第28話理事長

 早朝、まだ陽も登りきらない時間帯ではあったが、学園の正面に構える鉄製の門は開門した状態になっていた。

 門から続く長い道の先に、白壁の美麗な建物が静けさの中佇んでいた。

 アオは、それを目指して門を抜けて一歩踏み込む。

 すると、何かを潜り抜けた感触がした。

 

 「・・・・・・今のは!?」


 ぱっと、後ろを振り向くと、アオの眼には赤い半透明な壁が敷地内を囲うように張られていた。

 アオの中で、これは防護装置のようなものだと判断した。

 それは、結界であったが、直接的に侵入を防ぐものでもなければ、大きな警報で侵入を知らせるものでもない。

 違和感を体に残しつつも、アオは前に歩く。


 朝靄が滞留していた。湿度が多い季節でもないが、異様なほどの霧があたりを包んだ。

 やがて、前だけでなく四方の視界が遮られると、アオはその異常さに構えた。


 「これは・・自然現象じゃない・・・・魔術か・・・。術者はどこだ・・・。」


 両目の力を発動させる。霧が青白く光っていることが確認できた、間違いなく魔力による現象であったが、術師の所在だけはどこにも認識できない。

 

 すると、後方より近づく気配に気づく。アオは、素早く振り向くと、右の拳を真っすぐに振り抜く。

 バンッ!!という衝撃音が走る。アオの拳は、目の前の男の片手に収まっていた。

 

 (これを、素手でで・・・・・。)


 アオは驚愕する。

 咄嗟とはいえ、神聖力を籠めた一撃。それは素手で止めることは、アオの攻撃を完全に防いだのも道理。

 つまり、現状、唯一の武器を取り上げれ、相対する男との射程距離圏内にある状況であった。

 アオは、追撃を打ち込むため左手の手刀を繰り出そうと構えると、男はアオの右手を解放した。

 離した瞬間、アオは距離を取るように、後方へステップする。

 警戒態勢は解かない。いつでも反撃できるか構えで対象を見つめる。アオの瞳に男の容貌が映る。


 印象は硬派であった。黒髪をオールバックにし、鋭い眼光は近づくものを拒絶するようなそんな雰囲気を醸し出していた。白基調のブレザーには黒の刺繡が袖や胸元に散りばめられており、コントラストが特徴的な服装であった。背丈はアオよりも少し高く、細身だが内に隠された筋肉の武装は服からでも感じられるほどに、完成された肉体を想像させる。


 男は、右手を開いて閉じてを繰り返すと、しきりに動作を確認する。そして、少し口元を緩めると、思いだしたように耳元に手を置いた。

 何かに合図を送るように頷く仕草を見せた。

 

 「はい、了解しました。すぐに、お連れします。」


 会話でもするように応答する男の声色は風貌に会う低い音だったが、口調は丁寧で、粗暴な感じは一切なかった。

 アオの方を一目見ると、頭を軽く下げる。

 

 「失礼。先ほどの無礼を許してほしい。この霧は、侵入者を察知すると発動する迎撃用の術式で、気配を断って侵入者に接近できるものなのだが・・・・。ふっ、まさか気づかれるとはな。今、理事長からお前を連れてくるように申し付かった。着いてこい。」

 

 先ほどの会話は、理事長とのもので、仕組みはわからないが魔術での通話をしていたようだった。

 男のアオに対する口調は、その理事長とは打って変わって、砕けたものだったが、嫌な感じがしなかった。

 それが気にならないほどに、アオの眼に男の計り知れない魔力が見えていたからだ。


 男が歩き出すと、辺りの視界が開ける。展開された魔術の霧が解除されると、急に人の気配に満ちた。

 多くの学生が、アオの横を通り抜けていく。アオに無関心な者、少し気にする者、多種多様だが、男の来ていた服装と同じものを着込んだ男子学生がいたことから、これは制服であるとわかり、そして目の前のその男もまた学生であることに驚いた。


 「こっちだ。」


 言葉短めに、男は歩く。アオもその後を追う。

 学園の広い廊下を通る。自分と同じくらいの年齢の学生が目に入ると、自然と目的の少女を探す。

 階段を上がる。4階層目まで昇るとまた廊下を歩いた。

 結局、見つかることはなく、大きな扉の前に到着した。

 コンコンとノックをすると扉の奥から声が反応した。


 「入りなさい。」

 

 「失礼します。」


 男は扉を開けると、顎をクイと動かしてアオを入室するよう合図した。

 アオは、部屋の中に入る。


 広い部屋があった。中央には大きな四角いテーブルと、座り心地は保証されているだろうソファーが挟むように配置してあった。壁側にはたくさんの本が並べられた棚が向かい合っており、かつての書斎を少し思い出させた。部屋の奥側には、一人で使うには余りある大きな机と椅子があり、その後ろは全面ガラス張りで、外の風景が一望できた。

