第11話 桜木玲と超常!VR体験

「――というわけで、今度の休日はこの三人でお出かけですわ!」

 学校の屋上。昼休み。

 俺と桜木が今まさに二人きりのあまーいスイートタイムを満喫していた、その時だ。

 突如として何の前ぶれもなく、バンッと勢いよくドアを開いて九条がその豊満な胸部を揺らして表れたかと思うと、脈絡とか一切合切すっとばして腰に手を当て、そう言った。

 俺はぽろりと、はしで掴んでいた桜木作の出汁巻き卵を取り落とす。

「……何だよ、藪から棒に」

 ふっくらと美味しそうな出汁巻き卵に視線を落としつつ、九条に訊ねた。

 何が、というわけで、だ。

「おっと、これはわたくしとしたことが失礼をいたしましたわ」

 九条はこほんと咳払いをすると、どこか得意気に口の端をつり上げる。

「実は今度の日曜日。お二人をとある場所に招待したいと思いまして」

「とある場所って? どこなの、九条さん?」

「ふふん、聞いて驚くことなかれ。何とあの〈七星エンタープライズカンパニー〉ですわ!」

 九条があごを逸らし、鼻を高くする。

 桜木はというと、そのエンター? 何たらとかいう会社名だろうか。それを聞いた瞬間から、キラキラ……というかギラギラと目をギラつかせていた。

「ほ、ほんとに!」

 すごい喰いつきだな。最早弁当そっちのけで体を乗り出している。

「何なんだ? そのエンター……? とかいうのは」

「健斗、知らないの!」

「はぁ……何と非常識な。嘆かわしいことこの上なしですわ」

 桜木と九条、二人から呆れられる。

 いや、んなこと言ったって知らねぇもん知らねぇし。つーかそれ知らないだけで非常識認定かよ。ひどくね?

「いい、健斗? 〈七星エンタープライズカンパニー〉っていうのはね、世界でも三指に入るくらいの大きな会社で、主にゲーム産業に力を入れているの。そこから、たくさんの名作ゲームが生まれてるくらいなんだから」

「へー……そんなにすごいのか」

「すごいなんてものじゃないよ!」

 桜木は自分の分の弁当を脇に置き、ずいっと体を寄せて熱っぽくその何ちゃらカンパニーについて語ってくる。けど、桜木の話は専門的過ぎる。ゲーム事情に詳しくないどころかほとんど素人同然の俺には、おおよそ桜木の話の半分がアラビア語に聞こえてきてしまう始末だ。まったくわけがわからん。

 俺が困惑していると、こほんと九条が咳払いをした。

 それで我に返ったのか、桜木の話が止む。九条の話の途中だったことを思い出したようだ。

 助けったぜ、九条。

「それでです。その七星カンパニーの「ああ、やっぱ略すん「話の腰を折らないでもらえませんか!」

 何だよ、桜木ん時はそんなふうに言わなかっただろ。何で俺だけだめなんだ。

 俺は何だか悲しい気持ちになって、瞳を多少、潤ませた。

 だが桜木と九条にとってはどうでもいいことらしく、俺のことなど構わず、話を続けている。

「七星カンパニーが今度、VRゲームにも手を出すと言っています。そこで、テストプレイの人材を募集しているのですわ」

「それってβテストってこと?」

「いいえ、その前段階の、バグ探し以前の作業ですわ。機動性の確認やら、そもそもちゃんと起動するのかという確認の話。一応世界最高峰のVR技術を売り文句にしていますから、3Dのリアルさやグラフィックの美麗さなどを評価してほしいと。そう言ってきています。大手とはいえ、七星カンパニーがVRを取り入れるのはこれが初めてで。VRという性質上、どうしても動き回りますから、そのあたりの危険度も図りたいと思っているのでしょう」

「ところでよ、九条」

「何ですの?」

 九条が腕を組み、つんと唇を尖らせる。

 俺はその辺を軽く無視して、根本的な質問を投げかけた。

「大体の事情はわかったけどよ、何で俺たちなんだ?」

 他に招待するべき人材はいくらでもいるだろうに。

 九条は俺の質問に答える気があるのかないのか、一見すると全く関係ないようなことを口走り始めた。

「わたくし、七星の一人娘である七星柚葉さんと面識があるのですけれど」

「ええ! あの七星カンパニー次期社長と噂名高い七星柚葉さん!」

「ええ、その通りですわ」

「すごい……そんな有名人と知り合いだったなんて、九条さんって実はすごい人だったんだねぇ……」

「あの、わたくしこれでも大企業の娘でして……」

「そういやあったな、そんな設定」

「設定とか言わないでくださいまし!」

 たまらずといった様子で、九条が叫ぶ。

 俺と桜木は揃って笑い転げ、しばらくの間まともに九条の話を聞くことができなかった。

 たっぷり五分は笑っていただろうか。九条の不満顔がだんだん真顔になってきて、そろそろ話を聞かないとやばないだろうかと居住いを正す。

「柚葉さんにわたくしの知り合いにすごくゲームの好きな方がいらっしゃるということを申し上げたら、是非会わせてほしいと言われましたので」

「照れちゃうよ」

 てへへ、と頭の後ろを掻く桜木。

 桜木にとって、そこは照れる部分なんだろうな。俺にはよくわからんけども。

 そこはまぁいい。

「それで、いいのかおまえ?」

「何がですの?」

「桜木もそうだが、おまえだってオタバレは嫌なんじゃなかったか?」

「そ、そうだよ、九条さん! やっぱりまずいよ!」

 世間の皆さまがそこまで気にするとも思えないが、しかし本人達が一番そのあたり隠し通したいと思っているのなら、別段大々的に公表する必要もない部分だ。

「けどそんな場所へ行ったなら、おまえがゲーム好きのオタクだってバレそうなもんだけどな」

「だからこそ、あなた達を指名したのですわ」

 腰の手を当て、ふんぞり返る九条。

 ああ? どういう意味だ?

