第17話 翔鶴

 古賀中将の瞳に沖合に停泊している空母の姿が映る。

 陸地からはかなり離れており、その平らな艦型から航空母艦だというのが分かるだけだ。

 日本の軍艦をよく知る者が見れば、それを装甲空母の「蒼龍」かあるいは「飛龍」だと思うだろう。

 本職の海軍軍人だってその存在を知らなければ「蒼龍」型だと見誤るはずだ。

 それくらい、その空母は「蒼龍」型に酷似しているし、実際建造する際にもそのことを意識して艦橋や煙突といった上部構造物を似せて造っている。

 さらに高角砲の配置も前後に二基ずつと同じだから、よけいに紛らわしい。


 だが、シルエットこそそっくりのこの艦は「蒼龍」でも「飛龍」でもない。

 「マル三計画」によって建造された「翔鶴」型空母一番艦の「翔鶴」だった。

 装甲空母ゆえに低く抑えられた乾舷のそれは、間近で見れば戦艦「大和」を見慣れた目にも長大に映るはずだ。

 同じ「マル三計画」で建造された中でも、戦艦「大和」が特別観艦式での公開によって世界の海軍列強に衝撃を与えた一方で、逆にその完成が秘匿されたのが「翔鶴」を含む三隻の「翔鶴」型空母だった。

 その秘匿をアシストするために帝国海軍は内外に超甲巡建造の噂を流布させ、さらにすでに完成した三隻の「大和」型戦艦は訓練の合間に全国各地を巡ってその勇姿を国民の前に積極的に披露している。

 もちろん、「大和」型については機密の塊の最新鋭艦だけに体験乗船といったようなことは行われていないが、それでも可能な限り陸地に近づき不穏な世界情勢に不安を抱く人々に安心感を与えていた。

 いずれにせよ、米国との戦いでは戦艦ではなく空母こそが決戦兵器となる。

 だからこそ、帝国海軍の空母の実情は可能な限り秘匿しておくべきだった。


 その空母という艦種は、多数の飛行機を運用することから魚雷や爆弾、それに航空燃料や油脂類といった物騒な可燃物あるいは爆発物を大量に搭載している。

 いわば、自身が爆弾の塊のような艦だ。

 だからこそ無防備には出来ない。

 そもそも、空母もまた戦うために造られた軍艦の一種だし、戦場においては真っ先に狙われる存在なのだから、「蒼龍」や「飛龍」、それに英国の「イラストリアス」級のように飛行甲板に装甲を施すのは当たり前と言えば当たり前なのだ。

 もし、飛行甲板に装甲を施さないのであれば、飛行甲板はただの大きな的にしか過ぎない。

 当たりどころによっては小型爆弾一発で艦上機の離発着能力を奪われてしまう。

 艦上機の離発着能力を失った空母はあっという間に最高戦力から無力、無価値の存在に堕す。


 だからといって、空母にしかるべき装甲を施そうとすると、今度はトップヘビーという問題が立ちはだかる。

 重量物の防御鋼鉄を船体の一番上の部分に広範囲に装備するのだから、頭でっかちにならないはずがない。

 だから、空母に装甲を施すにはしかるべき大きさと幅を持つ艦体が不可欠だった。

 一万トンや二万トン程度ではとてもでは無いが装甲空母は造れない。

 たとえ建造できたとしても、それは搭載機数の少ない極めて使い勝手の悪い艦になるはずだ。

 実際、軍縮条約下の排水量制限がある時期において計画された「蒼龍」型は、その建造の際に二七〇〇〇トンと各国に通告しつつも実際には三〇〇〇〇トンを大きく超える艦となった。

 その三〇〇〇〇トンを超える「蒼龍」型でさえ、排水量の割には格納庫がさほど大きくはとれないから、その搭載機数は決して満足できるものではなかった。


 装甲空母はその構造上、トップヘビーを軽減するためにどうしても飛行甲板高を低下させるなどの措置が必要となってくる。

 つまり、甲板を一層減らす必要があるから、上下の容積が取れないのだ。

 だから、「翔鶴」型も「蒼龍」型と同様に速度低下をしのんで艦幅を大胆に増大させることで艦内容積を確保していた。

 「大和」型戦艦が、その巨大さゆえに呉海軍工廠と横須賀海軍工廠、それに大分に新しく出来た船渠でしか建造できなかったのに対し、「翔鶴」型空母はそのサイズを抑えることで「翔鶴」は横須賀海軍工廠の従来の船台で、「瑞鶴」と「神鶴」はそれぞれ神戸と長崎の民間造船所で建造することができた。