 一人の男が、登校する生徒を見下ろしていた。


 振り向いてアオの方に体を向けると、ゆっくり下から上に目をなぞらせるて、笑みを浮かべた。

 そして、扉の外に待機していた男の方を見る。


 「ご苦労だったね、ラグナ。ここからは、私に任せてくれ。」


 こくりと頷くと、頭を下げて扉を閉めようとする。その瞬間アオが後ろに目をやると、ラグナと呼ばれる男と目が合った。

 やはり、少し笑ったように見えたが、完全に確認する間もなく扉が閉まった。


 部屋を静寂が包む。アオは目の前の男を凝視する。

 男は、灰色を主体とした生地のタキシードに身に纏っていた。中にも薄い灰色のベストを着込んでおり、黒いネクタイは色合いを誇張させた。

 長く、軽くウェーブがかったクリーム色の髪と、深紅の眼が特徴的な高身長の男を、アオは外見よりもその内面を今もしっかりと見つめていた。

 思えば、アオは霧に包まれてから一寸たりとも緊張感を解いていなかった。それは、その眼に力を常時入れていたということだ。

 それによって、擦れ違う生徒と、ラグナとでは比べ物にならない力の差を見て取れた。

 しかし、眼前の男はそんな、実力の話以前に異様な光景が見えていた。

 

 アオの眼には、魔力は青、神聖力は黄色に見えていた。当然人間には青色の魔力が内包していて、黄色の神聖力を宿した人間など見たことがなかった。

 しかし、目の前の男はその二つの色が混ざり合うように滞留していた。

 信じられない光景だったが、実現できるものがいるとすれば一つだけだった。

 それは――


 「品定めは、終わったかな?」


 「・・・・・・・あなたは、神徒ですね?」


 アオの心情など見通しているような発言に、少したじろいだが、冷静に問いただす。

 男は不敵な笑みを浮かべつつも、ゆっくりアオに近づいた。そして、一礼をアオの前でする。


 「君の想像通り、私は神徒だ。正確にはだった、だがね。契約の神ミトラスに使えていたが、10年前を境にめっきりお告げがなくってしまってね・・・・・。蒼い竜を探しているようだったが、私はこの場を離れられないことを伝えると、すぐに通話が途切れてしまったよ・・・・。

 実は、君のことは以前より知っていた。」


 「ちょっと、待ってください・・・。情報が多くて、整理がつかないです。」


 「それもそうだな・・・。そこに腰かけてくれ。話はそれからだな。」


 アオは、黒塗りのソファーに腰かける。それは体重を全て吸収して、まるで座る者の腰に合わせるように、優しい感触を調整していく。

 高級そうなカップに紅茶を淹れると、男はアオの前に座る。

 

 どうぞと言うように先に口にいれる。アオもそれに倣って喉に流し込んだ。気持ちが落ち着くのを感じると、先ほどの言葉を頭の中で整理する。


 まず、目の前の男は神徒だ。過去形なのは置いといて、あのミトラスの神徒である。しかも、マリアベルと違うのは、恩寵ギフトを授かった神徒であるということだ。

 時間軸的にも、マリアベルが森に来た理由と辻褄も合う。

 しかし、この男がミトラスの命令を断ったことで、マリアベルに白羽の矢が立ったことには複雑な気持ちになったが、それでも彼女との出会いは、アオにとって大切な記憶である。 

 警戒は解かないが少しだけ男に感謝する気持ちが同伴していた。

 

 「待っていたとはどういう意味ですか?」


 アオが警戒の雰囲気を出しているのを感じて、男は少し残念そうに息を吐いた。

 信頼を得るには、まずは事実の説明が先決だと、男は口を開いた。


 「私がミトラスから受けた恩寵は、この眼だ。」


 深紅の眼を指して説明した。宝石のような端麗な眼が反射した。


 「ミトラスから連絡が来たとき、私の眼にある映像が映った。それは、君が二人の女性を庇いながら、ミトラスと相対している光景だった・・・・・。声は聞こえなかったが、君がミトラスに並々ならない怒りを向けていたのはわかった・・・・。それが君を知った最初の記憶だ。」


 「・・・・未来視・・・・ですね。」


 アオは驚愕で、言葉を途切れ途切れに放つ。男は首を縦に振ると、肯定の意志を向けた。

 アオが考え事をする姿勢に入ると、男は紅茶を口に入れ、一呼吸置いた。

 カップを置く音で、現実に戻るアオ。

 