「今回、わたくしはあくまでも仲介役。ゲームが好きな友人どおしを引き合わせる仲人に過ぎませんわ。柚葉さんはかなりの人見知りな方ですので、わたくしが行かなくては話すら聞いてもらえません」

「あー……段々話が見えてきたな」

「つまり九条さんは、私と健斗を出汁にして新作ゲームを堪能したい。そう思っているということだね」

「人聞きの悪い言い方をしないでくださいまし、桜木さん。わたくしはよかれと思ってお声掛けしたまでですわ」

「ふーん……あっそ。じゃあ別に行かなくてもいいわけだな」

 何だか恩着せがましい九条の態度にいらっとする。

 俺はじとーっと、できる限り冷ややかな視線を九条に向ける。

 九条は最初こそ意にも介していない様子だったが、段々俺の発言を本気にし出したらしく、慌てた様子でもう一言、つけ加えてきた。

「こ、これはわたくしからのお願いでもありますの。……そりゃあ、ゲーム業界においては老舗ブランドですので、一度はプレイしてみたいと常々思ってましたから」

「ふー……ま、俺はいいがどうするさくr「絶対に行く!」

 桜木が諸手を挙げて賛同を示す。

 うん、まぁ知っていたけど。

「では決まりですわね」

 妙に嬉しそうな顔で、九条がパンと手を鳴らした。

 俺の隣では、桜木も似たような顔をしている。

 

 

                          ●

 

 

 きたる日曜日。

 俺と桜木は九条に言われて、とあるだだっ広い広場に来ていた。

「広場……だよな? ヘリポートとかじゃなくて」

「た、たぶん……」

 刑事ドラマとかで見る○にHの文字の入ったマークはなく、グリーンの芝生とどこまでも青い快晴の空が広がっていた。

「あの、九条さんってどうやってくるんだろ?」

「さ、さぁ……わかんなねぇ」

 周りを見る限り変な黒塗りの高級車とかは見当たらない。つーか、ここに着くまで車が乗り入れられるような幅はなかった。

 俺も桜木も、完全に徒歩で来たのだから。

 なんて考えていると、頭上から突如、バラバラバラという耳を塞ぎたくなるような騒音が聞こえてくる。

 俺たちは思わず、唖然と頭上を仰いだ。

「……あれって」

「ああ、信じらんねぇ」

 開いた口が塞がらない。

 前々から、九条んちは企画外だとわかってはいた。

 けど、今回のこれは別格だ。今までとはわけが違う。

「ヘリ……だよね、あれ」

「だと思う……けど、それにしちゃでかくねーか?」

「う、うん……私が想像していたのと全然違う」

「俺もだ。何だよ、ありゃあ」

 頭の中でぼんやりと思い描いていた、白塗りの自家用ヘリ。

 何となく派手な装飾を施してあり、見るからに九条家の物だとわかる逸品。

 そんなのを想像していた。んだけど、実際は全く別物だ。

 濃い緑色の機体。全長数十メートルにもおよぶ巨体とそれを支える五つのプロペラ。

 どこの国の軍用機だよと言いたくなる無骨なデザイン。

 これまでの九条家の派手な立ち振る舞いからは全く考えもつかなかったそれが、騒音と強風を撒き散らしながら、ゆっくりと下降してくる。

 俺は桜木の腰を掴んで支えながら、その巨大な物体が降りてくるのをジッと待つ。

 やがて、プロペラが回転を止め、駆動音が鳴り止んだ。

「お待たせして申し訳ありませんわ、お二人とも」

 そして中から九条が、どこか申し訳なさを滲ませながら顔を覗かせる。

「少々準備に手間取ってしまって」

「じ、準備って? このヘリの?」

「ヘリ……? いいえ、わたくしのですわ」

「おまえのかよ!」

 普段、同じ学校に通う学友であるだけに、この登場はかなり意外だった。

 もっとこう、ド派手にくるものだとばかり思っていたから。それが、ふたを開けてみればこれだ。……十分派手だった。

 まぁ今までの九条からしたら、もっとも地味な演出なんだけどな。

「ではお二人とも、乗ってくださいな」

「あ、ああ……」

「じゃあ、お邪魔します……」

 俺たちはおそるおそる九条家のヘリに乗り込む。

「座席に座って、ベルトを締めてくださいですわ。あとこれを」

 九条からヘルメット? を手渡され、被る。

「私、ヘリって初めて載るかも」

「俺もだ。……つーか俺の人生でヘリに乗る日がくるとはな」

 全くない、とは言いきれんが、少なくとも学生の内に搭乗する機会はないだろうと思っていただけに、軽く興奮してしまう。やべー、テンション上がってきた。

「では発進いたしますわ。お二人とも、しっかり捕まっていてくださいまし。いいですわよ、美馬さん」

「はい、お譲さま」

「新井さん……ヘリの操縦もできたんですね」

「すごい……」

 桜木が本気で感心している。

 俺たち二人からの賛辞を受けて、新井さんもどこか得意気だ。

 こういうところで調子に乗っちゃうから、あのメイド長に怒られちゃんだろうなぁ。

 一度、新井さんがうちに短期メイドとして来た時のこと思い出して不安に駆られる。

 今回は失敗しませんように。俺たちの命がかかってるからマジで!

