「スマートフォンや財布がなくなっているのに、煙草がなくなっていないというほうがおかしいと思いますよ。残念だけど僕の電子煙草もなくなってます」


 スマートフォンや財布に比べれば、明らかに優先順位が低いはずの煙草。それを同列のものとして扱ってしまうのも、愛煙家がゆえのことだろう。ただ、ポケットの中にあったはずの電子煙草がなくなっていることも事実だった。出雲が舌打ちをしたのち、大きく溜め息を漏らす。


「まったく――なんだってんだ。どうして俺達が、こんなわけの分からないところに閉じ込められなきゃならん」


 ――閉じ込められた。それは初耳だった。確かに窓は鉄格子がはめられているし、仮に鉄格子がなくとも、高層階だから窓から外に出ることは不可能だろう。しかしながら、この部屋には扉がある。しかもひとつではなくふたつもだ。小野寺の向けた視線の意味を察してくれたのであろう。出雲は「まぁ、自分で確かめてみろ」と、ふたつある扉のほうへとアゴをしゃくった。


 言われるがままに扉のほうへと向かう。まずは右のほうの扉へと手を伸ばした。ドアノブを回す際、ほんの少しだけ躊躇ためらった。なんというか、自分の目で確かめることに抵抗があったのかもしれない。出雲の言う通り、ここに閉じ込められてしまったのだとしたら――そう考えると、得体のしれない薄ら寒さが背筋をなでた。


 思い切って扉を開けた小野寺は、その光景に拍子抜けしてしまった。窓からの明かりがこちらのほうにも差し込んでくれるおかげで、電気を点けなくとも分かる。手前には洋式の便器、そして奥には猫の額程度の湯船とシャワーがある。窓がないせいで閉塞感がただよっているが、ビジネスホテルなどで良く見るそれと同じユニットバスだった。しかも、洗面台のところを見てみると、アメニティーグッズも揃っている。


「寝床はソファーみたいだが、便所と風呂の心配はいらないみたいだな。やろうと思えば洗濯だってできる。それに、水に困ることもない。さっき確認したが、水はちゃんと出た。それどころかお湯だって出るぞ」


 出雲は小野寺が起きる前に、一通り見て回っているのであろう。これから水が出るかどうかを確かめるところだったのに――。自分で調べてみろという割には、変にお節介なところがある。良くも悪くも出雲はそういう男だった。


「まるでビジネスホテルみたいですね」


 ユニットバスを見て率直に出た言葉だった。この空間だけを見れば、安っぽいビジネルホテルそのものである。


「ビジネスホテルにしちゃあ、随分とサービスが行き届いていないがな。ベッドが固いビジネスホテルはざらにあるが、寝床がソファーにまで格下げされたところは見たことがない」


 小野寺がビジネスホテルと例えたのは、あくまでもユニットバス内部のことだったのであるが、出雲は全体的に捉えた意見をあげる。ソファーがベッド代わりのビジネスホテル――まず商売として成り立たないであろう。


 出雲に意見をして、へそを曲げられてはかなわない。小野寺は適当に「まぁ、そんなホテルはあり得ませんよね」と相槌を打ちつつ、今度は左手側の扉へと手をかけた。順当に考えるであれば、この先が部屋の出入り口になっていなければおかしいのだが――。もしかすると鍵がかかっているのかもしれないと思いつつ回したドアノブは、しかしあっさりと回ってくれた。


 扉を開いてみると、良くも悪くも小野寺の予想とは異なる光景が広がっていた。部屋の外――というわけではなく、扉の先にはユニットバスと同じくらいの小部屋。両側に棚が並び、そして奥に扉が見える。まず目を引いたのは、棚の上にこれでもかとばかりに積まれたカップラーメンだった。ざっと見渡してみると、インスタント食品が目立つものの、食糧を中心に棚の中へと収められているようだ。冷蔵庫の中ではないから常温ではあろうが、飲み物のペットボトルなんかも見える。


「全部調べたわけじゃないが、食糧庫なんだろうな。まぁ、ビジネスホテルの中にあるインスタント食品の自販機といったところか。それだけの食い物があれば餓死することはないだろう」


 ユニットバスに食糧庫。分からないことだらけではあるが、ここで生活するためのベースは、一通り揃っているようだ。所狭しと棚に並べられて食糧を見る限り、2人でも数ヶ月は暮らせそうである。もっとも、そこまで長いこと、ここにいるつもりはないが。


「ケンさん、あんまりインスタント食品ばかり食べてると体にさわりますよ。もう若くないんですから――」


 そんなことを返しつつ、小野寺は食糧庫のさらに奥にある扉の前へ歩み寄る。現状、調べていない扉はこれだけになってしまった。この扉が部屋の出入り口であってくれなければ困る。そっとドアノブへと手を伸ばすと、祈るような思いでドアノブを回した。出雲が食糧庫の奥の扉のことに触れない時点で、結果は火を見るより明らかだった。小野寺の祈りは届かず、ドアノブは空回りをしてしまった。


「人生は太く短く。食いたいもん食って、吸いたいもん吸って、飲みたいもん飲んで死ぬ。それでいいじゃねぇか。それに、そこの棚がインスタント食品だらけなのは、少なくとも俺のせいじゃないからな」


 出雲の言葉が右の耳から左の耳へとすり抜ける。まるで頭に入ってこない程度には、小野寺はショックを受けていた。右手の扉の先はユニットバス。左手の扉は食糧庫。その食糧庫のさらに奥にある扉は――残念ながら鍵がかかっている。ドアノブを見る限りでは、中から解鍵できないタイプのようだ。小野寺が見た限り、他に外に出られそうな扉は見当たらなかった。すなわち、現状において外に出られそうな扉はないということになる。駄目元であると分かっていながらも、小野寺は少し扉から距離をとって助走をとり、そのまま扉に体をぶつけてみた。まるでびくともしない。


「小野寺、俺も試してみたが、どうやら扉を破ることはできないらしい。それらしい道具もないし、窓の外は絶景だ。つまり、俺達はここに監禁されているってことだ。いや、行動の自由まで奪われていないから軟禁か」


 今の状況が監禁なのか軟禁なのか。正直、その違いなんてどうでもよかった。完全に閉じ込められたことを確認したゆえの焦りなのか、小野寺は苛立ちを覚えながらも妙に冷静な出雲にあたる。


「ケンさん、こんな状況なのに、よくそんなに呑気なことを言っていられますね」


 小野寺自身としては、かなり棘のある言い方をしたつもりだった。ある意味、出雲を鼓舞する意味合いも含んでいるつもりだった。しかしながら、出雲から返ってきたのは大きな溜め息だけ。


「あのなぁ、どうにもならないもんはどうにもならないだろ? お前みたいに苛立ってみたところで事態が解決するんなら、いくらでも苛立ってやるし、何ならお前と小競り合いのひとつでもしてやる。でもな、そんなことをしたって何も変わらん。こういう時こそどっしりと構える。誰よりも冷静で、楽観的でいる。こういうもんはよ、人に伝染すんだよ。不安や苛立ちだってそう。感染するんだ。追い詰められた時こそ笑う――それが俺の思う刑事ってもんだ」


 出雲の言葉に、ほんの少しだけ冷静さを取り戻す小野寺。確かに、食糧や水など、生きていく上での最低限のものは揃っているし、それは数日程度でなくなるような量ではない。それに加えて、トイレと風呂が完備されているのだ。しかもアメニティーグッズも豊富。何がどうなって軟禁されているのかは分からないが、最低限のライフラインは揃っている。少なくとも今すぐ死ぬわけではない。この状況を打破するための時間は充分にある。

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