第17話変わらぬ想い

 どれだけの時間が過ぎただろうか。100年?200年?300年あたりから自分のなかで時間を刻むのをやめた。

 

 「グオオオオオオオオオオオ!!!」


 蒼い竜の咆哮が空に響き渡る。巨大な顎を下に広げると、口の中から蒼く光る熱戦を放つ。光線の先に待つのは大量の天使の兵。それを横なぎに打ち払うと、ドドドっと爆炎と爆音の中に天使は跡形もなく飛散した。しかし、煙が晴れると、さらに増量した天使の軍隊が隊列を組んで続々と前へ出る。

 槍を手にした天使たちは、蒼い竜めがけて突進を試みる。

 竜は、大きく広げた翼で体を包み込むように丸くなると、身体の中心に力を集中させた。体の周りに光が集まり始める。

 そして、天使たちが目前に迫る瞬間を見計らって、一気に翼を広げると、集めた光を無数の弾に変化させて飛ばした。天使一体一体をを正確に貫く弾が、軍隊の突進の威力を弱めるようにも見えたが、想像をはるかに超える天使の数に手数が足りず、竜はやむなく防御の体制に入る。そして、青いシールドを体の周りに展開する。

 天使は竜のシールドに突進する。シールドは傷一つつかないが、次々と数えきれない天使が団子のように竜の体を圧縮する。天使の壁に目の前に闇が広がると竜は目を閉じた。

 静寂が支配するのも束の間。天使の団子の中心から光の筋が漏れると、凄まじい威力の爆発が中心から巻き起こる。衝撃と光が当たりを包み込み、やがて視界がクリアになるころには無数の天使は四肢を爆散させると光の粒子となり空中に消えた。

 竜は天使たちの兵のさらに上空から見降ろしていた、4枚の翼を背中に携えたひときわ雰囲気を放つ一体の天使に視線を向ける。これまでの攻防は準備運動にすらなかったかのように、巨大な咆哮をあげる。そして、天使目掛けて急上昇する。天使は、竜の雄たけびを合図に急降下を開始する。二つの影が激突する。

 本当の戦いの狼煙があがる。


 竜と天使の戦闘地帯とは別の空間。そこにある巨大な塔の最上階に透明な壁に囲まれた巨大な立方体の中に、少年と赤い竜がいた。

 部屋の中に用意された巨大な水晶の板に、天使と竜の戦闘が映像として流れていた。二人はその映像を眺めていた。

 少年は巨大な円卓に腰をかけると、真っ赤なリンゴに齧りついた。ハシュッと新鮮な音を立てると果汁が飛び散る。


 「しかし、彼もよくやるね。二千年やってきたこととはいえ、マザーの手助けなしで、幾数千もの天使との戦いを耐え抜くとはね。これも、あなたの予想通りかいマザー。」


 「これには私も驚きです。そもそも私の援助を拒んだのは彼自身の望みでした。彼の実力は天使に劣るものではないですが、千年もの戦闘には流石に耐えられないと思っていましたよ。けれど、これを見る限り、大丈夫そうですね。」


 マザーと呼ばれる赤い竜は床に体を伏せるようにすると、尻尾をゆらゆらと揺らした。

 少年は機嫌の良さそうな姿を目にすると、やれやれと首を横に振った。


 「まあ、肉体面では不死に近い存在の彼が失うものなんてないもないだろうね。肉体面ではね。」


 「含みのある言い方ですね。どういう意味ですか?」


 少年は最後の一口を口に入れると、芯だけになった果実を後ろに投げる。そして、逆の指をピンっとならすと、緑の炎が跡形もなく果実を燃やし尽くした。


 「だってそうでしょ?二千年間で下界にいた時の記憶を、全部忘却の彼方へ置いてきたような奴だよ、たった半年の記憶なんて千年あったらパーだよ、パー。賭けてもいいよ、千年後の彼は何のために戦っていたのかも記憶にないだろうね。」


