第18話 桜木玲とプロデュース大作戦

 大柄な体躯をもじもじとさせながら、ポッと頬を赤らめてそう訊ねてくるのは、俺と同じクラスで友人の剛昌真人だった。

「何だよ突然、気持ち悪いな」

「まあそう言うなよ。俺ら、友達だろう?」

 言って、真人が肩を組んでくる。その時ほど、俺はぞっとしたことはなかった。

「は、離せよ! なんだかよくわからんが身の危険を感じる!」

「ご、誤解だ! 俺はおまえに乱暴しようって気はねえよ」

「ら、乱暴……! おまえ、やっぱそっち側だったのか……」

 友人の思わぬカミングアウトに愕然とする。

 その手のことには偏見はないつもりだったが、いざ自分が標的となると話は違ってくるものだ。超気持ち悪い。

 お、俺には玲という最愛の人がいるんだ。お、男なんかになびかないぞ、絶対に。

 俺がそんな硬い決意とともに尻に力を込めていると、背後からとんとんと肩が叩かれた。

「なんだ? ……って九条? なんだよ、その顔」

「なんだとは何ですの? というより、あまりこういう場所でそのような行為は感心いたしませんわね」

「なっ……! 違う、これは真人が」

「待て建斗、それは誤解だと言ってるだろう!」

 ざわざわざわ、とにわかに教室中がざわついていた。ああもう、絶対にいらん勘違いをされただろ、これ。

「何でもいいですけれど、あまりハメを外し過ぎると桜木さんが悲しみますわよ?」

「だから違うって言ってるだろ!」

「大丈夫ですわ。わたくしはその手のことには関しては理解のあるほうですし。……ただ、はやり二股や浮気といった類いのことは、女性として許せないんですの。できるなら、止めていただきたいですわ。桜木さんのためにも」

「待て九条、おまえは今大きな勘違いをしているぞ!」

「勘違いなど……愛の前に性別など些細なことですわ」

「くそ、話が通じねえ!」

 何だよ九条、今度は一体どんなゲームにハマってるんだ? バカじゃねえの?

「ああもう! おい真人、おまえからも何か言ってやれ!」

「あっと……えーと、俺は……」

 さっき俺に話しかけてきたみたいにポッと頬を染める真人。

 はあああああああ? 止めろよその反応! 何なんだよ!

「おい真人、一体どうしちまったんだ?」

 何だかいつもの真人じゃないみたいだ。いつもバカだが、ここまでバカじゃない。

 何が……起こっているんだ?

「桜木さんはわたくしにとって親友ですわ。その親友を悲しませるような行動は絶対に許しませんわよ!」

 ビシッと人差し指の先端を俺に差し向けてくる九条。

 ちくしょう、どうしたらいいんだ、俺はああああああああああ!

 俺は心の中で、何度も玲に助けを求めるたのだった。

 

                     ◆

 

 そして昼休み。俺は屋上のいつもの場所で、ぐったりと項垂れていた。

「え、ええと……大丈夫、建斗?」

 玲が心配そうに訊いてくる。もう、おまえだけが俺の癒しだ。

「あ、ああ、大丈夫だ。何も心配はいらない」

「何だかすごく疲れてるみたいに見えるけど……」

「……まあな。今朝ちょっとしたできごとがあって」

「ちょっとしたできごと? 何があったの?」

「何がって……」

 俺は今朝のできごとを思い出して、頭を抱えた。

 言えるわけがない。あんなことがあったなんて、玲には口が裂けても。

「……何でもない。ただちょっとケンカしちまっただけだ」

「ケンカ! だ、誰と?」

「……真人だ。剛昌真人」

「剛昌くん……知ってるよ。建斗のクラスメイトでしょ。ちゃんと話をしたことはないけれど、何回か会ったことはあるよね」

「ああ、そうだ。その真人に妙ことを言われてな。それで少し……な」

「妙なことって?」

「それは……」

 玲の無垢そうな瞳を向けられて、俺は言葉を詰まらせた。

 今朝に起こったことをありのまま伝えるわけにはいかない。かと言ってこのまま黙っていたら、きっと玲には心配をかけてしまうだろう。

 どうしたらいいんだ、俺は。

 俺はぐぬぬ……、と頭の中が茹だるくらい考えた。

 そして、ピンと天啓のごときひらめきが脳裏に浮かぶ。

「そうだ、つまりあれだ。実はあいつ、幼女にしか興味がないって言い出してな。それで俺がそんなのおかしいって言ったんだ」

「幼女……!」

「だよな。玲だってそんなの聞かされたりしたら引くよな」

「剛昌くんとはうまい酒が飲めそうだね!」

 玲がすごいいい顔でぐっと親指を立ててくる。

 俺は内心でえぇ……、と困惑した。

 まさか、こんなことになるとは思ってもみなかった。……いや、よくよく考えたら玲だったらこういう反応を返してきてもおかしくはなかったか。俺のミスだ。

「いや違うだ玲、あいつが言った幼女っていうのはおまえが思っているようなのじゃなくてだな……なんていうか、その……ええと」

「大丈夫だよ、建斗。私は別に誤解なんてしてないから。要するに剛昌くんも私と同じ穴のむじなだったってことでしょう?」

「いや、だからそれが誤解だって言って……」

「それじゃあ早速、明日にでも剛昌くんに話題を振ってみようかな」

「待て待て玲、俺の話を聞いてくれ。あとそれだと、おまえの秘密がバレるぞ?」

「大丈夫だよ、同じオタクどうし、きっと話は通じるから」

 にっこりと笑顔を向けてくる玲。

 ああもう、なんであんなこと言っちまったんだ、俺は。

 ほんの数秒前の自分を殴り飛ばしてやりたい気分に陥り、ずーんとさっきより深く頭を抱える俺。

 そんな俺の心境を知ってか知らずか、玲はどこかうきうきした様子で鼻歌なんて歌っていた。

 たぶん、同じ趣味を持つ者と巡り合えたと思ってるんだろうなぁ……まいった。

 俺は頭を掻きつつ、どうしたものかと考えを巡らせる。

 玲は真人のことを同胞のオタク仲間だと思っている。だけど、俺の知る限りにおいては真人にそっち系の趣味はない。せいぜい、ドラゴンのボールを七つ集める話や海賊王になる話を多少知っている程度だろう。

 そんな奴が、本物のオタクたる玲の話題についていけるはずがない。俺だって、今だに玲のそっち方面の知識の豊富さには驚かされるのだから。

 それに……あいつはいい奴だからな。今朝のことは何かの間違いで、玲のことをうっかり好きになってしまうかもしれない。そうしたら、玲はたぶん真人のことを悪くは思わないだろう。何せいい奴だから、あいつは。

「どうしたの、建斗?」

 玲が心配そうに下から覗き込んでくる。俺は自分の気持ちが知られたような気になって、慌てて玲から顔をそらした。

「な、何でもない!」

 かーっと顔中が熱くなる。そのことを玲に悟られたくなくて、腕全部を使って顔を覆い隠す。

「え? ええ? 本当にどうしたの? 大丈夫?」

「だ、大丈夫だって……つーか玲、おまえあいつと何を話すつもりだよ?」

「何って……そうだなぁ何を話そう」

 妙にわくわくうきうきした様子であごに手を添えて話題を考える玲。

 俺はますます言い出しづらくなって、言葉を詰まらせる。

「え、えーとだな、玲」

「何? どうしたの、建斗?」

「そこまで期待するのは止めておいた方がいいんじゃないか?」

「どうして?」

「どうしてってそりゃあ、真人はおまえほどオタクってわけじゃないかもしれないだろ?」

「大丈夫大丈夫、私って案外他人に合わせられる人なんだよ?」

「……嘘つけ」

 普段からおまえのゲームやアニメの話を聞いている俺にはわかるぞ。おまえは他人に対して気配りのできるような奴じゃあない。特に好きなことに関しては。

「俺がおまえのことを一番理解しているんだ。玲、おまえはそんな奴じゃない」

「むー……建斗って実はいじわるだよね」

 むすーっと、玲が頬を膨らませ、睨みつけてくる。が、全く迫力に欠けていたので、全然怖くなどなかった。

「いじわるで言ってるんじゃない。俺はおまえのためを思って言ってるんだ」

 それに、変に玲から話しかけたりしたらあのバカは妙な勘違いを起こすかもしれないからな。

 また玲が俺の隣からいなくなるなんて嫌だ。だからできることなら他の奴とは関わって欲しくないというのが本音だ。

 けれど、世の中そんなわけにはいかないことも理解している。だから俺は自分の気持ちを抑えて、日々悶々としているんだが。

 玲は……全然わかっていない様子だ。まあわかっていられても困るだけだけれど。

「嫌だ嫌だ嫌だー! せっかく同じ趣味を持つ人を見つけられたのに、なんで我慢しないといけないの!」

「いや、だからあいつはおまえと趣味が一緒ってわけじゃ……」

「ううん、建斗がなんと言おうと、私は剛昌くんに話しかけるよ! そして友達になる。絶対にだよ!」

「……おまえなぁ」

 めらめらめら、と瞳の奥で決意の炎が燃え上がる。それはもう、少年漫画の主人公みたいに豪快に。

 だめだ。こうなってしまっては何を言ったところで無意味だろう。

 俺は溜息をひとつ吐くと、ひらひらと手を振った。

「わかったよ。ただし俺も同伴するからな」

「いいよー、一人で大丈夫だよ」

「だめだ。何が起こるかわからないんだぞ、世の中」

 男は全員狼だ。なんて言うつもりはない。というより、この場合はむしろ玲の方が妖怪じみていると言った方が正答だろう。なぜなら玲が繰り出す話題はおそらく、真人にとって摩訶不思議なことだらけだろうからな。

「むむー、わかったよ。じゃあ一緒に剛昌くんのところに行こう」

「ああ。その前に飯食ってからな」

「わかってるよー」

 玲は一刻も早く真人のところに行きたがっているのは、妙にそわそわしていた。

 おかずを口に運んでもよく噛まないし、何度か取り落としそうになったりもしていた。

 大丈夫かよ?

