第23話借りを返して
霞がかる森の中。春とはいえ朝方の気温は低く、太陽は地平の彼方から顔を出そうとしていた。
マリアベルは、大きなあくびを一つする。今まさに、アオと二人で森を抜けようとしていた。
「ふぁ~~。眠いわねー。まさか、修行を終えたてから昨日の今日で、出発することになるとは・・・・。」
「善は急げですよ、マリアベル。時間は止まったりはしないのですから。」
それは、あんたの主観ならね!と、言いたげな恨み顔を浮かべるも、アオはそれを見向きもしない。ただ一点に、道の先を見据えていた。その先の本当に大事な人と再会するために。
マリアベルが、ため息をつくのも無理はない。昨日は、修行のために魔術をいくつも行使し、最後の結界に関しては自身のできる最硬のものであった。確かにアオの成果には目を見張るものがあり、自分のことのように喜んだが、疲労は最高に達していた。
その日、家に戻ると流れるように服を脱ぎ捨て、例のごとく下着姿になり倒れ込むようにソファーで眠りについたのだ。
アオは、そんなはしたない彼女に冷たい目線を送ったが、修行に付き合ってもらった恩もあるので、そっと上から布団をかけた。
そして、朝にはいつでも出発可能な状態になり、アオは自分でかけた布団を引きはがし、下着姿のマリアベルはまた悲鳴を上げる。どこかで見た光景を再現する。
という騒動が起こりつつも、マリアベルはなんとか重い体を動かし森を歩いていた。
「なんであんたは、そんなピンピンしてるわけ?・・・・あー、そうですか。わたしの魔術ごとき痛くも痒くないってわけですか?」
眠気と疲労感が、変な方向に感情を動かしていた。血走る眼球で下から見上げるようににらみつけると、言いがかりを、ねちっと毒気に乗せて吐いた。
こんな感じのマリアベルにもアオは、慣れてきた。彼女は良い意味でも、悪い意味でも喜怒哀楽の起伏が激しかった。
アオは、困ったような表情を出しつつも、彼女の横柄な態度に答える。
「まあ、神聖術のなかでも強化の術に関しては、私の中で確かなものを掴みましたよ・・・・というより、自分で攻撃魔術は苦手だって言ってたじゃないですか。」
「ふんっ!それでも、平気な顔を見せられるとむかつくのよ!あーあ、最初のころは悶絶して涙目のあんたを見るのが私の生きがいだったのになあ。」
じゅるりと
アオは、少し引き気味に凍った視線を送る。
「やはり下衆の極みですね、あなたは。あなたに尊敬の念を感じていたことをここに訂正します。
あなたは、はしたなく、そして下品で、大雑把だ。アリスと比べると生物学的に別の何かと疑うほどだ。」
「な、なによ!それが、修行を付けてあげた恩人への態度なの?!わ、わたしだってね、人前だとそれなりに、品行方正な気品ある淑女になれるんだからね!」
すると、空気がピりつくのをアオは感じた。
地団太を踏むマリアベルの戯言をアオは無視すると、あたりを警戒するように見渡した。
アオの中で、記憶の中の屈辱が蘇る。それは、自分が変わるきっかけでもあり、竜のころにはなかった、敗北の味でもあった。
それは確かにこちらを静かに伺っていた。
「ちょっと。聞いてるの!?」
「しっ!」
アオは、口元に指をあてると、マリアベルの言動を、反対の手で静止した。
草むらが動くのを目の端で捉える。
そして、それは真っすぐにこちらに突進してきた。
「グォオオオオオオオオオオオ!!」
巨大な獣はアオの眼の前に立ちはだかった。胸元の星形が印象的な魔獣。
因縁の相手だ。アオの顔から笑みがこぼれる。この時を、待っていた。
低酸素、加重力、その他諸々の体を痛みつける悪意の込められた攻撃は、果たして彼女に感謝するべきかと思う日々だった。
それも、眼前の魔獣を完璧に超えることで、改めて答えを得るだろう。そう感じた。
アオと星熊は目を合わせる。
星熊は様子を窺うように身を低くすると、喉を鳴らす。
アオは仁王立ちすると、腕を組み、いつでも来いと言うような顔を星熊に向けた。
それを理解したのか、星熊は雄たけびを上げると真っすぐにアオ目掛けて飛び込んできた。
「グォオオオオオオオオオオオ」
星熊の右手が、アオの側頭部に直撃する。
ドゴッ!!
