第16話千年の償い
どこまでも広く続く青い空にはふわふわと巨大な雲がいくつも流れている。地上からはるか上空に位置するそこは、特殊な血界の内側に存在しており外部とは完全に隔絶された異世界であった。天界と呼ばれる広大な空間に漂う巨大な塔が一つ。槍のように先端を尖らせ、塔の周りをいくつものドーナツ状の円環が囲うその造形物は、幾層にも階層が分かれており、その最上部に位置する場所はガラスのような透明な素材に覆われた大きな立方体の部屋になっていた。不自然なその空間に三者はそろう。
部屋の真ん中の円卓の端に腰を掛ける少年が気だるそうに足をぶらぶらとさせた。
「マザー、ボクへのいたわりはー?どれだけの代償を払って下界に降り立ったかわかる?それに強引な契約なしで、さらには任意で彼をここまで連れてきたのは称賛ものだよねー。」
任意という言葉に苛立ちと怒りの表情を浮かべると鋭い眼光でアオは目の前の少年をにらみつけた。
任意などとよく言ったものだと胸中穏やかでないアオを顎をあげて、見下すように少年は笑みを浮かべた。
二人の間の空気の悪さに大体のことを理解したマザーと呼ばれる赤い竜は、息を一つ着いた。
「ご苦労様でしたミトラス。そして、今回の一件で多大な枷をあなたにかけてしまったことを申し訳なく思います。」
「ふー、いいよー。マザーの頼みだしねー。それにボクのためでもあるからね。新たな神竜の誕生はさー。」
ミトラスはぐっと、両腕を胸の前で伸ばすと首をくいくいと鳴らした。
マザーは、視線をアオの方へ向ける。アオはマザーと目を合わせると一切の雑念を消した真摯な眼差しを向けた。
「改めておかえりなさい蒼き竜よ。あなたが私を庇いあまつさえ下界へ落ちてしまうとは、流石の私も肝を冷やしました。しかし、無事で何よりでした。あなたをすぐに天界へ引き上げるつもりでしたが、ミトラスの天鎖や神杭が破壊されてしまったので少々難航しましたが、保険が効いたようですね。戻ってきたこと、心より喜ばしいです。」
そう言うとマザーはすっと視線をアオの右手首に落とした。その視線移動に気づいたアオは。なるほどという表情をすると、軽蔑の心情を暗い笑みに浮かべた。
「なるほど、私の位置を把握するためにこの刻印を付けていたのですね・・・。どこまでも私を縛り付けたいようですが、残念ながらあなた方の願いは叶いませんよ?私は神竜などにはなりませんので。」
「はあ?どういことだよ?きみ、自分の立場わかってるの?気に科せられた罰はまだ1000年も残っているんだよ?いい加減その態度何とかした方がいいよ?」
反応したのはミトラスだった。口調も軽々しい感じがなくなりつつあった。円卓から飛び降りそうな勢いで体を前のめりにさせると、明らかに不快そうに眉を曲げた。
それに反してマザーはアオの発言を無言で聞いていた。
アオは、ふっと鼻で笑うと目を細めて挑発的な笑みを浮かべる。
「あなたは馬鹿ですか?先ほどマザーが言ったことを忘れたのですか?私を縛ったあの鎖と杭はない。ゆえに、今すぐ下界に降りても私を咎めるものなど何もないのですよ?それにあはたは、私を連れ戻すために大きなリスクを負ったはずだ。次私がここを離れたら物理的に天界へ連れ戻す手段はないのでは?」
「貴様・・・・・」
図星だったのか、ミトラスは反論できない。そして、怒りと焦燥が殺気になってあたりの空気を重くした。ピリピリと空気が棘を持つように流れる。ミトラスの放つ強烈な神意にアオも臨戦態勢に入る。
しかし、その空気を裂くようにマザーの長い尻尾が床をバチンと叩くと、轟音が部屋を響かせた。
強烈な一撃なのは、発生した音が証明していたが、床は傷一つついていなかった。
マザーの視線が少年を捉える。ミトラスは両手をあげると観念したように首を振った。
アオも空気が軽くなるのをを感じ取ると、背筋を伸ばして戦意を四散させた。
「確かに、あなたを縛る罰はもうないです。あなたは自由にこれからを選択できます。しかし、それでもあなたの罪が消えたわけではないことはあなたも理解しているはずですよね。それについてはどのように考えているのですか?」
マザーは神妙に問い詰める。アオは、目を閉じて思考した。瞼の裏に映るのはいつだって敬愛する少女の笑い顔であった。揺るがぬ意思を再確認すると、目を開け真っすぐにマザーのに瞳を見つめた。
「ええ、だから罪は償います。そしてあの子の恥にならない自分になって、私はあの場所へ帰ります。」
「あなたをその姿に変えたのも、あなたの揺るがないその意思も全てその子に対する想い故ということね・・・・。」
アオは頷く。罪を償い、そして誇れる自分で今度こそ、アリスの隣に並び立つのだと決めた。アオの意志にマザーは納得を示し、隣で腕を組んだミトラスに頷いた。肩を落とすミトラス。
アオは自分の意思が伝わったことに少し安堵すると、背筋を伸ばしなおしてマザーに体を向ける。