 俺は何だか不安に駆られる。オタクとか以前に、人として失礼をやらかしそう。

 やはり俺もついて行くと提案したのは正解だったようだ。

 その後、俺と玲は昼飯を平らげ、教室へと戻るのだった。

 

                       ◆

 

 一日の授業を終え、放課後。

 俺は玲と一緒に、真人に呼ばれて人のいなくなった教室に居残っていた。

 玲には先に帰っていいと言ったのだが、一人で帰ってもつまらないから一緒に残ると強情を張られてしまった。

「あれ? なんで桜木まで……?」

「ええと……だめ?」

「ダメじゃないけど、あまり他人に聞かれたくない話なんだけど」

「大丈夫。私、こう見えて口は硬い方だから」

「そう? なら大丈夫……かな?」

 ちらっと、真人が俺を見る。たぶん玲の言ったことが本当かどうか確認したいのだろう。だからといって俺に同意を求められても困るんだが。

「それで? 何なんだよ、話って」

「あ、ああ……そのことなんだが」

 真人は俺から視線を外し、自分の足元を見やった。照れくさそうに頬を掻き、心なしか顔全体が赤らんでいるように見える。

「実は……前々から言おうと思っていたことがあって。おまえに、聞いて欲しいんだ」

「……な、何だよ?」

「実は俺、好きな人がいるんだ!」

 意を決したように拳を握り、声を張ってそう言い放つ真人。

 俺は今朝のことを思い出し、苦い顔をした。

「ま、待て建斗。何だその顔は。それになんで後ろに下がる?」

「いや……なんとなく、な。身の危険を感じたというか」

「身の危険? なんだそりゃ?」

「いや、わからないならいいんだ」

 俺はいつまでもずっと、真人の友達だ。だからといってこいつの愛を受け入れるかどうかは別の問題だけど。

「ま、おまえの恋は実らないから安心しろ」

「は? 何だっておまえにそんなこと言われなきゃいけないんだ」

「……だって、俺には玲がいるし」

 苛立ったように眉間に皺を寄せる真人に、俺はそう返した。

 すると、真人はぽかんとした様子で口を開け、俺の言葉が理解できなかったようだった。

「何言ってんだ、おまえ? ここまでの話の流れでどうしておまえと桜木の話になるんだ?」

「は? だっておまえの好きな人ってのはつまり……」

 んん? 何だ? どうしたことだ?

 真人はかなり怪訝そうな顔をしていた。が、俺だって似たような表情をしていることだろう。

 たぶん、俺たちの意見は食い違っている。それくらいなら、頭の悪い俺にだってわかるというものだ。

「ええと……それで誰なんだよ、おまえの好きな人って?」

「あ、ああ……それはな」

 訊いた途端にもじもじしだす真人。ま、まさかお前だ、なんて言わないよな?

 この感じだと違うみたいだし、大丈夫だとは思うが。

「く、九条……だよ」

「九条? 何だってあんな奴……」

「九条さんが好きなの!」

 好きなんだ? と言いかけた俺を押し退けて、玲が前に出る。

 ど、どうしたんだ突然。そんな大声出して。

「詳しく。詳しく聞かせて」

「さ、桜木? ……ええと、まあ落ち着いてくれ」

「そうだぞ玲。真人が困ってる」

 興味深々といった様子で真人に詰め寄る玲。そんな玲を俺がなだめる姿がそんなに意外だったのか、真人は驚いたように目を丸くしていた。

「別に俺は九条と付き合いたいとか、そんなことを思ってるわけじゃねえんだ。ただ、ちょっとだけ仲よくなれたらいいなぁーと……そう思ってるだけで」

「思ってるだけじゃどうにもならないよ!」

 玲が真人に詰め寄り、がっしと手を奴の手を握る。そのことに、俺は多少むっとした。

 が、真人の困惑気味な視線を受けて、すぐにそのむかつきはなりをひそめる。

 よほど玲の態度が予想外だったのだろう。目の奥を白黒させ、真人は俺に助けを求めるように口をぱくぱくさせている。

 仕方がないな。

「玲、そのへんにしておいてやってくれないか? 真人が困ってる」

「え? ああ、ごめん剛昌くん! 私……」

「別に俺はいいんだけど。ええと、それで何の話だったか」

 真人はがしがしと頭を掻く。と、要件を思い出したのか、パッと目を丸くする。

「そうだ、俺は建斗に相談があって……」

「九条のことだろ?」

「え? ……ああ、そうだ、が」

「それで? おまえは俺にどんな相談があるってんだ?」

「その……おまえ九条と仲いいし、どうにか取り持ってもらえないかと思って」

「仲がいいのは俺じゃないんだが……」

 しかしそんなことをこいつに言ったところでどうしようもない。玲の秘密が露出する危険もあるし、ここは俺が九条と仲がいいということにしておいたほうが何かといいだろうな。

「それで、おまえは一体俺たちに何をして欲しいんだ?」

「あ、ああ……そのことなんだが」

「何々? 何をすればいいの?」

 玲がすごくノリノリなのが若干気にかかるところだが、今はそっとしておこう。

 何か余計なことをするようなら、その時に止めればいいからな。

 俺はちらっと玲を見やり、それから真人へと視線を戻した。

「……で、デート……できたらいいなって思ってるんだ。ど、どうにか取り計らってもらえないか?」

「は? そんなの自分で誘えよ。バカか?」

「いや、自分でもわかってるんだ。他人に頼むようなことじゃないってのは」

「だったら……」

「け、けどよ、わかるだろ? 好きな人を……九条を前にしたらどうにもどもっちまって、うまく言葉にできないんだ」

「わかる。すごくわかるよ、その気持ち」

 うんうん、と玲が頷いている。……わかるのか? 俺にはさっぱりだが。

「好きな人を前にすると緊張するもんね!」

「その通りなんだ、桜木。……俺、もうどうしたらいいかわからなくてよ」

「私もそうだったよ。けど大丈夫。ちゃんと正面から伝えれば、気持ちは伝わるから」

「本当か?」

「私が言うんだから本当だよ。保証する」

 ぐっと親指を立てる玲。真人は心から感激したのか、顔中に笑顔を浮かべ、玲の手を握る。

「ありがとう、桜木! 俺、頑張るから!」

「うん、応援してる。ちゃんと九条さんとデートできるよう、やってみるから」

「ああ、ああ! 感謝するぜ!」

「……それで? 具体的にはどこへ行くとかってのは考えてんのか?」

 つかいつまで握ってんだよ。

 俺は玲と真人の間に割って入り、二人の距離を引き離す。

 何だろう……超腹立つな、今日の真人。

「うっ……それが、どこへ行けばいいのか全くわからないんだ。九条って金持ちだから、ちょっとやそっとの場所じゃあ喜んでくれないだろうし」

「……ま、そうだろうな」

 何せ孤島に行ったり宇宙に行ったりクルーザー一つ貸し切って変なゲームを仕掛けてくるくらいだ。多少値の張る店に行ったくらいじゃ何ともないだろう。

 ゲームショップに連れて行ったりなんかしたらきっと喜ぶだろうけど。でもあいつだってオタバレは避けたいはずだから目に見えて喜んだりはしないだろうな。

「じゃあプランを考えようよ」

「だ、だな……一体どんなデートにしたらいいんだろうか」

「大切なのは、相手を楽しませたいっていう気持ちだからね」

「そ、そうだな……楽しませたいっていう気持ち、大事だよな」

「そうだよ、頑張って!」

 ぐっと玲が拳を握る。……なんでおまえがそんなに乗り気なんだ?

 俺は玲の妙なやる気に圧倒されていた。そしてそれは真人も同様だったらしく、困惑した様子で俺の方を見てくる。

「……なあ建斗」

「何だよ?」

「桜木ってさ、イメージと違うよな」

「ま、そうだな。俺も最初はそう思った」

 俺たちの会話を横で聞きつつ、玲が首を傾げる。

 たぶん、何を言われているのか理解していないんだろう。頭はすごくいいくせに、妙なところで間の抜けた奴だから。

 

                         ◆

 

 そして放課後。俺は帰り支度を済ませると、鞄を肩にかけて九条のところへと向かった。

「なあ……一緒に帰らねえか?」

「?? どうされまして? 桜木さんと一緒に帰られるのでは?」

「あーと……実は今日、玲の奴用事があるらしくて、先に帰るって言ってたんだ」

「そうなんですの。それは残念ですわ。お話したいこともたくさんありましたのに」

 そう言って、九条がはあと溜息を吐く。

「ま、そんなわけなんだ。いいだろ?」

「まあ構いませんわ。けどんなんだか、わたくしは桜木さんのかわりみたいですわね」

「ちょ、おまっ……止めろよ、そういうこと言うの」

 九条の今の発言を聞いてか、クラス中がひそひそと小声で話出す声で満たされる。

 つーか真人、てめえまで何やってんだ。誰のためにこんなことをしていると思ってんだ。

 俺はぎろりと真人に睨みつけた。すると、真人は俺から視線を外し、下手くそな口笛を吹き始める。

「では、帰りましょうか」

「あ、ああ……」

 何だか釈然としないまま、九条のあとに続いて教室を出る。

 階段を降り、昇降口へと向かう。その途中、ちらと背後を振り返った。

 玲と真人が揃って俺たちんぼあとを尾けていた。玲に至っては俺に対してぐっと親指を立てている始末だ。

 あーはいはい、わかってますよ。

「はあ……全くなんで俺が」

「はい? 何か言いまして?」

「いや、何でもねえよ」

「そう……ですか。では行きましょうか」

「ああ、そうだな」

 背後にいる二人を意識しつつ、俺は九条とともに帰路についた。

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………あの」

「……何だよ?」

「どうしてずっと黙っているのでしょうか?」

「どうしてって……まあ」

 玲が間にいない今、正直に言って九条と何を話していいかわからない。俺と九条の間に共通の話題なんてないに等しいからな。

「いや……何つーか、どうだ、最近は」

「……なんなんですか、その話題のチョイスは」

「いやだって、他に思いつかなくてよ」

「どう、と言われましても。まあ普通ですわ」

「そうか、普通か」

「ええ、普通ですわ」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 そして再び、沈黙が去来する。

 だって仕方がないだろう。玲と九条はそりゃあ友達だよ。そして俺は玲の彼氏だよ。だからこそ俺たちは一緒にいる時間がそれなりに長くなるが、それはあくまで玲が間にいたらというのが前提にあって、何の脈絡もなくこんなふうに九条と二人きりにされたところで一体何をどうしたらいいのか、さっぱりわからねえよ。

