第7話竜の願い
「ぐ~~。」
アリスはひとしきり涙を流すと、今度はお腹が待っていたかのように泣いた。
「ふふ、そういえば朝ごはんまだだったわね、さあ、ご飯にしましょうか。」
「えへへ、さんせ~い。」
とっさに、お腹を隠すも、少し顔赤めらせながらアリスは、アイリスに賛成した。
朝日はすっかり昇り、あたりから小鳥の声が多くなっていた。早朝のときは雲一つない晴天だったが、どうやら昼に近づくにつれて、雲がいくつか見えるようになった。
「アオも、朝ごはん食べるわよね?」
「うん!アオも一緒に食べよう!」
アリスは、アオの鼻に体重を乗せるとぴょんぴょんと跳ねた。
アオの尻尾はアリスの動きに合わせるように左右に動いた。しかし、すぐに何かを何かを思い出したように、尻尾がしゅんと下を向く。二人の誘いに喜びを感じつつも、一つ難解な点も感じていたからだ。
「誠に、嬉しいお誘いですが、あの家は私には少々手狭でしょう。どうか私のことは気になさらず、二人で朝食を召し上がってください。」
「うーん、それもそうよねぇ。入らないかぁ。んーーーー・・・。」
アイリスは、アオの図体をほんとに失念していたのだろう、必死に打開策を考える。自分から誘っといて、無理でしたといことになるのはアオに、失礼だと思ったのだ。
上空には厚めの雲が姿を現すようになった。雨が降るのだろうか。
「お庭で食べればいいんだよ!!そうすれば、アオも一緒に食べれるもんね!」
「それだ!アリス、あなた天才!かわいい!天使みたーい!」
アイリスは見事な親ばかぶりを発動させると、アリスの両の頬を優しく引っ張った。
アリスもえへへ、とまんざらでない表情でにやけていた。
アオは、やり取りの速度に状況が理解できていなかったが、一つ、外で食べることは二人に負担がかかるのではないかという、心配だけは脳裏に浮かんだ。
「し、しかし、外で食べるまでしなくてもいいのではないですか?そもそも、二人に負担が――」
「そうと決まれば、テーブルとイスを持ってこなくちゃ!アリス、お手伝いしてくれる?」
「はいっ!」
アオの言葉を遮いると、アイリスは軽くこぶしを胸の前に作るとやる気に満ちたように天を仰ぎ見た。
アリスも、アリスで額に手を持っていくと、元気良い返事を返した。
何のポーズなのだろうかと、アオは不思議に思い、またいても二人の電光石火のやり取りに呆気を取られた。
二人は風のように、朝食の準備のため家へ走りだすと、アオは一人庭の真ん中で取り残された。
ひゅーっと、風が吹き抜けた。家の中はどたどたと騒がしく、アオは自分のために準備しているのかと思うと少しうれしかった。と同時に、このまま一緒にいるには自分の体は不便極まりなく、要所要所で二人を悩ませては、忍びないと考えていた。
何か、良い案はないかと思案を巡らす。しかし、自分の記憶を頼りにしようにも何千年と天界で天使の暴走を止めてきた間に、すっかりこの世界での思い出は、バラバラのパズルのピースのように纏まりをなくしていた。
点としては思いだせることはあれど、線としては思いだせずにいる自分を卑下するように笑った。
「ここまで、過去に興味がなかったとは・・・本当に私の生は、面白みのない、意思なきものだったのですね・・」
「アオ―、準備できたから、一緒に食べましょー。ちょっと、雲行きがおかしいから、ちゃちゃっと食べちゃうわよー。」
ふと空を見上げると、確かに重たい雲が空を覆っていた。竜の直感などなくとも、数刻のうちに雨が降ることは自明であった。
アオは、アイリスの言葉にうなづくと、巨体を二人のもとへと運んだ。
家の前には、畑が広がっていて、それを囲うように柵が敷かれていた。その括りの外側一帯を、アリスたちは庭と呼んでいるのだろう。開けたその場所に、小さなテーブルとイスが置いてあり、白と赤のクロスがひかれたテーブルに、色とりどりな具材を挟んだサンドイッチがさらにきれいに並べられていた。
アオが、その場に近づく。アイリスはサンドイッチを三つずつさらに分けると、アオの前に一つ皿を置いた。
両手で今か今かと待つ娘のコップにミルクを注ぐと、ふーと、すべての準備が整ったのだと息を一息ついた。
「さて、それでは皆さん、すっかり朝は過ぎ去って、昼をもうすぐに控える時間になってしまいましたが、朝ごはんをいただきましょうか。」
