第8話 大艦巨砲

 先日の宴席で山本次官は組織は畢竟人と金だと言っていたが、この件に関しては古賀中将も全面的に意を同じくする。

 以前、山本次官の海軍への献納額がこれまでで数億円を超えるという話を耳にしたことがあったが、あくまでもそれは噂に過ぎないと思っていた。

 億単位の金など個人でどうにか出来るわけがない。

 だが、本人によるとそれは事実だった。

 戦艦一隻が一億円だから数隻分だ。

 海軍内で囁かれる「山本マネー」の凄さを古賀中将は改めて実感した。

 一方、金を出したスポンサーだからこそ山本次官はそれが何に使われたかを知悉していた。


 その席にいた三人だけが艦名を知っている新型戦艦は「マル三計画」では三隻が建造されることになっていた。

 呉で「大和」が、そして新しく大分に出来た船渠で「武蔵」が、同じく横須賀に増設された船渠で「信濃」が建造される。

 雇用創出のために昼夜兼行の三交代で建造を進めるから、「大和」は昭和一五年秋に、同艦に比べて起工が遅い「武蔵」や「信濃」も昭和一六年の春頃には竣工する見込みだ。

 つまり、「大和」と「武蔵」、それに「信濃」の三艦はそのいずれもが昭和一六年一二月八日の開戦時には十分な訓練を積んでいるはずだった。


 それら三隻の「大和」型戦艦は前世におけるそれとはかなり違っている。

 四基あった一五・五センチ三連装砲塔が廃され、代りに一二・七センチ連装高角砲を一六基搭載、さらに対空機銃を計画の数倍に増やしていた。

 なにより変わったのは主砲と機関だ。

 当初、四六センチ三連装砲塔三基だったのが四基に増強され、主機と主缶は「陽炎」型駆逐艦のものを使用し、戦艦ゆえの出力制限をしてなお一八六〇〇〇馬力を発揮、七八〇〇〇トンの巨体を二九ノットで走らせる。

 これらはすべて山本次官の意見が反映されたものだった。

 いつの時代も金を出す者は強い。

 戦艦では他に四一センチ砲を搭載する「長門」と「陸奥」が主機と主缶を丸ごと換装することでこちらも二九ノットの高速戦艦に生まれ変わり、「大和」型はもちろん、高速戦艦の「金剛」型とでさえ十分に共同行動がとれるようになる。


 一方で山本次官は三隻の「大和」型戦艦の建造費を助成する代わりに「伊勢」と「日向」、それに「山城」と「扶桑」についてはこれを廃艦にすることを要求した。

 もともと「扶桑」や「山城」、それに「伊勢」や「日向」の四隻は、艦の中心線上に六基もの主砲塔を装備していたことから装甲を必要とする範囲が広く、そのことで逆に十分な防御が困難だという弱点を抱えていた。

 さらに多数の砲塔を装備したことによって機関部や居住区が圧迫され、低速なうえに居住性が極めて低かった。

 つまりは打たれ弱くてノロく、さらに乗組員に優しくないという、極めて使い勝手の悪い戦艦だったのだ。

 なかでも致命的だったのは、これら四艦が揃いも揃って艦の回頭性能や保針性能に難を抱えていたことだ。

 真っ直ぐ進むのに苦労する艦など戦艦として以前に船として失格だ。

 このため、山本次官はこれら四隻の戦艦については思い切って廃艦とし、その乗組員を「大和」や「武蔵」、それに「信濃」に配置換えするよう要求した。


 このことを受けて、海軍上層部は「マル三計画」における戦艦の建造について再検討した。

 山本次官の申し出を受け入れれば四隻の旧式戦艦を失う代わりにパワーアップした新型戦艦を三隻手に入れることが出来る。

 逆にこれを拒否すれば四隻の戦艦は現役でいられる代わりに新型戦艦は二隻に減り、さらに一隻当たりの火力も一二門から九門に減少する。

 考えるまでも無かった。

 老朽化が進み、そのうえ使い勝手の悪い戦艦を維持するよりも新しい戦艦を手に入れた方がよほどいい。

 そのうえ、山本案を受け入れれば当初一八門だった四六センチ砲が倍の三六門になるうえにすべての戦艦が二九ノット以上の高速戦艦となる。

 これは作戦計画を立てるにあたって極めて大きな柔軟性を持たせてくれる。


 そもそも「山城」や「扶桑」は任務につくよりも不具合を直している時期の方が長いのではないかと揶揄されるくらい、建造後も改修や改造が続いていたのだ。

 つまり、これら艦が無くなれば造修施設のローテションにも好影響を与えるし、居住性の高い「大和」型戦艦に転属できれば将兵たちも喜ぶだろう。

 それに、四隻の戦艦ともなれば燃料費や人件費などといった維持費も膨大だから、逆に言えばこれら四隻を廃艦にすれば経費削減効果は抜群だ。

 そのうえ、兵器や艦内の装備品は他艦に回せるし、船体を解体することで喉から手が出るほどに欲しい鉄材も大量に手に入る。

 それと、海軍では相次ぐ基地航空隊の拡大で司令が務まる大佐級の人材が不足気味だから、戦艦が四隻から三隻になって艦長ポストが減ったとしても人事面においてもさほど問題は無い。


