第4話少女の奇跡
神聖術――天界に住まう神々、天使、悪魔などの神話の者たちが使うことのできる術式の総称。神聖力とよばれる体内を流れるエネルギーを利用して術式を展開して、あらゆる奇跡を体現するその力は、下界のあらゆる生物が使うことはなく、まして神を認識すらできない下界の者には、その存在自体知る由もない。
「
それは癒しの神聖術。それによって、光が竜の体を包み込み、身体中のあらゆる傷を治癒していく。
表面の傷を治すにとどまらず、体内の破損個所や、不思議と精神も安らいでいくような感覚を竜は感じ取っていた。
「これは、治癒の神聖術!しかも、これほどの練度・・・アリスあなたは一体・・・」
竜が驚いたのは、本来人間が使えるはずのない神聖術を使い、その上最高レベルに達した治癒の術式を展開していたからである。瀕死の状態の生物を、その状態になる前と同じくらいに修復する御業は、確かに人のなせる域を超えていて、ましてあどけない少女のできることではなかった。
治癒を完了させると、包み込んでいたまばゆい光も消えてなくなった。アリスは合わせていた両手を離すと、深く息をついて、竜の顔を見上げた。
「アリスね、魔法使いなんだよ!!この魔法で前に小鳥さんもなおしてあげたの!!」
両手を組んで、身体を軽くのけぞらせて話すアリスはどこか得意げそうだった。
「
「どーお?いたいのどこか飛んで行った?」
竜は、翼を動かしたり、尻尾を揺らしたりして、身体の調子を確かめると、うつむいていた上体を大きく起き上がらせた。そして、翼を広げると、確かに自身の体の不調箇所は、それらを負う前の状態にまで再生しているのを確認した。
「アリスのおかげで、身体の傷は全てなくなりました。ありがとうアリス。」
「そっかー。よかったーー」
アリスは竜の足に抱き着くと、安どの声を漏らした。
「ただ・・・」
アリスは、顔を下に向けると少し心配そうな顔をした。
その姿を気にした竜は、起き上がった体をもう一度うつぶせて、顔をアリスに近づけた。
ひしっと、アリスはつかさず竜の顔に抱き着くと、
うーーんと心配そうな声を漏らした。
「アリス。どうしたのですか?何か心配事でもありましたか?」
「あのね、アリスの魔法お母さんのいない場所で使うの禁止なの・・・お母さんとの約束なの。アリスが約束破ったら、お母さん悲しい顔しちゃうって、言ってたの。どうしよーー・・」
アリスの心配は、母親との約束を破って力を使ったことにあった。竜は自分のためにアリスが大事な約束を破ってまで助けたことに、嬉しい気持ちになっていたが同時に、今にも泣きそうなアリスをどうにかしてあげたいと思っていた。
竜はアリスの頭を優しくなでると、潤んだ瞳を見つめる。
「アリス、泣かないでください。あなたは笑顔が一番似合っていますよ。大丈夫ですアリス、アリスが魔法を使ったことは、誰にも話しませんから。それにアリスが私を助けてくれたことを、アリスのお母さんが咎めるはずないですよ。」
「ほんとに?そうかな?」
「はい、絶対にです。」
竜はアリスに笑顔を向けると、安心したのか、アリスは少し離れてくるっと一回転すると、にししと白い歯を見せてはにかんだ。竜は自分の見たかったアリスの姿に安堵した。
アリスはその場でしばらく、くるくると歩き回ると、ふと思いだしたように竜のほうへ近づく。
「名前!あなたの名前をおしえてよ!!」
キラキラとした瞳で竜を見つめるアリスはぴょんぴょんと跳ねながら質問した。
竜は少し困った顔をした。竜には固有の名前がなかったからだ。竜にとって名前とは竜という種族名であり、神竜という存在を表す記号に過ぎなかったからだ。しかし、アリスの言う名前とはそういうものを指す言葉でないことを竜は理解していた。
悩んだ末に、竜は嘘偽りは言いたくないので、真実を話すことにした。
「アリス、私に名前はないのです。どうか私のことはただの竜と呼んでください。」
竜の鼻に体重をまかせて跳ねていたアリスは、動きを止める。
「えっ?!名前ないの?そんなーー・・・。竜って、絵本の中の呼び方じゃーん。あなたの名前とは違うのに・・・んーーーーー。」
地団太踏むと、両手を組んで、深く悩みこむアリス。それを竜は、どうすればよいかと慌てふためく。
しばらくその光景が流れると、アリスは何か思いついたのか、顔をあげて竜の鼻先に手を置いた。
「じゃあ、アリスがあなたに名前を付けてあげる!!」
突然の申し出に驚いたが、名案を思いついたアリスの表情が竜にはとても愛しく見え。本来なら名前に興味などなかったが、アリスからもらうものなら何だって大切なもであると竜は思っていたので、自分でも感じたことないほど楽しみであった。
「アリスから、いただけるものなら何だって喜んで頂戴しますよ!あー、名前、アリスが私に名前をくださるのですね・・・何と光栄でしょうか。」
少しおかしな方向に感情が向きつつも、竜は楽しみでいっぱいになる。
「んー、なににしようかなーー、んーーーー」
そんな竜の感情などお構いなしに、アリスは一人考え込む。あたりを右往左往しながら熟考する。
ふっと振り返り、アリスはもう一度、竜の姿をまじまじと見る。
巨大な体に、蒼空の瞳、青よりも蒼を感じさせる鱗、大きな翼と爪、どれもがアリスの見たことないものであり、そこから連想されるものはいくつもありすぎて、アリスの中で整理がつかない。
んーーと、身体を捻じ曲げ熟考に熟考を重ね、ぱっと一つの解を思いついた。
「アオ!!あなたはアオ!!にししー、アオ、いい名前でしょー?」