「ところで九条さん、今日はどこへ行くの?」

「おお、そうだ。それをまだ聞いてなかった」

 俺たちはこれから、自分たちがどこへ向かうのか把握していない。

 それというのも、相手は世界三大財閥の一柱だ。おいそれと一般市民に素性を明かせるような立場ではないらしい。

「えーと……それは着いてからのお楽しみですわ」

 九条が申し訳なさそうに笑う。

 そうと言われてしまえば、俺と桜木にこれ以上九条を追及する手立てはない。俺たちは別に、他人を困らせて喜ぶ趣味などないのだ。

 そういや、何かのネット掲示板で見たな。ゲーム技術は、使い方を変えれば軍事事業にも転用できると。

 VR技術ともなれば、その規模は一気に膨れ上がるだろう。何せあれだけニュースで騒がれているんだ。使い方次第では、国の一つでも制圧できるかもしれない。

 ボーッと、そんなことを考えていると、ちょんちょんと桜木が肩を突いてくる。

「どうしたんだ? トイレか?」

「違うよ! 全く、デリカシーないんだから!」

 桜木がぷーっと頬を膨らませる。

 そういう顔がかわいいと思うから、ついつい意地悪なことをしたくなってしまう。

「だったらどうしたんだよ?」

 つんつん、と桜木の頬を突く。桜木は嫌がる素振りこそ見せないものの、どこか鬱陶そうだった。……たぶん本気でご機嫌ななめなんだろう。

「……悪かったよ」

 突くのを止めて、桜木の話に耳を傾ける。

 それでとりあえずは気分を直してくれたらしい。桜木の頬が元の大きさまでしぼみ、次いでパァッと表情が明るくなった。

「ところで健斗、VRって何の略だか知ってる?」

「え? えーと……何だっけ?」

 そういや知らないな。ニュースとかで散々言われていた気がしたんだけど。

 普段そう真剣には見ていないためか、よく覚えていない。

「〝virtualreality〟――電子空間のことですわ」

 俺が答えに窮していたからか、九条が答える。無駄に胸を張って。

「ARという技術も既にありますが、なぜかVRの方が騒がれていますわ」

「ふーん……そうなのか」

 とはいえ、こんな簡単な説明を聞いただけじゃわからない。やっぱ実際に体験してみるのが一番だな。

「それで九条さん、その七星さんのところへはまだ時間がかかりそう?」

「いえ、あと十分もすれば到着すると思いますわ」

 九条の宣言通り、その十分後。

 俺と桜木はどことも知れない島へと降り立った。

 そこがゲーム開発のために造られた無人島だと知るのは、また先のことだ。

 

 

                        ●

 

 

「さぁお二人とも、着きましたわ」

 ヘリポートに着陸し、九条が先に降りて俺たちを待っている。

 俺は桜木の手を取って降ろし、それから周囲を見回した。

「……見渡す限り木ばっかりだな」

「ええ、ここで技術者のみなさまは集中して、ゲーム開発に臨むのですわ」

「何だか、すごく厳しい職場だね」

 桜木の率直な感想に、俺は思わず頷いた。

 こんな世間と隔離されたような場所で、何日間、長期ともなれば年単位で缶詰状態とか俺には無理だ。きっと桜木のことが恋しくなって、すぐに抜け出しちまうに決まってる。

 ここにいる連中はよほど、ゲーム開発が好きな奴なんだな。……たぶん。

「さて、行きましょうか」

 九条が促してくる。

 俺と桜木は九条に続いて、森の中を歩いていく。

 するとすぐに、開けた場所に出た。

「……何だこりゃあ」

 もうさっきから、感嘆の声しか出ない。

 俺たちは目の前にある建物を見て、驚いていた。

「ここが、七星さんの研究所ですわ」

 九条がそう言って指し示す建物は、見た目研究所というよりはむしろ高級リゾートホテルに近かった。

 全体的に高級そうな建材を使用しているのだろう。妙な照り返しがあるように見える。

 階層は、千階近くはあるのではなかろうか。それくらいの人が、この施設で働いているのだろう。

 てな感じで、俺と桜木が呆然としていると、九条が玄関の呼び鈴らしきものを押していた。

 ぴんぽーん、と聞き覚えのあるインターホンの音が聞こえてくる。何となく外観と似合っていないように感じられて、思わず吹き出しそうになった。

「七星さん、九条ですわ」

『おー、琴音ちゃん! 待ってたよー』

 インターホンから、当然だが聞きなれない声が聞こえてくる。

 この声の主が、七星柚葉さん……なのだろうか。

『まっててねー、今開けるからー』

 舌足らずな、それでいてはっきりと耳に残る声だ。

 一体、どんな人なのだろう?

