第26話さよならは言わずに
目が覚めると、見慣れない部屋が広がっていた。ベットの横から腰を上げると、ぼーっとした頭がだんだん覚醒していき、昨晩の記憶を呼び起こさせる。
後ろを振り向くと、あられもない寝姿でマリアベルが小さく息をたてていた。
「そうか・・・今日は、いよいよ、王都へ行く日でしたか・・・・。アリスとアイリスに、会えればいいが・・・・。それにしても、何か大事なことを・・・忘れているような・・・・・。」
アオは、思いだせない記憶に悶々とするが、すぐに耳に入る音声で、その気が晴れた。
「もう、飲めないよぉ~・・・・・・むにゃむにゃ・・・。」
アオは、笑みをこぼして、首を横に振る。頭もすっきりした感じがした。
そして、マリアベルを叩き起こして、いつものように、彼女が叫び散らかすまでの流れをこなして、二人は一階に降りた。
マスターは、二人のことを待っていたかのように朝食を用意していた。
バタートースト、ベーコンと目玉焼きに、少しのサラダとスープ。シンプルだが一つ一つ丁寧な料理が並べられていた。昨日の料理の満足度からも伺えるように、この店が街の中央に構えていられる理由の一端なのだと、アオは感じていた。
サービスとのことだったが、おそらくマリアベルのためなのだろうとアオも理解していた。
目を輝かせて朝食を眺めるマリアベルと共に朝食を済ませると、マリアベルは、馬車をギルドから借りてくると言って、一人足早に、店を出て行った。
アオは、カウンターで一人座っていると、目の前にコーヒーの入ったカップが置かれた。
芳醇な匂いとともに、湯気が立ち昇る。久しぶりのコーヒーに少し郷愁を感じた。
「これは・・・?」
「
ニカッと歯を見せて笑うマスターは、少し遠い目をした。
「昨日のな・・・・あんなに楽しそうなマリアベルは、初めて見た。一人で来るときは、いっつも愚痴ばっか言って、グデングデンになるまで飲んで・・・。でも、今回は違った。きっといいことでもあったんだろうな・・・。兄ちゃんのおかげだ!だから、遠慮せず飲んでくれよ!冷めないうちにな!」
笑うマスターに、自分は連れて来られただけだ、という言葉を直前で飲み込んだ。
アオは、そんな無粋は必要ないと、素直に感謝を受け止める。
「では、遠慮なくいただきます。」
アオはコーヒーを口へ運ぶ。香りが口の中に広がると、アイリスが作ってくれたコーヒーを思い出していた。
あの時飲んだコーヒーとはまた違った香りだが、銘柄は何だろうか、あの時アイリスが教えてくれたのは確か、クナだっただろうか・・・・。などと、想いに馳せていた。
満足げなアオの表情に、マスターも笑みをこぼした。
「そういえば、兄ちゃんたちはこれからどこへ?馬車なんて借りるってことは、どっか遠出かい?」
「はい、王都へ。」
「は?王都?はははっ!兄ちゃん。王都なんてここから歩いて一日かからん距離だぞ?それこそ、馬車なら半日で着いちまうんじゃねえか?」
「え?」
驚愕の事実。マスターのおかしそうに笑う顔も目に入らないくらいに困惑する。
先日の会話からてっきり、王都まではかなりの日数をかけて行くものとばかり思っていたので、マスターの言葉でその考えは崩壊した。
マリアベルが目的地を間違えているとは考え難い。距離を勘違いしていることもだ。
なら、どういうことか、アオの中で一つの予測が浮かび上がる。
(まさか、寄り道か・・・。確かに昨日は楽しかったが、これ以上余計な時間を割く訳には・・・。確かめる必要がありますね。)
すると、タイミングを計っていたかのように、店の扉が開いた。
マリアベルが、勢いよく店に入ってきた。
「お待たせ―、それじゃあ、出発しようかーって、あれ・・・・なんでそんな怖い顔してるの?」
「マリアベル、早急に確認したいことが・・・嘘偽りなく答えてください。」
アオは、目を光らせながらマリアベルに詰め寄った。
マリアベルは、アオの顔の近さに少し顔を赤めるも、ただならぬ気配に両手を挙げて抵抗する。
「な、な、なによ?て、てか、ちょっと近いわよ!」
「マリアベル、王都までの距離は馬車を使うほどではないといことですが、これは一体どういことでしょうか?まさか、これ以上の寄り道をお考えではないですよね・・・・?」