 ちらっと、背後を振り返る。と、はやり玲と真人があとを尾けていた。

 だからちょっと、視線だけでSOSを送ってみる。

 た、す、け、て、く、れ。……と。

 すると、返ってきたのは無慈悲な首を横に振る動きだけ。何だよ、ちくしょう。助けてくれないのかよ。

「ええと、ところで一つお聞きしますわ」

「な、何だよ……」

 一人絶望に打ちひしがれていたところへ声をかけられて、びくっと肩を震わせる。

「別にそこまで警戒しなくてもいいですわ。変なこととか聞かないつもりですし」

「変なこと……」

 もわもわもわ、と頭の中に変なことが浮かび上がる。

 いやいやいや、俺と玲はそんなふしだらな関係じゃない。

 そりゃあいつかはと考えてはいるが、今は今で楽しいし、急ぐ必要はないだろう。

 俺は頭を左右に振って、脳内に現れた変なことのイメージを吹き飛ばす。

 と、俺が勝手に妙な行動を取っていたからだろう。九条がむっとした様子で俺を睨みつけてくる。全然怖くねえけど。

「聞いていますの?」

「ああ、悪い。それで、何なんだ?」

「……ええと、実はわたくし、今気になっている殿方がおりまして」

「え? ……ああ、そうなんだ」

 何だろう、びっくりした。

 俺は内心の動揺を悟られないように必死で平成を装う。が、どれだけうまくいっているかはわからない。もしかしたらバレバレかもしれない。

「えっと、それで一体どんな奴なんだ? おまえの気になっている人っていうのは」

「ひ、秘密に……してくださいますか?」

「当たり前だろ。おまえの嫌がるようなことはしないって」

 そんなことをしたら、きっと玲に嫌われちまうだろうしな。

「そ、そうですか……では」

「お、おう」

 九条は顔を赤らめ、もじもじする。なんだか、こっちまで緊張してくるな、この状況。

「セルディウムという騎士様なのですけれど」

「……ああ、そ」

「むむっ。何ですの、その顔は! わたくしのことをバカにしていますでしょう!」

「ああいや、何つーかよくも悪くもいつも通りの九条だなーと思って」

「どういう意味ですか! 腹立たしいですわ!」

 むきーっと、九条が怒り狂って何度も肩パンを喰らわせてくる。けど、普段ゲーム機のコントローラー以上に重い物を持たない九条の腕力では、大して痛くもなかった。

 つーかおまえ、俺がそれ言われてどんな反応したらいいんだよ? 玲なら適切な反応を返すこともできるだろうが、俺には無理だぞ。

「というか、大丈夫なのかよおまえ、こんなところでそんなこと言って」

「なぜですの? 今はあなた以外には誰も聞いていないではないですか」

「ん……まあおまえがいいんだったらいいんだけどよ」

「はい、だから話を聞いてください。こんな時しか、この話はできませんから」

「何言ってんだ? 玲とはいつも話してるだろ?」

「ははは、まあ……そうですわね」

 九条の口から、乾いた笑い声が漏れる。

 俺はそのことに違和感を感じて、まゆを潜めた。

「……えっと、どうしたんだ? 玲とはそんな話、しないのか?」

「いえいえ、好きなキャラクターについての話ならいくらでもしますよ。ただ……」

「ただ?」

「……いいえ、何でもないですわ」

 タタタッと九条が小走りに前へといく。その後ろ姿を眺めつつ、二人が好きなことについて話をしているシーンを脳裏に思い描く。

 思わずふっと、口元が緩んでしまうかのような、そんな一場面だった。

「おまえらは仲がいいからな。きっと延々と話してられるんだろうな」

「そうですわね。……ええ、その通りですわ」

「……ああ、そうだな」

 傾いた夕日のせいだろうか。振り返った九条の表情はどことなくうつろで、まるでここではないどこか別な場所を見ているかのようだった。

 それこそ、自分の今の状況を嘆いているかのような。

 けど、たぶんそんなことは訊かないほうがいいんだろう。なぜなら九条はそんなことを訊いてほしいと思ってはいないだろうから。

 そして、なんとなくだが、訊いてはいけない気がした。そうしたら、決定的な何かが壊れてしまうと。そう……直感したから。

「それでは、このあたりで結構ですわ」

「もういいのか? 話くらいなら、どれだけでも聞くぞ?」

「いいえ、いいのです。わたくしの騎士様のお話はまたの機会に」

「むっ……そうか。わかった。じゃあ気をつけて帰れよ」

「わたくしには身辺警護の者がおりますのよ。……あなたこそ、お気をつけて」

「ああ……わかったよ」

 九条と手を振り合い、別れる。

 路地の角を曲がり、ちらりと背後を確認。九条の姿が見えなくなってのを確かめてから、スマホを取り出した。

 玲へとコールする。コール音が成り終わらない内に、即効で玲が電話に出た。

「玲か。見てたとは思うが今ちょうど九条と分かれてな」

 それから、ことの経緯を簡潔に話した。

 あ、そういえば真人からの頼まれごと、すっかり忘れていた。

 

                      ◆

 

 翌日の早朝。休日だというのに呼び出されて来てみれば、玲だけではなく真人まで俺を待っていた。

「……急に呼び出して何のようなんだ?」

 昨日は玲に借りたゲームを遅くまでやっていたから眠いんだが。

「えと……昨日のこと、改めて教えてくれないか?」

「はあ? 玲に全部話したし、聞いただろ、おまえも」

「それは……そうなんだが、やはりおまえの口から直接聞きたくてな」

「気持ち悪い奴だな。……眠いんだよ、俺は」

「そんなこと言わないで、建斗。剛昌くんのためだから」

「玲……なんでおまえはそんなに乗り気なんだよ」

 デートの約束もない休日の朝っぱらから外にいるなんて普段の玲からは考えられないことだ。こいつの原動力は一体なんなんだ?

「だって……こんなのまるでエロゲーかエロアニメみ「わーわーわー!」

「おおう! どうしたんだ建斗、いきなり大声出して」

「な、何でもねえよ、何でも」

「そうか? ならいいんだけど。ところで桜木、今なにか言った?」

「何も言ってねえよ、なあ玲!」

「だからエロ……」

「昨日の話だったな、昨日の!」

「お、おう……よろしく頼むよ」

 ガッと俺は真人の両肩を掴んで顔を引き寄せる。当然真人は困惑……というかだいぶ気味悪がっていたけど、そんなことより気にするべき店は他にある。

「ああ、話してやるとも。一言一句残らず余さず漏らさずな! だがその前に、ちょっと待ってくれ」

「わ、わかったよ、建斗」

「玲、ちょっちこっち来い」

「どうしたの、建斗?」

 俺は真人から距離を取ると、ちょいちょいと玲を呼び寄せた。

 玲はどこか楽しげにちょろちょろと、俺の下へとやってくる。

 そうしたところで、ガッと今度は玲の頭頂部にアイアンクローを見舞ってやった。

「いだだだだだだだだ! 痛いよ建斗!」

「どういうつもりだ? おまえ、オタバレは嫌だったんじゃなかったのか?」

「そ、そうだけどあだだだ……ちょ、手ぇ話して」

 玲がひどく喋りにくそうだったので、頭頂部から手を離す。と、玲は涙目になりつつ、ぶすっと頬をふくらませて明らかに不機嫌そうな顔で理由をのたまった。

「だって、昨日九条さんと一緒にお話してて楽しそうだったから」

「楽しそうだったって……おまえがやれって言ったんだろ」

「それはそうだけど……なんとなく面白くなかったというか。九条さんにも建斗にもそんなつもりはないってわかってたんだけど、どうしても胸の奥がもやもやしちゃって。ちょっと意地悪なことしてみたくなっちゃったというか……」

「なんだそりゃ……」

 わけがわからん。自分からけしかけておいて何言ってんだ、玲。

「まあいいや。それで、どうするんだ?」

「どうするって?」

「決まってる。二人のことだよ」

「当然、このまま剛昌くんを応援するよ。建斗だってそうだよね?」

「ああ、まあそれはいいんだが……九条の奴、好きな男がいるって言ってたぞ?」

「へ? 何それ聞いてない」

「ふうん……ま、言ってないからな」

 玲のぽかんとした顔を見るに、本当にその手の話はしていなかったみたいだ。

 まあ好きな奴って言っても乙女ゲーの騎士様なんだけどな。そのことは黙っていよう。口止めされてるし。

「そ、それってどんな人? というか、なんで建斗がそのこと知ってるの?」

「昨日、一緒に帰ってる時に相談されたんだ。好きな人とがいるって」

「嘘……全然知らなかった」

「ま、あいつは俺たちとはそもそも住む世界が違うからな」

「うん……本物のお嬢様、だからね」

 目に見えてしゅんとなる玲。俺の言葉を真に受けて肩を落としている姿は、すげー可愛く見えた。なんだろ、俺ってそっち系の趣味もあったのかな?