 俺が内心わくわくしていると、がちゃり、と扉を開けて一人の女の子が姿を現した。

「やー、遠いところわざわざごめんねー、九条さん」

「いいえ、大したことはありませんわ。九条財閥の力をもってすれば造作もないことです」

「そだねー、すごいもんねー九条さんち」

「……世界三大財閥の一柱、その一人娘から言われても何にも嬉しくありませんけれど」

「えー? 褒めてるんだよー、九条さんはすごいって」

「わかりました、わかりましたわ! だから頭を撫でないで下さいまし!」

「そんなぁ……九条さんの髪、柔らかくて好きなのになー」

 ぶー、と不承不承九条の頭から手を退かす七星さん。

 彼女は不満そうな表情を一転、パァッと表情を明るくすると、俺と桜木に向き直った。

「君たちが九条さんの言っていた学校のお友達だね」

「はい。桜木玲といいます」

「俺は、石宮健斗……です」

 ふむ。どんな人かとどきどきしていたが、案外まともそうで安心した。

「わたしは七星柚葉。ここの最高責任者で、一応ゲームデザイナーとプログラマとディレクターとキャラクターデザインとシナリオと原画とついでに音楽を担当しているよ」

「……え? 今何て?」

 俺の聞き間違いだっただろうか。今し方、すごい長い肩書を聞いた気がするんだけど。

「え? だから、デザイナーとプログラムとディレクターと……」

「ああ、もういいです」

 俺は右手を差し出し、七星さんの台詞を止める。

 うん、どうやら聞き間違いではなかったらしい。一人でそんなにやってんのか、この人。

「七星さんは次期社長でありながら、自らゲーム制作を手がける文字通り化物じみた方ですわ」

「やだなー、そんなに褒めても何も出ないよ?」

「別にそういうつもりではありませんわ。……というか、今のを褒めていると受け止めれるあたり、やはり相当ポジティブな性格をしていますわね、七星さん」

 九条が苦笑を浮かべる。

 普段はどちらかというと他人を振り回す方のこいつが、こんなふうになるなんて。

 七星さんってまともそうに見えて実はすげー変な人だったりするんだろうか?

「ん? そういや桜木、さっきから大人しいな。大丈夫か?」

「へ……? う、うん、大丈夫だよ。ちょっと、緊張しちゃうというか」

「緊張……ねぇ。見た感じ普通の女の子なんだけどな」

「でもあの世界敵な七星の次期社長さんを前にしているんだよ、そりゃあ緊張もするよ……!」

「それは……まぁそうだな」

 超有名なハリウッド俳優を目の前にしたようなものだろうか。

 俺は桜木の心中を推して図りつつ、そんなふうに想像する。あまりテレビは見ないので、その辺の事情にも疎いのだが。

「何をこそこそとやっているのですか?」

「ほら、桜木ちゃんに石宮ちゃん、はやくー」

「い、石宮ちゃんって俺……?」

 男女構わずちゃんづけかよ。

 俺はぞぞぞ、と背筋に悪寒が走るのを感じて、身を震わせる。

 そんな呼ばれ方をしたのは、人生で初めてだ。非常に気分が悪くなってくる。

 ……やはり、おかしな人だったか。

 ここ最近は、他人を見る目がかなり肥えてきたと思っていたのだがまだまだだったらしい。

 あの九条の知り合いたる七星さんを、一瞬でもまともそうとか思ってしまったのだから。

「はぁ……ほら、行こうぜ桜木」

「う、うん」

 俺は桜木の手を取り、案内する気ゼロの九条と七星さんを追い駆ける。

 来るの止めておけばよかったかなという後悔を抱きながら。

 

 

                          ●

 

 

「さて、ここが開発スペースだよ」

 そう七星さんに紹介してもらったのは、たくさんの器械と夥しい量の配線が雑然と並ぶ灰色の一室……ではなく。

 数十人の技術者と人数分のコンピュータ。そして公大な面積を誇る空間を持つ、かなり綺麗な場所だった。

「どう? 思ったより片づいてるでしょ?」

「ええっと……」

 七星さんに言われ、反応に困って頭を掻く。

 確かに、雑然としていて散らかっている部屋というのを勝手に想像していた。何というか、俺の中の研究者という人種は、大体そういう部屋に籠っているというイメージがあったからだ。

 そのことを、七星さんに見抜かれて照れ臭くなる。

「……すいません」

「いいよ、別に。ここの部屋も君たちが来るって言うから片づけたんだし」

「へ? それってどういう……」

「さ、これつけて」

 俺の質問を軽く無視して、七星さんが何やら眼鏡らしき物を取り出して、俺と桜木に手渡してくる。

「……なんですか、これ?」

「これはね、VR用に開発したヘッドギアだよ」

 そう七星さんが手渡してきたのは、どこぞのフルダイブシステムを採用したVRMMORPGにでも出てきそうなヘッドギアだった。

「……これ、ゲーム中に死んでも現実では死にませんよね?」

「どうだろうねぇ。ただし、これはゲームであって遊びじゃないから気をつけてね」

「それってやばい奴……」

「じょーだんだよ。死なないから大丈夫大丈夫。あくまでゲームだよ、ただの」

「ほ、本当に?」

 うーん……ま、最高責任者がこう言ってるんだから、大丈夫だろ。

 俺はヘッドギアを装着する。けど、視界は真っ暗なままだ。

 これ、どうやって起動させるんだ?