 「ミトラス、あなたは・・・・まだ、彼を神竜にすることをあきらめてないのですか?」


 少年の狂気の執念に、少しだけマザーは恐怖を感じた。

 ミトラスは狂ったような邪悪な笑みを浮かべると円卓から飛び降りた。


 「ククク、千年たって精神は崩壊し記憶もなくす。そしてその肉体は神に足る存在へと完全に覚醒する。そしたら、ボクらで神のなんたるかを説けば、立派な神竜の誕生さ。アハハハハハハハハハハ、マザー楽しみだね?」


 「・・・・・・・・・・・・」


 マザーは、黙り込むと映像に視線を移した。マザーの中で彼が神竜に成ることは悲願であったが、隣の少年ほど残酷な執念は持ち合わせていなかった。映像を見つめると心の中で、蒼い竜の無事を願うのであった。

 ミトラスは、黙り込むマザーにため息をつくと同じく映像に視線を移す。歪む顔は未だに邪悪さを表現していた。映像を眺めながら、蒼い竜が壊れていく姿を夢想するのであった。

 

 二つの相反する思惑が蒼い竜に向けられるも当人が気づくはずもなく、今回もいつものように天使との戦いに勝利すると、ふわふわと無重力のように空中を移動していた。そして、大きな白い雲に着地すると、身体をうつ伏せに丸くする。そして楽しそうな顔を浮かべると静かに目を閉じた。ここまでが竜のいつもの流れであった。目を閉じて、瞼の裏に少女の笑顔が浮かび上がる。そして少女に名前を呼ばれると、その少女の名前を懇願するように呼び続けるのであった。少女との再会を今日も夢見て眠る。


 500年が経つ。

 空に浮かぶ黒い巨大な立方体から無限に出現する天使の兵は、心が無いため言葉も話さない。だが、毎回それら天使たちを統率する、熾天使という4枚の翼を持つ存在が必ず一体発現した。その天使はきまって、散り際に神への恨み言や憎しみを口にしながら消えていった。12体の熾天使は消滅と再生の度に竜との戦闘の記憶はまるで無かったことのようにリセットされており、竜はその度に、何度もローテーションする天使たちの言の葉を耳に入れていった。竜の中で目に見えない何かが崩れていく音がした。

 今日も、目を閉じると少女は微笑みかけた。しかし、いつもの声が聞こえない。口は動いているのに音声だけが竜には届かない。竜は少女の声が思い出せなくなっていた。しかし、確かに竜は少女との再会のために戦っていたのだ。その意思は確かにそこにあったのだ。


 700年が経つ。

 竜の目から光が消える。今までは熾天使の言葉に一喜一憂していたが、あらゆるものに心は動かなくなっていた。次第に天使たちの動きを脳が、身体が覚えると、効率的に戦闘を繰り返すようになった。機械的な戦闘が逆に、戦闘回数を増やす結果となり、精神を擦り減らす速度を加速させた。

 戦闘後、なぜ目を閉じるのかわからなかった。すでに睡眠を必要としない肉体へと変貌を遂げていた竜にとって、体を丸めて瞼を閉じる意味が思い出せない。ただ、それは毎日行うことなのだと脳から命令されているように感じ、反射用に今日も瞼の裏の少女と邂逅する。

 名前のわからない少女の顔には黒いもやがかかっていて、次第に竜との距離が遠くなるように、少女の存在は竜の心の中から消えていった。

 なぜ、戦うのかわからない。竜は生きることに意味を見出さなくなった。


 900年が経つ。

 流れ作業のように天使を葬り去る。熾天使の今際の言葉も聞くことなく、その頭蓋をかみ砕いた。光の粒子が鋭い牙の間から漏れだすと、ふわふわとそのまま体を浮かせて、次の戦闘に備える。

 巨大な黒い立方体の下で今か今かと、次の戦闘を待ち、そして戦い、待ち、戦い、待つ。これを繰り返した。もはや、目を閉じることはなく当然、少女の面影は完全に消えていた。

 戦い、戦い、戦い、戦い、戦い、戦い、戦い、戦い、戦い、戦い、戦い、戦い、戦い、戦い、戦い、戦い、戦い、戦い、戦い、戦い、戦い、戦い、戦い、戦い、戦い、戦い、そして、戦った。

