第11話二人だけの夜
扉を開けると、家の前にはどこまで暗闇が広がっていた。見上げれば、視界に収まらないほどの壮大な星の道が夜空を彩っていた。月の光も照らしされた夜空は、酔いしれるほどの光源の数々に覆いつくされていたが、流石に一面の視界を照らすほどのものではなく、一歩前に進むのも躊躇わせるほどの無限の闇が視界の大半を支配した。
夜の森がここまで暗いとは、アリスは考えていなかった。湖までに咲く花を見に行くという好奇心が、眼前の闇夜の恐怖に食い尽くされる感覚を覚える。ぶるっと震えると、ぎゅっとアオの袖をつかんで黙り込む。アイリスの話だと、さらに幼かったアリスは夜の森に入ったことがあったという。しかし、今のアリスには確かな恐怖の感情を抱いていた。
すると、アオはアリスの感情を察したのか、つかまれていた方の手でそっとアリスの手を握ると、反対の手を空中へと伸ばす。そして、指をパチンと鳴らすと、合図したように白い光の玉が発現した。
「わあ!」
アリスは感嘆の声をあげる。さっきまで震えていたアリスの手から体温が戻るのをアオは感じ取ると、アリスを喜ばせようとさらに指を鳴らした。パチン、パチン、パチン。赤、青、黄と三色の玉を出すと続けて紫、緑、橙の光球もふわふわと宙を舞った。そして、掌をひらひらと前へ揺らすと、六つの色付きの玉が先の道を照らすように配置された。最後に残った白い玉は、足元を中心に照らした。
「すごーい!、きれーい!」
感動と興奮がそのままアリスの声に乗ると、闇夜に響いた。アオは、しーっと、指を口に立てるとアリスはハッと片方の掌で口もとをおさえた。隠れた顔からもわかるほどアリスの笑みがこぼれていた。
アオは、安心すると手をつないだまま、光の玉の間を歩き出した。
「行きましょうか、アリス。」
アオの提案にコクコクと頷くアリスは、今だ手で口元を隠していた。
森の入り口に入ると、その歩行速度に合わせるように光の玉もふわふわと移動する。移動するたびに周りの木々や草むらが照らされ、小さな虫や動物がカサカサ驚いて動き回った。動物や風などによって、草や葉が音を出すたびアリスは音のなる方をくるくると確認する。その度に体が揺れ動くが、決してアオの手は離さなかった。色んなものに興味を示すアリスの姿が新鮮で愛らしく、アオは思わず笑みをこぼす。
「アリス、怖くありませんか?」
「うん!怖くないよ!それよりもね、すっごくドキドキするよ!ワクワクするねよ!、ね?アオ!」
「はい、夜の花すごい楽しみですね!」
アオは、アリスに恐怖の色が消えたのだと安心する。そして、見たこともない風景に思いを馳せながら、きっと以前の自分であったら感じることのできない感情に出会えるのだろうと胸を高鳴らせた。
二人が森の中を進むと、前方の一面から光が漏れているのが見えた。その光は湖が近いことを証明していた。
「アリス、見てください。もうすぐ湖が見えますよ。」
アリスは期待の予感でいっぱいになると、声には出さないが、その表情が湧き出る心の内を物語った。
森の中は暗いのに、いったいなぜあそこまでの光が漏れているのか不思議でならない。アオは、アリスと同じ感情を抱えて光の先へ踏み入れた。
二人は森を抜ける。眼前の光景を目にして足を止めた。
湖のほとりを覆いつくかのように青色の花々が広がっていて、頭上の星々に照らされるとキラキラと輝きを放つ。この湖の明るさは花が光を集めて放っていたのだ。花の中心からは白い綿のようなものが見え、風に揺れるとそのまま勢いに乗って綿は空中へと散布された。綿もまた光に反射すると光の粒が空中を舞うように見える。青と白、そして湖が反射する星の数々が見事なグラデーションを演出していた。
アオは、言葉を失い立ち尽くすと、するすると握っていた手が抜けた。呆けたアオを横目にアリスが湖の花畑へ駆け出した。
アリスは花畑の上でくるくると踊りだすと周りを連れ添うように光の粒も舞う。青い光の絨毯に黄金の髪が揺れ、バックの星の湖とで幻想的な風景を生み出していた。
