第9話コーヒーブレイク

 太陽が傾き始めると、大森林全体に夕日が照らした。幻想的な風景とは対照的に、小さなた獣や鳥は草陰で息を殺し戦々恐々と身を潜める。それは、夜を待たずと攻撃的な魔獣がうねり声を響かせていたからに他ならない。そしてこれこそ、森の中へ常人が近寄らない最大の理由である。昼間に森を抜けれなければ、強大な魔獣の餌食となる。余程のことのない限り、近寄らない場所といえた。しかし例外もある。

 森の中の開けた場所の小さな家の中では、穏やかな時間が流れていた。1階の居間には大きなソファーが置いてあり、そこで小さな金髪長髪の麗しき少女が15歳前後の少年の膝の上で横になって寝息をたてていた。


 アオは、アリスにお願いされて読み聞かせた絵本を、目の前のテーブルの上に置くとそっと絵本の表紙を撫でた。題名は「勇者の大冒険」。

 内容は、魔族の王、魔王によって脅かされた世界で、小さな村から一人の勇敢な男の子が魔王を討つべく旅立つという物語だ。旅の途中で戦士のドワーフ、弓使いのエルフ、叡智に優れた賢者、そして囚われの姫などなど、多種多様な種族、出自を抱えた登場人物が勇者の魅力に惹かれては、続々と仲間に加わった。そこには当然蒼い竜の姿はないのだが。そして、数々の迷宮、広大な砂漠、大航海、大冒険の末に魔王を倒して世界に平和をもたらし、ハッピーエンドという単純かつ明快な物語である。

 アオは、本の内容に関しては些か美化されすぎているのではないかと苦笑した。

 本の内容は概ねアオの記憶にある勇者の冒険譚で間違いないのだが、紆余曲折の部分は大きく省かれ、綺麗な場面だけが抽出されていた。アオにとって勇者は品性がなく、頭も悪く、そして真っすぐで、愛にあふれたアオの恩人であった。だから、実際の物語と多少乖離してはいるが勇者をたたえた絵本には、様々な過去の出来事に少なからず、アオは感傷に浸るのであった。

 あの時の記憶を全て思い出したわけではないけど、旅の仲間だけは自分のことを化け物としては見てはいなかったように感じた。自分で勝手に壁を作っていただけだったのだと、幼い自分を笑った。

 

 アオはアリスの頭を撫でると、幸せそうな顔でにやけた。目に前の奇跡を真摯に受け止められることは、過去の自分の過ちだというのなら、あながちあの頃の記憶も悪くないと思った。

 

 窓から外を凝視すると、夕陽の差す庭の奥深くの森の暗がりが少しざわついたように見えた。

 うごめく。それは、昼間には見せない夜の生物たちの影。

 

 「ずっと、気になっていたのですが、アイリスたちはこの森でどうやって生活ができているのですか?見たところ、森の中には手の魔獣の類がかなり生息しているようですし・・・その、二人では手の付けられないほどの大物が、ちらほらいるようなのですが・・・、一体どうしてこの辺りには魔獣が近寄らないのでしょうか?」


 素朴な疑問を投げかける。圧倒的に人気のないこの森の真ん中で暮らす。それもたったの二人きりで。常軌を逸した生活を送ることができるか、確固たる理由が知りたかったのだ。

 台所で夕飯の準備をしていたアイリスは、手を止めると、リビングのイスに腰かけた。リビングは今と接合した間取りを取っていて、一つの部屋に役割だけ分けたような空間となっていた。

 アイリスは、後ろで一本に束ねた髪をほどくと、アリスと同じ黄金の長髪はサラリなびいた。


 「実はね、どうして魔物が襲ってこないのか私にもわからないの。ただね、昼間は全く出て来ないのよ。夜行性の魔物が多いのかしら、だからアリスも森中を駆け回って平気なんだけど。あ、でも一度だけアリスが夜に森に入ったことがあってね、その時無我夢中で探し回ってやっとアリスを見つけたんだけど、その時は奇跡的に魔物に襲われなかったことがあったわ。ふふふ、その時かなりの剣幕でアリスをしかりつけたものだから、アリスは私との約束は破らないようになったわね。って、そんなことより敬語!折角、少しずつ話し方が砕けてきたのに!敬語禁止ね、いい?」