 戦うことが自分の存在理由なのだと、なぜ戦うのかなど考えもしなかった。楽だった。辛さを忘れることができた。暗く黒く精神が飲まれる。

 

 心の中、竜の姿があった。真っ黒な底のない沼が体を飲み込んでいく。竜はその沼に溺れる感覚を次第に快楽に感じていた。このまま考えることを完全に放棄すればどんなに楽だろうか。擦り減る精神を守るように、安堵の感覚が体を支配した。

 顔の全てが飲み込まれる瞬間、ふと目の前を光の粒が現れる。


 ”なんだ?”


 思考する。光の粒が気になって仕方がない。なぜだ?なぜこれほどまでに気になる。同時に考えることへの苛立ちが体から滲み出る。沼から手を出すと、かき消すようにその光を引っかく。


 ”邪魔だ!!”


 拒絶する。考えると頭に痛みが走る。胸の奥がいがいがとする。竜はその元凶を断つことで平穏を得る。安堵にまた黒い沼へ身体を任せようとしたその時、ふと掌に違和感を感じた。

 目を見開く。青い花が一輪そこにはあった。

 ふっと、耳元で声が聞こえた。記憶にあるはずのない女性の声が確かに聞こえた。その声を復唱するるように、竜の口が勝手に動いた。


 ”あなたを決して忘れない” 


 その瞬間全身に熱が伝わる。海馬の奥底に眠る巨大な扉が開かれた。

 何百年の戦いの記憶が濁流のように流れ出る。痛み、悲しみ、憎しみ、恨み、妬み、恐怖、怒り・・・・その扉はあらゆる負の記憶から竜の精神を守っていた。いそれが一気に流れ込むと、竜の体は黒い流れに飲み込まれた。

 

 ”息ができない。苦しい。辛い。嫌だ、嫌だ、誰か助けて!!こんな苦しみ・・・もう・・・耐えられない・・・・。”


 あきらめかけたそのとき、闇の中に声が響いた。それは、さっきの女性の声ではなく、少女の声だった。


 「アオ・・・・・・アオ・・・・・・アオ・・・・」


 ”アオ”という聞きなれない単語を呼ぶように、少女の声は何度も闇の中を反響する。

 不思議とその声は竜の蝕む負の感情を取り除いていく。胸の中が暖かい。聞きなれないその言葉は何故だか、自分を呼んでいるように感じた。声のする方を探す。

 すると、眼前に光が差し込むのが見えた。声のする方向と一致する。闇を裂こうとするその小さな光目掛けて、身体を濁流から引きりだすように、近づいた。だんだん、声が大きくなる。

 

 「アオ!!」


 光に手を当てると、その光は大きなってあたりの闇を切り裂いていった。波のように光が広がると、その後を追うようにあたりは青い花畑で埋め尽くされた。いつのまにか溺れた竜の体は黒い濁流から解放される。暖かい光の空間が竜の体を包み込んだ。

