第14話 五将会談
昭和一六年六月二四日
海軍御用達の某料亭
庶民からみればまさに垂涎とも言える最高の料理と酒を前にしながら山本大将と古賀中将、それに宇垣少将の前に座る二人の将官の表情に喜びの感情は一切見られない。
二人の男、そのうちのひとりは昨年まで首相を務めていた、そして今は予備役となった米内大将であり、もう一方は海軍航空本部長の井上中将だ。
この二人は山本大将とともに海軍左派トリオと呼ばれ、日独伊三国同盟に強硬に反対していたことでも知られている。
米内大将と井上中将の二人は実は二年程前、目の前の山本大将によって今後国内や海外で起こる大きな出来事や事件が記された書類を手渡されていた。
自分は未来の記憶を持っているという与太話のような彼の告白とともに。
その書類には、ドイツ軍によるポーランド侵攻やフランスの降伏、さらに一昨日に始まったドイツのソ連に対する奇襲攻撃の開始日や簡単な状況の推移といったものが記されており、驚くべきことにその日付は一日の狂いもなくすべて一致していた。
こうなってしまえば米内大将はもちろん、お化けや幽霊なんかは絶対に信じないような科学信奉者の井上中将でさえ山本大将が言う未来の記憶とやらをいささか不本意ではあるものの、それでも信じるよりほかなかった。
「山本から自分は未来の記憶を持っていると聞いたときには彼は少しばかり頭がおかしくなったんじゃないかと心配したが、その予言書に書かれていることがこうも合致しているのであれば信じるほかあるまい。それに、彼が世界の金融市場を相手に負け無しだということもそれで説明がつく」
米内大将が少しばかり酒臭い息を吐きながら井上中将に向けてそう語る。
もともと米内大将は酒好きの酒豪ではあったが、このような話は素面ではやっていられないのだろう。
一方、酒には手を付けず険しい顔をしたまま考え込んでいた井上中将は米内大将の言葉に覚悟を決めたのか、重い口を開く。
「山本さんの預言書によれば、日本は昭和一六年一二月八日に米国との戦端を開くという。現下の情勢を考えれば不本意ながら私も米国との戦争を回避することは極めて困難だと考えます。
だが、それでも避戦が叶うのであれば、それがわずかな望みであってもそこに賭けたい。もし戦を避けることが可能であるなら私はこの手を血で汚すことも厭いません。山本さんに再度お尋ねしたい。未来知識があったとしても、それはもう無理なのですか」
日本は三国同盟の締結や海南島占領、それに仏印進駐などによって決定的に米国の不興を買った。
そして、そこに付け込む英国やソ連の奸計によって日本は米国との戦争への道を余儀なくされようとしている。
なにより、ルーズベルト大統領とその周辺が日本に対して強圧的であり、そのことで日本国民も頭に血が上り、驕敵米国を討つべしという声が日ごとに大きくなっている。
さらに、日米の不和をこれ幸いとばかりに、米国に対する敵愾心を煽る新聞を始めとしたマスコミも、開戦派のその勢いにあたかも火に油を注ぐかのごとく煽り立てている。
国民を戦争の道へと駆り立て部数増を目指す彼らマスコミは井上中将から見れば死の商人にしか見えなかった。
そのような状況下でも目の前の山本大将が避戦に力を注いでいたことは井上中将も知っている。
かつて、時の総理大臣だった近衛文麿が山本大将に対して日米が戦争した場合における海軍の勝算を問うたことがあった。
その際、山本大将は端的に、一切の誤解の余地の無い一言を近衛首相に放ったらしい。
「勝てない」
このことは、海軍内で大問題となったが、それでも熱しやすく冷めやすい日本の国民性ゆえなのか、あるいは金蔓の山本大将にペナルティを課す度胸が海軍上層部に無かったのか、いずれにせよしばらくしてこの件は沙汰止みとなった。
そして現在、状況は最悪だ。
避けがたき破局への足音がはっきりと聞こえる。
それでも重ねて井上中将は問わずにはいられない。
未来知識を持つ山本大将であれば、まだ何か戦争を避けるための智恵があるのではないのかと。
だが、その山本大将は暗い顔で首を振る。
「ルーズベルトはすでに戦争への直接的な介入、つまりは参戦を断固として決意している。もちろん彼の本命はドイツ打倒だが、こちらは参戦へのきっかけがなかなかつかめない。ドイツが米国に対し、その参戦への口実を与えないように慎重に振る舞っているからだ。
だが、日本は違う。マスコミが報じる外交交渉の経緯を真に受け、少しばかりの経済的恫喝を食らっただけで簡単に頭に血が上る単純な国民だからな。そんな日本の国民を煽るのは智謀と策謀に長けた米国の連中からすれば造作もないことだろう。現に今、国民は冷静さを失い米英討つべしと怪気炎を上げている真っ最中だ」
山本大将の言葉は井上中将の現状認識とさほど違いは無かった。
つまり、自分と同じ危惧を抱き、さらに未来知識や桁外れの財力まで兼ね備えた人間が無理だというのだ。
山本大将によれば、彼の横にいる古賀中将や宇垣少将もまた同じ結論に至っているとのことだ。
彼ら二人もまた、山本大将と同様に未来知識というものを持ち合わせているという。
井上中将は山本大将や宇垣少将はともかく、古賀中将の人間性とその見識には一目も二目も置いていたから、嫌々ではあるが納得するしかなかった。
つまり、山本大将の戦争回避は無理という言葉を現実のものとして受け入れなければならない。
ならば、どうする。
井上中将が思索に入りかけた時、隣の米内大将が口を開く。
「で、山本は私と井上に何をさせようというのだ」
先程からほとんど言葉を発せず山本大将と井上中将のやりとりを黙って聞いていた米内大将が杯を置き、眼光鋭く山本大将を直視した。
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