「そんなわけで、まああいつの望みは薄いな」

「……そうなの、かなぁ」

 玲が本気で悲しそうにしている。困ってる顔や怒っている顔は正直見ていて可愛いから好きなんだが、今にも泣きそうになられると俺としても気分が悪い。

 なんとか、元気になってもらいたいものだ。そのためには、真人にうまくいってもらう必要があるだろう。

 せめて、普通に友達として接することが可能なレベルにまでは引き上げないと。

「……とはいえ、全く望みがないってわけでもないだろうし、なんとかなるだろ」

「うん……もしかしたら九条さんも心変わりがあるかもしれないからね」

「……だな」

 本当にそうだといいが……ま、相手は乙女ゲーのキャラだし、大丈夫だろ。

「ところでよ、玲。ちょっと聞きたいんだが」

「え? 何、建斗?」

「いや……大したことはないんだけど、おまえって」

「うん?」

 う、うーん……これは訊いちゃってもいいパターンなんだろうか。もしこれで俺の考えてるような答えが返ってきたらと思うと、超怖い。

「おまえら、いつまでこそこそしているんだよ?」

「あ、剛昌くんが呼んでるよ。行こう」

「そ、そうだな……」

 ちょっと離れた場所で、真人が俺たちを呼んでいた。

「話、またあとででいい?」

「ああ、問題ねえよ」

 さすがにこれ以上真人を待たせるのは気が引ける。

 俺たちは真人のところへと戻ることにした。つーか今俺が言いかけたこと、忘れてくれてるとありがたいんだけどな。

「何話してたんだよ、おまえら」

「何でもねえよ、真人には関係ねえことだから」

「ちえ、何だよそれ」

「ふふ、ごめんね、剛昌くん」

 真人が不満そうに唇を尖らせる。男のそんな顔見せられて、一体誰得なんだか。

「んで、何だっけ? 帰っていいんだっけ?」

「ちげーよ、昨日のことを話してくれって言ってんだ」

「あー、そうだったな。……つってもそんな大した話はしてないんだがな」

「いいんだよ、ちょっとしたことで」

「ちょっとしたことって言われてもな」

「例えば……そう、九条が好きな言葉とか」

「何だよ言葉って……詩でも送るつもりか? キモイな」

「キモイ言うな! ……傷つくだろ」

「いやだって……ねえ?」

「は、ははは……」

 玲に同意を求めるも、玲は乾いた笑いを漏らすだけで俺の言葉に賛同はしてくれなかった。まあ別にいいんだけど。

「んで、どうだったんだよ?」

「どうだったとは?」

「だから、九条の反応だよ。俺のことどう思ってるとか、色々訊いてくれたんだろ?」

「あー、うん、そのことなんだけどな」

 ま、てきとーにぼかしつつ話せばいいか。

 俺は九条が今恋しているというなんとかって名前の騎士様の話はぼかしつつ、昨日の出来事をを話して聞かせた。

 すると、真人はわなわなと全身を震わせ始める。

「な、なんだってー! 九条に……好きな奴が」

 ガーンッと背後に擬音が浮かんで見えるようだ。

 俺はなんとなくいたたまれない気分になって、真人から視線を逸らしつつ、ぽりぽりと頬を掻いた。

「ま、そう気を落とすな。まだ付き合ってるわけじゃないんだからチャンスはあるだろ?」

「はっ! そうか、そうだな!」

「急に元気になってんじゃねえよ」

「で、でも……好きな人がいるなら俺に希望なんて……」

「勝手に元気になって勝手に落ち込んでんじゃねえよ。まだわからねえだろ」

 なにせ相手はゲームの中のキャラなんだから。

 俺は真人の肩にポンと手を置き、慰める。真人は瞳を潤ませて、小さく何度か頷いた。

「ああ、ああ! そうだな、その通りだぜ!」

 バッと顔を上げ、うおおおお、と雄叫びを上げる真人。止めろ、一緒にいる俺たちまで恥ずかしいだろうが。

「建斗、桜木! 見ててくれ、俺は九条のこと、絶対に振り向かせてみせるから!」

「うん、頑張って」

「ま、応援はしといてやる」

「うおおお、待ってろよー、九条ーッ!」

「……なあ玲」

「どうしたの、建斗?」

「俺たち、もう帰ろうぜ」

「……うん、そうだね」

 困ったような笑みを浮かべる玲の手を取り、俺はくるりと真人へと背を向ける。

 一応、帰るという旨は伝えたのだが、興奮していたのか、ずっと雄叫びを上げていた真人には聞こえなかった様子だった。

 はー、やれやれ。これでうまくいくのだろうか。心配だ。

 

                        ◆

 

 帰り道で、ばったりと九条と出会した。

「あらあら? お二人でデートですの?」

「あー……まあうん、そんなところだよ。九条さんは?」

「わたくしは買い物ですわ。ちょうど新作が出ましたので」

「新作? ……ってあー! それって!」

「ええ、その通りですわ」

 そう言って、九条が得意げに取り出したのはゲームのパッケージだった。

 やたらと格好いいドラゴンらしき生物の描かれた異世界ファンタジー物だ。

「わ、私まだ買ってないのに……!」

「ふふん、桜木さんともあろうお方が、出遅れましたわね」

「く、悔しい……でも」

 玲が本気で悔しがっている。やっぱ、どれだけ一緒にいようとこの部分は理解しずらいところがある。

 ま、俺と玲は全く違う人間だから、そういう部分があったとしても不思議はないんだがな。

「つかおまえ、一人か?」

「まさか。お父様がわたくしを一人で出歩かせるわけがありませんわ」

「へ? でも見るからに一人じゃねえか?」

「少し離れた場所に、燕や新井さんがいましてよ」

「……おおう」

 ええと、一体どこにいるんだ?