 結局、様々な角度から検討しましたよという体裁を整えつつ、海軍上層部は山本次官の提言と資金援助を受け入れることにした。

 だが、これこそが山本次官が仕掛けた将来の戦争に対する布石であった。

 山本次官としては、本来最優先で整備すべきなのは飛行機と航空母艦であり、本音を言えば戦艦や重巡洋艦にはびた一文金なんか出したくはなかった。

 だが、海軍最大派閥である鉄砲屋を差し置いて空母増産に邁進すれば、後にいろいろと禍根を残しかねなかった。

 人事にしろ金にしろ、海軍に数多ある権力のうちでそれを握る者の多くは鉄砲屋なのだから。

 だから、山本次官は鉄砲屋のご機嫌伺いを兼ねて戦艦に大枚をはたいた。

 戦艦も七八〇〇〇トンともなれば、それはもう目が飛び出るような大金で、「大和」と「武蔵」、それに「信濃」の三隻でざっと五億円ほどかかる。

 議会への予算請求では二隻二億円だから、不足する三億円は山本マネーからの拠出となる。


 その山本マネーはもともとは大恐慌につけ込んで米国の金融業界から巻き上げた金だ。

 その金で造られた「大和」や「武蔵」、それに「信濃」が米戦艦を叩きのめすのであれば、それはそれで痛快だ。

 それに、将来を知る山本次官はすでに新しい金儲けのための算段を整えていたから、三億円ぐらいはどうという額でも無かった。

 なにせ、欧州大戦がいつ始まるかを知っているのだ。

 ある意味、究極のインサイダー取引だ。

 株式ひとつにしたって、戦争になれば何が上がり何が下がるかは少し勉強すれば誰でも分かる。

 だから、株式市場をはじめとした世界中の金融商品に対して先手を打って売買を仕掛けることが出来るし、実際に山本次官は大恐慌で活躍してくれたかつての金融業界のエキスパート仲間の中で特に口の固そうな者たちを内密に招集してすでに万全の準備をしていた。

 それは海外の第三国を経由した地球規模の商取引であり、山本次官をして経済の第二次世界大戦だと言わしめるほどの大取引になるはずだった。


 ところで、山本次官が「伊勢」や「日向」、それに「山城」や「扶桑」の廃艦を求めたのはそれら四隻が役に立たない戦艦だからという理由だけではなく、戦艦の数そのものを減らして鉄砲屋の頭数、つまりは派閥の勢力を削いでおきたかったのが一番の理由だ。

 すでに海面上で戦艦同士が撃ち合う二次元の洋上決戦は過去のものとなり、多数の航空機や高性能の潜水艦といった空中や海中を三次元機動出来る兵器が主力となりつつある中で、いまだに大艦巨砲を標榜するような物分りの悪い連中は百害あって一利ない。

 それと、戦術や戦略以外には意外に抜け目の無い山本次官は「大和」と「武蔵」、それに「信濃」の三隻の戦艦が進水した後には大型高速化が著しい艦上機に対し将来にわたってそれらが運用可能な大型空母を造ることを海軍上層部に提案していた。

 もし、この提案が受け入れられれば、その建造費は自分が全額拠出すると言って。

 海軍上層部としては本音を言えば空母よりも「大和」型の四番艦や五番艦、あるいは「金剛」型代替艦である超甲巡を建造したかったのだがいかんせん予算が無い。

 山本次官に援助を求めようにも、その彼はすでに「大和」と「武蔵」、それに「信濃」の建造のために多額の資金を提供してくれていたから海軍上層部としてもこれ以上無理も言えなかった。

 それに、金蔓である山本次官に対しては一定の配慮をする必要性を海軍上層部も認めている。

 だから、多少すったもんだはあったものの山本次官の大型空母建造案は認められることになった。



 <メモ>


 「長門」型戦艦(同型艦「陸奥」)

 ・全長二二五メートル、全幅三四・六メートル

 ・三九五〇〇トン

 ・八缶四軸一四四〇〇〇馬力、二九ノット

 ・四一センチ連装砲塔四基八門

 ・一二・七センチ連装高角砲六基一二門、二五ミリ三連装機銃三〇基

 当初は予算の制約から主缶のみを換装するはずだったが、俗に言う「山本マネー」によって主機も換装され、二九ノットという高速を得た。

 これによって「大和」型や「金剛」型とも十分に行動をともにすることが出来る高速戦艦になった。

 また、機関の換装と合わせて副砲を全廃、代りに対空火器を大幅に増備している。

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