第3話 名古屋への転勤

「おい、高嶋。ちょっといいか!?」


 出勤後、メールチェックをしていた僕に、部長が声をかけてきた。

 小会議室に入った僕に部長は当たり障りのないことを聞いてくる。なんだかとても話しにくそうだ。


「実は、君も知っているとは思うが名古屋でのプロジェクトが上手くいってない。単刀直入に言おう。君に名古屋に行って欲しい」


 僕は、あっけにとられ、その後の部長の話を上の空で聞いていた。


「名古屋か、、どうしよう。シロの散歩はどうする?断るにはやはり辞表をだすしかないのだろうか。折角、自分の力を発揮できる会社に入ったのに、まだまだここでやりたいよな。だとすれば、名古屋へ行くしかないか……」


 僕は色々なことを考えながら席に戻る。

 部長には明日の朝、返事をすると話していたのだが、悩みに悩んだ末、結局、その日の夕方に部長へ人事異動を承諾したことを伝えたのだった。


 あおいさんには、ラインで連絡をした。するとすぐに返事があった。


「えっ、ほんとなの?次の土日のどちらかで一度会いたい。都合はどうですか?」


 僕は、次の土曜日に、稲村ヶ崎駅近くの「いなむらカフェ」に二時集合と返事をした。


 当日、僕は、かなり早くからカフェのテーブルに座り、時々そわそわしながら入り口の方を見ていた。するとまだ一時半過ぎなのに、あおいさんがドアを開けて入って来た。

僕を見つけたあおいさんは最初すごく驚き、そしてとびきりの笑顔で僕に会釈をする。


「今日はわざわざ来てくれてありがとう。それにしても早いね〜」

「高嶋さんこそ随分早いよ。私が先に来て待ってようと思ったのに!」


 あおいさんはちょっとすねた顔をして僕の方を見つめる。今日の服装は白いシャツに膝上の短いスカート。そして、ニューバランスのスニーカーだった。ラフな服装もとっても似合っている。


 僕らは、ケーキとドリンクのセットを注文し、シロとアカネのことを話していた。

 他人から見るとデートに見えるんだろうな。僕は少し頬が赤らんで来るのを感じた。顔がとにかく熱い。冷たいレモン水を一気に飲み干した僕は、名古屋転勤のことを話し出す。


「まさか、自分が転勤だなんて驚いたよ。だけど一年という期限付きだから家具とか家電が備わってるマンションを探しているんだ」

「あっ、一年なの!?本当に一年なの?」


 あおいさんはかなり嬉しそうな表情になっている。もしかして、僕が一年で帰ってくる事を喜んでくれているのだろうか?


「そうだね。部長がそう言ったしね。間違い無いと思うよ。だから、僕も聞いたその日のうちに辞令を受けたんだ」

「そうか〜。でもね、名古屋ってほんと微妙な距離じゃない?新横浜からだと一時間半位だよね」

「うん、そうだよな〜、確かに微妙」

「近そうで遠い、遠そうでそうでもない…。そんな感じだよね」


 僕らは、お互いの顔を見つめ合って笑った。


 ただ、すぐにあおいさんは心配そうな表情になった。あおいさんは思ったことがすぐに顔に出るタイプみたいだ。すごく正直で、心優しい人なんだろうなと僕は思った。


「あの、聞きにくいんだけど、シロはどうするの?」

「シロの世話は母さんにお願いしたよ。母さんもシロのことはすごく可愛がってるからね。ただ、散歩の時は、僕のようには走れないから、シロは物足りないかも…」

「それだったら、私も手伝うからお母さんにいっておいて。アカネとシロは仲もいいから大丈夫だよ!」

「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいな。ちょくちょく帰ってくるつもりだからまたラインするね」

「うん、わかった。気を付けてね。そして、まずは一年間頑張ってきてください」


 気がついたらもう太陽の光が弱まってきていた。

 夕景に向かっていく独特の色に水面が輝いている。僕らはゆっくりと海沿いの道を微妙な距離を保ちながら歩いて行く。もっとあおいさんに近づいて手も握りたいのだが臆病な僕にはそれができなかった。

 そして、あおいさんの家の近くまで来た僕は、名残惜しさを我慢して家路についたのだった。




「母さん、シロのこと本当に頼むよ。シロは賢いから母さんを走らせたりしないから。ただシロについていけばいいからね。あと、夕飯の残りとか絶対にあげたら駄目だからね。シロのご飯はここ、ほら押し入れに準備しているから。なにかわからないことあったらすぐに連絡して」


 住み慣れた鎌倉を離れる際、僕は母に向かってシロのことしか話してなかったと思う。それくらい、シロのことが心配だったのだ。



 簡単な荷物しかない引越し作業は、あっという間に終わり、明日からはいよいよ名古屋支店での仕事が待っていた。

 遅れていたプロジェクトをスケジュール通りに巻き返すのは容易ではない。きっと大変なのだろう。頑張らないと、、。



 僕の予想通り、スタッフ全員が、毎日残業や休日出勤などフル回転で作業をしていたが、ゴールはまだ霞んで見えない状況だった。僕もスタッフの一員としてやるしかない。


 結局、僕は、忙殺の余り、ちょくちょく帰るどころか一度も鎌倉には帰れないまま半年が過ぎようとしていた。


 あおいさんからは、毎日ラインで連絡が入ってくる。


「今日は、シロがご機嫌だったよ」


「今日のシロとアカネ」


「シロがカタツムリ、食べそうだった(汗)」


 短いテキストにシロとアカネや鎌倉の町の風景写真を毎日送ってくれる。このラインがどれだけ僕の心の支えになっただろう。

 まだ、付き合ってもないただの犬好き仲間に対してここまで親切にしてくれる彼女に心から感謝をしていた。


 実は、とうの昔から、僕はあおいさんのことを好きだったのだが、未だ告白できずにいる。一体彼女は僕のことをどう思っているのだろう?もし断られたら彼女と会えなくなるのだろうか。


 この関係を壊したくないと逃げている自分が情けなかった。

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