 俺は九条の後ろを見回してみたが、それらしい人影は見当たらなかった。

 本当に、忍者みてえな人たちだな。

「……ところでお二人とも」

「な、なんだよ?」

「デート、というにはいささか軽装ではありませんか? 格好もなんだか地味といいますか。もうちょっとおしゃれに気を使った方が桜木さんもお喜びになるでしょうに」

「う、うるせえな、おまえには関係ねえだろうが」

「ええ、まあ……関係はないのですが」

「大丈夫だよ、九条さん。建斗はどんな格好でも格好いいから」

「おい玲、何を……」

「あらあら、ごちそうさまですわ」

 九条が口元を隠し、くすくすと笑う。

 俺はかーっと全身が熱くなるのを感じた。くそ、恥ずかしいな。

「ではお邪魔しても申し訳ありませんし、わたくしはこのへんで退散いたしますわ。早く帰ってPCにこのゲームをインストールしなくてはなりませんし」

「私も近い内に絶対買うから、一緒にオンラインプレイしようね」

「ええ、ぜひ」

 ゲームで遊ぶ約束を交わして、俺と玲は九条と別れた。

 そうしてから五分くらいだろうか。突然玲が「あっ」と声を上げる。

「忘れてた」

「ど、どうしたんだ、玲!」

「さっき九条さんに剛昌くんのこと聞いておけばよかった」

「あー、まあ別に急ぎのようじゃねえんだし、また今度で大丈夫だろ」

「だ、大丈夫かな?」

「……だったら追いかけるか?」

「そう……だね」

 バッと俺は背後を振り返った。

 が、九条の姿は既に人ごみに紛れて見えなくなってしまっていた。

 ここから九条を追いかけるのは至難の業だろう。

「あっと……だめだな、こりゃ」

「だ、だね……仕方がないから今日のところは」

「帰るか?」

「せっかくだし、ちょっと遊んでいこうよ」

「……ま、そうくると思ってたけど」

「ええと……嫌?」

「全然。むしろ俺だって同じように思っていたからな。せっかっくだし玲と一緒に遊んでから帰りたいって」

「ほんと? やった」

 玲は嬉しそうに手を合わせ、微笑んだ。

 ああもう、なんて天使なんだ、玲。

 やっぱ、俺の彼女は最高にかわいいぜ。

「どうしたの、建斗? そんなににやにやしちゃって」

「な、何でもねえよ」

 玲に指摘されて、俺は慌てて顔を隠した。

 やべー、気持ち悪い奴とか思われたらどうしよう。

 いまさらながら、そんな不安が頭を過ぎる。

 もっとクールにしておかないと。

「さてと、特に予定とか決めてなかったけど、どこ行く?」

「私から言っておいてなんだけど、ゲームショップ行っていい?」

「さっきの九条が持ってたゲーム買いに行くのか?」

「う、うん……いい?」

「ああ、全然いいぜ。じゃあまずそこへ行こう」

「ありがとう」

 最初の目的地を定め、俺たちはそっちへと向かって歩き出す。

「ところでよ、玲」

「何、建斗? どうしたの?」

「ああ、いや……大したことじゃねえんだけどよ」

「? なら早く言ってよ」

「あー……何つーか、なんと言ったらいいかわからねえんだが」

 昨日、おまえと真人は何の話をしていたんだ? なんて聞いたら、玲はどんな顔をするだろうか。

 嫌な顔をするだろうか。それとも困った顔? 迷惑そうに眉をつり上げて、蔑んだ目で俺を見てくるだろうか。

 それは……かなり堪えるな。

 いくら頼まれたこととはいえ、俺は九条と一緒に帰った。そのことは玲も了解していたことだったし、逆もまたしかりだ。

 だから、俺がこの件に関してとやかく言える義理なんてないのだろうけど。

 でも……それでも俺はなんだか面白くなくて、子供みたいにふてくされてしまう。

「いや……何でもねえよ。何でも」

「ええ……どうしたの、建斗? なんで怒ってるの?」

「別に怒ってねえよ……」

「怒ってるよ。どーうーしーたーのー?」

 玲が俺の目の前に回って来て、頬をぷにぷにしてくる。

 俺はされるがまま、玲のあれこれを甘んじて受け入れていた。

「……たださ」

「うん?」

 少しの間黙り込んだ俺が、やっとのことで口を開くと、玲は俺の頬を弄ぶ手を止めて俺の顔を覗き込んでくる。

 俺、今どんな顔しているんだろ。すげー恥ずかしいな。

 自分ではどんな表情をしているのかわからないが、たぶんカッコ悪い顔だ。

 そんな自分の表情を見られたくなくて、俺は玲に背中を向ける。

「どうしたの、建斗」

「いや、何つーか」

 今日だけで、何度聞いたかわからない、玲の俺を呼ぶ声。

 優しくて、透き通っていて、まず間違いなく俺が世界で一番好きな声音だ。

「玲が……さ、建斗とどんな話をしてたんだろうなーって思っただけだ」

「……ええと、それってもしかして」

 玲の声に、どことなく喜色ばんだ色合いが乗ったのがわかった。

 それとは対照的に俺は全身を濁流のような熱の塊が巡っていく感覚に身悶えしたくなる。

「嫉妬?」

「あああああああああああああああっ!」

「え、ええ! 建斗が、私に嫉妬してた!」

「はっきり言うんじゃねえよ、考えないようにしてたのに!」

 俺は思わずうずくまり、頭を抱える。

「ほんとに? ええ……」

「ああわかってるさ、こんな奴面倒くせえって。だけどしょうがねえだろ、自分じゃどうしようもねえんだからよ!」

「ううん、そんなことないよ。それよりもむしろ、私は嬉しかったよ」

「嬉しかった? 何を言って……」

「だって、それって建斗が私のことを好きだっていう証でしょ? 私と剛昌くんが仲よくお話しているだけで嫉妬しちゃうくらいに」

「ちがっ……俺はそんな面倒臭い奴じゃねえ」

 俺は思わず立ち上がって、抗議の声を上げる。

 と、玲はつま先立ちになり、そっと俺の頭に手を置いてきた。

「大丈夫だよ。それくらいで格好悪いだなんて思わないよ? 全然格好悪くなんかないよ。だって、建斗は私のことが好きなんでしょ?」

「うっ……まあそうだけど」

「私も。私も建斗のこと、大好きだよ」

 ニッと、白い歯を覗かせて笑う玲。

 本当は立場とか、役目とか。そういうの全部逆なんだろうけど。

 それでも、今は頭に置かれた玲の手を振り解くことはできなかった。

 なんだか、すごく心地よかったから。

「それじゃ、帰ろ。それで、剛昌くんたちのこと考えよ?」

「……ああ、そうだな」

 玲が俺の頭から手を退かす。それから、俺の手を握ってくる。

 ぎゅーっと、力強く。だから俺も、握り返した。

 お互いの手の平のぬくもりが感じれて、すごく安心するし、心臓が高鳴る。

 それでもう一度確信するんだ。好きな人と一緒に過ごす時間は、幸せな時間なんだと。

 

                        ◆

 

「……なあ、建斗」

「なんだよ……つーか帰れよ、おまえ」

 玲と満ち足りた時を過ごした帰り道から一夜明けて。

 俺は真人の話を聞きつつ、うんざりとした気持ちで肩を落とした。

「なんだってそんな顔するんだ。俺たち親友だろ?」

「誰が親友だ。第一、おまえとは高校からの浅い付き合いだろ」

「そんなさみしいこと言うなよ。それより聞いてくれよ、俺の話を」

「聞いてるだろさっきから。一体何度同じ話をすれば気が済むんだ、おまえは」

「だってよ……だってよ」

 真人は半分泣きそうになりながら、言葉を続ける。

 どうやら俺と玲が九条と別れたまさにあのあと、真人と九条がばったりと出くわしてしまったらしい。そこで真人は、驚くべき行動を取っていた。

「俺、言ったんだ。なんて言ったと思う?」

「何度も聞いただろ、その話は」

「そうだよ、俺はこう言ったんだ。『今度の休日、俺とデートしてください』って」

「ああ、そう言ってたな。おまえが。OKだったんだろ?」

「そうだ。……俺、夢のようで……おまえと桜木のお陰だよ」

「そうかよ。わかったからそんなに近づくな」

 俺はそのままキスでもしそうな勢いで顔を近づけてくる真人を引き剥がしながら、このバカから距離を取る。

「それで、おまえは俺にデートプランについて相談しに来たんだろ?」

「その通りだ。……勢いで誘ったはいいものの、一体何をどうしたらいいのか、全くわからないんだ。誰かと付き合ったことなんて皆無だし」

「俺だって玲と付き合うまでは万年ぼっちだったさ」

「でも桜木と付き合っただろ? そして俺の読みではおまえらは既に一夜を……」

「待てそれ以上言ったらぶん殴るぞ、まじで」

「じ、冗談だって……だからそんな怖い顔するなよ」

「冗談でも言っていいことと悪いことがあるだろ?」

「あ、ああ……悪かった」

 真人が素直に謝ってきたので、ここは許してやることにした。

 それよりデートプランだ。

「デートの約束は今週末。あまり日はないな」

「そうなんだ。もう俺、焦っちまって」

「うーん……つってもなあ。俺もそのへん詳しいわけじゃねえし」

 どうしたものか、と俺は真人が男二人、顔を付き合わせて唸る。

 と、うんうん唸っていると、バンッと勢いよく屋上の扉が開いた。

「話は大体聞かせてもらったよ!」

「さ、桜木……!」

「玲……盗み聞きはよくないぞ」

「そんなつもりはなかったんだけどね。昼休みになってすぐに剛昌くんが建斗を連れて行くのが見えたから」

「わ、悪い。二人でランチの約束でもしてたのか?」

「ああその通りだ。だからおまえは……」

「大丈夫。私たちは剛昌くんの味方だよ!」

「本当か、桜木」

「本当だよ」

 ふんすっと鼻息を荒くする玲。

 何だろう、普段実しやかに囁かれているような、深層の令嬢っぽい雰囲気は今はない。

 が、真人は真人で本当に心の余裕がないのだろう。玲のそうした姿に違和感はなどは全く抱いていないようだった。

「ありがとう、桜木。一生恩に着るから」

「うんうん、いいよいいよ。一生恩に着て」

「勝手にしてくれて構わないが、手を握るのはなしだ」

 真人が桜木の手を握り、ぶんぶん振り回している。

 こいつにその気はないとわかってはいるのだが、やはり目の前で見せられて面白いものではない。

 俺は二人の間に割って入り、引き剥がす。

「おまえは地べたにでも座ってろ」

「えぇーっ! どうしてそんなこと言うんだよー」

「だめなもんはだめだ。玲の半径三百メートル以内に近づくな」

「そんなこと言うなって。別に桜木取ったりしねえよ。それに桜木はおまえのことが一等好きだろうしな」

「当たり前だよ」

 さらりと言って、ニコッと微笑む玲。

 こともなげに、そんなことを言えてしまうあたり大人だなぁと感じる。

 くそ……なんだよ。俺が子供みてえじゃん。

「んで、なんだよ玲? 何かいい案があるのか」

「もちろん」

 玲は得意顔で首肯する。本当に大丈夫なんだろうな。

「なんだよ桜木。教えてくれ」

「そりゃあ映画だよ、映画」

「映画? ……まあデートって言えば定番か」

 なるほど。それは思いつかなかった。

 なんならまず最初に出てきてもよかったような案なのだが、俺と玲の場合はデートと言えば大体オンラインゲームの中かゲームショップ巡りかの二択だからな。

 そりゃあ出てこないわけだ。

「映画か。……なるほど映画か。いいな、映画」

「真人おまえ、映画大丈夫なのか? 作品にもよるだろうが、大体二時間くらいじっとしておかないといけないんだぞ?」

「建斗、おまえは俺を見くびり過ぎだ。そのくらいじっとしていられるさ」

「そしてなおかつ、九条と感想を言い合うためにちゃんと映画の内容も把握しておかないといけないからな」

「わかってるって」

「…………ならいいんだ」

 本当にわかってるのかわからない言い方だった。が、そこを俺がとやかく言ったところで無駄だ。

 どうせ失敗しても俺は困らないしな。

「決まりだね。あとはどんな映画を観るかだけど」

「どんなのがいいんだ?」

「なんだよ真人、そんなことすら知らないでデートに誘ったのか?」

「くっ……あの時は勢いだったから。それにいっぱいいっぱいでさ」

「まあいい。玲、どんなのがいいと思う?」

「そうだねえ……」

 玲は考え込むようにあごに手を添え、明後日の方角を向いた。

「例えば今やってるのだと……」

「待て玲。あまり変なのは止めておけよ」

 じゃないとおまえと九条のオタバレが加速する。

 俺の意図が伝わったのか伝わらなかったのか、玲は少々むくれてしまった。

「変なのなんてないよ、建斗のバカ」

「……悪かったよ」

「ははは、バカだってよ、建斗」

 真人がにんまりと笑ってくるので、とりあえず頬を叩いておいた。

「それでだ、一体何を見るかだが」

「定番としてはやっぱり恋愛映画だね。泣ける奴」

「そして最後にはヒロインが死亡する系だな」

「それは……どうなんだろうか」

 冗談だ真人。真に受けるな。

「恋愛映画で泣ける奴……なんだろ」

「ちょっと待って。調べてみるから」

 言って、玲がスマホを取り出す。

 その様子があまりにも予想外だったらしく、真人は驚いた様子で両目を瞬かせていた。

「? どうしたんだ、真人」

「いや……桜木も学校でスマホいじったりするんだなーって思って」

「そりゃするだろ。つーか玲、割と人目のないところだと堂々といじってるぞ」

「はー……そりゃ知らなかった。ちなみに何してんの、いつもは」

「……知らん」

 本当は放置系のソーシャルゲームをしていることは知っていたが、俺の口から言えるわけがないので言わなかった。

 ……てな感じで俺と真人が話していると、検索が終了したらしい玲が顔を上げる。

 バーンッと口で効果音を言いながら、スマホの画面を見せてくる。

「これなんかいいと思うよ」

「えーと何々……『君の肝臓が欲しい』? 何この物騒なタイトル。殺人鬼もの?」

「違うよ。ちゃんとした恋愛ものだよ。両思いの男女が、しかし病気のせいでかなわない恋に身を投じる。残りいくばくもないと知りつつ仲を深めていく二人。しかしそんなある時主人公の命も残り少ないことを告げられるの。主人公は肝臓を患っていてすぐにでも移植手術が必要な状態なんだけど、そう簡単にドナーが見つかるはずもない。そんな時、奇跡的なことに彼女の健康な肝臓が適合するの。そして移植手術を終え、健康な状態で退院する主人公。彼の体の中には、愛した女性の体の一部が永遠に生き続ける……そんなお話」

 玲は語り終えると、うっとりとした表情でほうっと息を吐く。

「え、ええと……詳しいんだね」

「え? さっき説明読んだからね」

 一瞬、玲の表情が固まったような気がした……けどたぶん気のせいだ。

 実はこの映画、とある有名エロゲが実写映画化したもの、なんてのは別に知らなくてもいいことだよな。ちょっと前に玲から借りたゲームがこんな感じの話だった、なんて言わなくたっていいことだろう。

