第9話 改造空母

 昭和一四年、二隻の大型空母の改装工事が完了した。


 それら二隻はこれまでの三段飛行甲板という独特のスタイルが消え失せ、艦の全長に及ぶ一段飛行甲板を与えられたことで、その艦体は帝国海軍の中でも群を抜いたボリュームを持つに至った。

 改造されたのは元が巡洋戦艦の「赤城」と、もう一方は戦艦がベースの「加賀」の二隻。

 本来であれば「加賀」は昭和一〇年、「赤城」は昭和一三年に大改装工事を終えているはずだった。


 ある時、古賀中将が山本中将にこの二艦の工事が遅くなった理由を尋ねたところ、第二次世界大戦までさほど間がないことから、可能な限り艦上機で離発着できる搭乗員を増やすために「蒼龍」の就役を待っていたのだという。

 そのことで「蒼龍」は「赤城」や「加賀」が改装工事で動けない間は毎日のように離着艦訓練やあるいは襲撃訓練の的とし休みなく働かされており、もし彼女に感情というものがあれば「あんたバカぁ?」と言って少しぐらいは休ませろと関係者に罵詈雑言を吐いていたかもしれない。


 だが、一方で改装着手が遅れた分だけ「赤城」と「加賀」は新しい装備を手にすることができた。

 これら二艦の改装に際しては、新しい空母を造った方がいいんじゃないかというほどの莫大な金がかかったのだが、当時の山本中将はそのようなことはまったく意に介さず、その財力に物を言わせて「赤城」と「加賀」を徹底改造した。

 そして、その彼は金を出すだけでなく、口もおおいに出した。

 古今東西どのような組織を問わず、金を出すスポンサー様の意見ほど通りやすいものは無い。


 かつて「赤城」の艦長を経験したこともある山本中将は、空母についても一家言どころか十家言くらいあった。

 高速が求められる空母だからこそ、まず機関を全面換装させた。

 「赤城」それに「加賀」ともに主機も主缶も最新のものに換装し、両艦ともに一六〇〇〇〇馬力を叩き出すそれは、改装によって大幅に排水量が増えたのにもかかわらず「赤城」に三二ノット、「加賀」に三〇ノットの速力を与えた。

 また、最新の機関はコンパクトに収まるうえに燃費もいい。

 そのことで、「赤城」と「加賀」はいずれも重油の搭載量を増やすことができ、その結果従来よりも航続距離が大幅に延伸したことで作戦の柔軟性を大いに高めることができた。


 また、対空火器には八九式一二・七センチ連装高角砲を両艦ともに八基ずつ装備、さらに二五ミリ機銃多数をスポンソンに据え付け防空能力を著しく向上させている。

 理想を言えば、高角砲は新しい九八式一〇センチ高角砲にしたかったのだが、こちらは新鋭艦に優先的に回されたことで、「赤城」ならびに「加賀」ともに装備することはかなわなかった。


 高角砲や機銃が増備される一方で、実用性に疑問が残る二〇センチ砲はこれをすべて廃止し、この結果少なくない貴重な艦内スペースの捻出に成功している。

 艦上構造物は新造と言ってもいいほどに徹底した手が加えられ、格納庫をはじめとした艦内設備は効率的な形状あるいは配置となった。

 また、エレベーターも量産性とコストが考慮され、これまでバラバラだったサイズや形がまったく同じもの三基へと変更された。

 そして、今後大型化が見込まれる艦上機に対応できるようそれらエレベーターは縦横ともに一三メートルの大きさとなっている。


 これらの結果、「赤城」と「加賀」はともに複葉機や小型の単葉機の時代であれば九〇機以上、開戦時においても八〇機近くを運用できる艦体サイズに見合った搭載能力を得た。

 さらに、これに合わせて魚雷調整能力や爆弾搭載能力、さらに航空燃料搭載量といった航空機運用能力も従来に比べて格段に向上させていた。

 それとともに、かつてのミッドウェー海戦を教訓として艦上機への爆弾や魚雷、それに燃料の補給は飛行甲板で行うことが徹底され、それら機体を格納庫へ収容する際は残った燃料を抜き取るなど、防火に対するルールも厳格化されている。


 艦橋については両艦とも比較的大ぶりのものが右舷に設置され、将来的には電探とそれら関連施設が艦橋内に設けられることになっている。

 これも山本中将の意が反映したものであった。


 飛行甲板上の気流を乱す「赤城」の左艦橋は許さない。

 「加賀」の不便極まりない小さすぎる艦橋も許さない。

 山本中将の決意は固かった。


 これら一連の改造の結果、これまで「レキシントン」や「サラトガ」に対して明らかに見劣りしていた「赤城」と「加賀」も、速力以外はさほど引けを取らないものになるはずだった。