アオは、口から煙が出そうな剣幕で詰め寄る。
マリアベルは、アオの質問の意図は理解していたが、どこか余所余所しく目を泳がせていた。
まさか、本当に寄り道を考えていたのかとアオが、言葉を投げようとしたらマリアベルが、気まずそうに口を開いた。
「いやー、言ってなかったっけ?私は王都に行かないのよ。あんたを近くに降ろしたら、そのままノーストイア帝国に帰る予定なのよねー。だから~、そのための馬車っていうか~、あは、あははははは・・・・・。」
「は?はあああああああああああああ!?」
アオの絶叫が響き渡ると、マリアベルは頭をかきながら、ごまかすように舌を出した。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
サウストリアを縦断する太い道は、そのまま外に続くように街道と連結しており、北側に道を進めば王都へ着くということだった。
二人は、馬車に揺られらながら街道を北上していた。
マリアベルは、手綱を握る手から汗を流していた。それもそのはずだった。右隣に座る同行者の機嫌が非常に悪く、そしてかける言葉も浮かばず、居たたまれない状態となっていたからだ。
アオは、マリアベルとは反対の方を見るように頬杖をついてた。
さっきの事実がまだ、整理できていないのか、一回も口を聞いていない様子であった。
「ね、ねえ、悪かったわよぉ・・・・。黙っていたことも・・・騙すようなことをしたことも・・・・。」
マリアベルは、おどおどと謝罪の言葉を口にした。
しかし、アオには響いていなかった。
そう、アオは王都までの移動法について憤りを感じていたのではなかった。別のことでまだ整理がついていなかったのだ。
「私は、あなたがノーストイア帝国に帰ることを、黙っていたことにですね・・・・もういいですよ・・・・・」
「ご、ごめんなさい・・・・・。」
マリアベルはシュンと肩を竦める。
アオの中で、マリアベルは当然一緒にアリスたちを探してくれるものと思っていた。
しかし、よくよく考えてみれば、10年待っていたことすら信じられない行動なのに、王都も一緒に行くことを当たり前と思っていたことは、自分の甘えであったな、とアオも思っていた。
そんな甘えを敷いていたことに、実は少し恥ずかしさを感じていたことも重なり、素直になれていなかった。
アオは、ちらりとすっかり小さくなったマリアベルの姿を見ると息を一つ吐いた。
「はぁ、こちらこそ、我がままを押し付けてしまいました。マリアベルにすっかり頼りっぱなしだったのに、意地になってしまいました。ごめんなさい・・・。私もあなたを許しますので、どうかいつもの調子に戻ってください・・・。」
アオが、ようやくマリアベルの方を向くと、ぎこちなく笑った。
「う、うんっ!!・・・・良かったぁ、喧嘩別れとかにならなくてぇ・・・・えへへ。」
涙目のマリアベルは安堵したように息をつくと、いつもの明るさを取り戻した。
仲直りした二人は、どこまでも続く道を往く。
アオは、広がる草原と先を伸びる街道を見渡していた。
ここまで、いくつかの馬車とすれ違った。たくさんの荷物を載せた商人や、移動用に人を乗せたものなどいろいろあったが、この辺りを安全に移動しているのは、やはり冒険者のおかげなのだろうと納得した。
この馬車もギルドから借り受けたものであり、組織の規模や事業範囲の大きさを伺えた。
のんびりと体を揺らすと、マリアベルが思い出したように口を開いた。
「そういえば、あんたに忠告があったわ。」
「忠告ですか・・?」
少し真剣な面持ちをするマリアベル。アオもその雰囲気に背筋を伸ばす。
「10年前、アイリスたちを連れ去った連中の中で、一際やばい奴がいたのよ。その時は、雷の汎用魔術を使っていたけど・・・それよりもね、10歳に満たないクソガキだっていうのに、体から放つ殺気が、尋常じゃなかったわ。どんな経験したら、ああなるのか・・・。」
「前に話していた、あなたが適わないと感じた相手ですね・・・・。」
「そうよ・・・。あの時、私が止めることができていれば・・・・こんなことには・・・・。
あーーー!!もう思い出したらむしゃくしゃするー、あのガキィ!!
