは、深々と頭を下げると、レッドへの感謝を表現した。
そして、ゆっくりとBクラスの集団へ身体を向ける。
彼らの怒りの視線を感じ取ったが、怯むことはなかった。
静かなる闘志を体の芯まで浸透させると、アオは右手を体の前に持ってくる。
そして、クイクイと挑発的に指を曲げる。
「かかってきなさい。一人残らず、完膚なきまでに叩きのめして差し上げましょう。」
闘いの合図が響く。
アオの怒りが爆発した。
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