「あの、七星さん……これって」

「ああ、それはね、ヘッドギアの側面に着いているスイッチを押すんだよ」

 七星さんがヘッドギアごと俺の頭を掴んだ。

 かちり、という音がしたかと思うと、突如として視界が明るくなる。

「これは……」

 しかし、そこに移るのはつい今し方俺たちのいた開発スペースではなく、どこかのホテルの一室のようだった。

 薄暗い空間。部屋の中央に鎮座するツインのベッド。

 備えつけの液晶テレビには男女の激しい絡みが映し出されていて……ってこれは!

「……あの、七星さん?」

「何? どうしたの?」

「ええっと、これは一体……」

 いや大体の予想はつくけどさ。けどこんなものをどうして七星さんが俺に?

「ああ、男性ユーザー用のコンテンツの中身をわたしは知らないんだ。何でもお父さまが極秘に開発していて、女性職員やわたしには絶対にテストプレイさせてくれなかったんだよ」

「な、なるほど……」

 確かに、ここまでの展開から予想される出来事が真実だとする場合、女の人には到底見せられたものじゃないだろう。

 それは父親や現社長としての威厳に関わることだ。

 と、そこまで考えていると、不意にコンコンと背後のドアがノックされる。が、この音は他の三人には聞こえていないようだ。

 どうしたらいいんだこれ? 

 俺はとりあえず振り返る。そして、ドアノブを掴み、ゆっくりと回した。

〈あっ……始めまして、ユーコといいます〉

「は、始めまして……」

 ヘッドギアから聞こえてくるものとは思えない、肉声と寸分違わぬ美声が俺の耳を生暖かく震わせる。

 ユーコはニコッと微笑むと、俺の許可を得ずにズカズカと部屋に入ってくる。

〈わー、すごく綺麗なところですねー〉

 ユーコが部屋を見回し、感嘆の声を上げる。

 そんな彼女に、俺は何ら反応を示すことができない。

 それでもユーコは嫌な顔一つせず、俺の反応を待っている。当然だ、相手はゲームキャラなんだから。俺が何らかのアクションを起こさない限り、これ以上の進展はない。

「え、えーと……」

 どうしたらいいんだ、これ?

 俺は困惑し、カラカラに乾いた唇を一舐めした。

 七星さんの発言から、このゲームの趣旨は大体推測できる。

 これはいわゆる、現実に彼女ないしそれに類する繋がりを持たない人間が購入する排他的で非生産的な衝動を満たす役割を担う系のゲームだ。

 そして俺は、まだ始まってもいないこのゲームの最大の問題点を現時点において既に発見してしまった。

 それは、これがVRゲームだということだ。

 VRという性質上、三百六十度全てがゲーム空間のこの場所のおいて、俺の行動は彼女即ちユーコの行動を決定づけるものである。

 薄暗い部屋。妙に清掃の行き届いた清潔感のある室内。大きめのツインベッド。

 そして目の前には、可憐でかわいい美少女。

 これだけの材料が揃っていて、このあとの展開を予想できない男子が果たしているだろうかいやいまい!

 もしこれが自分の部屋で、一人でプレイしていたのなら俺は何の躊躇もしなかっただろう。けどここは俺の部屋ではなく側には桜木を始めとした面々が雁首を揃えている。

 この状態でことに及べば、桜木に俺の痴態を見せつけてしまうことになるだろう。そして幻滅され嫌われる。それは、何があったとしても絶対に阻止しなくてはならない緊急事態だ!

〈どうしたの? 緊張してる?〉

 俺が長々と考え込んでいたせいで、待機モーションに移ってしまったユーコ。

 背に手を回し、くねくねと体を捻じらせている。

 その際、胸元の隙間から神秘の谷間が覗く。

〈きゃっ! ……もう、どこ見てるの?〉

 身を引き、上目づかいに俺を叱責してくる。

 あまり怒っているようには見えない。つーかゲームって感じがしねぇな、これ。マジで。

〈どうする? まずはシャワー?〉

「え? ……あっと、いや」

 そんなキラキラした笑顔向けられたら、反応に困っちゃう。

 ユーコが一歩近づいてくる。ので、俺は一歩後ずさる。

〈へへ、何で逃げるのぉ?〉

「何でもない……よ?」

 笑顔で取り繕うのが精一杯だ。

 このままでは、俺の下半身が……息子が!

 万事休す……と、俺が勝手に危機を感じていると、トンッと背中に何かが当たった。

 何かこう……柔らかくていい匂いのする何かが。

「……ヒッ!」

 ヘッドギアを外し、振り返る。

 するとそこには桜木がいた。……鬼のような笑顔を浮かべて。

「ど、どうした、桜木?」

「んーん、別に何でもないよ。ただ何となくすごーく嫌気配を感じただけ」

「い、嫌な気配? 何だそれ?」

「何だろうね。何となくそのゲームから漂ってくる雰囲気、みたいな?」

 俺はおまえの纏うその雰囲気が恐いがな。

 しかし、助かった。ゲームが佳境に入る前に桜木が俺を我に返してくれて。

 あのまま遊んでいたら、俺は女子三人の前に俺のマグナムを解放してしまうところだったぜ。男子学生の性欲舐めんな。

 俺はホッと胸を撫で下ろした。

 浮気したとかならまだ桜木に殺されるのもわかる。けど、こんなことで桜木とケンカなんかしたくない。

 俺はいそいそとヘッドギアを七星さんに返した。

「もう止めるのか?」

「はい……もう十分です」

「ふーん? それで、どうだった」

「どう……とは?」

「感想だよ。VRを体験してみての感想」

「そうですね」

 正直、ユーコの笑顔と谷間とか耳に聞こえてくる甘い吐息とか、そんなことしか覚えてないない。が、それを正直に口にすることもできない。んなことしたら桜木からどんな目に遭わされるかわかったもんじゃないからな。