今度会ったらぐしゃぐしゃにしてやるんだからぁ!!
いーい?とにかくあんたは、アリスちゃんにはちょっとやばい因果が巡ってるってことを頭に叩き込んでおきなさい!
そして、あいつと相対したら、必ず完膚なきまでに叩きのめしてやりなさい!
師匠からの命令よ!わかった!?」
「は、はい・・・。肝に銘じておきます・・・。」
ぷいっと、マリアベルは怒りを思い出したように前を向いた。
アオは、わかっていた。強がって話を反らしていたが、手綱を握り締める姿は沸々と彼女の悔しさが伝わってきた。
きっと、責任感の強い彼女は、何年もその記憶を抱えて生きてきたのだと。
しかし、ここからは自分の番だと、今度こそアリスに降りかかる不幸を取り除くのだと、アオは強く心に刻んだ。
日が高く昇り、気温が上がて来たことで、馬たちを休ませるべく街道のわきで少し休むことにした。
道の傍には小さな川が流れており、馬たちは美味しそうに喉を潤していた。
アオは、グッと伸びをするマリアベルを後ろから眺める。
(10年・・・人間にとってはかけがえのない価値ある時間だ。それを・・・研究をしていたとはいえ、たった一つの約束のために待ち続けることは、いったいどれだけの・・・・。)
アオは、深く息を吐く。
マリアベルへの感謝は言葉一つで表現できない。しかし、言わなければならないことがあると感じていた。
後ろから近づく気配に気づくとマリアベルは、振り向く。そこには、真剣な顔でアオが立っていた。
何のことやらと首をかしげる。
アオは、ゆっくりと口を開いた。
「マリアベル、あなたに感謝を。言葉一つではあなたへの恩を伝えきれない。それでも、言わせてください。あなたに、惜しみない感謝を捧げます。」
アオは、頭を下げる。軽口ではない。誠心誠意の気持ち。かつてアリスに抱いた時と同じ感謝をアオは、言の葉に乗せた。
「ちょ、なによ、いきなり・・・。調子狂うわね、まったく・・・。まあ、素直に受け取っておくわよ・・・。」
マリアベルは、顔を横に向けると、照れくさそうな顔を浮かべた。
だが、これで終わりではない。
アオが彼女にしなくてはならないことは、彼女への感謝を伝えるだけではない。
そう、もっと重要なことを残していた。
アオは、顔を上げる。なお、変わらない顔つきでマリアベルを見た。
「それだけではありません。私は、あなたの胸に刺さった杭を取り除かなくてはならない。」
「は?な、何言ってんの?」
アオの素っ頓狂な言動にマリアベルは理解不能に顔を引きつらせた。
それでも、アオは言葉を続けた。
「もう、赦していいんですよ。あなた自身を赦してあげてください。」
「はあ?だ、だから、あんた何言ってんのよ・・・・。わけわかんない。」
マリアベルは顔を俯かせる。その体は少し震えていた。
「後悔、しているのでしょう?自分がもっとしっかりしていれば・・・あの時立ち向かうだけの力が、勇気があったらと・・・。10年もの間、その後悔があなたを縛り付けてきた・・・。でも、安心してください。私がそれを引き継ぎます。あなたの、後悔も願いも全てを受け継いで、そして、必ずアリスを笑顔にして見せます。あなたの10年が無駄じゃなかったと、私が証明して見せます。
だから、どうかあなたは、あなた自身を赦してあげてください・・。」
「だ、だから、何言ってんのよ・・・?別に私は後悔なんて、一つも・・・・あれ、なんで、私泣いてるの・・・。」
顔を上げると、マリアベルの眼からは大粒の涙が流れていた。
アオが優しく微笑むと、マリアベルのせき止めていた心のダムが決壊していた。
押し込めていた感情は声となって、濁流のように放たれた。
「う、うう、ううう、うわああああああああん!!ごめんなさああああああああい!!
