第20話 初陣
「すでに米国への宣戦布告は滞りなく済ませている。だから何も心配せずに思う存分暴れてこい」
空母「赤城」を飛び立つ前に飛行長からその言葉を聞いたとき、戦闘機隊長の板谷少佐は悪い気はしなかった。
つまり、自分たち戦闘機隊は信頼されている。
開戦劈頭に先制奇襲攻撃、というのは兵の常道ではあるものの、それは一方で敵の寝込みを襲うにも等しい行為であり、板谷少佐の好むところではない。
だから、自分たちの眼前に敵戦闘機の編隊が姿を現したときには緊張よりも喜びのほうが勝っていた。
第二航空艦隊の六隻の空母から発進したのは零戦が一四四機に一式艦攻が一六八機の合わせて三一二機。
そして、そのうち半数がイバ、残り半数がクラークフィールドの米軍基地とその飛行場を叩く。
イバ飛行場攻撃にあたる七二機の零戦のうち、三六機は敵戦闘機を積極排除する制空隊で、残りの三六機は一式艦攻の盾となる直掩隊だ。
板谷少佐はその中で制空隊長を務める。
制空隊は比較的自由度の高い任務、つまりは当たりくじだ。
自身の幸運に感謝しつつ板谷少佐は航空無線に「続け!」と叫ぶ。
同時に、機首をゴマ粒のような敵編隊に向けた。
部下たちもノータイムでそれに続く。
長年の研究と努力、なにより「山本マネー」による潤沢な開発資金援助によってすでに欧米の水準に達している国産無線機からの指示は、確実に部下たちに伝わっているようだ。
迎撃に現れた敵機は四〇乃至五〇機の規模だった。
ゴマ粒だった機影が徐々に飛行機の形を整えてくる。
板谷少佐の見立てでは三分の二が機首の尖った液冷戦闘機、残り三分の一が機首の太い空冷戦闘機だった。
液冷のそれがP40、空冷のものはおそらくP36だろう。
板谷少佐が聞いたところ、P40は速力に、P36は旋回格闘性能にすぐれているという。
「だが、何より気をつけなければならないのは・・・・・・」
まだ、かなり距離が遠めなのにもかかわらず、敵の液冷戦闘機の両翼が光る。
事前に米機が搭載するその機銃の優秀性を知らされていた板谷少佐は、その部下たちは咄嗟に機体を横滑り、あるいは横転させる。
数瞬後、その零戦があった空間を何条もの曳光弾が突き抜けていく。
板谷少佐が敵の機銃の低伸性能に感嘆したときにはすでにその敵機は間近に迫り、そしてあっという間に交錯する。
板谷少佐はP40の背後を取るべく機体を旋回させる。
速度志向の零戦は旋回格闘性能については一世代前の九六艦戦にすら劣る。
カミソリのような機動を誇る九六艦戦に比べて零戦はそれが大味というか大雑把な感じなのだ。
その零戦がどこまで米戦闘機に通用するのか内心で心配していた板谷少佐だったが、意外にあっさりと背後を取れたことで安堵する。
旋回格闘性能は明らかに零戦のほうが上だ。
だがしかし、安堵も一瞬、空の戦いではわずかな隙が命取りになる。
すばやく周囲を見回し敵機がいないことを確認した板谷少佐は一気にP40との距離を詰めにかかる。
瑞星発動機や栄発動機に比べて排気量が大きくトルクが太い金星発動機の加速性能は高い。
照準器に映るP40の姿が十分に大きくなったところで板谷少佐はスロットルレバーにある射撃釦を押し込む。
零戦は二〇ミリ機銃と一二・七ミリ機銃を切り替えてそれぞれ単独で射撃をすることが可能だが、初陣の今は出し惜しみはなしだ。
零戦の両翼から二〇ミリ弾と一二・七ミリ弾がすさまじい勢いで吐き出される。
長銃身の二号機銃と陸軍との共同開発だという一二・七ミリ機銃から撃ち出された弾丸は、その弾道が垂れることもなく真っ直ぐP40に向かって吹き伸びていった。