 俺は慎重に言葉を選びながら、七星さんの質問に答える。

「……すげーリアルでした。本当にそこにいるみたいで。声……いや音とかも臨場感あって」

「そうだろうそうだろう。うちの自信作だからね!」

 自社VRが褒められて嬉しいのだろう。七星さんは本当に子供のような、天真爛漫な笑顔を浮かべた。何だか、こっちまで嬉しくなってきてしまう。

「さて、石宮ちゃんに続いて、二人にも体験してもらおうかな」

「は、はい……わかりました」

「…………」

 桜木は二つ返事で承諾する。けど、九条は難しい顔をしたまま俯いていた。

「ん? どうしたんだね、琴音ちゃん?」

「ああ、いいえ……何でもありませんわ」

「そうかい? なら早速、こんヘッドギアをつけてよ」

 七星さんが九条と桜木に同じヘッドギアを手渡す。

 桜木は喜んで受け取っていた。だが、九条はそのヘッドギアを見つめたまま、眉間に皺を寄せていた。

「どうしたの、琴音ちゃん?」

「わたくし、今回は遠慮しておきますわ」

「どうして? 琴音ちゃん、楽しみにしてたじゃない」

「うぐっ……そうですけど、わたくしは今回、桜木さんたちのつきそいで来ましたので」

「ふーん……つまり、九条財閥の跡取りとしてここにいるってこと?」

「その通りですわ」

「そーなんだー……はいこれ」

「人の話を聞いてまして!」

 九条がたまらずといった様子で叫ぶ。が、七星さんには何一つとして答えていないようだ。

「えー? でも琴音ちゃん、ゲームとか好きでしょ?」

「ちょ、七星さん! こんなところで言わないでくださいまし」

「何で? いーじゃん別に」

「しかしわたくしは、九条財閥の一人娘として」

「大丈夫だよ、絶対に秘密にするから」

「しかし……」

「んじゃー、琴音ちゃんはやらなくていいんだね?」

「うぐっ……わ、わかりましたわ!」

 七星さんの手から、引っ手繰るようにしてヘッドギアを奪う九条。

 うーん、仮にもお嬢さまがそんなことしていいんだろうか。どうでもいいけど。

「んー、体は正直だねー」

「いいから、さっさと始めてください」

「はいはい、それじゃあ側面のボタンを押して」

 七星さんに促され、九条と桜木がヘッドギアに側面のボタンを押す。

 腹の底をくすぐるような電子音が流れ、同時に二人が声にならない呻き声を漏らした。

「これは……!」

「すごいね、九条さん!」

 果たして、桜木と九条が何のゲームをプレイしているのか、俺にはわからない。

「あの、二人は今何を?」

「えっとねー、今桜木ちゃんと琴音ちゃんにやってもらってるのは、一種のアドベンチャーゲームだよ」

「アドベンチャー……?」

「そうそう。『海洋の七不思議』っていうタイトルなんだけど」

「一体どんなゲームなんですか?」

「簡単に言うと、七つの海の海底に存在する七つの至宝を集めて回るゲーム」

「割とありがちというか……オードソックスな感じなんですね」

 意外だ。てっきり俺はもっと突飛なゲームを想像していたから、余計に。

「本当はさ、伝説の古代生物とバトルとかしたかったんだけど、VR導入事態が初だし、技術者の腕がわたしのビジョンに追いつかなくて」

「なるほど」

「あと予算的な部分かな。動くものより動かない物の方がいくらか安上がりなんだよ」

「へー、そんなもんなんですか」

「そうなんだよー、まいったねこりゃ」

 あはは、と声を上げて笑う七星さん。

 俺には制作側の事情はよくわからないのだが、まぁ大変なんだろうなと想像する。

「そういえば君もゲームはよくやるの?」

「あの二人ほどじゃないですけど」

 俺はヘッドギアを着けたまま部屋中をうろうろと歩き回る桜木たちへと目を向けながら言った。きゃっきゃと楽しそうにしているので、ゲームの中身は上々なのだろう。

「ふーん……琴音ちゃんがゲーム好きなのは知ってたけど、あの子もなんだ」

「はい。廃人……とまではいかなくても、重度なマニアだと思います」

 とはいえこれは俺から見た桜木の評価だ。

 同じオタクから見たなら、きっと桜木もまだまだなのだろう。

 上には上がいるからな。

「そう言う七星さんは結構な上級者っぽいですよね」

「わたしは……あんまりゲームはしないかな」

「えっと……意外ですね」

 この人のことだから、古今東西森羅万象、この世の全てのゲームを知り尽くしていると思っていた。何でそんなふうに思っていたのかは謎だ。

「いやー、本当はやりたんだよ? でも時間がなくって」

「ああ、なるほど」

 開発チームの責任者をやってるほどだ。そりゃあ忙しくてゲームなんてやってる暇はないだろうな。やってると、一時間なんてあっと言う間だし。

「だからさー、実際のところ不安なんだ」

「不安……ですか」

「うん。あんまりゲームできないから、システムとかキャラクターとか。そういう色んなところでボロが出そうで」

「……さっきやったゲームは、大丈夫そうでしたけど」

「さっきのはお父さまが作ったゲームだからね。それに男性用コンテンツだし、どんな内容かはわからないけど、男性が納得できればそれでいいんだよ。そこにゲーム性やストーリー性はいらいんだよ」