 「う、あー、いやしかし、簡単に変えれるなら口癖にはなっていなくてですね・・・。ふーー、わかりまし、わかったよ・・アイリス。ちょっとずつ、がんばっていくよ。」


 アイリスは顔の前まで近寄ってくると、なんとも言えない迫力で人差し指をたてた。両手をあげて抵抗の意志はないような姿勢をとると、アオはそのまま、アイリスの押しに観念した。

 アオの言葉を聞いて、にこりと笑顔を見せるとアイリスは、満足したのかイスにまた座った。

 ふーと、息をつくと、アオは自分の顎に手を置いて考え込んだ。アイリスの話した内容は、夜の魔物は何故かこの辺りには近寄らず、さらには一人でいたアリスにも襲うことはなかった。この話を受け実はアオには、一つの推測が確証に変わっていたのだ。

 頭の中での考えをまとめると、アリスの顔を見つめる。


 「アイリスの話を聞いて、一つ分かったことがあります。あ、いや、ある。えっと、それは、アイリスが神聖力を使えることに繋がるのですが、いや、繋がるんだが・・・。」


 ぎこちない話し方にアイリスは笑いをこらえるので必死だった。ふるふると肩を震わせる姿にアオも、少しだけ赤面した。

 咳払いすると、そのまま話を続けた。


 「アリスには、魔力も神聖力もない、なのに神聖術は使える。この理由は、私の中では明白でした。それは、アリスは精霊から神聖力を受けていたからです。ちなみに、アイリスは精霊を知っていますか?」


 固い言葉は混じりつつも、アリスたちに近づきたいという意思は感じられる話し方であった。

 

 「精霊?んーー、それこそ絵本や童話の世界でしか聞いたことないけど・・・あ、でも、確かあの人もそんなこと言っていたような・・・。」


 「あの人?」


 「あ、ううん、なんでもないの。気のせいだったわ、やっぱり精霊については知らないわね。それで、アリスは神聖力を精霊からもらってたってことなのよね?それと、魔物が襲ってこない理由にどう繋がるの?」


 アイリスは、話を紛らわすように本題へと会話を戻す。アオは、”あの人”について気になったが、アイリスは何か隠そうとこれ以上の詮索を拒んでいるように見えたので、追及することはしないことにした。


 「精霊は、普通人間に近づいてこない。むしろ人間とは縁遠いところで暮らしているような存在で、天界に住む神に近い存在ともいえるのです。ただ、極めて稀に精霊との親和性が高い人間がいるといいます。アリスは親和性が高いから精霊から力を譲り受けているのだと思います。現に、私の眼にはアリスの周りの精霊が見えているのです。」

  

 「へー、アリスの周りにねー、ほー、見えない・・・。すごいのね、アオの眼は。」


 アイリスはすやすやと寝息をたてる娘の周りを凝視するも、アオの言う精霊は見えない。人間の目では認識することはできないのだろう。アオの眼なら神聖力を持つ精霊も目視することができた。

 アイリスは、イスから立ち上がると、台所から底の深い木皿を取り出すと、中に乾燥した木の実の種をざらざら入れていく。その皿をテーブルに乗せると、アオをこちらへ手招きした。


