第19話 開戦

 「全機発進完了しました」


 航空参謀からの報告に、フィリピン攻略の先鋒を務める第二航空艦隊の小沢司令長官は言葉を発せず、ただ小さく首肯する。

 第一航空戦隊の「赤城」と「加賀」、それに第三航空戦隊の「隼鷹」と「飛鷹」、さらに一航艦から臨時編入された第二航空戦隊の「蒼龍」と「飛龍」から合わせて三〇〇機を超える戦爆連合が西の空へと消えていく。

 一四四機が零戦で一六八機が一式艦攻のそれは、それぞれ半数ずつに分かれてイバとクラークフィールドにある在比米航空軍を叩く。

 事前情報のそれから考えれば、三一二機というのは在比米航空軍を相手取るには十分な戦力だ。

 在比米航空軍はB17重爆こそ脅威だが、戦闘機はP36やP40といった旧式かあるいは凡庸な現用機しかなく、その稼働機も護衛の零戦ほどには多くないはずだった。


 小沢長官は、自身が二航艦司令長官に就任するまでのことを考えている。

 本来であれば、二航艦という大艦隊を率いるには海軍における自身のポジションはいささか貫目不足のはずだった。

 だが、及川大将の後を襲って海軍大臣になると目されていた嶋田大将の突然の辞職、さらに永野大将もまた病気を理由に軍令部総長を辞職したことなどもあって大将が務める海軍トップのポストがいきなり二つも空いた。

 そこへ米内大将の現役復帰と山本連合艦隊司令長官の海軍大臣への横滑りともいうべき人事が突然発表された。

 さらに、海上護衛総隊の設立によって大将ポストがひとつ増えたことから、中将クラスの引き上げが起こる。

 そのことで、古賀中将が通常よりもずいぶんと早く大将に昇進し、同時に連合艦隊司令長官に就任した。


 さらに、海軍大臣に就任したばかりの山本大将が大鉈を振るった俗に言う「山本人事」によって二桁近い将官が予備役に編入された。

 それらの人選については山本大臣の意志だけでなく、彼に近い古賀長官と宇垣軍令部次長の意向が大きく働いているのではないかという噂が海軍内でまことしやかに流れていたが、それが真実かどうかは小沢長官は知る立場になかった。