「うわー!!すごーい!!見てー!!アオー!!星が落ちてきたみたい!アリス今夜空を歩いてるよー!」
アオは、あまりの神秘的な光景に視界と意識を奪われると、アリスの声ではっと我に返る。
くるくると踊るアリスの方へ歩みを進めた。
「アリス、そんなに回ると転んで危ないですよ。」
「大丈夫大丈夫!見て、アリスのダンス上手でしょ?アリスは今花びらと舞っているのー。」
アリスは両手を広げて踊る。手が空を切ると一緒に白い綿と青い花びらが舞う。アオは、そんなアリスを緩んだ頬と目で見つめた。と、同時にアリスはあんなに回って大丈夫なのかと心配する。
すると、案の定アリスの足は見事に絡まると、そのまま背中から地面に傾いた。
「うわっ!!」
「アリス!!」
ドンと、轟音をあげるとアオは目にも止まらぬスピードで駆け抜けた。その勢いで地面が足の形にめり込まれた。落ちそうになるアリスの背中をそっと受け止めると。ふわっと花びらが宙を舞った。
心配そうなアオの目とアリスの目が合う。
「えへへー、転んじゃった。」
「アリス!怪我はないですか?足をくじいたように見えましたが・・・。どこか痛みませんか?
」
アオは、安堵の表情を浮かべる。アリスは自分で立ち上がると、アオが跪く形で目の前に立った。
「アオは、心配しすぎだよー。もー、カホゴだなー・・・。でも、ありがと!」
アリスは恥ずかしそうにアオの髪をくしゃくしゃっとする。二人は湖の前で笑いあった。
湖の畔に二人は腰かけると、幻想的な風景に静かに身を置いた。緩やかな波の音。森から聞こえる様々な生き物たちの声。そして、空を舞う青と白のコントラストが星空と並んで輝く。時間が止まる。二人だけの世界がそこにはあった。
ふわっと、風がアリスの長い髪を揺らすと、アリスは髪を整えようとするも戻らず、困ったようにアオに微笑んだ。
その笑顔に杭付けとなったアオの顔は熱くなり、鳴りやまない心臓の鼓動が頭の中まで響いた。すぐに、顔を湖の方向に戻すと赤面を両手で隠した。
「綺麗だね。こんなのきっと誰も見たことないよ。世界でアリスとアオ二人だけのものだね。」
「二人だけ?アリスと私の二人だけの、景色ですか?」
「うん!アリスとアオ、二人だけの秘密の景色だよ!」
アオは、二人だけという言葉に胸の高鳴りを覚える。アリスと、自分自身だけの秘密の共有が、アオにとって初めての感情を沸き立たせた。この光景を特別だと思えるのは、初めて見る光景だからではなく、アリスと見る景色だからこそ抱いたものなのだ。そして、他の誰でもない自分がアリスの特別になれたのではと、未だかつてない喜びが体を包み込んだ。
アオは、幸せを嚙みしめると、暫く薄く赤らせたにやけ面で二人だけの景色を堪能した。
ふと、アリスが隣で何かしているのに気付いた。
「アリス、何をしているのですか?」
「んー、ちょっと待ってね。これを結べば・・・・できた!」
高らかに宣言すると、くるっとアオの方へ体を向けた。何やら後ろでそのできたものを伏せている。
「頭を下に向けて、じっとしてて。」
「こうですか?」
アリスの言うままに首を垂れる。すると、頭の上に何かが乗る感触がした。
目線を上にやると、青い花々で作られた冠が乗っていた。
「ニフタの花っていうんだよ。夜にしか咲かない花なんだ。ずっと見たかったの、だけど、きっと一人ならアリス怖くてこれなかった。だから、これはお礼。アオ、アリスと一緒に来てくれてありがとう。」
感謝を口にするとアリスの満面の笑みが月の光に照らされた。
アオは、その姿と言動に言葉を失うも、すぐに気を取り直して、アリスに膝まづく。アオにとってこの体制こそが何よりも敬意を表す姿であった。
アオの感情はアリスでいっぱいであった。感謝するのは自分ののうであると、常々感じていた。自分のはじめてをたくさんくれる少女の言葉と笑顔に、何よりも深い感謝をしていた。
だが、この想いを、感謝を、どう返せばいいのか今はわからなかった。だから、ありのままの気持ちをこの姿勢と言葉で伝えることにした。