 ……うん、まぁそうだよな。あの手のゲームにストーリー性なんてないよな普通。

「そしてお父さまはそれでいいっておっしゃるの。ゲーム性や魅力的なキャラクターより、売れる物を作れって」

「それは……正しいんじゃないですか?」

 会社を運営していくにあたって、売上は大切だ、と思う。

 今見ただけでも、数十人。おそらく、島全体では数千人規模の研究者やら職員やらがこの施設で寝泊まりしているのだろう。

 彼らに払う給料だって、その売上から計上しているのだ。なら、売れる物を作れという七星さんの親父さんの考え方にも納得がいく。

 けど、七星さん自身は違う考え方を持っているようだ。

「お父さまの考え方が間違っているとは思わないよ。けど、ゲームってそれだけじゃないって思う。もっと人を楽しませられる、みんなを笑顔にできる……そんな可能性だってあるんじゃないのかなって」

 例えば、かの有名なパーティーゲーム。

 親戚やら友達やらが集まって、サイコロを転がして進んで行くあれ。

 あれだって、立派なゲームだ。それで俺は子供の頃、何度も笑顔になった。

 大いに笑わせてもらったものだ。

 七星さんの言う可能性とは、ああいうことを指して言っているのだろうか。

 まるで、自分の幸せを誰かに分け与えたい。そう思っているように俺には見えた。

「……素敵な考え方だと思いますよ」

「はは、ありがと。けど、実際に行動して成果を上げないと。じゃないと、ここにいるみんなの明日の食べ物にも困っちゃうからね」

 そこが、難しいところなのだろう。

 技術者として、クリエイターとしての理想はある。

 けど現実は厳しく、理想を叶えるためにはお金も時間も必要だ。

 きっとそこには、途方もない労力と時間が費やされたことだろう。……しかし、どんな時間を賭け心身を削ったところで、上手くいく保証はどこにもない。俺ならどうだろう? 一年、長くても二年、何の成果も結果も出なかったら、きっと心が折れてしまっていた。

 すごいな、七星さん。本当に。

「ふむ。では次だ」

 七星さんは壁にもたせかけていた体を浮かし、桜木と九条を止める。

 二人ははたから見るとバカ丸出しのエア平泳ぎを中断して、ヘッドギアのスイッチをオフにした。

「じゃあ二人とも次のゲーム、しよ」

「はい!」

「いいでしょう」

 桜木が元気よく、九条が顔を赤らめつつ、返事をする。

 そのことに七星さんは僅かに肩を揺らした。笑った、のだろうか。わからない。

 いや、きっと笑ったのだろう。俺はつい今し方、七星から聞いた彼女の理想。それを思い出して、そう確信する。

 

 

                          ●

 

 

 そんなこんなで時は流れ、昼飯時。

「二人ともどうだったー?」

「すっごく楽しかったです! とくにあのサメの目を抉るところとか」

「わたくしは宇宙空間での打ち合いがよかったですわ。迫力があって。ただちょっと、コクピットが手狭だったのは窮屈に感じましたわ」

「ははは、それは仕方ないねー、コクピットは狭いものって相場が決まってるから」

「そうだよ九条さん! 仕方ないよ!」

「そう言う桜木ちゃんはすごく手なれてたねー、ああいうのよくやるの?」

「はい。冒険アドベンチャーとか大好きなんで」

「そうなんだ。偏食気味の琴音ちゃんとはだいぶタイプが違うねぇ」

「へー、九条さんって今どんなのやってるの?」

「べ、別に何だっていいじゃではないですか!」

 九条が顔を赤くして、昼飯のカレーを頬張る。

「琴音ちゃんはねー、最近は……」

「言わなくていいですわ! それより、お昼が冷めてしまうでしょう!」

「えー、気になるのにー」

 桜木が不満そうに頬を膨らませる。

 そこに、ついさっきまでの緊張で固くなっている様子はない。一緒にゲームで遊んでいる内に溶けてなくなってしまったようだ。

 うん、桜木が笑っているのはいいことだ。俺も目の保養になる。

「それで? 君はどうだった?」

「お、俺ですか……?」

 突如として指名されて、軽く戸惑う。

 桜木も九条も俺を見つめていた。そこには何らかの期待が込められているような気がして、胃がきりきりしてくる。

「……あー、そうですね」

 あのあと、数ゲームほどプレイさせてもらったのだが、やはり一番最初のが印象深い。

 あの雰囲気、ユーコの佇まい。

 あれは間違いなく、抜きゲー……なんだろうなぁ。開発陣のメンツから言っても。

「よ、よくわからなかったです」

 結局俺は、お茶を濁すことにした。

 桜木たちが「なぁーんだ」とつまらなさそうに背もたれに体重を預けるのを視界の端に納めつつ、俺はホッと吐息した。

 これでよかったんだ。だって正直に言っても殺されるだけなんだもん!