 噂はともかく、結果として自分は二航艦という帝国海軍に二つしかない空母部隊の司令長官ポストにつくことが出来た。

 そのことについては、小沢長官は素直に喜んでいる。


 二航艦の長官就任にあたって、当時の小沢中将は古賀長官から直々に機動部隊の運用についてレクチャーを受けることになった。

 真っ先に教え込まれたのは電探と無線を活用した航空管制による洋上防空態勢と電探搭載の一式艦偵による早期警戒システムの構築だった。

 電探によって敵機の襲来を早期に探知し、可能な限り遠方でこれを迎撃する。

 このことによって迎撃戦闘機隊は敵の攻撃隊に対して反復攻撃の機会を増やすことが出来、それはつまりは直掩機を増強したのと似たような効果をもたらす。

 また、直掩戦闘機隊とともに一式艦偵も敵攻撃隊に差し向け、同機の指揮管制によって効率的な迎撃戦闘を行えるようにする。


 さらに古賀長官が艦隊防空とともに重要だと力説していたのは索敵だった。

 これまで多用していた巡洋艦の艦載水上機による索敵や偵察はこれをやめ、水上機は専ら対潜哨戒や搭乗員救助に用いるよう指示された。

 フロート付きの鈍重な水上機では敵戦闘機に襲われた際の生存率が極めて低くなる。

 そのことで、貴重な搭乗員が失われてしまう。

 だから、索敵には一式艦偵を使用し、勝負時は特別に一〇〇オクタンのガソリンを入れて少しでも速く飛べるようにしておく。


 索敵にしろ攻撃にしろ、あるいは艦隊防空にしろ、航空戦の要諦はつまりは数だと考えていた小沢長官にとって古賀長官の講義は目からウロコの連続だった。

 自分は漠然と攻撃隊の規模が大きくなればその分だけ被害が少なく逆に戦果は大きくなると考えていた。

 艦隊防空にしたところで直掩戦闘機をたくさん上空に上げておけばそれで事足りると思っていた。

 だが、違うのだ。

 確かに航空戦において数は大きな要素だが、それと同時に効率というものも考えなければならない。

 そのためには優秀な電探と無線が不可欠だった。


 その飛行機の運用とともに母艦についても厳格な取り決めが求められていた。

 特に被害応急に関しては神経質とさえ思えるほどにそれが徹底されていた。

 艦上機に魚雷や爆弾を装備する場合は必ず飛行甲板で行い、決して格納庫でこれを行ってはならないこと。

 燃料も同様の運用とし、艦上機を格納庫に収容する際は必ずそれを抜き取ってからとすることも厳に求められた。


 それとともに、古賀長官から強く言い渡されたのは潜水艦に対する備えだった。

 古賀長官は米国という巨大国家は近いうちに必ず英国や日本を大きく上回る水上打撃戦力とともに、さらにドイツを遥かに凌駕する潜水艦部隊を整備すると語っていた。

 この潜水艦部隊が曲者で、個艦においては飛び抜けた高性能艦こそないものの、その数が問題なのだそうだ。

 米国の建艦能力であれば一〇〇〇トンや二〇〇〇トンクラスの潜水艦などあっという間にそれなりの数を揃えることが出来るうえに、米国の常としてそれらは機械的信頼性が高いから稼働率も良好だ。

 さらに、それら乗組員を養成するシステムも優れており、均質の乗組員を大量にかつ効率的に育て上げるという。


 そして、古賀長官はそれら潜水艦は日本の商船隊のみならず、駆逐艦を多数擁する艦隊にとっても危険極まりないものだと言うのだ。

 そのやっかい極まりない米潜水艦に真っ先に狙われるのが空母や戦艦といった大型艦艇だ。

 どの艦艇よりも大きな破壊力を持つ戦艦も、長距離攻撃を得意とする空母もこと潜水艦からの襲撃に対しては弱い。

 もちろん、帝国海軍も駆逐艦をはじめとした対潜艦艇に対して艦体や機関の静音化対策を推し進め、聴音機やソナーなどの対潜兵器の開発にも余念がない。

 また、大型の水上艦艇に搭載される零式水偵には電探を搭載した機体の配備も始まっており、海上と空中の両面で対潜戦闘に対する備えは海軍列強の中でも最先端をいっているはずだ。


 そう思う小沢長官ではあったが、それでも古賀長官としては安心出来ないらしい。

 旧式戦艦と同等か、あるいはそれを上回る水雷防御を持つ新型空母でさえ魚雷攻撃を食らえば多くの場合で助からないという。

 古賀長官の話を聞いていると、帝国海軍の空母は米潜水艦によってすでに何隻も沈められたかのように小沢長官には思えてくる。

 小沢長官は知らなかったが、実は古賀長官は宇垣軍令部次長から前世の装甲空母「大鳳」や「信濃」、それに高速空母の「翔鶴」や「雲龍」といった貴重な艦が米潜水艦によってことごとく撃沈の憂き目にあっていたことを知らされていた。

 もちろん、当時と今とでは帝国海軍の対潜能力は天と地ほどの開きがある。


 それでも油断は出来ない。

 万一、米海軍に自分たちと同じ未来の記憶を持つ者がいれば、そしてその者がしかるべき権力を握っていれば必ず潜水艦部隊を強化するはずだ。

 そのような古賀長官の危惧を知らない小沢長官は、言われたとおり対潜戦闘についても万全を期すことに決めている。

 古賀長官の提言はこれまでのところ小沢長官にとって、そのすべてにおいて納得できるものばかりだったからだ。

 それはまるで、一度戦争を経験した人間のそれのように小沢長官には思えた。

 そんなとりとめのない小沢長官の思考も通信参謀の言葉によって終わりを告げる。

 意外に長い間考え事をしていたようだった。


 「ト連送を受信しました」


 ト連送、意味は突撃せよ。

 そして、それはつまりは日米がもはや引き返すことの出来ない一線を超えたということでもあった。


 戦争が始まったのだ。

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