6
「おや、小田切情報士官じゃないか」
綾香が地球行の船に搭乗し、ぼんやりと外を眺めていると誰かが話しかけてきた。
「大上さん」
そこにはドッグ勤務の整備士長の姿があった。普段みる作業服でなく、ジーンズと黒縁眼鏡と帽子というスタイルだ。その肩にかけていたボストンバッグを上の棚に乗せると、綾香の隣に座る。
「休暇ですか?」
「ああ、孫の七五三によばれてね」
彼はかけていた眼鏡を取ると、布で拭きかけなおした。
「お孫さんがいるんですか?」
「ああ、みせてやろうか」
そういうなり、ポケットにしまっていた手帳を取り出して綾香に差し出す。そこには、かわいらしい女の子が着物を着て無邪気な笑顔を浮かべていた。その両側には両親らしい姿がある。
「息子と嫁と孫娘じゃ」
「へえ。かわいいですね。三歳ですか?」
「ああ、そうじゃ。初孫じゃからなあ。かわいくて仕方がない」
そういって大上が笑って見せた。その表情は幸せに満ち溢れていた。作業服を着ているときの職人としての厳しい顔ではなく、ただの孫をかわいがるおじいちゃんの姿があった。
もし、自分が結婚して子供ができたら、父もそんな風なおじいちゃんになっていたのだろうか。
綾香の脳裏には父の姿があった。父は高校の教諭だった。そのためなのかはわからないが、厳格で頑なで、子供たちを自分の敷いたレールを歩かせようとするような人だった。それは子供にとって息が詰まるようなものだった。そのこともあり、綾香は父の求めた学校教員の道ではなく、まったく違う父が決して望まない道へと進んだ。
そのことでずいぶんと父ともめ、結局許されることはなかった。中学卒業と同時に家出同然で実家を飛び出した。それから、バイト生活の末に防衛学校へと進学することができた。トリプルエスに入ってから一年半だけど、父とは、中学を卒業して四年半一度も口を聞いない。和解もせずにそのまま、父と会う機会を失ってしまった。
もう少し話せばよかった。
いまさら、後悔しても遅い。
「君は?」
「私は……」
大上に尋ねられて、言葉が詰まった。気づけば、額に涙が伝っていた。
「ど……どうしたんだい?」
突然、泣かれてしまったせいで大上がうろたえている。
彼女は必死に涙を見られまいと顔を覆った。けれど、顔を隠そうとも、嗚咽は隣に座る大上には伝わっているだろう。
どうしよう。
彼女は自分のうちからあふれてくるものを抑えることができなかった。
なにをどう考えればいいのかわからない。
父の死を知ったのは、ついは昨日のこと。
実感がまだわかないはずなのに、現実をたたきつけられることに恐怖が襲ってくる。
ふいに一人の男の姿がチラついた。
あの男は親がいないといった。親が死んでしまったからいないのだと……。
彼の親がいつ死んだのかはしらない。けれど、彼も、いまの自分のような気持ちを抱いたのだろうか。いや違う。この感情は私のもの。
彼じゃない。
それなのに何度となく彼の顔が浮かぶ。
会いたい
心に単語が出てきた瞬間にそれを否定した。
違う。
なにを考えているのだろう。
そうじゃない。
「大丈夫?」
大上は心配そうに綾香を見ていた。
「大丈夫です」
必死に笑顔を向けようとしたが無理だ。
「なにかよくないことでもあったのかい?」
綾香は俯いた。
「父が……。父が亡くなったんです。いまから葬儀に……」
「ああ、そうだったのかい。悪いことしたね」
「いいえ、そんなことありませんよ」
「本当にお悔やみ申し上げます」
大上は、彼女の心情を考えると、孫に会えることに浮かれてしまった自分を恥じた。
『これより、当船は……』
出向を伝えるアナウンスは、彼女たちの会話を中断させた。正直、ほっとした。
これ以上、会話を続けることは無理だったからだ。
そのアナウンスが綾香にとって助け船になった。
大上はそれ以上、なにも言わなかった。ただアナウンスの聞こえる方向をじっと見つめていた。そこは天井にあるスピーカー。そこから事務的な声が流れてくる。
やがて船のエンジンの音が聞こえてくる。
「これより出発します。みなさまはシートベルトを着用してくたさいますようお願いいたします」
綾香はアナウンスに従ってシートベルトを着用すると、シートに身を任せて正面を見つめた。
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