第3話 世の中「金」
古賀中将が話を聞いたところ、山本次官と宇垣大佐は前世の、あるいは未来の記憶を持つ者同士としてすでに親睦を深めあっているとのことだった。
そんな目の前にいる山本次官と宇垣大佐に対して古賀中将は聞きたいことが山のようにあった。
だが、最初に口をついて出た言葉は自分でも意外に思うほど小さなことだった。
「次官はなぜ私が未来の記憶を持っていると思われたのですか」
山本次官はもっと重大なことを聞かれると思っていたのだろう。
少しばかり拍子抜けしたといった風情だ。
「以前の君は、と言うと少しばかり意味がおかしいか。じゃあ、とりあえず輪廻転生の転生という言葉と前世、それにもうひとつ現世を使おう。つまり転生前の君は主義主張の激しい輩と違い決して表には出さなかったが、それでも紛れもない鉄砲屋だった。
しかし現世では君は明らかな飛行機屋だ。井上のように戦艦はおろか大型水上艦を廃して飛行機を造れと言った過激な物言いこそしていないが、それでも海軍内では明らかな航空主兵派と目されている。それに、君が訝しむような視線をちょくちょく私に向けていたことにもずいぶんと前から気づいていた」
そう言って、山本次官は他愛のない子供のいたずらを見つけた大人のような笑顔を古賀中将に向ける。
「そこまで分かっておられましたか。申し訳ありません。不躾な目で山本さんに不快感を与えてしまったことを謹んでお詫びいたします」
そんな古賀中将に対して山本次官はこんどは微苦笑を浮かべ手を振る。
気にしていないということだ。
「では、山本さんと宇垣君はどうやって?」
気を取り直して古賀中将は質問を続ける。
「宇垣という男は古賀さんと違ってリスペクトという言葉を知らん男でな。直接私に対して無遠慮にも未来の記憶はあるかと尋ねてきたんだ。あの時はびっくりしたよ」
古賀中将が宇垣大佐に目を向けると彼はバツが悪そうに頭をかいた。
「次官が大恐慌の際に金を荒稼ぎしている時からそうではないかと思っておりました。私の記憶の中で次官だけがまったくの異質でしたから」
古賀中将も昭和四年に世界を混乱の渦に叩き込んだ大恐慌での山本次官の大立ち回りともいうべき荒稼ぎのことはよく覚えている。
自分自身もあの時の山本次官の振る舞いを見て彼もまた未来知識、あるいは未来の記憶を持っているのではないかという疑念を抱かせるきっかけとなった事件だからだ。
「いつ聞いても懐かしいねえ。あの頃のことは鮮明に覚えているよ。親類縁者、それに銀行から金を借りまくって種銭をつくったもんだ。もし恐慌が起こっていなければ借りた金を返すことができず、私は責任をとって腹を掻っ捌くか首を括るかのどちらかだっただろうね」
豪快に笑う山本次官だったが、その命をかけた綱渡りのような勝負に挑んだかいはあった。
その時に稼いだ額がすさまじかったからだ。
当時は五〇億とか一〇〇億とか様々な憶測が流れていたが、いずれにせよ日本の国家予算を遥かにしのぐ巨万の富を手にしたことは間違いないはずだ。
実際、今でも米国の政府や経済界の重鎮のなかで山本次官のことを略奪者呼ばわりする者は少なくないし、真偽は分からないが山本次官に出し抜かれて大損害を被った国際金融資本から命を狙われているという噂まである。
その山本次官によると、当時集めた金はすべて信頼できる金融のプロに丸投げだったらしい。
山本次官はただ、いつどこでどのようなことが起こり、さらにおおざっぱな株価や為替の推移を告げたのにすぎなかったのだそうだ。
だが、それだけの情報で金融のプロたちはリスク度外視で最も実入りのいい投資対象に大きなレバレッジをかけて稼ぎまくったという。
山本次官によれば、それらはあらかじめ結果が分かっている勝ち馬の馬券を買うようなもので、当時雇った金融のプロたちはそれこそ雪だるま式にその額を増大させていったらしい。
そして、巨万の富を得た山本次官はその金の一部を国内産業の育成、さらには失業や農作物の不作にあえぐ貧困者のために使った。
横須賀や大分に巨大な船渠を新造し、さらに経済的苦境の著しい東北地方の人たちのために、八戸や石巻に軽巡や駆逐艦なら余裕で建造できるドックを、さらに茨城県の百里をはじめとして海軍の飛行場をいくつも造った。
さらに、地震の多い国土に鑑み、木造建ての学校の校舎を耐震対策の行き届いた鉄筋コンクリートのそれにできるよう資金援助もしている。
それら工事によってもたらされる求人と賃金は、困窮にあえぐ人々、中でも東北地方の人間にとって干天の慈雨に等しかった。
この行いによって山本次官ならびに帝国海軍の評判はうなぎ登りだった。
その帝国海軍もまた、恩恵を受けることにおいては例外では無かった。
軍縮条約の制限を受けないで自由に建艦できる「マル三計画」において通常予算に上積みする形で山本次官は億単位の金を個人的な資金援助という形で拠出したのだ。
そのことで、二隻造られるはずだった六四〇〇〇トンの戦艦はさらに大型化して七八〇〇〇トンとなり、主砲は四六センチ三連装砲塔三基九門だったのが四基一二門に増え、そのうえ一隻追加されて三隻となった。
また、二三五〇〇トンで計画されていた空母は同じく予算増によって三〇〇〇〇トンを大きく超える装甲空母として建造され、こちらも数が二隻から三隻に増加することが極秘裏に決まっている。
他にも海軍の助成で空母への改造が可能な大型貨客船として建造されるはずだった二隻の船も一〇〇パーセント山本次官の出資によって正規空母(周囲にはもちろん貨客船と偽って)として建造が決定している。
改装が進められている戦艦「長門」や「陸奥」もまた、山本次官によって予算が青天井となり、主機と主缶の換装によって二九ノットが発揮できる高速戦艦に生まれ変わるはずだった。
しかも、これらは雇用を創出するために昼夜兼行の三交代で行われる。
つまり、どの艦もいつも以上に早く竣工、あるいは改造が完了するということだ。
これまでのこと、これからのことを脳内メモリーから引っ張り出し、咀嚼している古賀中将の横で山本次官が酒のおかわりを持ってくるよう店の者に言っている。
酒好きの宇垣大佐を慮ってのことだろう。
話は長くなりそうだった。
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