固いものを叩き割るような音がした。確かな感触に満足げな顔を浮かべる星熊。
しかし、すぐにその顔は崩れ落ちる。手を離すと無傷のアオが、笑みを浮かべて、体勢そのままに仁王立ちしていた。
星熊は一歩下がる。理解不能な目の前の現実に戸惑いを見せた。
アオは、もっと来いと言いたげに首をクイと動かす。
戸惑いはあれど、獣のプライドがひどく傷ついた。
星熊は激高して、猛打を仕掛ける。
アオの体に攻撃が当たるたびに鈍い音が響く。しかし、アオの二本の足が地面から一回も離れない。
体制一つ崩すことなく、アオは余裕の笑みを浮かべた。
息を上げる星熊。少し助走をつけると、やけくそ気味に、渾身の一撃を振りかざした。
「グォオオオオオオオオオオオ!!!」
ドゴォッ!!!
轟音が鳴る。これは、流石に手ごたえがあっただろうか。星熊のそんな期待は簡単に裏切られた。
アオは、星熊の攻撃を右手の、それも指一本で受け止めた。
星熊の体がぶるぶると震える。恐怖。目の前の圧倒的な強者に対すして野生の勘が、そこから逃げるべきだと直感させた。
一歩二歩と、竦んだ足を後ろに動かした。
アオの後ろで、一連の攻防を見ていたマリアベルは、ため息をつくと、退屈そうに腕を組んだ。
「なーに、カッコつけてんのよ。とっとと、終わらせなさいよね。」
アオは、ふっと鼻を鳴らして応答した。
そして、ステップを入れて間合いを詰めると、流れるような動作で、右ひじを星熊の腹部目掛けて打ち込んだ。
ボコッ!
腹を貫くんじゃないかと思わせるほどに、肘が食い込む。
星熊は悲痛の叫びを上げると、そのまま意識を落として地面に倒れ込んだ。
致命ではないが、確かに星熊の戦闘力をゼロにした。ひくひくと、痙攣していた。
アオは、天を見上げると、両腕を高々と上げた。どこからか、キーンと金属の鳴る音が聞こえた、ような気がした。
ぱかんと、開いた口が塞がらないマリアベルは、呆れて声も出ない。
(だから、星熊は大した魔獣じゃないっつの!まあ、指一本で止められるほどのレベルではないけど・・・・。ていうか、あいつの強化って防御だけじゃん!!なーに、得意げになってるのよ全く・・・・。ま、でも、頑張ったじゃん。)
マリアベルは、勝利に浸るアオの背中を優しく見守った。
弟がいたらこんな感覚なのだろうかと、マリアベルは素直にアオの成長を祝福した。
突然、アオが振り向くと足早にマリアベルに詰め寄る。そして、両手でマリアベルの手を握ると、キラキラとした瞳で、顔を近づけた。
「へ、え!?」
「マリアベル、何度も言いますが、本当にありがとうございます!!あなたのおかげで、因縁の相手に勝利しました!
いやぁ、あなたは度し難いほどの非常識かつ品性の欠片もない、人間性すら欠落した方だと常々思っていましたが、きっと偉大な魔術師とは、あなたを指す言葉だと確信しましたよ!!」
「ちょ、ちょっと、顔が近いわよ!そ、そのまあ、良かったじゃないの、おめでとうと言っておくわ。って、何よ、その言いようは!!私に対してそんなこと毎日思ってたの!?・・でもぉ、偉大な魔術師ってのは・・ふふふ・・・あんたもちゃんと見る目があるじゃない。ぐへへへ。」
喜怒哀楽、四季折々な感情を混沌に表現するマリアベル。最終的に、にやけ面で頭をかいた。
こうして、一つ壁を越えたアオは、自分の成長を確認すると確かな足取りで森を抜けるのであった。
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