機体の中央部、つまりは操縦席周辺に二〇ミリ弾や一二・七ミリ弾をしたたかに叩き込まれたP40はたまったものではなかった。
防弾装備が充実し、落ちにくいことで定評のある米戦闘機といえども破壊力の大きな二〇ミリ弾や一二・七ミリ弾を多数注ぎ込まれてはさすがにもたない。
破片を撒き散らし、盛大に煙を吐きながらP40は真っ逆さまにフィリピンの大地へと墜ちていく。
日米戦における初撃墜を記録した板谷少佐は航空無線で二番機の飛曹長に短く代われと告げる。
「赤城」戦闘機隊でも一、二を争う技量の持ち主の飛曹長は板谷少佐が敵機を撃墜するまでの間、律儀にそのカバーに回り、彼の周囲を警戒してくれていたのだ。
だから、今度は板谷少佐がカバーに回り、飛曹長が敵機を狙う。
銃弾の消費が特定の機体に偏らないようにするのと、なにより真面目で上官思いの飛曹長にも敵機を撃墜する機会を与えてやりたい。
だが、板谷少佐の部下に対する思いやりも空振りに終わる。
明らかに自分たちより多かったはずの敵機の姿がどこにもない。
板谷少佐が敵機を撃墜する間に、さらに手の早い熟練の部下たちが片っ端からP40やP36をたいらげてしまったのだ。
自身の二番機の飛曹長をはじめ、二航艦の准士官や下士官の中には板谷少佐よりも腕の立つ猛者がごろごろひしめいている。
少し以前に世界中ではやったという戦闘機無用論にいっさい与せず、山本海軍大臣による継続的かつ大規模な資金援助のおかげで大量の搭乗員を養成してきた帝国海軍搭乗員の質と量は世界屈指だ。
一時は生徒一人に教官が一人という夢のマンツーマンレッスンが可能な時代さえあったという。
そして、搭乗員の大量養成、つまりは裾野が広がれば頂も高くなる。
熟練の中のエース、さらにその中のトップエースの連中が集うのが母艦航空隊だ。
おそらく、そんな連中が自分が一機撃墜する間に二機三機と食ってしまったのだろう。
自身も敵機を撃墜するのにもたついたわけではないので、他の連中がすごすぎるだけだと板谷少佐は自身を納得させる。
それに、自分は士官だから、空を飛ぶ以上に書類仕事をこなさなければならないし。
なんとも言えない状況の中、板谷少佐はそう考えることにした。
二番機に「すまん」と侘びつつ、それでも板谷少佐は嬉しい手応えを感じている。
確かに、植民地警備軍の平均練度の搭乗員と母艦航空隊のエース搭乗員との戦いだったから、同じ数かあるいは少々劣勢でもこちらの優位は揺るがなかっただろう。
だが、それはそれぞれの機体性能が互角だった場合の話だ。
そして、板谷少佐がみたところ、零戦は米戦闘機と互角どころか機銃を除けば、他のあらゆる面で上回っているように思えた。
心配していた旋回格闘性能も九六艦戦が相手ならばともかく、P40であればまったく問題はない。
技量で、機体性能で相手を上回っていればあとは数の問題だけだ。
先述した通り、帝国海軍はかなり以前から搭乗員の大量養成に着手している。
先に始まった欧州の戦争をみれば、これからの戦争は海であれ陸であれ、空の戦いを制した者が圧倒的優位に立つ。
そのための要はなんと言っても戦闘機とその搭乗員だ。
その日米第一ラウンドの空中戦で自分たち零戦隊は米戦闘機隊に完勝した。
「この戦争、勝てる」
板谷少佐がそう確信した時、遠くから爆発音とともに煙が立ち上るのが見えた。
一式艦攻隊の猛攻が始まったのだ。
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