 あれは……結構胸にくる。ぼろぼろ泣いたぞ、俺。

「確かに面白そうだけど……大丈夫かなぁ」

「ま、いざとなったら内容なんてわからなくても話を合わせることなんて簡単だから安心しろよ。コツは教えてやる」

「何おまえ、桜木とデートの時いつもそんなことしてんの?」

「いつもじゃないけど……」

 まあたまに。

 いくらそっち方面のことに詳しくなったからといって、玲ほどのコアなオタク相手に同じ位置で語り合えるほど詳しくはない。

 だから……まあ多少はそういうスキルが身につくというものだ。

「悪いな、玲」

「いいよ。それになんとなーくわかってたし。建斗が私の話を理解してないなーって時」

「あー、やっぱりか」

 玲の苦笑いの原因はそれか。

 俺はようやく合点がいって、ぽりぽりと頭を掻く。

「本当は全部わかってやれればいいんだけど」

「ま、建斗は私と違ってそれほど頭よくないしね。しょーがないよ」

「うっせーよ」

「……はあ、いいよなおまえらは。そうやって多少趣味が合わなくても仲がよくて」

「むっ……なんだよ、いきなり」

 突然、真人が肩を落とす。

 急に落ち込んだりして、なんだこいつ。

「俺は九条とそりが合わなかったらと思うと、今からどきどきなのに」

「ああ、なんだそんなことか。安心しろ、大丈夫だから」

「大丈夫? 何が大丈夫なんだよ、建斗! 俺は真剣に……」

「落ち着け。おまえの言いたいことはわかる」

「わかるかよ、おまえみたいなリア充に」

 けっ、と真人が苛立ち混じりに吐き捨てる。

 いやリア充て……そんなこと言われても。

 真人がなんかひがみだした。面倒なことになる前にさっさと本題に入りたいんだけど。

「んで? 映画に行くとして、その……なんとかって奴でいいのか?」

「どう……なんだろう? せっかくなら九条に喜んで欲しいとは思うけど」

「大丈夫だよ。この映画、試写会満足度六十九パーセントだったから」

「六十九パーセント? またえらく微妙な数字だな」

「専門用語とかバンバン出てくるから観る人を選ぶんだよ」

「そいつはまた……」

 えらくハイコアな映画だな。

「なんなんだ、専門用語って? 医療用語か何かか?」

「ううん、英語とか……ヒエログリフとか」

「ヒエ……なんだって?」

「ヒエログリフ。聞いたことない?」

「いや……」

 聞いたことねえよ、そんなの。なんなんだ、ヒエログリフって。

「えーとね、ヒエログリフっていうのは古代エジプトで使われていた言語なんだよ」

「ほ、ほう……なんだってそんなもんが」

「えっと、なんかエジプトの人がいっぱい出てくるから……かなぁ?」

「だから、なんでエジプト人が出てくるんだよ」

 舞台は日本じゃないのか?

「ええと、一度ドナーが見つかるんだけど、その人は検査で引っかかって臓器提供できなかったの。いろいろあるみたいだよ、拒絶反応とか」

「玲、おまえよく知ってるな、そんなこと」

「ま、医療系のゲームはよくやるから」

「へー、桜木ゲームとかやるんだ。意外だな」

「ああ、これはだな真人、ゲームって言っても俺たちがやるようなのじゃなくて、もっと単純な奴で……」

「はははー、そうだよ。あんまり難しいゲームは無理だよ、私には」

「そ、そうか……まあ別にだからといってどうこうってわけじゃあないけどな」

 真人は肩をすくめて、苦笑いする。

「それより映画だ。……本当に九条はその映画が好きなのか?」

「百パーセント……とは言わないけど結構好きだと思うよ」

「くっ……けどなにもないよりはましか。その映画に誘うぜ」

「それがいいよ」

「それで他のプランはどうするんだ、真人? まさか映画を一本見て終わりじゃないよな?」

「も、もちろんだ。そのあとは……食事に誘うのはどうだろう?」

「いいんじゃないか」

 真人にしてはまともな意見だと言えるだろう。

 こいつ、あんまり交際経験ないくせにこういうところにだけは真っ当だな。

 俺も一度でいいからまともなデートがしてみたいぜ。

「とはいえ、あまり高い店とかは無理だし……どうしたもんか」

「九条さん、お金持ちだしいいものたくさん食べてるよね?」

「ああ。下手な店だと鼻で笑われかねないな。……うーん」

 玲と真人が頭を抱える。何をそんなに悩む必要があるんだ。

「金持ちといえばジャンクフードだろ」

「ジャンクフード? というとハンバーガーとかか。九条にそんなもん食わせられる……」

「それだよ、建斗!」

 パチンッと玲が指を鳴らす。

「お金持ちは日々高級で贅沢な食事をしているはず。そこへきてジャンクフードをご馳走したら、物珍しさに感激してくれるかもしれないよ!」

「は、はぁぁ? なに言ってんだ、桜木。そんなことあるわけが……」

「大丈夫だから! 絶対だから! 私を信じて!」

 妙にきらきらした瞳で真人に詰め寄る玲。

 これもまた、なにかのゲームからの知識なんだろうな。偏見と偏向にまみれてやがる。

「か、仮にそうだったとして、本当にそれで……」

「大丈夫だよ! 私を信じて!」

「さっきからそれしか言わねえな」

 ふんすーっ、と玲が自信満々に鼻息を荒くする。真人は相変わらず半信半疑のようだったが、他にいいアイデアも浮かばなかったのだろう。最終的に玲の提案を受け入れることにしたらしく、ゆっくりと一回、頷いた。

「わかった。桜木の言うこと、信じてみる」

「本当に! ありがとう!」

「いや、俺の方こそありがとう。あとは自分で考えてみるよ」

 言って、真人は俺たちの前から姿を消した。

「結局自分で考えるのかよ……なにがしたかったんだ、あいつ」

「うーん……多分だけど、不安を払拭したかったんだよ」

「不安?」

「なんて言ったらいいかな。きっと自分でもデートプランは一応考えてあったと思うんだよ。でも、不安だった。だから私たちに相談してきたんだと思う」

「……そうだったんだな」

 相談されたのは俺で、おまえは途中から勝手に割って入ってきたんだがな。とはあえて言わなかった。

 そんなことを言ったところで現状では全く意味がないからだ。

「さて……あいつのせいで時間がなくなっちまったな」

「まあまあ仕方がないよ。……うまくいくといいね」

「ああ、まあな」

 しかしうまくいったところで、首尾よくあいつと九条が付き合うことになったとして。

 一般家庭の息子と名家の令嬢。あまりいい未来が待っているとは思えないが。

「? どうしたの、建斗」

「……いや、なんでもねえよ」

 ま、そこは多々ある身分違いの恋を題材にしたゲームやアニメ、マンガなどと同じように、二人で乗り越えていけることを願おうじゃあないか。

「デート、楽しみだね」

「なんでおまえが楽しみなんだよ、玲」

「だって……剛昌くんあんなに一生懸命なんだよ。応援したくなるよ」

「ん、まあそうだな」

 なんにしても、今だけは真人の願いが叶えばいいと、そう思う俺だった。

 

                        ◆

 

