邂逅

第2話 三人

 昭和一一年の暮れ、昇進祝いに一席設けたという海軍次官山本五十六中将の誘いを受けて古賀峯一中将が足を運んだのは海軍御用達の老舗割烹だった。

 密談などで使われるセキュリティの行き届いたそれ。

 つまり、これはめでたい祝いの席などではなく、内々で済ませるべき話があるということだ。

 穏健で良識人という評価とともに頭も切れる古賀中将はそのことを意識し、少しばかり緊張する。


 緊張の理由はもうひとつあった。

 山本次官が自分と同じ類の人間ではないかと思われたからだ。

 その自分たちは互いに中将であり多忙な身だ。

 自由になる時間はさほど多くない。

 それに自分は練習艦隊司令官に着任したばかりだし、山本中将も海軍次官に成りたてだ。

 はっきり言って忙しい。

 不要不急の昇任祝いなど年明けに新年会を兼ねてやればいいはずだし、そもそもとしてわざわざやる必要性を感じない。


 「何かあるのだろう」


 海兵の先輩を待たせるわけにもいかず、ずいぶんと早めに到着したつもりの古賀中将だったが、女将に案内された部屋に入った時点で、山本中将はすでに古賀中将を待ち構えていた。


 「まずは昇進おめでとう。それと来年は練習艦隊を率いて世界半周の旅だな。今日のお礼代わりのおみやげを期待しているよ」


 銚子を差し出しながら山本次官はまずは当たり障りのない話題を切り出す。

 それからも他愛のない世間話が続いた。

 そのことで古賀中将は少しばかり警戒を解く。

 どうやら考え過ぎだったようだ。

 だが、それが油断だった。

 おもむろに山本次官が居住まいを正した。

 そして彼は思いもかけない言葉を吐いた。


 「君は僕の後を受けて連合艦隊司令長官となり、そして昭和一九年の春に殉職した。すべては僕のしでかした不始末が原因だ。まずは心よりお詫び申し上げる」


 深々と頭を下げる山本次官に、虚を突かれた古賀中将は動揺する。

 予感が現実化したことを理解した体が震えているのが分かる。

 だが、それでも海軍将官としての矜持から言葉を絞り出す。


 「や、山本さん、やはり貴方にもあるのですか。その、何というか記憶が・・・・・・」


 古賀中将の言を受け、山本次官は重々しくうなずく。

 だが、瞬時に古賀中将はその矛盾に気づく。

 目の前の山本五十六という男は自分より一年近く前に戦死したはずだ。

 その男がなぜ自分の死に様を知っている?

 あの世から自分のことを見守ってくれていたのか?

 だったら遭難しないように一声掛けてほしかったけど。

 古賀中将がそのことを問うと、山本次官はニヤリと笑って大きく指パッチンした。

 それが合図だったのだろう、となりのふすまから大佐の階級章を付けた男が現れた。

 顔見知りだった。

 来年おこなわれる練習艦隊の遠洋航海に古賀中将とともに参加する「八雲」艦長の宇垣大佐だった。

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