第12話 太平洋艦隊司令長官

 一九四一年二月、新しく編成された太平洋艦隊の司令長官に就任したキンメル大将はその戦力の増強に余念がなかった。

 昨年一〇月、横須賀沖で確認された「大和」という超巨大戦艦の存在によって合衆国海軍は戦略の転換を余儀なくされた。

 七万トンとも八万とも言われるそれは、写真解析が進んだことで今では四五口径一八インチ砲を搭載していることが判明している。

 その結果、「大和」は米海軍の既存の戦艦はもとより今年から続々と就役が予定されている新型戦艦を遥かに上回る戦力を備えているものと考えられている。

 さらに悪いことに、同型の二番艦や三番艦もまた、この春には相次いで完成するらしい。

 この「大和」型戦艦が、しかも三隻も揃うとなると、太平洋における米日の戦力バランスは決定的に崩れ去る。


 太平洋の防衛に責任を持つキンメル長官としては、座してこの状況を眺めているわけにはいかなかった。

 頭の痛い問題は「大和」型戦艦だけでは無かった。

 日本には大型艦が建造可能な造修施設が六カ所あった。

 もともとは四カ所しかなかったのだが、「山本マネー」によって呉海軍工廠の船渠に匹敵するかあるいはそれをもしのぐものが横須賀と大分に造られたのだ。

 「大和」型戦艦は一番艦が呉の海軍工廠で、さらに二番艦と三番艦が新しく出来た大分と横須賀の船渠でそれぞれ建造が進められたことが分かっている。

 また、それ以外にも従来から有る横須賀海軍工廠の船台、さらに神戸と長崎の民間造船所の三カ所でも大型艦の建造が可能だという。

 そのうち長崎のそれは六万トン級の戦艦ですら建造が可能な能力を持つと言われている。

 そして、その三カ所でも間違いなく何らかの大型軍艦が造られていると米海軍情報部は分析していた。


 その日本はといえば、条約明け後を見据えた「マル三計画」で戦艦に二億円、空母に一億六千万円の予算を計上していた。

 その予算規模から、情報部では日本は四万トン級戦艦ならびに二三〇〇〇トン級空母をそれぞれ二隻ずつ建造すると予想していた。

 いささか疑問の余地はあるが、日本は議会制民主主義を建前としており、その海軍もまた予算については議会を通さなければならない。

 つまり日本海軍もまた合衆国海軍と同様、戦備については国家予算の掣肘を受けるのだ。

 だから、その予算案を見れば日本海軍が建造しようとしている艦の大きさや数をある程度予測することが可能だった。


 だが、一人の男の存在がその前提を根底から覆した。

 米国の政界や経済界の関係者でこの男の名を知らぬ者は一人もいないだろう。

 山本五十六。

 日本海軍という巨大組織の中で、最も頂点に近い位置にあると目されている海軍大将。

 かつて世界を恐怖と混乱の渦に叩き込んだ世界恐慌に付け込み、莫大な財を成した男。

 機関投資家や個人投資家、それにあらゆるファンドが右往左往する中、あたかも未来を見通せるかのように正確かつ大胆な投機戦を仕掛け、合衆国をはじめ世界中の富が彼に奪い尽くされた。