 サイズを抑えたといっても、全長は二七二メートルで全幅も三四メートルに及ぶ。

 排水量も戦艦並みかそれ以上の三九六〇〇トンと、こちらは「蒼龍」型を七〇〇〇トンあまりも上回る。

 建造費は三隻で三億円余に上ったから、通常サイズの戦艦のそれとさほど変わらないし、艦上機の調達費用まで含めればむしろ高い。

 議会には二三五〇〇トン空母二隻の合わせて一億六千万円で予算を通告していたから、当然その不足分は「山本マネー」から拠出されていた。


 だが、このことで帝国海軍は「蒼龍」型と「翔鶴」型の合わせて五隻の装甲空母をもって来るべき対米戦に臨むことができるはずだった。

 さらに、「翔鶴」と「瑞鶴」、それに「神鶴」が進水した後には間を置かずにそれぞれ四、五、六番艦のキールがすえられており、こちらも昼夜兼行の三交代で建造を促進、これら三艦はいずれも昭和一七年末までの完成を目指している。

 「翔鶴」型の四、五、六番艦は三番艦までと比べて高角砲を最新のものにするなど細部に若干の変更が生じているが同型艦といって差し支えなかった。


 古賀中将は思う。

 自分は間もなく大将に昇進し、そして連合艦隊司令長官となる。

 同時に未来の記憶を持つ同志である山本大将は海軍大臣として軍政面から、宇垣少将は軍令部次長に就任して軍令畑でその辣腕をふるう。

 そして、自分は連合艦隊司令長官として太平洋艦隊との戦いに先頭に立って臨む。

 その切り札こそが目の前の「翔鶴」だった。

 遠くに霞む「翔鶴」はかつてのそれとは違う。

 飛行甲板に装甲を施し、排水量は五割以上、搭載機数もまた従来のそれを四割以上も上回る一〇二機を予定している。

 攻撃力、防御力ともにかつての「翔鶴」とは次元を異にするそれ。

 神戸や長崎の民間造船所で建造された次女と三女の「瑞鶴」と「神鶴」もすでに産声を上げている。


 古賀中将は誓う。

 「翔鶴」三姉妹とともに国と民を守り、米軍を相手に思う存分戦うことが出来なかった前世の無念を晴らすのだと。

 鋼鉄の鎧をまとい生まれ変わった二羽の鶴と新しく生まれた一羽の鶴とともに。



 <メモ>


 「翔鶴」型空母(同型艦「瑞鶴」「神鶴」、準同型艦「雲鶴」「星鶴」「天鶴」)

 ・全長二七二メートル、全幅三四メートル

 ・三九六〇〇トン(完成時)

 ・飛行甲板 二七〇メートル×三六メートル

 ・八缶四軸 一六〇〇〇〇馬力、三一ノット

 ・格納庫二段、昇降機三基(うち一基はサイドエレベーター)

 ・カタパルト二基

 ・常用一〇二機

 ・八九式一二・七センチ連装高角砲八基(「翔鶴」「瑞鶴」「神鶴」)

 ・九八式一〇センチ連装高角砲八基(「雲鶴」「星鶴」「天鶴」)

 艦幅が大きく艦内容積に余裕があったことから格納庫は上下ともに二〇メートルの幅を持ち、上部格納庫は二三〇メートル、下部格納庫は二一〇メートルの長さを確保したことで八〇機近くを収容できる。

 さらに飛行甲板に二〇機あまりを露天繋止することで常用機は一〇〇機余にのぼる。

 また、飛行甲板は先細りすることなく、長方形に近い形なので無理をすれば露天繋止の数を若干増やすことも可能。

 左舷に設置されたサイドエレベーターは傾斜時における浸水防止のため上部格納庫にのみ通じており装甲は施されていない。

 飛行甲板の装甲は艦の中心線上の幅二〇メートルに「蒼龍」型と同じ九五ミリ厚のものが全長にわたって施されている。

 ただし、中央の二基のエレベーターは重量の制限からそれが五〇ミリとなっている。

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