わ、わたしが、もっと、もっと、しっかりしていれば、ううっ、二人を守れたのに・・・・。
ずっと、ずっと、後悔してた・・・。あ、あんたを探しに行かなきゃ、神様の言うことなんて聞かなきゃ、こんなことにはならなかったのにって・・・・。だから、せめてあんたが戻るまでは二人を、二人を見守ろうって・・・。でも、できなかった、怖くて動けなかった・・・。うっ、ほんとに、ご、めん。
ごめんなさああああああああい。」
マリアベルの今まで抱いていた気持ちが零れ出た。彼女の中で束縛した罪の意識を、懺悔するように声を上げる。
アオはその気持ちを温和な心で受け止めた。ようやく、彼女は自分の心を赦すことができると、安堵の表情を浮かべる。
そして、決意新たに、師から引き継いだ想いを心にしっかり留めた。
二人を包むように、優しい風が吹き抜けた。
再び、馬車を進める。マリアベルは少し照れくさそうにもじもじしていた。
その姿が、妙におかしくアオが笑うと、マリアベルは食ってかかるように反発する。
これまで通りの、二人の関係は変わることなく。確かなものだけは引き継いでく。
どこまでも続く道すがら、二人はいろいろな話をした。
勇者の話。魔術の話。その研究や今の大陸の状況など。そして、転生した経緯や神聖術は隠しておいた方がいいということや、王都には魔術を競い高め合う学院があるといことなど。
様々な話で盛り上がり、笑い、怒り、そしてまた笑うのであった。
――そして、別れの時が訪れる。
道の先が小高い丘のようになっていて、道の先が見えない場所に着くと、そこで道が二手に分かれていた。どうやら、まっすぐ行けば、王都に続く道で、もう一つの道は、異国へ通ずる道となっているようだった。
馬車を止めると、道の真ん中で二人は向かい合う。
マリアベルは気まずそうに頭をかく。そして、澄んだ笑顔をアオに向けた。
「湿っぽいのは嫌いなのよ。だから、一つだけ。あんたは、わたしの10年を無駄にしないって言ったけどね、わたしだって少しも無駄だったなんて思ってないわよ・・・。だからね、あんたは、あんたの人生を後悔のないように生きなさい。そして、いつかアリスちゃんと二人でわたしに会いに来なさいよ。」
「はい、わかりました。必ず、アリスを連れてあなたに会いに行きます・・・。マリアベル・・・お元気で。」
「あんたもね・・・。」
二人は握手を交わす。アオは目頭が熱くなるのを必死に抑えると、引きつった笑顔をマリアベルに見せる。
マリアベルはそんなアオ見ると嬉しそうに笑った。
アオは王都への道を往く。マリアベルが後ろで見送る視線を感じたが、一切振り向かず一歩、一歩踏みしめるように王都へ向かう。
すると、後ろから風に乗って声が、背中を叩いた。
「またね!!
足を止める。でも、振り向いたりはしない。右手をひらひらと振ると、また歩みを進めた。
丘を登る。マリアベルとの別れを、悲しみの思い出にするのではなく、希望に満ちた旅立ちの思い出とするために、アオは前を向いて丘を昇る。
マリアベルは少し目を潤わせながらも、その背中を見送った。その姿が丘の先に消えるまで、目を反らすことなくずっと、ずっと。
「またね・・・。」
パンっと、鞭を討つ。祖国への道を往く。この10年の責務を果たした彼女の顔は、どこまでも麗しい清流のように綺麗で穏やかな表情を浮かべていた。
馬車は往く、どこまでも。
丘を登ると、そこから広がる光景が目に飛び込んできた。
眼前に広がるのは、サウストリアと比にならない巨大な都だった。
どこまでも続く壮大な防壁が山の先まで連なっていた。
アオは、大きく深呼吸をする。
「これが、王都・・・。アリス、今、会いに行きます。」
歩む。王都へ続く道を。
アオの新たな旅路を祝福するように、陽光が差した。
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