第22話 マレー沖海戦
駆逐艦の燃料が危険を感じるくらい急速に減り続けていく中、それでも二五ノットの快速を飛ばしてZ部隊へ向けて突撃を続けたかいはあった。
このままいけば、日が高いうちにマレー攻略部隊はZ部隊を捕捉できるだろう。
マレー攻略部隊を率いる木村長官に夜戦という選択肢はなかった。
帝国海軍のお家芸とも言うべき夜戦は電探の発達した今日では過去の戦術とみなされている。
人間の視力に強烈な掣肘をかける夜の闇も電波の目には通用しない。
かつて、昼夜逆転の生活をしてまで夜間視力を徹底的に鍛えた見張員も電探の前にはまったくと言っていいほどに歯が立たなかった。
電探の急激な進化を考えれば、人間の目と電波の目のその力の差は今後、決定的なまでに隔絶するだろう。
実際、帝国海軍では過去に水雷戦隊による夜間襲撃の演習を何度も行ったが、優秀な電探を持つ戦艦や巡洋艦にはまったくと言っていいほどに通用しなかった。
敵戦力に比して過剰ともいえる大量の駆逐艦を投入してようやく一矢報いることが出来るかどうかという有様だった。
それと、夜の闇はたいていの場合、多数側よりも少数側に利をもたらす。
多数側は同士討ちを恐れてどうしても攻撃が一呼吸遅れてしまう傾向があるからだ。
わざわざ敵の有利な時間に戦う必要は無かった。
接触中の零式水上偵察機の報告によってZ部隊の編成は分かっていた。
戦艦が二隻に駆逐艦が三隻。
古賀連合艦隊司令長官が戦前に言っていた通りの戦力だった。
敵の進路は二二五度。
日本軍の上陸地点への砲撃を断念してシンガポールへ向かっているものだと思われた。
あと二時間もすれば敵艦隊と接触できる。
すでに全艦の戦闘配備は完了し、将兵たちは初陣に向けてその闘志を高めている。
そこへ電探操作員から報告が上がる。
対空電探が北東から飛来する複数の編隊をキャッチしたというのだ。
それを聞いた木村長官をはじめ、「能代」艦長以下のスタッフは苦虫を噛み潰したような顔になる。
目の前でトンビに極上の油揚げをさらわれるような気分だった。
Z部隊に接触中の零式水上偵察機から発せられる電波を受信していたのはマレー攻略部隊だけではなかった。
サイゴンにある基地航空隊もまた、それをちゃっかり受信していたのだ。
そのサイゴン基地の航空隊は、朝から準備万端だった。
前日からZ部隊が行動中だというのは分かっていたから、一式陸攻にはすべての機体に魚雷が装備されている。
すでに、サイゴン基地には旧式の九六陸攻の姿はない。
すべてが新鋭の一式陸攻に置き換わっていた。
そのうえ、航空魚雷の在庫も豊富とは言えないまでも現在のところは十分だ。
それもこれも「山本マネー」によるおかげだ。
特に航空隊へのそれは手厚く、サイゴンの航空隊以外でも予備の機体や燃料、それに爆弾や魚雷の備蓄は十分にあった。
逆にもし「山本マネー」がなければ、機種更新の遅れや魚雷の在庫不足から九六陸攻に爆弾を積んで命中率の低い水平爆撃を強いられるような情けない状況が現出していたかもしれない。
そのようなことを考えながら、運良く戦場に一番乗りした野中五郎大尉は大型艦二隻と小型三隻の小艦隊に目を向ける。
二隻の戦艦はいずれも前に二基、後ろに一基の主砲塔を持つ。
日本の戦艦にそのような主砲配置の艦は無い。
同盟国のドイツには似たような主砲配置の巡洋戦艦があるが、そのような艦がこの戦域にいるはずもない。
間違いなく英戦艦、同士討ちの心配は無用だった。
「野郎ども! 殴り込む先は先頭を行く戦艦だ。第一中隊は右舷から、第二中隊と第三中隊は左舷から自慢の逸物をぶち込んでやれ!」
叫ぶように命令した野中大尉の耳に、今度は任侠業界で頻繁に使われる応答の声が元気よく響いてくる。
どれもこれも、はっきり言って少々ガラが悪い。
部下たちの溌剌とした返事に苦笑しつつ野中大尉は自機を含む一二機の一式陸攻を敵戦艦一番艦の右斜め前方へと誘う。
左舷には第二中隊と第三中隊の二四機が敵戦艦に必殺の魚雷を叩き込むべく肉薄しているはずだ。
戦艦一隻に対して三六機の一式陸攻というのはいささか過剰な戦力だと思えなくもないが、出撃したのが一〇八機だから、まあいいだろうと野中大尉は思う。
目標とした戦艦に近づくにつれて敵の対空砲火が激しさを増すが、構わずに突っ込んでいく。
一式陸攻は長大な航続力をあきらめるかわりに防弾装備を充実させていた。
もちろん、そのことに対して反対の声もあったが、当時の山本次官はなにより搭乗員の安全第一と言ってスポンサー権限で自身の意を通したらしい。
それでも、航続力については妥協したとはいえ欧米の標準よりはかなりいいし、必要があれば落下式増槽を装備できるようにもしているからさほど問題が生じるとは野中大尉も思っていない。
その野中大尉が見つめる中、眼前の戦艦は左へと舵を切る。
おそらく数の多い左舷側への対処を優先させたのだろう。
逆にこちらに対しては無防備な横腹をさらけ出しつつある。
この隙きを見逃す野中大尉とその部下たちではない。
敵の火箭は激しいが艦の回避運動に邪魔されて正確な射撃が困難なのだろう。
墜とされる機体は一機もない。
一二機の一式陸攻は一気に距離を詰めて投雷する。
どうやら、大きなトラブルもなくすべての機体が投雷に成功したようだった。
その一式陸攻が投じたのは名称こそ従来と同じ九一式航空魚雷だったが、炸薬が初期の二倍以上の三〇〇キロに増強されていた。
また、そのことで総重量も八〇〇キロから一〇〇〇キロに増加している。
その航空魚雷が航跡を曳きながら敵戦艦の右舷に吸い込まれていく。
少し間を置き、一本、二本と水柱が噴き伸びる。
それらが四本を数えたとき、今度は左舷にも同じように水柱が立ち上っていく。
どうやら、左舷には六本が命中したようだった。
炸薬強化型の魚雷が合わせて一〇本、「大和」ですら処置を誤れば致命傷になりかねない打撃に三五〇〇〇トン程度の戦艦が耐えられるはずもない。
野中大尉が撃沈確実との手応えを感じた時、遅れてやって来た他隊の三六機の一式陸攻が敵戦艦二番艦に向けて降下していく。
手練が乗る三六機の一式陸攻がよもや仕損じることはないだろう。
「あとは駆逐艦か」
眼下を見下ろしながら野中大尉はつぶやく。
「魚雷の調整深度って何メートルにしていたっけ」
野中大尉は信頼する隣のベテラン特務少尉に尋ねる。
まだ戦場に到達していない三六機の一式陸攻の心配が出来るほどに野中大尉の心には余裕が生まれていた。
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