第2話出会い

 アルストリア大陸中央に構えるレイヴェルト王国。その郊外の大森林。最南端の国境付近に位置するその森は多数の魔獣が生息していることから、普通の人間が立ち入ることはなく、手つかずの大自然と濃密なマナが滞留する未開の地であるとされていた。

 森の奥深くにある湖、そのはるか上空に今、異形のものが落下をしている最中であった。


 その鱗は、蒼空のごとく澄んだ光沢を帯び、その翼は、空気を切り裂けるほどに巨大で、その爪は大地をえぐるほどに鋭利であった。

 竜――魔族の中でも圧倒的力と叡智に優れ、一個体が群れることはなく、地上に君臨する絶対的な存在。

 ある冒険者は言った、竜との遭遇は挑むのではなく、ただただその息する天災が過ぎ去るのを待つのみだと。

 それほどの、絶対覇者。青い鱗を身にまとった竜が、自由落下に身を任せ今、湖に落ちようとしていた。

 青い竜の体は、すでにボロボロで、自分の力では飛ぶことすらできない様子である。満身創痍で薄れゆく意識の中、竜は半ばあきらめ、また安堵していた。

 

(これで解放されるとは、ふっ、なかなかに悪くない引き際ですね。)

 

 心の中で皮肉をささやくと、頭から湖に飛び込んだ。

 湖の暗く冷たい底へ体が沈んでいくのを感じながら、竜は静かに意識を閉ざした。



 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 朝日に照らされた、森の奥深く。異様に開けたその土地で、ぽつりと一軒の小屋が建っていた。

 小屋は、木造で大層な家とは言えないが独特な雰囲気と、森との調和のとれた存在感を出していた。

 家のすぐ前には、丁寧に耕された畑があり、そこには色とりどりの花や豊かな野菜が植えられていて、今にも収穫できそうな野菜もいくつかあった。主食となる麦や根菜も植えられており、この場所で暮らすには十分な食料が育てられていた。

 そこから少し離れた場所には大きな木が建っており、小さな蕾をいつくか付けたその木の幹には”アリスの木”と彫られた木の板が吊るされていた。どうやら所有者が存在するその木は、のどかなそよ風に枝を揺らしていた。


 家の中では、早朝にもかかわらず、騒がしい音が聞こえてきた。勢いよく階段を下りる音がする。


「あ、朝ごはん食べずに行くのー?」

 

 ふんわりと優しい声色で語り掛ける女性の言葉を、少女は家の扉から勢いよく飛び出しながら反応した。


「後で食べるからいいーー!!」

 

 その少女は飛びだした勢いのまま走り出すと、森の手前でくるりと家のほうへ反転した。


「行ってきまーす、お母さん!」


「あ、もう前向いて歩くー!!」

 

 そう言うと、いつものことなのだろうか、あきれて息をついたが、その表情は穏やかであった。


「まったく・・花は逃げたりしないのに・・。行ってらっしゃい。」

 

 女性は、少女が森の中を駆けるのを見送ると、家の中で朝食の準備に取り掛かった。


 家の前に広がる広大な森には、大小様々な木々に叢生しており、場所によっては枝葉に日の光が遮られ

 視界の悪いところもあった。

 そんな不安定な場所にもかかわらず、少女は家を飛び出した速度のまま一直線に走っていた。

 見知った場所だからなのだろうか、大きな根っこやぬかるんだ地面を軽やかによけると、少女はある目的地まで走り続けていた。

 少女の先に見えるのは、森の中央に位置する巨大な湖で、その湖畔には色とりどりの美しい花々が咲いていた。その花の中には朝にしか咲かない花が自生しており、また小さな環境の変化で咲くことが左右されることから、いつ咲くのか予測がつかないものであった。

 少女はその花が咲くのを毎朝、確認しに湖を目指して駆けていたのだ。ゆえに、少女にとって湖は行きなれた場所で、今回も見慣れた情景が目の前に見えるものと思っていた。


 少女が湖で最初に目にしたのは、見たことのない異形が湖の波打ち際で横たわっている姿であった。

 その異形は、真っ青な鱗に、巨大な翼と爪を持ち少女をはるかに超える体躯をしていた。

 少女はその異形を知っていた。母親が読んでくれた絵本に出てきた伝説の生物。竜。

 初めてみる竜の姿に少女は驚いたが、不思議と恐怖は感じていなかった。なぜなら、その竜の体表は傷だらけで、息も絶え絶えという様子であったからだ。

 目を閉ざして意識のない竜に少女はゆっくりと近づく。

 すると、その気配に気づいたのか、竜の瞳が開かれる。竜は勢いよくその体を起き上がらせると、           

 大きな翼を左右に広げ、まっすぐな視線を少女に向けると力の限り咆哮した。 


「グォ―――――――――――ン!!!!」

 

 衝撃が湖を、森中を震わせる。木々にとまっていた鳥たちが一斉に飛び出し、草むらに身を隠していた獣も逃げ出した。

 しかし、傷の痛みに逆らえず、そのまま竜は地面に伏してしまう。

 驚いた少女は、尻もちを地面につけたが、すぐに立ち上がると一息落ち着かせ、苦しそうに息を荒げて身を震わせる竜の頬に手を添える。


「大丈夫だよ、痛いの痛いの飛んでけするから。怖くないよ、ここにはわるものだっていないから。」

 

 突然のことに驚き竜は目を見開いたが、すぐにその優しい声と手のぬくもりに身を任せた。


「あなたは・・・いったい・・誰ですか?」

 

 振り絞った声で少女に問いかける。


「私は、アリス。」

 

 続けて少女は語り掛ける。


「大丈夫。アリスがここにいるよ。だから、もう一人じゃないんだよ。」

 

 全身を風が吹き抜けるような感覚。ニコッと破顔するその少女の優しい言葉に、竜は生まれて初めて、心のやすらぎを感じた。体が弱っていたからかもしれない、いつもとは違う状態であったのも確かだ。それでもその少女の優しい言葉に、竜は確かに救われたのだ。

 いつの間にか、体の震えが止まっていた。

 二人を暖かな朝日が照らす。


 少女と竜は出会う。二人の物語がはじまった。

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