「折り入ってマザーにお願いがあります。私が1000年の役を終えた世界にアリスがいないのでは意味がない。そこであなたの力で、天界の時間を圧縮していただきたいのです。」
「アリス?それが、あなたの想い人というわけですね。」
「ええ、まあ・・そうです。」
少し照れるように答えるアオの姿にマザー微笑を洩らした。
「そう、アリス・・・・いい名前ね。ふー、いいでしょう。あなたの望み聞き入れました。ただし、私の時間操作はクロノスほどの精度はありませんので、最大で100分の1までしか圧縮できませんがよろしいですね?」
「あなたの慈悲に感謝します。では、私はこれで失礼します。」
アオは、深く頭を下げると、身体を反転させ部屋の扉へ足を動かす。
巨大な扉の前に立つと、察したようにそれは開いた。その先は光に満ちていて、どこか遠くへつなぐゲートとなっていた。アオはその行き先を知っていた。目を閉じると、体内の神聖力を体中心へ集めた。やがて、白い光が全身を包むと、荘厳な青い竜の姿へと変化した。ゆっくりと扉の奥に広がる光の中へ姿を消した。
アオの姿が消えると大きなため息をミトラスはついた。
「これで、良かったのかい?あれは、自分の罪を忘れたままみたいだけど。彼を神竜へと昇華させることは、あなたの悲願でもあったのに。それを時間圧縮なんて余計な力まで使うことになるなんて・・・・。」
「あの子のあんな目を初めて見ました。虚ろで人形のような目を2000年も見てきました。あの揺るぎない意志を、あの子の願いを私たちのエゴで歪めてはいけないでしょう。ミトラスには骨折り損をさせてしまいましたが、今回はあの子の願いを尊重してくれますか?」
ミトラスは口を開けてしばらくマザーを見るとがっくりと肩を落とす、そして了承したように手を振った。すっと、円卓から飛び降りると、アオのでた扉とは反対の方向へ歩みを進めた。
「今回は、あなたの望みに尊重するよ。でもね、ボクは自分の夢をあきらめたわけじゃないからね?それを忘れないでよ、マザー・
「ええ、わかっていますよ、契約の神ミトラス。」
ミトラスは、頭上で手を振ると反対の手で空中を縦になぞる。すると、黒く隙間ができると渦が発生し、やがて少年の姿はその中へと消えた。
ミトラスは渦によって別の部屋へと転移した。
いくつもの装飾がなされた華美な部屋には、荘厳な13の玉座が用意されていた。煌びやかなステンドガラスからはどこからとなく、光が降り注ぐ。
その一角に深く腰をかけると、ため息を漏らした。
天井には半裸の男が金色の果実を齧り、後ろから黒い蛇がその人間をつけ狙っているような巨大な絵画がそこにはあった。
ミトラスは天井を眺めると、顎に手をあてた。
「しかし、不測の事態とはいえ、ボクの契約を抹消するとはね・・・。ボクの知るかぎりそんな神聖術一つしかないんだけどなあ・・・。彼にそんな芸当はできないはずなんだけど。いや、待てよ、あのアリスとかいう人間・・・・・・まさか・・・。んーーー、これは調べた方がいいかもしれないかな。」
ミトラスはひとり呟くと、邪悪な笑みを浮かべる。そして、静寂の空間に佇む空白の玉座を一周眺めると、再び天を仰ぎ見る。
「それにしても、
ミトラスは誰もいない空間で、確かに誰かにそう問うと、ゆっくりと瞼を閉じた。
真っ白なゲートをくぐると、巨大な雲の上にアオは降り立った。アオが抜けると大きな光の穴は閉じて消え去る。
竜の体重を軽々と支えるほどの安定感のある不思議な巨大な雲はゆらゆらと少しずつ空を流れていた。
アオは、そこから一点を眺めていた。大空の先に不自然に浮かぶ真っ黒な巨大な立方体がアオの眼前にはあった。
その立方体から小さな立方体が一つ分裂すると、垂直に落下していく。そして、降下の途中でその立方体が凄まじい光とともに弾けると、光の中から体を丸めた何かが解き放たれた。そして、ゆっくりと体を起こすと、背中の4枚の翼が大きく広がった。頭上に天輪が浮かぶと、重たそうな瞼を開いた。
天使。それも12体しか存在しない熾天使の一体が覚醒した瞬間であった。
白髪と黄金の眼をした天使はその身を荘厳な銀色の鎧で覆い、三つに分かれた槍を手に持っていた。
アオの存在に気づきゆっくりと空中を移動する天使。そして、それを合図に後方から黒いゲートがいくつも発現した。
アオは、目の前の事象にも落ち着いていた。ゆっくりと目を閉じ精神を研ぎ澄ます。
(あなたがいる。いつでもこの瞼の裏にあなたが笑っている。だから私は揺るがない。私は負けない。)
アオが目を開けると、目の前を天使の大軍が埋める。アオは大きく翼を広げると大空へ飛び立つ。
アオの咆哮が天界を震わせる。
アオの千年の戦いが幕を開けた。
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