第5話 勝てるの?

 特攻あるいは都市を一発で壊滅させる新型爆弾といった暗い話題で沈滞した空気を吹き飛ばそうと、山本次官が艦艇のほうに話題を変えようとした。

 帝国海軍の建艦については多額の資金を提供している山本次官の意が相当に反映されている。

 ふつうでは考えられないような超大型戦艦や装甲空母がその計画の俎上にあがっているのだ。

 だが、その前に生真面目な古賀中将は山本次官に問うた。

 数年後に起こる世界大戦をどう回避するのか、あるいはどう乗り切るつもりなのかと。

 それに対する山本次官の答えは端的だった。


 「どうにもならん」


 古賀中将は一瞬意味が分からなかった。

 将来の連合艦隊司令長官になる、国の防衛に責任を持つ男の言葉とも思えなかった。


 「ならば逆に聞くが、日本が米国との戦争を回避出来る、あるいは米国に勝てるといったことを古賀さんは本気で信じることができますか」


 表情が険しくなる古賀中将に微苦笑をたたえながら山本次官は静かに問いかける。

 古賀中将は思う。

 かつて、目の前の山本次官は命を賭して三国同盟に反対し、そして米国との戦争に反対した。

 だが、まったくといっていいほどに無力だった。

 日本を戦争に追いやるべく、米国やその陰でうごめく英国やソ連、さらには中国の策謀がはたしてどのようなものであったのかは古賀中将も当事者ではないから詳しくは知らない。

 だが、それでも相当に苛烈なやりとりが外交の世界であったことだけは想像できた。


 それでも日本国内が避戦で一枚岩であれば二度目の臥薪嘗胆によって戦争の回避はあるいは可能だったかもしれない。

 だが、そうではなかった。

 むしろ多くの者が戦争を望んでさえいた。

 新聞は部数増のために戦争を訴え、それに煽られた民衆は米英討つべしと怪気炎をあげる。

 財閥や軍需産業、それに資本家の中にも戦争を望む人間はことのほか多い。

 誰よりも非戦あるいは避戦を望まなければならない軍人でさえ、戦争を己の立身出世の機会ととらえ、それが起こることを望む連中は残念ながら少なからず存在する。

 政治家や官僚の中には米英を打倒してアジアに新しい秩序を構築するのだといった国力をわきまえない、もっと言えば夢と現実の区別のつかない阿呆な輩が掃いて捨てるほどにいる。


 その誰も彼もが日本が負けるということをこれっぽっちも考えていない。

 米国の強大さを実感できていない。

 そのような人間に何を言ったところで無駄だろう。

 時に事実は思い込みに負けるのだ。

 ならば戦争を避けるのではなく米国と戦って勝機を見いだすというのはどうだ。

 だめだ、まったく勝てる気がしない。

 あまりにも国力が違い過ぎる。

 それでも、日露戦争の頃までならあるいは国家指導層の能力如何では国力差を埋めることが出来たかもしれない。

 実際に絶望的な国力差の中で日本は当時のロシアを相手に勝ち逃げすることが出来たのだ。


 だが、今は時代が違う。

 国家総力戦の時代において勝敗を分けるのは工業力であり経済力であり、それはつまりは国力そのものだ。

 科学力においても高度な技能を持つ人材においても、産業の裾野の広さにおいても米国との差はあまりにも大きい。

 それにロシアと違って米国で革命や動乱が起きることはまずあり得ないから諜報活動による揺さぶりもまったく期待できない。

 戦いを避けて相手に屈することも、戦って勝つこともできない。

 それはつまり、詰んだということだ。

 なぜ山本次官が「どうにもならん」と言ったのか今なら理解できる。

 ほんとうにどうにもならないのだ。


 「なあに、心配はいらんよ。戦争は私が責任を持って終わらせる」


 黙り込んでしまった古賀中将に山本次官は静かに語りかける。


 「簡単なことだ。勝てばいい。それだけのことだ」


 古賀中将は山本次官の意外な、そしてその矛盾を含んだ言葉に驚く。

 誰よりも日米の国力差を知悉する男のそれとは思えない。

 だから、古賀中将がその真意を訪ねようとする。

 だが、空気の読めない山本次官はそんな古賀中将の思いなどには気づかずに話を自分の言いたい分野へと捻っていく。


 「実は、本日海軍省に出向いて宇垣の『八雲』艦長の任を解いてもらった。練習艦隊の上官になるはずの古賀さんに何の相談も無しで事を進めたことをお詫びしたい」


 古賀中将は自分を通さずに話を進めた山本次官に含むところは無かったが、なぜそのようなことをしたのか尋ねる。

 その山本次官によれば、単に宇垣大佐を自分の手元に置いておきたいからそのようにしたのだという。

 その話を聞いて、未来の記憶を持ちながらも相変わらずのマイペースを貫く山本次官に古賀中将は少しうんざりしてしまった。

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