第10話 零式艦上戦闘機

 主任技師の目の前には完成した一二試艦上戦闘機の姿があった。

 すでに零式艦上戦闘機という制式名称が与えられ、正式採用が決定している。


 「どことなく陸軍の五式戦に似ているな」


 隣の宇垣少将の小さくつぶやく声が主任技師の耳に飛び込んでくる。

 だが、まだ昭和一五年だ。

 五式戦だと昭和二〇年になるから、たぶん自分の聞き違いだろうと思い、主任技師はすぐにそのことを意識の外に追いやる。

 宇垣少将と、それに今ここにはいないが山本中将はなにより戦闘機の開発とその整備に熱心だったと主任技師は聞いている。

 おかげでこの一二試艦上戦闘機も「山本マネー」による豊富な資金援助のおかげで思いのほか早く完成にこぎつけることが出来た。


 高性能爆撃機の出現に伴った戦闘機無用論が外国だけでなく国内でも声高に叫ばれていた頃でさえ、宇垣少将と山本中将はその考え方に与することはなく、戦闘機の開発とその搭乗員の養成に力を注ぎ続けていたらしい。

 その後、戦闘機無用論は幾多の実戦を経ることで机上の空論であることが証明され、今では誰もが戦闘機の重要性を理解している。

 主任技師は思う。

 そもそも、爆弾を落とすために造られた爆撃機が敵機を墜とすために造られた戦闘機にかなうはずがないのだ。

 それでも、爆撃機を阻止できないというのは、それは単に戦闘機の性能不足かあるいは早期警戒態勢に何らかの問題があるというだけのことだ。


 だが、今では帝国海軍は電探を用いた早期警戒態勢において世界の最先端を走っており、日本をしのぐシステムを構築しているのは英国くらいのものだと主任技師は聞いている。

 そして、そのシステムの効果を十全に発揮するために、零式艦上戦闘機にはすべての機体に高性能の無線機が搭載されるという。

 主任技師は完成した機体を見つめつつ、開発の際に指示された優先順位のことを思い出していた。


 「新型艦上戦闘機の性能要件の優先順位は一に優れた搭乗員保護と無線通信機の装備、二に速度性能、三に運動性能ならびに航続性能とする」


 真っ先に優先されるのは旋回格闘性能だとばかり思い込んでいた主任技師にとってこれは意外な指示だった。

 それに翼面荷重についても大幅にその要件が緩和され、主任技師にとってそれは機体設計に伴う掣肘から大きく解放されるという意味でたいへんありがたかった。

 もっとも、その一方で降下制限速度についてはかなり厳しい注文がつけられてしまったのだが。


 それと、もうひとつ予想外だったのは発動機を最初から「金星」に指定されていたことだった。

 三二リットルを超える直径が太い大排気量発動機を、前方視界と軽快な運動性能を重視する戦闘機に搭載して大丈夫なのかと主任技師は危惧したが、返ってきた答えは意外なものだった。


 「金星のようなたった三二リットルあまりしかない小排気量発動機では爆撃機も戦闘機も一気に高速化するこれからの時代に対応することはとてもできない。だから、この機体も将来は金星発動機の一八気筒版も載せられるよう冗長性を持たせておいてほしい。そのためなら多少翼面荷重が大きくなろうともどうということはない」


 そう言っていた大スポンサーである当時の山本中将の意見を色濃く反映した零式艦上戦闘機は想定より半年あまり早い昭和一五年一月に量産が開始された。

 機体と発動機が同じメーカーだったのもよかったのだろう。

 同じ会社だと意思の疎通や込み入った話でも早く済むことが多いから、これが開発の進捗に好影響を与えたのではないか。

 発動機は急ピッチで改良が進む「金星」の最新型が搭載され、一三〇〇馬力を叩き出すそれは零戦に五七〇キロの最高速度を与える。

 ISO普及による各部品の質と工作精度の向上は昭和一五年時点ですでにリッターあたり四〇馬力を超える出力を金星発動機に与えていた。


 さらに武装も、長銃身の二〇ミリ機銃と、開発費は全額「山本マネー」持ちだったと噂される陸軍と共同開発したホ103と呼ばれる一二・七ミリ機銃を両翼にそれぞれ一丁ずつ収める。


 従来の九六艦戦とは比較にならない重武装だ。

 そのうえ防弾鋼板や防弾ガラス、それに防漏タンクや自動消火装置を装備するなど、搭乗員保護にも力を入れている。


 それと、意外だったのは爆装についての要件だった。

 これまでの戦闘機は三〇キロ爆弾を二発かあるいは五〇キロ乃至六〇キロ爆弾であれば一発積めることを求められていたのだが、この一二試艦上戦闘機では二五〇キロ爆弾一発かあるいは六〇キロ爆弾四発が搭載できることを要求されていた。