 そしてデート当日。

「……なあ真人」

「な、なんだよ建斗。俺、今すごく緊張しているんだ。手短にな」

「おまえが緊張してるのは見ればわかる。今日がおまえにとって大切な日だってのもな」

「だ、だろぉ……だったら少し静かに……」

「だからといって、なんだって俺たちがおまえに付き添わなきゃならないんだ!」

 俺は心の底からの疑問を真人にぶつける。と、真人は両耳を抑え、いかにも俺が悪いみたいな口ぶりで言い返してくる。

「そんな大声出すなよ。昨日は緊張でほとんど寝れなかったんだ。頭ガンガンするだろ」

「おまえなぁ……」

 こいつ、まじでぶん殴ってやろうか。

 俺は苛立ち混じりに拳を握る。すると、俺の隣にいた玲がまあまあとなだめてくる。

「剛昌くんも不安なんだよ。いくら一緒にプランを考えたって言っても不安はそうそう拭えないからね」

「だからって……こういうのは自分でやるもんだろ?」

「それはそうだけど……いいじゃない、こういうことがあっても」

「……わっかったよ。玲がそこまで言うのなら」

 俺は固く握りこんでいた拳を開いて、肩をすぼめる。

 もう、どうにでもなれという心境だ。

「も、もうすぐ約束の時間だ。建斗に桜木、今日はよろしく頼むぜ」

「任せて。私、実はこういうの得意なんだ」

「得意……? 何を言ってるんだ、桜木?」

「何でもねえよ。それより俺たちはそのへんに隠れてるから、何かあったら合図を送れ」

「わ、わかった」

 それじゃあ、と言い合って、俺たちは二手に別れた。

 俺たちは側にあった植木鉢の影に隠れ、九条が姿を現すのをじっと待つ。

 と、およそ五分後。真人の目の前に胴の長い黒塗りの高級車が停まった。

 なんだなんだ、と周囲の通行人がその高級車を振り返る。俺はできるだけ小さな声で玲に話しかけた。

「なあ、あれって」

「うん、絶対にそうだよ」

 俺の意見に玲も賛同してくれるらしい。つまりあの車には九条の乗っているのだと。

 そして俺と玲の予想通り、その高級車から優雅な所作で降りてくるのは誰あろう九条だった。

 あれはドレス……なのだろうか。いやいや、ただの一介の高校生とデートするだけで、あんな華やかなドレスは着て来ないだろう。

 ということはあれは普段着。しかし俺も玲も、ああいう格好をした九条を今まで見たことがなかった。

「すごく……綺麗だね」

「ああ。なんだろうな。心なしか化粧しているような……」

「うん、絶対にしてるよ、あれは」

「なんだってあんなことを? 俺たちの前じゃもっとラフな感じなのにな」

「もしかして九条さん、剛昌くんのことを……」

 玲が若干声を弾ませてそんなことを口走る。

 大体、玲の言いたいことは大まかにはわかる。おそらく、九条も真人に気があるのではと言いたいのだろうが、それはないだろう。

 まあ……俺もただの山勘なのだが。

「つーかあいつら、何話し込んでるんだ? さっさと映画に行けよ」

「ちょっと建斗、二人には二人のペースがあるんだよ。だめだよ、そんなこと言ったら」

「……そうだな。俺が悪かったよ」

「そうそう。わかればいいんだよ。……と、移動するみたい」

 玲が言った通り、二人はようやく移動するようだ。とはいえ、件の映画の上映時間まではまだ少しある。どうやって時間を潰すのだろう。

 なんて心配していると、二人がまず最初に向かったのは近所のゲームセンターだった。

「な、なんであいつあんなところに……」

「うーん、たぶん九条さんはゲーセンとかにあんまり行かないと思ってるんじゃないかな?」

「それって……大丈夫なのか?」

「大丈夫……じゃないかもしれないね。九条さん、ゲームセンターって結構行くから」

「そうなのか? 意外だな」

「そうでもないよ? 私がよく誘うんだ」

「へ、へー……そうなんだ」

 はっきり言って、俺はゲーセンなんてあんまり行かないからな。だからかもしれないけど、ゲーセンってちゃらい奴が大勢いるっていうイメージがあるんだよな。

 だからか、ちょっとこう……心配になる。

「入ったよ。私たちも行こう」

「お、おお……」

 玲に手を引っ張られ、ゲーセン内へと足を踏み入れる。と、がやがやとやかましく鳴り響くBGMや機械音。他の客の金切り声などが聞こえてきて、早速頭が痛くなってきた。

「大丈夫、建斗?」

「ああ、大丈夫だ。それより二人は」

 玲はこういった空間には慣れているのか、少しも顔色を変えずに俺の顔を覗き込んでくる。

「えーと、あそこにいるよ」

 玲の指差した方を見て、九条たちの姿を見つける。

 九条たちは、何やらクレーンゲームの機会の前に立っていた。

 景品は……何かのキャラクターのぬいぐるみのようだ。

「真人がぬいぐるみを欲しがる……なんてわけがないから、たぶん九条だな」

「そうみたいだね。何を狙ってるんだろう」

 玲が不思議そうに言って、ぐぬぬ、と目を凝らす。

 俺たちのいる場所から九条たちのいる場所まではそう離れてはいないものの、角度や行き交う客の群れなんかのせいで見づらいといったらない。

「見えた」

「何なんだ、玲」

「あれはきっと『王立魔術騎士団』の新米騎士セルディウムだよ」

「セル……なんだ?」

 いや待てよ、その名前なんとなく聞き覚えがあるぞ。

 俺は自分の記憶を探るべく、額に手をやった。

 セルディウム……セルディウム……。

「はっ! 思い出した! 確か今九条が好きなゲームのキャラクターだ!」

 そのぬいぐるみが欲しくて、あそこでああやって何度も挑戦しているわけか。

「九条って……この手のゲームってうまいのか?」

「え? うーん……どうだろ? 普通、だと思うけど」

「普通……ねえ」

 ま、あまりうまくないのは今の九条の苦戦ぶりを見ていればわかる。

 なんかもう、すげー顔しているからな、あいつ。いつもの「余裕を持って優雅たれ、ですわ」とか言っていたのはどうしたんだよ。

 目をひん剥き、鼻息荒く次から次に五百円玉を投入する九条の姿は、きっと周りの客たちからもドン引きなことだろう。

「今いくら使ったんだ、あいつ」

「わからない……たぶんだけど、一万円くらい?」

「そのくらい使ったなら、もう買った方が早いだろ」

「まだまだわかってないなぁ、建斗は。そういう問題じゃないんだよ、こういうのは」

「はぁ? 何言ってんだ、おまえ」

 ちっちっち、と玲が人差し指を左右に振る。

「なんとなくむきになっちゃうんだよねー」

「そんなもんか。俺にはわからねえけど」

「ま、まだ建斗には早いかもねー」

「言ってろ」

 たぶん一生わからないんだろうけど、そこはまあいい。

 ……もし結婚することになったら、財布は俺が握っていよう。なんかこいつに任せておくとまずそうだ。

 典型的なギャンブルで身を滅ぼすタイプの人間だろ、こいつ。

「おっ、取れたみたいだね」

「すげー喜んでるな」

 相当欲しかったらしい、あのぬいぐるみ。

 あんなにはしゃぐ九条は見たことがない。これは真人も苦笑いをしているはず。

 なんてことを考えながら、俺は真人の方を見た。

 すると、真人は苦笑いどころかまるで自分の欲しい景品を手に入れたと言わんばかりに喜んでいた。

 な、なぜだ……?

「真人も……すげー喜んでるな」

「うん、いい感じだね、二人とも」

「それはいいんだが、ここで時間を使い過ぎたな。上映時間まであんまりないぞ」

「ほんとだ。急いでー、二人ともー」

 玲が小声で真人たちに呼びかける。が、距離がある上に人の話し声やゲームの音でかき消され、当然二人には届かない。

 しかし、いつまでもここで油を売っているわけにはいかない。ここはどうにかして、二人にそのことを伝えなくては。

「建斗……どうするの?」

「簡単だ。携帯で連絡すればいいだけのことだろ」

 俺はスマホを取り出し、真人に連絡する。

 しかし周りは結構うるさいからな。ちゃんと気づくかどうか。

 などと心配していると、何度目かの呼び出し音のあとにようやく真人が電話に出た。

『どうしたんだ、建斗?』

「どうしたじゃねえよ。もうそろそろ映画、始まるぞ」

『まじかよ……わかった。すぐに行くから。悪いな』

「悪いと思ってるなら時間くらい見とけ」

 プッと通話が断たれる。

 それから再び、俺は二人の様子を見守る。

「やっと移動するか」

「みたいだね。それにしても建斗」

「な、なんだよ……」

 玲がやたらにやにやと笑いながら俺を見ていた。

 なんだか、ひどく落ち着かない。首元が痒い。

「建斗って文句言いながらもなんだかんだで面倒見がいいよね。やっぱりお兄ちゃんだからかなー?」

「止めろよ。つーか俺たちも移動しないとだろ」

「はいはーい」

 俺は玲の手を握り、真人たちのあとを追った。

 

                          ◆

 

 予定通りに真人と九条が映画館へと入って行くのを確認して、俺はホッと胸を撫で下ろした。

 あいつがちゃんとプラン通りに動いているので、このままいけばまあ失敗することはないだろう。

「……ったく世話の焼ける」

「ねえ建斗 私たちも入らない?」

「は? けど玲、何観るんだ?」

「もちろん、九条さんたちと同じのだよ」

「でもおまえ、内容は知ってるんじゃないのか?」

「いやいや、私トレーラー観ただけだから。実はあんまりよく知らないんだ」

「トレーラー? なんだそりゃ?」

「あー、なんて言ったらいいかな。まあPVみたいなものだよ」

「だったら最初からそう言ってくれればいいんだけどな」

「まあそうだけど。今はどっちかというとこっちの言い方が主流だから」

「そうなのか?」

「そうなんだよ」

 そうなのか。まあ玲が言うのだからそうなんだろう。

「んじゃ、入るか」

「うん」

 俺と玲は九条たちのあとから、映画館へと入った。

「はい、三号室でございまーす。突き当りを左でーす」

 受付のお姉さんが愛想よく案内してくれる。なんか、今の人ちょっと可愛感じだったかも。

「いでっ」

「ちょっと建斗、今の人見てにやけてたでしょ?」

「に、にやけてないにやけてない」

「嘘、少し綺麗な人を見るとでれでれしちゃって。全く、これだから建斗は全く」

「大丈夫だって。心配するなよ。俺が好きなのはおまえだけだから」

「……別に心配なんてしてないもん」

 玲がぷいっとそっぽを向く。なんだよ、今日はそういうのなしかと思ってたのに。

「本当だって。神に誓う」

「信じてないくせに。……まあそんなに怒ってるわけじゃないから大丈夫だよ」

「そ、そうなのか?」

「うん。だって男の子だし、しょうがない部分ってあると思うから」

 玲はニコッと微笑んだ。

 ああ、俺の彼女はやはり可愛い。ちょっと言動があれだけど、そこも含めて可愛い。

「結局、建斗が好きなのは私だけなんだよね?」

「あ、当たり前だろ。何言ってんだよ、玲」

「なら……今はそれだけでいいかな」

「玲……」

「建斗……」

「あのぉ……他のお客さまのご迷惑になりますので、そういった行為はお控えください」

 案内係のお姉さんに言われて、びくっと肩を震わせる。

「す、すすすみません!」

 ぼふっと、頭の上から煙でも出るんじゃないかというくらい、顔が熱を持つ。

 俺は慌てて玲から手を離し、お姉さんへと頭を下げる。

 他のお客さんたちにも謝罪して、俺と玲は三号室へと入った。

 室内は薄暗いので、気づかれる可能性は低いと思うのだが。それにしても、気にかかる。

 さっき変に騒いだせいで、もしかしたら気づかれてはいないだろうかと。

 まあ今の状態を見られたところで、たまたま俺と玲もデートに来ていて、たまたま同じ映画を見ていただけだということで言い訳も立つだろう。

「ははは、やっちゃったねー、建斗」

「そうだな。ちょっと反省しないとな」

「だね。全く、すーぐ建斗は周りが見えなくなっちゃうんだから」

「何言ってんだ、玲だってそうだろ」

「ふふ、まあそうなんだけど」

 言い合いながら、俺たちは指定された座席へと向かう。

 椅子に座り、ほぅっと一息つく。

 さっきの騒ぎのせいか、まだ体が熱い。じわりと手の平に掻いた汗をパンツで拭う。

「さてと」

 ここから先はおおよそ二時間弱、動きはないだろう。じっくりと映画を楽しむことにしよう。

 俺は改めて椅子に腰を据え、スクリーンへと視線を向ける。

 

                          ◆

 