「はーい、いただきまーす!」
はむっと、口いっぱいにサンドイッチを入れると、数日ぶりに食事をしたかのようにアリスは幸せそうな顔をした。
アイリスはその顔みて、嬉しそうに笑うとサンドイッチとコーヒーを口に入れた。
二人の姿を、どこか遠い目でしばらく見ると、アオは、目の前のサンドイッチに視線を落とした。
「アオ、食べないの?もしかして、食べられないものでもあった?しょうがないなぁ、アリスが食べてあげるから。」
「こーら、アリス意地の悪いことしないの。」
「えへへ、ごめんなさーい。」
「アオ、ほんとに嫌なものとかあったら無理に食べなくていいのよ?その、半ば無理やりみんなで食べようなんて言ったものだから、迷惑だった・・?」
アリスの食い意地を窘めつつも、アイリスは少し控えめに聞く。自分の中でも、無理に誘ってしまった感の自覚はあり、不快に思われていたらと不安になったのだ。
アオは、焦るように首を横に振る。
「とんでもない、とても楽しいですよ。アイリスありがとうございます。少し、懐かしいような気がしてぼーっとしてしまいました。それでは、私も気を改めまして、いただきます。」
アオは、三つのサンドイッチを下でいい気にからめとるとそのまま口の中で数回咀嚼して、あっという間に飲み込んだ。
「すごーい、ぺっろっと丸呑みだよ!アオ、すごい!」
「そ、そうね、一気に食べて味がぐちゃぐちゃにならなかったかしら。」
二人は、アオの食べ方に各々の感想を述べる。アオは、しばらく食後の感慨に浸ると、ふんーと鼻から息を漏らした。
「素晴らしい味わい。まさに至高の一品と言わざるを得ないでしょう。三種の具材がそれぞれ主張するも、しっかりとお互いに調和を取って一つの味を体現していました。まさに、神と悪魔と天使の三様をこの三角に表すとは、アイリスには恐れ入りました。美味しかったです。」
「そ、そう?それは、よかったわねー、はははー。」
「しこう?ちょうわ?んんー?」
トリップしたアオの、感想に引き気味のアイリスと、まったく意味を理解していない様子でサンドイッチをほうばるアリス。微妙な空気を残しつつも三者は穏やかな朝食を終えた。
アリスは、朝食を食べ終えるとイスから飛び降りて、そのまま畑の方へと駆けて行った。花を見に行ったのだろうか、鼻歌を交えて楽しそうだ。
それを、見送りながら、アイリスは食後のコーヒーをいれる。
適度な苦みに、満足そうな表情を浮かべると、思いだしたようにアオのほうに体を向けた。
「そういえば、さっき懐かしいような気がしたって言ってたけど、以前にも、その人とこうやって食事をしたことがあったの?」
アイリスが、あえて人、と表現したのは、当然この場での食事がアオにとっての同族との食事とは似ても似つかぬものなのだろうと推測してのことだった。ただ、アオの言葉を使って話題を作っただけなのだが、それでもアオの過去に興味を示したのも事実だった。
アオは、少し言葉をためると、記憶を探るように口を開いた。
「記憶、本の断片なのですが、昔こうして人間と食事をしたことがあるような気がしたのです。アリスとアイリスのやり取りが、何故か懐かしいと思い、何故か羨ましいと思ったのです。」
アオは嬉しさの反面、羨望のまなざしで二人を見ていたことを吐露した。自分は結局竜であり、人とは違う存在であるということを、二人の姿を見て思ってしまったのだ。しかし、それは今初めて思ったことではない気がしたのだ、その感情を思い出したような気がした。ああ、どこまでいってもいい思い出などないのですねと、アオは心の中で自分を笑った。
「それは、あなたが―」
ぽつりと、空からの雫が二人の会話を遮った。ぽつぽつと、雨脚が強くなる気配。
「アイリス雨が、急いで家の中へ行ってください。二人とも風邪をひいてしまう。」
「う、うん。でも・・・ううん、わかったわ。アリス!雨が降りそうなの、片づけ手伝ってくれるー?」
「はーい!」
アイリスは、喉元の言葉を途中で飲み込むとアリスと一緒に片づけを始めた。最中、どこかさみし気な青いその姿に、気がかりに感じていたがそれを察したかのように、頷き返されるとより一層胸を締め付けた。
やがて、雨は勢いを増して森全体に降り注いだ。さっきまでの小鳥たちの冴え釣りは、見事に消え去り、ただ豪雨が地面をたたく音だけがこだました。