「アオ・・・アオ、それが、私の名前・・・」
何度もその言葉を噛みしめるように発した。生まれて初めて得た、自分の名前。甘美なる響きで頭が酔いしれる。
今まで、何かを与えられたことなどなかった。ただ自分は奪い続ける暴力の化身としての存在価値しかないと思っていた。そう、罪を刻まれたのだから。
だから、他者からの贈り物など一つとして期待したことなどなかったのだ。
だからこそ、アリスから与えられた名前に特別な意味を竜は感じていた。
得意げに笑うアリスに、新たな名を得た竜は首を垂れる。
「アリスよりいただいたアオという名を、私はありがたく頂戴いたします。願わくば、アリスに恩を返したい。私もアリスに何かを与えたいのです・・・アリスは私に願いますか?」
きっと、この言葉が的外れな発言であるとわかっていた。それでも、あふれんばかりの感謝の気持ちを形にして少女に返したいと必死に思った本音であった。
「アリス友達がほしかったの。でも、お母さん意外に誰かとお話しししたことなくて・・・さっきは、勝手に友達になったって言ったけど・・・アオにはアリスの本当の友達になってほしいの!!」
まっすぐに見つめるアリスの瞳に、竜は、アオは、同じくまっすぐな気持ちをアリスに返した。
「私はアリスが友達と言ってくれたこと本当にうれしかったです、私でよければ、アリスの初めての友達になってもよろしいですか?」
「ほんとにいいの?」
「はい、アリスが望むなら。」
「やったーーーーー!!」
アリスは喜びのあまり、アオの鼻先に飛び込むと顔をうずめて抱き着いた。アオもそれを受け止めると、アリスの体温を感じた。
湖にやさしい風が吹くと、共感しているかのように森の木々も静かに木の葉で音を奏でる。
アリスとアオ、二人は笑いながら至福の時を過ごしていた。
しかし、二人の時間をを認めないというばかりに
何もない空間から、突如いくつもの鎖のようなものが出現する。光り輝くその鎖が伸びている先は空中がゆらゆらと歪んで見える。
そのままその鎖は、アオの体を縛り上げると、自由を完全に封じた。とどめと言わんばかりに、大きな首輪がかけられると、内側から棘のようなものが首を差し込んだ。
「ぐ・・・うぅ・・・これは天の鎖といわけですか・・・、なるほど、私の魂に杭が刻まれていましたか・・・どこへ逃げても場所はお分かりというわけですね・・・どこまでも私は・・自由ではないのですね・・・・・」
アオは、首にねじ込まれた棘が邪魔して、うまく言葉が出せない。
使命を果たせと、罪を償えと、神からの勅命が鎖となってアオを襲ったのか。徐々に鎖がアオを空中へと引っ張ろうとする。
アオは心の中で予期していた事態が起こったのだと、納得していた。
しかし、アリスはそれを許しまいと、鎖に手をかけると一生懸命に千切ろうと試みた。しかし、神の造形物だけあって、人の力ではビクともしない。その鎖からは、チリチリと微力な神聖力がアリスの手を痛めつけていた。
「はなれてよーーーー!!」
「アリスもういいのです・・・・このままではアリスの手が焼き切れてしまう・・・・・私はアリスに出会えたことを・・・・・一生忘れません・・・・アオという名とともに刻み込みました・・・・だから、アリス・・・・いつまでも、その笑顔のまま・・・・すこやか・・で・・ぐあ!!」
言葉を途中に鎖がより一層、アオの体を縛るとアオの体は湖の上のほうまで引っ張りあげられていく。
鎖から手が離れてしまい、そのまま手をアオのほうへ向けると、アリスは涙を流してアオを見上げた。
(ああ、なにが笑顔のままですか、アリスに涙を流させるとは、聞いてあきれる醜態ですね。こんなに幸せなことが起こり、神の怒りを買っていしましか・・・・。
ふふ、ああでも、もう少しだけアリスと一緒に居たかっただなんて・・私も欲張りになりましたね。)
遠のくアリスを見下ろしながら、アオは心の中で吐露した。アオの瞳には一滴の涙が流れ落ちた。
「だめ、いやだ・・・行かないで・・・お母さんとの約束を破ったことごめんなさいします。嫌いな野菜も残さず食べます・・・。だから、、アリスの友達を、アオを連れてかないでーーーー!」
瞳から小さな雫が地面に落ちる。それに呼応するように、森や湖が振動する。
すると、さっきの神聖術を使ったときとは比べ物にならないほどの光の粒子が、湖の上を覆いつくすほどに出現する。風が強く吹き荒れる。光の粒子はアオを縛り付けた鎖の周囲に集まっていく。
最後に、首輪の部分に大きな光の玉が触れると、それを合図に光が弾け飛んだ。
パキンと高い音を奏でると、鎖と首輪はこなごなに砕かれた。キラキラと破片が宙を舞う中、アオは翼を広げてバランスを保つ。
アオが鎖から解放された様子を見たアリスは、満足したように笑みを浮かべると、そのまま力が抜けたように体が崩れ落ちた。
「アリス!!」
アオは最速で、アリスの飛び寄ると、そっと両手でアリスを受け止めた。
アリスは、すやすやと小さな寝息をたてていた。アオはアリスにゆっくり顔を近づける。
「私は何度、アリスに救われたのでしょうか・・あれは、いかなる契約、束縛を断ち切る神聖術、
アリスの放った
出会った時からアリスには驚かされるばかりだったが、度重なる奇跡を前にアオはようやく現実を実感した。安心したように寝息を立てるアリスに、アオは少し笑った。
「アリス、本当にありがとう。」
「ふふ、いいよー・・」
そう寝言を言うと、アリスは優しく笑った。
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