戦争準備

第6話 規格

 古賀中将は先日の酒席のことを思い出していた。

 そこで、山本次官と宇垣大佐、その二人が自分と同じ未来の記憶を持つ人間だったことを知った。

 そして、抜群の行動力と未来知識を持つ山本次官ですら今後に起こるであろう戦争を止めることは、すでに不可能だと見切っていることも。


 何もかもが衝撃的だった。

 その酒席から数日後、山本次官と宇垣大佐との間でとりまとめられたという「今後の方針」が記された書類を、宇垣大佐が直々に古賀中将の元に持参してきた。

 もちろん海軍の正式文書ではないが、それでも超が付く機密として扱わなければならない。

 いや、まさに最高機密だ。

 古賀中将はその書類を金庫の奥底にしまう。

 そして、多忙な仕事の合間にも暇を見つけては古賀中将はその書類に目を通す。

 そこには軍備のみでなく政治や経済、それに外交までを網羅した山本次官と宇垣大佐の間で詰められた戦争計画が事細かに記されていた。

 それらに目を通しながら、そう言えばと古賀中将は思い出す。

 海軍が装備するあらゆるものの品質が急激に向上し始めるきっかけとなった、とある規格のことを。

 あれもまた、山本次官が来るべき戦争に備えるための布石だったのだろう。




 話は少しばかり遡る。


 昭和五年末、海軍航空本部技術部長に就任した山本五十六少将(当時)は前年から始まった世界恐慌につけこんで荒稼ぎした「山本マネー」を海軍航空の発展のために惜しみなくつぎ込んでいた。

 航空本部としては母艦航空隊や基地航空隊といった第一線部隊の整備、さらに搭乗員や整備員の養成を行う教育訓練部門や各種学校の充実を図りたかったが、海軍予算の多くは戦艦や重巡洋艦といった俗に言う大艦巨砲に割かれていた。

 当然のことながら、そのような理由から現状のままでは航空隊の充実は極めて厳しい状況だった。

 そもそもとして、当時の航空機関連予算は艦艇のそれの一割にも満たなかったのだ。


 だが、そこへ山本少将が「山本マネー」をどかんとくれたものだから、それ以降の海軍航空の発展はめざましいものがあった。

 また、この時すでに、未来の記憶を持つ者同士として関係を深めていた宇垣中佐(当時)を副官にもらいうけ、山本少将は彼を頭脳兼手足としていいようにこきつかっていた。

 そして、困難なことは十分に承知しつつも海軍機の完全国産化を目指す山本少将は優秀な航空機を獲得するため、つまりは航空産業界を発展させるための布石として同産業界のみならずすべての産業界を網羅する補助金制度をつくった。


 後に言うところのISO規格。


 最初は、航空機の生産をスムーズにするための部品等の共通の基準を決める規格の一つだった。

 世間ではこのISOのことを「integrated」とか「standardization」、それに「organization」の頭文字をとったものだとかいろいろと噂されていたが、実際にはISOというのは「五十六ステキ男前」の頭文字をとったもので、単にゴロがよかったからつけただけのものだった。

 このことについては山本少将は決して口外せず、墓場まで持っていくと誓っている。


 ISOには六つのランクが設けられ、そのランクが上がるごとに補助金も増額される。

 ISO1は海軍が要求する水準以上の品質のものを造ることができる企業あるいは工場に、ISO2はISO1に加えて海軍が定めた量産能力を持つものに付与される。

 ISO3はISO2に加えて安価で価格競争力を持つものに、さらにISO4はISO3に加えて確実に安定供給が保証できるものに与えられる。

 ISO5はISO4の中でも特に優れたものに、ISO6はさらにその究極の企業や工場に与えられる。


 現在の国内の企業や工場では最高でもISO3までだが、それでも補助金に加えて場合によっては工作機械を格安で提供してもらえるから、各企業や工場は必死になってISO規格の取得に励んだ。

 そのことで、これまであまり意識されることのなかった品質管理や工程管理、それに生産効率やコスト意識といった概念が国内の産業界に急速に広まっていった。

 ただ単に熟練職工の腕に頼って高品質なものを造るだけではどう頑張ってもISO1かせいぜいISO2止まりだ。

 生産を効率化して製品単価を下げなければISO3以上を取得することはできない。

 それにISO1やISO2に比べてISO3から上の補助金は段違いに手厚くなる。

 海軍としても高品質で安価なものが手に入るのであれば、補助金を払ってもメリットは大きかったし、それにその原資はもともとは「山本マネー」だから海軍としては懐も痛まない。


 やがて、ISO規格が普及するに伴って、いつしかその規格自体が大きな信用を生むことになる。

 それは、品質にうるさい海軍のお墨付きなのだから、海軍以外の取引先からの信用も得ることになったのだ。

 そのうちに大企業は下請けに部品を造らせる場合も、ISO1かあるいはISO2を取得している工場に優先して発注するようになる。

 物を頼むのであれば、安心安全でトラブルが少ない信頼できる相手に限る。

 ISO規格はそれを担保してくれるのだ。

 それら一連の動きは、ついにはISO取得ブームを巻き起こし、小さな町工場ではISOが無ければ立ち行かなくなるまでになったから、当事者らは必死になってISOの取得に励んだ。


 ISO規格の普及と併せ、産業界の間でも各種素材や加工品の品質や精度、それにネジやビス、ボルトといった細かいものまでもが標準化されるようになる。

 それらはさらなる生産性の向上と、品質の低下を伴わないコストの低減をもたらした。

 さらに、副次効果として化学や電装、それに冶金といったこれまで日本が苦手としていた技術の底上げにもつながっていった。

 そのことで、海軍はもとより陸軍や産業界が得た恩恵は極めて大きかった。

 特に機械力に頼る海軍はそれが顕著であり、さらにこのことは空母カタパルトの実用化や電探の開発促進に大いに寄与することになる。

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