 「そして、10年前。正確には9年と少し前に、彼女は、アリス・ローズレインはこの魔術学園に入学した。

 そうだ、君がミトラスから守ったアリスは、この学園に、今も在籍しているよ。」


 「アリス・・・・。」


 男の言葉に、今朝見た少女の姿が間違いなく、アリスなのだと確信に至った。アオの顔が喜びと安堵に満ちた。

 男はアオの雰囲気が柔らくなったことに少し安心する。

 そして、真剣な面持ちでソファーから腰を離した。

 

 「しかし、最近また例の力で、未来の映像が流れた。それは、彼女が、アリスが何者かに攫われていく映像だった・・・。」


 「なんだって!・・・それは、本当ですか・・!?」


 アオは、勢いよく立ち上がると、焦燥を露にする。

 それを冷静な態度で反応する男の両手を強く握り締められていた。

 悔しさを表に出していたのだろうか。アオは既視感を覚えた。

 

 「私の力はそう簡単に話せない。君ならわかるだろう?加えて、彼女のお家の関係から、私の地位を持ってしても手が出せないのだ・・・・。まったく、学園の長をしている身なのに生徒一人まともに守ってやれない・・・・。情けない限りだ。」


 「・・・・・・・」


 目の前の男が本心でアリスを心配し、そして自分の無力さを嘆く姿が、無性に自分と重なった。

 学園の長としては、アオの中で信頼における人物だと思えた。


 「だが、そんな時だ。今朝、迎撃魔術に捉えられた君を見た・・。あの神をたった一人で立ち向かった君を。運命だと思ったよ。私はきっと、君をこの学園に迎え入れるために、あの未来を見たんだとね・・・。

  だから、私からお願いする。この学園に入って、彼女を守ってくれないだろうか?」


 懇願する真っすぐな目は、アオの心に直接問いかけているような迫力があった。

 アオは、視線を下に反らした。

 アオは、決めあぐねていた。アリスを守ることは自分にとって最優先事項であることは間違いないことだが、それでも目の前の男が学園の長としては信頼できても、神徒であったという事実が拭えない。    

 これもはるか昔から仕組まれたことならと、不安が過る。


 しかし、そのような不安など微々たるものと感じるほどの問題があった。それは――


 「ちなみに、授業料は学園側で完全に負担しよう。」


 ピクっと、アオの体が動く。


 「さらに、この学園には寮も完備されている。貴族以外の生徒もいるからね、格安で住める学生寮は評判もいい。そして、君の寮費用もこちらで負担しよう。これで、衣食住を無償で手に入れたというわけだ。」


 さらに、アオの筋肉が震える。体中が痙攣するように揺れた。

 

 「そして、最後に。月毎にはなるが、特別に私用資金を供給しよう。まあ、お小遣い制度だな・・・。これで、彼女との休日も楽しむことができるが・・・・どうだろうか・・・?」


 止めをさすと言わんばかりに、囁くように打診する。

 アオの顔がゆっくり前を向くと、男はその表情に了解の意志を見た。

 

 全てを見透かされているような気が確かにアオの中にはあったが、そんなことより、魅力的な提案が現在抱える金銭的な問題を解消するだけでなく、アリスとのデートまで夢見る次第であり、既に冷静な判断など遥か彼方へ風に乗って飛び去ってしまった。


 男はスッと、右手を前に差し出す。


 「紹介が遅れたね。私は、アドルフ・ホーエンハイム。この、ルべリア王立魔術学園の理事を務めている者だ。ようこそ、魔術学園へ。君を歓迎するよ。」


 アオは右手を握ると、心を決めた表情でアドルフを見る。 


 「私は、アオと申します。理事長のご提案、謹んでお受けしたいと思います。」


 二人は、東の空を登る光に包まれながら、お互いに頷く。

 こうしてアオは、様々な誘惑に負け、しかし本来の目的通りに学園に編入することになった。

 名義上、転入ということにする予定だが、アリスへの再会にもはや思考は占有されていた。


 アドルフの指示のもと、部屋の外に担任を待たせてあるので、後は従って教室に向かうよう説明された。

 

 アオが部屋の外に出ると、アドルフはネクタイを緩めると、机の上に腰かける。

 そして、外の景色を眺める。窓ガラスには不敵な笑顔が映しだされていた。


 「しかし、我ながら演技が過ぎたかな。なんて・・・・。さて、最強の竜がどんな活躍を見せてくれるか、楽しみだな。」


 どこまでも深く黒い悪意に満ちた笑いが、部屋中を響かせた。

 

 この男の真の目的が何のか、欠片も考えていないアオはアリスとの再会を目前に浮足立つ。

 二人の再会までもう間もなくだ。

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