「結構面白かったな」

「当然だよ。前評判すごくよかったもん」

「ああ。……ところで、玲」

「なぁに?」

「二人はどこに行ったんだ?」

「えーと……さあ?」

 映画が終わり、俺と玲が映画館を出るといつの間にか真人たちの姿が見えなくなっていた。

 俺たちはきょろきょろと周囲を見回す。が、真人と九条を見つけることはできなかった。

「ど、どうしよう建斗」

「ま、九条が付いてるし大丈夫だとは思うが……」

「心配だね」

「ああ、心配だ」

 主に真人が変なことを口走ったりしないかが、だけど。

 俺と玲は慌てて周囲に視線を走らせる。

 映画館の隣には、巨大なショッピングモールがあり、フードコートも入っているためそこで食事をする人たちも多い。

 今は大体二時くらいだ。映画鑑賞のあと、いい感じに空腹になった二人がそこへ行った可能性は十分にある。

「よし、あそこに行ってみようぜ」

「うん、そうだね」

 俺と玲が小走りにショッピングモールへと入って行く。

 入口から一番近くのエスカレーターを使い、二階にあるフードコートを目指す。

「ええと、真人たちは……」

「いたよ、あそこ」

 玲が真人たちを見つけ、指し示す。休日のフードコートは家族連れやカップルで賑わっていて、この中から二人を探し出すのは骨が折れる。

 ようやく二人を見つけた俺。と、ちょうど二人の近くの席に座っていた前の客が食事を済ませたらしく、食器の乗ったお盆を持って返却口へと運んでいくところだった。

 俺たちはそこへ素早く座り込み、メニュー表を開く。

 注文を考える振りをしながら、真人と九条の会話を拾っていく。

「さっきの映画、すごく楽しかったですわ」

「そうか? それはよかったよ。……正直言って俺は全然だったけど」

「特に主人公がヒロインの死に号泣するシーン。あれにはジーンと胸が熱くなりましたわ」

「ああ、そのシーンな。俺も感動した」

「でしょう? やはりクライマックスはああでなくてはなりませんわね」

「そうだな。普段映画なんてあんまり見ないけど、たまにはいいもんだな」

「ええ、その通りですわ」

 むむ? なんだなんだ? 結構盛り上がってるな。どうせ真人のことだから、妙なことを言ったりして、相手の気を削ぐんじゃないかと心配していたのに。

「ただ、俺にはちょっと難しい言葉とかが多かったな」

「それはわたくしも思いましたわ。けど、そこにこそこの映画の味があると思いましたわ」

「そうか……ま、九条が楽しんでくれたのならよかったよ」

「ええ、ええ。ところで剛昌さん」

「な、なんだ?」

 返す真人の声がちょっと上擦っていた。何緊張してんだ、あいつ。

「まさかあなたがこの映画を押してくるとは思いませんでしたわ。やはり原作派ですの?」

「え? 原作……?」

 ああああああああああッ! 九条のアホ! ンなこと口走るんじゃねえ、もっと身長にいけってんだあのエセお嬢様が!

「け、建斗……」

「わかってる。ちょっと待ってろ」

 俺はスマホを取り出し、トークアプリを起動させる。

 素早く打ち込むと、それを送信。

「ん? 悪い九条、携帯が」

「いいですわよ。緊急の要件だといけませんし」

「悪いな」

 背後でスマホをタップする音が聞こえてくる。それからほんの一瞬だけ静かになる真人。

 たぶん、今俺が送ったトークを読んでいるんだろう。そうであってくれ。

「剛昌さん? いかがいたしましたか?」

「ああ、いや……何でもねえ。ちょっと変な電波を受信しちまったみたいだ」

「変な電波……ですか?」

「気にしないでくれ、九条」

 俺はスマホを目の前に置き、背後の会話に全神経を集中させる。

 玲もきっとそうなのだろう。すごく真剣そうな眼差しで俺の背後を凝視していた。

「……ところで九条」

「どうしいたしまして?」

「いや……なんつったらいいかわらないんだが」

 真人はそう前置きして、一旦言葉を切った。

 それから五秒が過ぎ、一分が過ぎ。二分、三分と時間が経過していく。

 なんなんだよ、何を言いてえんだよ、おまえは! さっさと言いやがれ、じれったい!

 俺は内心でいらいらとしながら、真人が言葉の続きを言うのを待った。

「お、俺は……」

「どうされまして?」

「お、おおお俺……は」

 そして、ようやく口を開きかけた真人。全く、世話の焼ける奴だぜ。

「ち、ちょっとお手洗いに行ってくる」

「ええ、わかりましたわ」

 ガタンッとテーブルに額をぶつける俺。よくコントとかである、ずっこけるシーンをイメージしてもらうとわかりやすい……か?

「ど、どうされたのでしょう、後ろのお方?」

「さ、さあな。ああいう頭のおかしい奴とは関わらない方が賢明だ」

「し、しかし……」

 どうやら、九条は俺たちに気づいていないようだ。突っ伏した状態で顔が隠れているのが幸いしたか。

 しかしこのままではいけない。このままだと九条が俺たちを心配して声をかけてくる可能性がある。それを無視したなら、今度は店員がやって来てしまう。

 下手をしたら、救急車を呼ばれてしまうだろう。それを避けるには顔を上げればいいのだが、そうしたら俺と玲が今まで尾行していたことがバレてしまう。

 そんな事態は避けたい。

 げしげしと玲が俺の足を蹴ってくる。たぶん「どうするの、この状況?」と言いたいのだろう。俺に言われても困るのだが。

「そうだ九条、ちょっと買い物に付き合ってくれ」

 てな感じで俺たちの慌て振りが伝わったのだろう。真人は若干声を上擦らせながら、そう言った。

「ちょっ……剛昌さん!」

 ガタッと背後で椅子の動く音がする。おそらく、真人が九条の手を引いて立ち上がらせたのだろうと思われる。

「お手洗いに行くのでは? それにまだ食事が……」

「大丈夫大丈夫。俺、全然腹減ってねえから」

「……はぁ」

 九条の困惑顔がありありと脳裏に浮かぶ。そりゃあそうだよな。急にそんなこと言われたって誰だって困るに決まっている。

「それよりほら、こっちに来てくれ」

「わ、わかりましたわ。ですから少し離してくださいまし」

「お、おお……悪い」

 なんだ? 何がどうなってるんだ?

「い、行っちゃったかな?」

「……わからねえ。どうなんだろうな」

 俺はちらりと顔を上げ、周囲を見回す。

 視界内には……いない、よな?

「大丈夫みたいだ」

「ほんと?」

 俺と玲はゆっくりと顔を上げる。と、他のお客さんたちがじーっと俺たちを見ていた。

 俺たちはたはは、と愛想笑いを浮かべ、何一つ注文することなくその場を離れたのだった。

 

                       ◆

 

「くそー、あいつらどこに行ったんだ?」

「完全に見失っちゃったね」

 ショッピングモール中央にある大ホール。年末やお盆などはちょっとしたコンサートなどのイベントも開かれることのあるその場所で、俺と玲はベンチに腰下ろしつつ嘆息した。

「まさか見失っちまうとはなぁ……」

「本当に予想外だったよ。まさか九条さんに気づかれそうになっちゃうなんて」

「ああ、だな。……あいつ一人で大丈夫か?」

「うーん、どうだろう? 大きな問題はないと思うけど」

 と言いつつ、玲の顔は心配そうだった。

 純粋に真人と九条のデートの心配もあるだろう。が、大半はきっと別のことを考えている。

「見失った男女。外では雨が降りだし、びしょ濡れのまま雨宿りできる場所を探す」

「れ、玲? どうしたんだ突然?」

「すると目の前にはラブホ……」

「バッカおまえ! 公衆の面前でなんてこと口走ってんだ! 学校の奴がいたらどうする!」

「大丈夫だよー、その時は建斗に言わされたことにしたらいいんだから」

「それだと俺が大丈夫ではないんだが?」

 下手したら友達なくすレベルだぞ、それ。

「それは……まあいい。今は横に置いておこう。今は九条と真人を探すのが先決だ」

「あー、それなんだけどね、建斗」

「どうしたんだ、玲?」

「もうそろそろ、やめない? これ」

「尾行か。どうしてだ?」

「だって正直、いいことしている気分にはなれないし、九条さんを騙しているみたいな気がしてあんまり……」

「ああ、なるほどな」

 確かにそうだ。騙しているみたい、というか実際に騙しているわけだしな。そりゃあいい気がしないのも当然だ。

「そうだなぁ……ここらで俺たちは引くか」

「そうするべきだよ。あとは本人たち次第ってことで」

「だな。……ま、結構楽しかったし、それでいいとしようぜ」

「うん」

 玲が満面の笑みで頷いた。

 結果は……あとで真人でも聞けばいいか。教えてくれなかったら教えてくれるまで問いただせばいい。

「さて、じゃあどうする?」

「どうするって……まあせっかくこんな場所に来てるんだし」

「服でも見に行くか?」

「ううん、ゲームコーナーに行こう!」

 玲がすっくと立ち上がり、力強く宣言する。

 俺は一瞬目を見張ったが、すぐに玲らしいと思い直した。

「んじゃ、行くか」

 俺も立ち上がり、玲のあとに続く……こうとして足を止めた。

「建斗? どうしたの?」

「あ、いや……何つーか殺気が」

 背後から謎の威圧感を感じて、俺はそーっと振り返った。

「……あっ」

「あっ……ではありませんわ。一体お二人は何をされていたのでしょう?」

 そこにいたのは、まごうことなく九条だった。

 その豊満なバストを強調するように胸の下で腕を組み、どこか侮蔑の混じった視線を俺と玲に向けている。

「はぅん……」

 なぜか玲が艶めかしい声を出しているが無視だ。

「何をって……えっと、そりゃあ俺たちデートで……」

「嘘ですわ。わたくし、今の会話聞いてしまいましたのよ」

「な、何!」

「秘めごとなら、もっとうまくやらなくてはなりませんわね」

「すまん建斗。俺もついぽろっと言っちまった」

「何! おまえ、誰のためにこんなことしたと……」

「あーいや、それは……まあ」

「さてと、事情はお話していただけますわよね?」

「ま、まあ……なぁ?」

「う、うんうんそうだよ。ねぇ?」

「あはははははは」

 最後に真人が乾いた笑いを漏らす。

 その後、事態は進行していき、まるで地獄のダブルデートの様相を呈してきたのであった。

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