 その男が日本海軍の軍備拡張に金銭的なバックアップをしているのはとっくの昔に調べがついている。

 だから、「マル三計画」という計画通りに日本がその艦艇の整備をするとは、「大和」の存在が判明した今では誰も信じていない。

 実際に、三隻もの「大和」型戦艦を建造するのであれば、二億円ではとても足りないから、その不足分は山本が補填したのだろう。


 ならば、予算にあった二隻の空母も実際には三隻が建造されるはずだ。

 合衆国海軍の中には横須賀と神戸、それに長崎で建造されているのは空母ではなく三万トン級の超甲巡とよばれる大型巡洋艦かあるいは巡洋戦艦ではないかと予想する者も多い。

 実際に超甲巡の存在は確度の高い情報によるものらしく、米国はその対抗としてすでに二七〇〇〇トン級の大型巡洋艦の建造に着手している。

 だが、キンメル長官はその見立てには懐疑的だった。

 日本海軍は「大和」型の三隻以外に「長門」型、それに「金剛」型の合わせて六隻があるから、ここに三隻の三万トン級の巡洋戦艦が加われば戦艦の数は一二隻となる。


 一方で、同海軍には空母は「赤城」と「加賀」、それに「蒼龍」と「飛龍」しかない。

 戦艦一二隻に対して空母がわずかに四隻ではあまりにもバランスが悪い。

 そのうえ、日本の四隻の空母は戦艦改造かあるいは条約によって排水量の制限を加えられた中で建造された装甲空母だから搭載する艦上機の数に関しては最初から通常型の空母として建造されたそれよりも明らかに不利だ。


 合衆国海軍が英国の「イラストリアス」級装甲空母を調べたところ、排水量は「ヨークタウン」級をかなり上回るのにもかかわらず、その搭載機数は「ヨークタウン」級の半分程度でしかない。

 日本の「蒼龍」と「飛龍」は二七〇〇〇トンと「イラストリアス」級空母よりは大きいものの、それでもその搭載機数は排水量の限界から同級に比べてさほど多くはないはずだった。

 攻撃力のほとんどを艦上機に依存する空母にとって搭載機数が少ないというのは、それは紛れもなく弱点と言ってよかった。


 それに、山本は日本海軍きっての航空主兵主義者だ。

 分かりきっている弱点に対して彼が何の手も打っていないというのは考えにくい。

 合衆国海軍の中には日本海軍は母艦航空隊よりも、沈むことのない基地航空隊に重きを置いているという者もいる。

 確かに、急激ともいえる拡張を続ける日本海軍の基地航空隊をみれば、その見立ては一見正しいように思える。

 だが、それでも空母部隊同士による洋上航空戦というのはつまりは飛行機の数の戦いなのだから、空母やその搭載機が少ないままで良いことなんて一つもない。

 それくらいのことは生粋の大艦巨砲主義者であるキンメル長官にだって理解できる。


 そのキンメル長官が空母に詳しい幕僚から聞いたところでは、「蒼龍」や「飛龍」はその船体規模から多くても五〇機程度、「赤城」や「加賀」は七〇機を少し上回る程度の艦上機を運用しているのではないかとのことだった。

 もし、仮に横須賀と神戸、それに長崎で建造している艦が「蒼龍」の同型艦であった場合は日本は七隻の空母に四〇〇機の艦上機を擁することになる。

 さらに、それら三隻が「蒼龍」型を上回る拡大改良型であった場合にはいくぶん搭載機数は増大して四五〇機程度になるものと見積もられていた。

 これは現在、合衆国海軍が運用する六隻の正規空母の艦上機の総数とほぼ同じ数だった。

 ただ、悪いことに合衆国海軍はそれら空母のうち半数の三隻を太平洋に、残り三隻を大西洋に分散配備している。

 もし、日本海軍が三隻の空母を建造していたと仮定して、それらが完成して就役すれば太平洋艦隊の空母部隊の劣勢は明らかだ。


 戦艦部隊も「大和」型の存在によってその劣勢はすでに動かしがたいものになっている。

 早急な対策が必要だった。

 欧州大戦が勃発したとはいえ、弱小のドイツ水上部隊や引きこもりのイタリア海軍に備えるという理由で大西洋に戦艦や空母を大量配備しておくのはキンメル長官からしてみれば無駄もいいところだ。


 それと、頼みの新戦力も、この春に二隻の「ノースカロライナ」級が、秋には「ヨークタウン」級三番艦が就役するが、戦艦と空母については今年に限って言えばたったそれだけでしかない。

 一九四二年も戦艦が四隻、それに同年末に新型正規空母が一隻完成するだけで、それらの量がそろうのは早くても一九四三年半ば以降になってからのことだ。

 米日関係の険悪化により、いつ戦争が現実化してもおかしくない状況の中で悠長に新戦力が充実されるのを待つ余裕は太平洋艦隊にはない。


 「ならば、取れるところから取るしかないか」


 そう決意したキンメル長官は副官を呼び、合衆国海軍上層部とのスケジュール調整に入るよう指示した。

 大西洋艦隊将兵らの不興を買うのは覚悟の上だった。

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