 「赤城」と「加賀」が改装工事に入る少し前、二隻の大型船が長崎と神戸の民間造船所で進水していた。

 その二隻にはそれぞれ「橿原丸」それに「出雲丸」という船名が付けられている。

 これら二隻は造船不況に伴う業界の救済とともに技術を持った工員らの雇用の維持確保、さらには東京五輪への対応といったものを名目に建造が進められている大型客船だと工事関係者の多くが思っていた。

 だが、実際には大型客船というのはダミーで、一〇〇パーセント「山本マネー」出資による最初から軍艦として建造が企図された歴とした空母だった。

 山本中将は、もし仮にこの二隻が建造途中で空母であることがバレた場合には軍縮条約脱退に伴い建造中の客船を急遽改造して空母に仕立てたという体をとることに決めている。


 その二隻はすでにスポンサーの山本中将によって「隼鷹」と「飛鷹」という艦名になることが内定していた。

 それと、この二隻の空母が長崎と神戸の民間造船所に発注されたのには理由があった。

 この二つの民間造船所は軍縮条約明け後に大型装甲空母を建造することがすでに決まっているのだが、空母の建造経験の無いそれら民間造船所がいきなり大型装甲空母を建造するのはさすがに荷が重い。

 そこで、空母建造のノウハウを積み上げるために「隼鷹」と「飛鷹」が建造されることになったのだ。


 欲を言えば山本中将は「隼鷹」と「飛鷹」も「蒼龍」型と同様に装甲空母として建造したかったのだが、いくら何でもそこまでやれば諸外国もこれら二隻がただならぬ船であることを見抜くだろう。

 ただでさえ、ふつうの商船が一般鋼で船体を造るのに対し、これら二隻は軍艦用のそれを使っている。

 米国が日本を友好国ではなく仮想敵として捉えていることは周知の事実だから、当然軍事に関する資材の生産量やその流通にも目を光らせているはずだ。

 もちろん、「隼鷹」と「飛鷹」の建造についてはそのことを考慮に入れて慎重に事を進めてはいるのだが、このことがバレない保証はないからこれ以上目立つようなことはしたくなかった。


 その「隼鷹」と「飛鷹」だが、この二隻はかつてのそれとは大きくその姿を変えていた。

 船体サイズは一回り大きくなり、最初から空母として建造しているから艦内スペースの活用にも無駄がない。

 また、機関も商船用のそれではなく軍艦用のものだ。

 本来であれば大型艦ゆえに空母や巡洋艦用の主機や主缶を搭載したかったのだが、それら空母や巡洋艦に使う主機や主缶は外国の間諜らによってその製造数が把握されているはずだ。

 だから、それなりの数をそろえても不審がられない駆逐艦用のものを流用している。

 それと、これら二隻は空母への艤装は意図的にゆっくりと行っていた。

 諸外国には可能な限りこの二隻が空母ではなく客船だと思いこんでもらうたためだ。


 その「隼鷹」と「飛鷹」は「マル三計画」で建造された戦艦や空母と同様、昭和一六年の春までに相次いで完成することになる。

 ただ、やはりこの規模の船ともなると米国や英国の目から完全にその存在を秘匿することはかなわず、米国は昭和一六年の早い段階で「出雲丸」と「橿原丸」が空母であることを見抜いていた。

 だが、このことが米軍の日本の戦備に対する評価を決定的に誤らせることになるとはこの時、誰も想像すらしていなかった。



 <メモ>


 「隼鷹」型空母(同型艦「飛鷹」)

 ※数値は竣工時のもの

 ・全長二三八メートル、全幅二八メートル

 ・基準排水量 二五五〇〇トン

 ・飛行甲板 二三六メートル×二九・五メートル

 ・八缶四軸 一二〇〇〇〇馬力、三一ノット

 ・格納庫二段、昇降機三基

 ・カタパルト二基

 ・常用六六機

 ・一二・七センチ連装高角砲八基、二五ミリ三連装機銃二〇基

 建造途中の貨客船を改造した前世(?)の「隼鷹」「飛鷹」と違い、最初から空母として造られたこと、さらに若干のサイズアップを果たしていたことから格納庫面積を大きく取ることが出来、常用機数は四割近く増加している。

 新型機に対応できるよう飛行甲板を可能な限り延長するためにエンクローズドバウを採用している。

 また、機関出力も一二万馬力に達し、そのことで三一ノットを発揮できることから高速部隊への編入あるいは随伴も可能となっている。

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