 視線の先に、少女が踊っていた。青い花畑の上で、白い光の粒子が少女の周りを舞っている。 

 やがて、少女は竜の姿に気づくと、走り寄ってきた。そして、小さな手を竜の前に差し出した。

 躊躇いは無かった。その手を取ることに恐怖など、何も感じなかった。手を取った瞬間、頭の中に一つの名前が流れる。竜にとって、最も尊い名前、最も愛しい名前。


 「ア・・リ・・ス」


 竜の瞳に光がともる。脳の巨大な扉から、光の記憶が蘇る。

 アオは、全てを取り戻した。



 黒い立方体の見える場所に巨大な雲が空に浮かんでいた。その雲の上でマザーとミトラスは一点を見つめると、何かを待っていた。

 やがて、視線の先に蒼い竜が姿を現すと、二人の前に体を降ろした。

 竜は、何も話さなかったが真っすぐにマザーを見つめた。その視線に合わせるマザーと、不気味に笑うミトラス。

 マザーは口を開いた。


 「千年の長い戦い本当にご苦労様でした。ここにあなたの罪が完全に償われたことを宣誓します。つきましては、あなたの望みを聞かせてください・・・・・。」


 「・・・・・・・・・・・」


 黙り込む蒼い竜を見て、ミトラスは大きく高笑いした。眼前の竜の反応に、マザーは残念そうに首を横に振り視線を下に向けた。


 「ふっ」


 ふと、鼻で笑うような音にミトラスは笑い声を止めた。音のする方へ視線を向けると、眉を曲げた。

 蒼い竜の顔は笑っていたのだ。

 一歩前に出る。マザーは再びその視線を覗き込むと、目を見開いた。熱を帯びた目に驚いたのだ。

 竜は、ミトラスに視線を向ける。


 「私の望みは1000年前から変わっていませんよ、ミトラス。」


 「な、、おま、、、まさか、、、、」


 深呼吸を入れると高らかに宣言した。


 「アリスのもとに帰ること、それが私の望みです。」


 竜の目には1000年前と全く変わらない、否、それ以上の強い意志の火をともしていた。 

 ミトラスは狼狽えるように、ぐらっと後ろに下がる。

 マザーは全てを理解したように、笑うとミトラスの方へ顔を向けて頷く。

 ミトラスは、苛立ちを顔に出すと、舌打ちをして体を反転させた。そしてもう一度蒼い竜を睨みつけると、無造作に右手で空中を裂き、黒い歪の中に姿を消した。


 マザーは息をつく。蒼い竜の変わらぬ心に寂しさを感じつつも、感動に心が揺り動かされていた。


 「あなたの変わらぬ意思、見事でした。あなたの望みを叶えるにあたって、いくつかの制約を申し上げます。」


 竜は頷く。いかなる条件もアリスの合うという目的のためなら、些事だと考えていたのだ。覚悟はできている、1000年も前から。


 「一つ、あなたは人間として新たな生を得ます、ゆえに竜に戻ることは今後できません。二つ、あなたは使う力の大半を失います、具体的には神聖術のほとんどが行使不能になるということです。三つ、あなたは寿命を持つ一つの生命となります、限りある命後悔のないように生きてください。以上、これらに承諾するなら、転生の術を発動します。」


 「全て、了承しました。転生の術を承ります。」


 マザーは小さく頷くと、手を前に出す。それを合図に蒼い竜の足元に巨大な光の陣が形成される。

 光の粒が浮き上がると、竜の体の周りを覆いつくしていく。

 

 マザーは蒼い竜と目を合わせると、小さく微笑んだ。


 「蒼き竜よ、私からあなたに選別を。まずはあなたの眼について、その力はあなたに残したまま転生させましょう。姿かたちは、あなたが以前変身していたあの姿にしますので、ご容赦を。そして、改めて一言。人間は成長する生物です。あなたの健やかな成長を願っていますよ。」


 「ありがとうございます、マザー。あなたの言葉この胸に刻みました。後悔のない生を謳歌してきます。それと、最後に、、、私の名前は蒼き竜ではありません、私の名前はアオです。どうか、お見知りおきを。」


 にこやかに笑みを浮かべると、アオは光の中に消えた。

 マザーは空中に飛び散る光に視線を向けると空を仰ぎ見た。


 「アオ、ですか。ふふっ、いい名前をもらいましたね。」


 


 レイヴェルト王国南方の森、その中央に位置する湖のほとりに、一つの生命が生まれる。

 光の陣が形成されると、その上に光の柱が建つ。その柱が徐々に薄く小さく消えていくと、その中から一人の少年が現れた。

 蒼い髪と蒼い瞳は光を反射させるとキラキラと輝いて見せた。15才前後のその容姿は、端正で儚さを秘めた雰囲気を漂わせていた。

 

 アオは、あたりを確認にする。見覚えのある湖にしばらく感傷に浸る。そして体を森の方へ向けると一歩一歩と踏み出した。


 「アリス、今会いに行きます。」


 歩き出す。いつだって瞼の裏に思い描いた笑顔の少女の姿を目指して。

 

 歩き出す。アオの人生が今はじまった。

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