 「まあ、少しお腹もすいたでしょ?これでも食べてゆっくりアオの話を聞かせてよ。」


 アオは、頷くいてアイリスの招きに応じた。そっとアリスの頭をソファーにのせる。ふにゃと、かわいらしい寝言が聞こえた。皿の中には小粒の薄茶色の種が入っていた。種を手に取り口に入れる。薄茶色で固い表皮はかみ砕くと、心地よい低温を奏でた。一見味気のなさそうな見た目とは裏腹に、噛めば噛むほど濃厚な森の風味が口に広がる。アオの表情を見て、気に入ってくれたと感じたアイリスは二人分のコーヒーを淹れた。

 

 「話の続きですが、アリスは精霊に愛されています。それも自ら力を分け与えるほどにです。神聖術は願いを具現する術です。よって、アリスの願いに呼応するように精霊は神聖力をアリスに与えています。つまり、アリスは精霊から加護を受けています。その加護が魔獣を寄せ付けなかったのだと思います。コーヒーいただきます。」


 目の前のコーヒーから立ち込める湯気が香ばしい匂いを乗せて鼻を通り抜けるので、アオは一しきり説明するや否や、コーヒーを口に入れた。実は、昼間にアイリスが飲んでいるときから興味を示したので、頭の中は、半ば話どころではなかった。

 口の中で芳醇な風味が広がると、身体と心が落ち着く感じが伝わった。また、種との相性も良く、なるほどコーヒーのあてには、最適なのだと感心した。


 「ふふ、コーヒーと木の実の種の相性いいわよね。その種はフルーズと呼ばれる森で成っている木の種なの。果実自体も甘くておいしいんだけど、種は乾燥させると保存もきくから、重宝しているのよそれから、コーヒーはね、クナっていう銘柄の豆よ。これは、王都にたまに行くときに買ってくるお気に入りなのよ。アオの、口に合ってよかったわ。」


 アイリスは嬉しそうに立ち上がると、コーヒーを入れたポットを持て来ると、アオのカップに注いだ。


 「それにしても、精霊の加護かぁ。だから、これまで何事もなく過ごせたのね。」

 

 「そんな反応ですか・・・、まあ、いいでしょう。」

 

 ふわっと、人ごとのようなアイリスの発言に、あきれ気味に息を吐いた。そもそもこのような土地は人間が暮らせるような場所ではないのに、事前の準備なしでくるとはしょうきでとは考えられない。だから、何か訳があるのだとアオは、悟った。しかしそれは胸の内にしまうと、あえて聞くことはなかった。まだ、話せないのか、話すと自分に危害がかかってしまうのか、いろいろな心配をして気を使わせているのだと直感したのだ。そして、アオの中ではまだ疑問に思っていたことがあった。それだけは、これから過ごすにあたって、重要なことであるとアオは考えていた。

 ゆらゆらと目の前を白い湯気がたつ。コーヒーの香りを忘れるほどに真剣な眼差しでアイリスを見ると、彼女も察したのか手に取ったカップを置いた。


 「どうしたの?」


 「普通人間は神聖力を持たない、そして神聖術も使えない。ゆえに、人間にとって神聖術は知る由もないことのはずだ。しかし、アイリスは神聖術や神聖力について知っていた・・・・。もしかして、アイリスは、神徒・・なのですか?」


 アオは、恐る恐る問う。神徒とは神に選ばれた従順な存在である。神徒は神からの命令に絶対順守で行動し、時に世界を揺るがしかねない事件を起こしたりもしてきた。それだけ、神は気まぐれで危険であるといことだが、そもそも神徒に選ばれる人間は特別な気質か強靭な能力を持っていることが多い、平たく言えば才能を持つものが選ばれるのだ。当然、神聖術についての知識も持ち合わせている。加えて、神徒は常に神から認識されており、ゆえにアオにとってアイリスが神徒であると、自分の位置をさらしてしまうことになる。せっかく築き上げた関係も水の泡となりかねない踏み込んだ質問は、口に出すだけでアオの首筋に大粒の汗が流れた。

 アイリスは、うつむいて黙り込む。まさかと思い、アオは体が震える。


 「アイリス、まさか・・・本当に?」

 