二人は、なんとか荷物を家の中に入れると、雨にただ孤独に打たれ続ける竜の姿を目にした。
きっと、彼はずっとこうだったのだろうと、アイリスは胸の前でこぶしを握り締めた。
自分は何もできないのか、きっとなまじ大人の考え方がいろいろな建前を乗り越えられず、一歩踏み出すことを躊躇していたのだ。手を差し伸べることは、彼にとって侮辱になるのではないか、損ことを頭が巡る中、自分の横を小さな影がすり抜けた。
アリスは、扉の外にかけ出ると雨に打たれるアオのもとに駆け寄った。すると、手に握られていたのは小さな黄色い傘であった。人間の子供用のその傘をアリスは小さな体で懸命にアオに降りかかる雨を防ごうとしていた。アリスの体は、傘の恩恵を全く受けないで、ずぶ濡れになっていた。
「いけない、アリス!雨に濡れているではないですか!そのままでは風邪をひいてしまう!私のことはいいのです・・私は見ての通り竜なのです、雨くらいではどうといことは―」
「かんけいないもん!!」
声が反響する。一瞬あたりを静寂が包み込むと、徐々に耳元に雨の音が近づく様に鳴り響く。
アリスは傘を下におろすと、そっとアオの頬に手を置く。その手は震えていて、身体は冷え切っていた。
「かんけいないもん・・・一人でいることは、体がぽかぽかのままでも、心はぽかぽかになれないでしょ?
アオは、アオでしょ?アオが竜でも、虫さんでも、お花や小鳥でも、アリスにとってのアオは、アオでしょ?アオが、一緒にいるとアリスはポカポカするよ、雨なんてほら、へっちゃらだよ?だから、今度はアリスがアオをポカポカする番なの。」
雨に打たれる娘の姿に、自分の浅ましさを呪う。結局のところ、自分よがりな考えだった。本当に彼を思うのなら、真っ先に走り出すべきだった。そんな明快な回答を示してくれた娘に誇りと感謝を胸に抱いた。
アイリスは、もう一つの黄色い傘を持って扉の外に出ると、アリスとアオの上に傘を広げた。
アリスの傘より一回り大きなその傘は、両者から雨を遮った。アイリスも、アオの片方の頬に手を当てると、ほほえみを向けた。
「アリスの言う通りよ、アオがすごい竜だからって関係ないわ、孤独で寂しくないひとなんていないのよ。だから、寂しくないためにこうやってみんで温め合うのよ。あなたは、一人じゃない。だからどうか、自分から距離を取らなくていいの、もし、これから困ることがあるなら三人で解決していこう?私たちはあなたと一緒にいたいわ。」
この感情は何だろうか。ずっと探し求めてきたもののような気がする。ずっと目のまえにあったのに、それは決して自分のものにはならないと思っていた。
記憶のかなたで誰かが言った。
「きっと、お前にもできるよ。自分のことのように想ってくれる人がさ。そしたら、その何倍もの愛情で答えてやれよ。お前なら絶対できるからさ。」
その通りだった。名前も思い出せないその人は、言った。全てを諦めていたあの頃。きっと自分にも、誰かを愛おしく思う日が来ると。
愛情を受け止め、与えてくれる存在を待っていたのだ。諦めたくない気持ちが自分にあると気づく日がくると。
そうか、だから私はここにいるのか、出会うためにここに来たのか。
猿真似でも構わない、それでも何としても失いたくない。
他でもないアオの中で確かに得た答え。
”この二人と、ずっと一緒にいたい。”
「なんで、忘れていたのでしょうか。簡単なことだったじゃないですか。」
突然アオの体から、光の柱が空へと飛び出すと、雨を降らしていた厚い雲を弾いた。
すると、昼下がりの晴天が姿を現す。
アオの体を光が包み込む。徐々に光は収縮していき、光の中に映る影は竜の姿ではなかった。
光がはじける。
青い髪と瞳を持った青年の姿がそこにあった。
その姿は以前の姿とはまるで違うものであった。しかし、どこか雰囲気を残しつつ、敬意を表す行動で自分であることを示す。
青年は膝まづく。アリスは、青年に近寄る。二人の目が合う。
優しく問いかける。
「あなたのだーれ?」
「私は、アオ。敬愛なるアリス、あなたから大切な名前をいただいた、ただの竜です。」
笑ってそう答えると、三人に暖かな太陽の光が照らした。
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