第4話 まずい酒

 まずい酒だった。


 「何が昇任祝いだ」


 古賀中将は胸中でこの席を設けた山本次官に対して毒づく。

 こんなまずい酒は飲んだことが無い。

 それほどまでに宇垣大佐が語ったことは衝撃的な内容だった。


 自分が死んだ後、というのは今生きている自分が言うのも変なのだが、その後の日本は散々な目に遭わされていた。

 当時の連合艦隊司令長官であった古賀大将が二式飛行艇で遭難した少し後に生起したマリアナ沖海戦で帝国海軍の第一機動艦隊は米機動部隊との決戦において惨敗を喫する。

 先制攻撃に成功したのにもかかわらず、攻撃隊は多数の迎撃戦闘機によって大損害を被り、ほとんど戦果を挙げることは出来なかった。

 逆に装甲空母「大鳳」や歴戦の「翔鶴」、それに改造空母としては十分な戦力を持つ「飛鷹」の三隻の空母を潜水艦や飛行機によって相次いで沈められた。


 また、同年秋に生起したフィリピンを巡る戦いによって連合艦隊は「武蔵」や「瑞鶴」をはじめとした多数の戦艦や空母、それに巡洋艦や駆逐艦を沈められ、その組織的戦闘能力を喪失したのだという。

 その後もマリアナ諸島を飛び立ったB29によって日本の各都市は空襲に見舞われ、その多くが灰燼に帰した。

 そして、二発の新型爆弾がこちらもB29によって広島と長崎に投下され、大勢の人が一瞬にして死んだ。

 トドメとなったのはソ連の裏切りだった。

 このことで四面楚歌、すでに満身創痍だった日本は連合国に対して無条件降伏のやむなきに至る。

 昭和二〇年八月一五日、眼前の宇垣大佐もまた特攻に出撃、その生涯を閉じたという。


 だが、日本の敗北よりも古賀中将にとってショックだったのは特攻という非人道的な作戦を帝国海軍と帝国陸軍がともに採用したことだ。

 宇垣大佐は当時の空気としては仕方が無かったようなことを言うが、部下を十死零生の作戦に送り出すことなど統率の外道もいいところだ。

 そのうえ、特攻は飛行機や小型潜水艇を使ったものにとどまらず、あろうことか戦艦「大和」までもが大勢の乗組員とともにその目的に供されという。


 胸糞が悪い。

 酒がまずい。

 そんな古賀中将を山本次官は静かに見つめている。

 山本次官自身もショックだったから、古賀中将の胸中にわき起こる黒い嵐が鎮まるのを待っているのだ。

 ややあって、古賀中将は口を開く。


 「ようやく理解しましたよ。この席は私を共犯者に仕立てようというものですね。それで、次官は私にどのような役回りを期待されておられるのですか」


 その瞳に猜疑心の光を宿した古賀中将が端的に問う。


 「共犯者とは人聞きが悪い」


 苦笑する山本次官だったが、彼もまたその目は笑っていない。

 酒席には相応しくない真剣な声音で話を続ける。


 「金は私が出す。智慧は宇垣が出す。そこで古賀さんにはその金と知恵が活かされる役どころを引き受けてもらいたい」


 「交渉役、あるいは説得係ですか」


 「君は頭が切れるので話が早く済むからありがたい。その通りだ。組織というものは畢竟人と金だ。優秀な人材を集めても資金が無ければどうしようもないし、逆に金は有ってもそれを使う人間が愚かであればそれはそれでまったく意味がない。古賀さんも知っていると思うが帝国海軍も役所であり組織だ。最後は人と人との信頼関係で決まる物事も決して少なくない」


 「説得や交渉事であれば論理的で弁の立つ井上君あたりが適任ではありませんか」


 古賀中将の指摘に山本次官は諦観の表情をうかべつつ首を振る。


 「あれは確かに有能な男だが、一方で妙に頑固というか融通が利かないところもある。考えてもみてくれ。あの論理的で科学の信奉者でもある彼が、未来の記憶があるからという理由だけで我々の言葉を信じると思うか?」


 「絶対に幽霊やお化け、それに予言とかいった類を信じないタイプですもんね。まあ、嫌な顔をされて終わるだけのような気がします」


 「そうだろう。つまり我々の中で適任なのは君しかおらんのだよ。意外に思うかもしれんが、私はそれほど人望が無いし宇垣はまだ大佐だから明らかに貫目不足だ。

 一方で君は穏健派で篤実な性格だから上からの受けもいいし敵も少ない。私とともに君が頭を下げて断れる人間なんて海軍にはほとんどいないはずだ」


 古賀中将は山本次官に対し胸中で「意外でも何でもないです」と思ったが、言葉に出さないだけの分別は十分に兼ね備えている。

 その古賀中将はどうしようかと思う。

 眼前の宇垣大佐のように山本次官に振り回されるビジョンしか頭に浮かんでこない。

 だが、それでも話だけは聞いてみるべきだった。

 山本次官と宇垣大佐が数年後に起こるであろう未曾有の大災厄にどう立ち向かっていくつもりなのかを。

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