 下を見ていたアイリスの体が少しプルプルと震える。アオは様子のおかしさに既視感を得た。これは、まさか、いやこんな大事な話の時にそれはないだろうと、アオは半信半疑でアイリスを細めで見た。


 「アイリス?」


 「あははははは、アオ、心配しすぎて震えてるわよ。ぷ、ふふふふ。ごめんちょっとからかってみようかと思って、いじわるしすぎた?」


 「アイリス・・・・あなたという人は・・・・」


 「あー。ごめんね、やりすぎました反省します・・・・」


 アイリスの掌で見事に踊らされたアオは顔をしかめると、そっぽを向いた。少しやりすぎたとアイリスがシュンとしている姿を見て、アリスに似た面影を感じた。

 はーと息をつくと、もう怒ってないという目線を送った。

 アイリスは、安心したように顔をあげると、コーヒーを淹れようかという合図をポットを持つ動作で表現したが、アオは大丈夫だという意思を掌を向けて伝えた。ちょっと、まだ怒ってるんじゃないかと気にしながらもアイリスは、続きを話した。


 「ふー、えっとね、私は神徒じゃないの。ただ、私のご先祖はそれになっていたみたいなのよ。だから私の一族は神徒になるべく神に祈りやらなんやらを掲げていたわ。でも結局、神徒には選ばれず、私もそんな一族に嫌気がさして、家から出たのよ。だから、なんとなくのレベルで神聖術については知っていたけど、アリスが何で使えるのかについては、アオに聞いた話で初めて納得したのよ。」


 アイリスは、頬杖をつくと興味なさげに一族とやらの話をした。嫌気が指したの言葉通り、あまり印象の良い出自ではなかったようだ。神徒は世襲ではない。才能あるものが神に直々に選ばれる。そして神徒に選ばれると神から特別な力を授かると言われている。それが恩寵ギフトと呼ばれるもので、神聖術とは違うものの、固有の力を与えられるのだ。だから、神徒となった人間はその力をふるって、権力や富を得ることが多かった。アイリスの一族もその栄華を継続させようと躍起になっていたのだろう。アオは、アイリスに同情したが今の幸せそうな彼女を見れて良かったと安心した。何より、アイリスが神徒でない事実に安堵した。そっと胸をなでおろすと、アイリスが笑顔でコーヒーのジェスチャーをすると、今度はアオも頂戴するという合図を頷いて示した。

 三杯目のコーヒーを口に入れると、不安な感情が体から抜けるたようで、アオは心に余裕を得ることができた。


 「まあ、アリスがなぜ、神聖術を使えるのか、精霊の加護を受けているのか、という疑問は残りますが、概ね謎は解けましたね。思い返してみても、何の心配などいらなかった。

 ただ、アリスが神聖術を使えるだけのそれだけの事実でしたね。いやー良かったです。」


 水を得た魚のように、饒舌に話すアオを見てアイリスはくすくすと微笑をこぼした。心配事がなくなってアイリスも良かったと安堵した。

 コーヒーを飲み切ると、アイリスは食器を洗いに台所へ戻った。アオも今だ起きないアリスの傍に腰かける。すると、思いだしたようにアイリスがぱっと、台所から顔を出す。


 「そういえば、私も気になっていたんだけど、アオって、その、もう完全な人間になったの?それともまた元の竜の姿になれたりするの?」


 「ああ、それは――」

 

 「ふわーあ、んーー、あれ、アオだ―。んーーー。」


 アオが答えようとすると、アリスは寝ぼけ眼でアオの服を引っ張る。姫が起きたわねと、アイリスは言うと、話は後でと言うように台所で夕飯の支度を本格的に始めた。

 窓の外を見ると、すっかり日は暮れ、夜が訪れていた。小さい虫の声がこだまする。


 「アリス、おはよう。」


 「んふー、おはよー。」


 アオが、アリスの頭を優しくなでる。すると、幸せそうにアリスは笑った。

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