 一気に四倍もの積載力を求められたのは、この一二試艦上戦闘機を戦闘爆撃機として運用することも考慮されているからだという。


 主任技師にとって幸いだったのは一二試艦上戦闘機が急降下爆撃性能までは求められていなかったことだ。

 もしそんなことをすれば機体各部の強化が必要になるしダイブブレーキをはじめとした諸装備の追加で機体重量が激増してしまう。

 そうなってしまえば戦闘機としての軽快な運動性能は損なわれ、さらに重量増に伴う速度性能や航続距離の低下も免れない。

 何かにつけて無茶な性能を要求してくる海軍も、さすがに急降下爆撃性能の付与は無理筋だと理解していたのだろう。


 だが、それでもやはり一二試艦上戦闘機は重い。

 自重は二トンを超え、全備重量は三トンに迫る。

 これは九六艦戦のざっと二倍だ。

 そのことで、従来のそれよりもはるかに重量が増した機体に二八リットル程度にしか過ぎない瑞星発動機や競合他社の栄発動機では馬力不足は明らかだった。

 金星発動機の採用は必然だったのだ。

 主任技師は山本中将の慧眼に感心するとともにその影響力に改めて感服する。

 あれだけ格闘性能と翼面荷重にこだわってきた帝国海軍が、スポンサーの意向だけでよくもまあこれだけ真逆のベクトルに方針転換ができたものだと。




 零戦の諸元については、前世における熟練搭乗員の大量喪失に驚愕した山本中将や古賀中将、それに宇垣少将の意が大きく反映されたものだった。

 だから、まずは何に置いても搭乗員保護だ。

 戦闘機の頭脳とも中枢神経とも言うべき彼らを失ってはどんな高性能戦闘機もその性能を十全に発揮することはできない。

 だからこそ、彼らを守る算段が何よりも優先される。

 そのことで防弾装備を施すことになるから、その分だけ機体が重くなって離陸滑走距離が増えたり燃費が悪化したりする。

 しかし、それでも彼らを守るためにはそこらあたりは妥協するしかなかった。


 それ以外にも山本中将らは貪欲だった。

 彼らは昭和一二年当時、金星が正式採用されると同時に同発動機の一八気筒バージョンの開発をメーカーに依頼した。

 もちろん、口だけでなく開発費も出すし、なにより海軍がお得意様であることからメーカーもこれを断ることが出来ない。

 それにISOによって日本の工業界の品質向上が著しいこともあって今すぐの一八気筒化は困難ではあっても、それでも二年あるいは三年先を見据えれば決して無理というほどのものでもなかった。


 そして、既存の金星の改良を進める一方で新型発動機の開発もそれなりに進捗し、昭和一五年中には試作一号が完成する見込みだった。

 排気量が四二リットルに迫るそれは、最初は無理のない一七〇〇馬力程度から始め、最終的には水メタノール噴射装置を装備することでリッター当たり五〇馬力を超える二二〇〇馬力を目標にしていた。


 零戦はこれまでの九六艦戦とは違い、旋回格闘性能よりも加速をはじめとした速度性能に力点を置いた一撃離脱タイプの戦闘機だった。

 また、格闘性能や離着陸性能にこだわるあまり、病的とも言えるほどに翼面荷重に固執する現場の声を山本中将は一喝、発艦に関してはカタパルトの早期開発、着艦については技量の向上で問題は解決するとしてこれを大幅に緩和、さらに長大な航続性能要求も機体重量の増加と搭乗員の負担になるだけだといってこちらも大きく切り捨てた。

 さらに宇垣少将の提言で、戦争終盤に帝国海軍が採用した二機を最小戦闘単位とした四機一個小隊の編成を標準とし、高速化が著しい戦闘機のそれをこれからの戦争の実情に即したものとしたうえでさらに航空管制による運用を可能ならしめるために優秀な航空無線の搭載を義務付けた。


 機体性能の向上を追求する一方で、山本中将は海軍に多額の献金をして搭乗員の大量養成も図っており、それは機体の維持管理に関わる整備員や兵器員も同様だった。

 また、ガダルカナルでの失敗から飛行場や道路を設定する設営隊の能力向上も忘れてはいない。

 こちらは土木重機をはじめ高度に機械化された部隊がいくつも編成されつつある。

 もちろん機材も人材も「山本マネー」持ちだ。


 これら一連の措置で、海軍航空隊は搭乗員が損耗しにくく、さらに太平洋の島々に迅速に航空戦力を展開できる部隊になるはずだった。

 そうなれば、あとは零戦の量産化の問題だけだ。

 山本中将は後日、昭和一五年中に零戦五〇〇機に加え教官用の後部座席と操縦機構を組み込んだ練習機を二〇〇機、さらに昭和一六年中に零戦一〇〇〇機と練習機三〇〇機をメーカーに要望する。

 メーカーとしては零戦五〇〇機だけでも一億円の案件であり、それは多大な利益を意味する。

 だが現実として、生産設備には限りがある。


 それでも対応したメーカーの担当者は無理を承知で引き受ける。

 ここでうまくやれば、現在ライバルとともにISOランクが3のところをISO4に格上げしてもらえるかもしれない。

 現在国内でISO3を得ているのは自分たちを除けば戦闘機や攻撃機の受注でしのぎを削るライバルメーカーを含め数社だけだ。

 自分たちは製品の質に、一方のライバルメーカーは量産能力にそれぞれ定評があるが、ここで山本中将に要望された零戦の数をそろえればISO4の安定供給という要件を満たすことになり、ISO4へのランクアップも夢ではなくなる。

 ISO4になれば海軍から出る補助金や報奨金も格段に上がるから、それは利益のさらなる増大を意味する。

 それに、ISOの御威光は絶大だ。

 ライバルよりもワンランク上に立つようなことになればそれは会社だけでなく自身の評価や出世にもおおいなる力となるだろう。

 それに担当者は知っている。

 山本中将は決して無理を言うだけでなく、生産設備にかかる工作機械や必要資材の優先譲渡といった支援という名の飴を用意してくれる御仁であることを。

 担当者の読みは完全に正しかった。

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