「ありがとうアリス。私と出会ってくれてありがとう。」
精一杯の気持ちは言葉が足らず、全てを表現できなかった。きっと今の会話にそぐわない言葉であっただろう。それでもアリスは何かを感じたのか優しく頷くと笑った。
いつか、この気持ちすべて伝えられるだろうか。いつか、自分の感情をもっと理解できるようになったら、アリスに伝えようと、心に決めたアオであった。
暫く二人は、沈黙の中湖を眺める。アオは、今日一日が自分にとって最良の日だと確信していた。そして、これからの毎日に胸を躍らせていた。そして、静寂をアリスが破った。
「ねえ、アオは今男の子のアオだけど、竜のアオにはもうなれないの?」
「え?アリスそれは・・・」
ドキッとした。見透かされているような感覚に陥る。
アオは、人間でも竜でもない曖昧な状態にあるということを看破されたのではと額に汗を垂らす。
ただでさえ、人々に畏れられる竜が、人間のもどきであるとは恐怖の対象でしかないだろう。
しかし、アリスが自分の種族や姿でその人となりを判断しないことはわかっていた。アリスの判断にゆだねることにした。
「はい、竜にもなれますよ。アリスは竜の私をお望みですか?」
「うん、お願いがあるの。一回だけ竜のアオに戻れる。」
「アリスが望むなら。」
震える身体を抑えるようにアオは両手を組むと、丸くなってしゃがんだ。すると、アオの体が青白く光る。そのまま光が大きく周りを覆う。光の中から、青い翼が広がると、美しく並びたてられた鱗を付けた青い体表が覗かせる。強靭な爪と鋭い眼光は、人知を超えた怪物の姿であった。
竜の姿に変身すると、首を低くしてアリスに近づいた。
アリスはそっと、その頬を撫でると、鼻のあたりに抱きついた。
「わがまま言ってごめんね。アリスのこと嫌いになった・・・?」
「嫌いになんて絶対になりません。私はアリスが大好きです。それより、アリスは怖くないのですか?こんな、竜でも人でもない存在は不気味でしょうか・・・・」
「アオはアオでしょ、アオが男の子でも竜でも、それは何も変わらないよ!でも、良かったぁ。アリスのわがままでアオが嫌いにならないで~。アリスもアオが大好きだよ。」
アリスの言葉に安心したのか、アオは顔をアリスにすりすりとくっつけた。くすぐったいよ、とアリスは笑いながらそれを受け止める。
「それで、アリスの願いとは何ですか?可能ならなんでも叶えてあげたいのですが。」
「アリスね、アオの背中に乗って空を飛びたいの!この白い綿帽子がどこに行くのか見てみたいの!森がどれだけ広いのか、世界がどこまで広がっているのか、見てみたいの!」
興奮するように跳ね上がるアリスに、嬉しそうに笑うアオは、するりと自分の長い尻尾をアリスの体に巻き付けると、そのまま自分の背中に乗せた。
そして、重力を操作する神聖術でアリスを固定すると、そのまま自分も半重力の力で空中へゆっくり浮上した。
「アリス、しっかりつかまっていてくださいね?」
「うん!」
神聖術のおかげでどこにも捕まる必要はないが一応声をかけると、アリスはしがみつくように背中に着いた。
みるみるアオの体は空へと羽ばたきなく浮上する。一定の高度に達すると、初めて翼をはばたかせた。ものすごい風圧が空中を押し上げると、その勢いのまま飛び出す。
「うわー!すごーい!たかいたかーい!見て、アオもう湖があんなに小さいよ!あ、あれお家かな?豆粒みたい!おーい、お母さーん、アリス今空を飛んでるよー!!」
アリスは上空から見る下の景色に感動すると、声をあげる。アオもアリスの喜ぶ姿をもっと見たいと翼をはためかせる。
「アリス、もっと遠くへ飛びますよ!」
「うん、あの光の先までアリスをつれてって!!」
アオは、アリスの言葉のままに、空を舞う光の粒を追いかける。
踊るように舞う蒼い竜とそれに跨る金色の少女が、月夜に照らされ、どこまでも夜の空のかなたへ飛んでいくのであった。
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