 俺はカレーを口に含み、何かを誤魔化すように一心不乱に噛み続ける。

 その様子を、七星さんが面白そうに目を細め、にやにやしながら見ていた。

「……何ですか?」

「んーん、何でもないよ」

 頬杖を突き、にやにやにやにや。気持ち悪いったらない。

「あの、すげー食べづらいんで止めてもらっていいですか?」

「まぁまぁ、人間観察はわたしの趣味の一つだから。気にしないで」

 何一つ説明にも弁解にもなっていない。

 俺ははぁと溜息を吐くと、無理矢理七星さんを意識の外に追い出して無心でカレーを食べ続ける。

「それで七星さん、午後からどうします?」

「そうだねー、まだ開発中のがいくつかあるけど、やる?」

「はい、ぜひ!」

 ガタッと桜木が立ち上がり、身を乗り出した。

 その目はキラキラと輝いていて、何だったら星の一つでも跳び出してきそうだった。

「元気だねー、さすが高校生!」

 いや、あんたほど元気な人も高校生でそうそういないから。

 俺は七星さんの役職を思い出し、そう思ってしまうが口にはしない。

「それじゃ、お昼食べたら早速行く?」

「行きます!」

「仕方ないですわね」

 普段来れないような場所だからか、桜木のテンションが妙に高い。

 そして、こんな桜木を見るのは俺も九条も初めてだ。

 何となく、親心が出てしまう。もっと楽しんでほしいと思う。

 そんな心境になった。

「んじゃ、早速いこー」

 七星さんがカレーの乗ったトレイを持って立ち上がる。

 それに続いて、桜木、九条、俺の順番でトレイを返却口に返しに行った。

 俺がトレイを返却口の置く。と、厨房の奥で仕事をしている人物と目が合った。

 長い黒髪を一つにまとめ、前髪が数本垂れてそれが料理に入らないようにだろう、口に恐絵ている。更に白い服のため、その出で立ちはまさしく貞子3Dだった。

 ぞっと、背筋に悪寒が走る。

 俺はトレイから手を離すと、ダッシュで桜木たちの元へと向かった。

 

 

                       ●

 

 

「そういえば、七星って世界三大財閥って呼ばれてるんですよね?」

「そうだねー、何かそんな感じ」

「何かって……知らないんですか?」

「ほら、わたしはまだ色々と勉強している身だから。年も、君たちより一つ年上なだけだし」

「一つ年上! ってことは……私、てっきり二十歳越えてると思ってました」

「はははー、桜木ちゃん、それはどういう意味かなー?」

 振り向いた七星さんの目だけが笑っていなかった。

 やはり、女性に対して年の話は禁句のようだ。

「……ま、いいけど別に」

「今のは別にいいという人の顔はではりませんでしたけど」

 九条がじとっとした視線を七星さんに向ける。

 俺たちは今、食堂を出て最初に案内されたあのゲーム部屋へと向かっていた。

 ここで、俺と桜木、九条は意外な事実を知ることとなる。

「でもねー、今その三大財閥の地位が脅かされつつあるらしいんだよ」

「? どういう意味ですか?」

「世界三大財閥は、およそ七百年に渡って世界の経済を維持し続けてきた。様々な企業、産業の形を取りながら」

 でも、と七星さんは何でもないことのように、さらりと言ってのける。

「その経済バランスを崩しかねないほど、急成長を遂げている新興企業があるんだよ」

「そ、そんなものが!」

 ガンッと九条が教科書の背表紙の端で頭を叩かれたような顔になる。

 そんなにすごい話なのか? 俺にはまったくわからんが。

「あるんだよ、それが」

「なんですの、その新興企業とは!」

 どうにも深刻な話らしいな。

「それはねぇ……」

 勿体ぶるように、七星さんが溜めを作る。

 九条がごくりと唾を飲み下す音が聞こえた。つられて、俺と桜木にも緊張が伝播してくるようだ。

「〈個条カンパニー〉って企業だよ」

 どきりとした。別に俺の名前が出されたわけでもないのに。

 何だろう、すごく聞き覚えのある名前なんだけど。

「それって……その、どういう会社ですの? 社長の名前とかおわかりになりますか?」

 俺が気になっていたことを、九条が聞いてくれた。

 から、俺は七星さんの回答を黙って待つことにした。

「何でも、大学卒業したばかりの人が興した会社で、何でも屋さんみたいなとこだったと思うけど。社長の名前は確か……そうそう、個条國人って人」

 適切な言葉を探して視線をさまよわせ、しかしそれでもしっくりきていない様子で七星さんが答える。

 何でも屋ねぇ……ちょっと意外かも。

「えっと、その何たらバニーさんが今、世界三大財閥を脅かしていると?」

「いや別に脅かしているわけじゃないんだけどね。というか、何その新種のうさぎみたいみたいなの。ちょっと見てみたいんだけど」

「そんなことはどうでもよろしいですわ」

「どうでもいいって自分で聞いてきたんでしょ。まぁいいよ」

 七星さんはやれやれと首を振り、肩を竦める。

「とにかく、その〈個条カンパニー〉は今、ありとあらゆる事業に手を出してるの」

「ありとあらゆる事業?」

「ありとあらゆる事業はありとあらゆる事業だよ。不特定多数、何万人規模の人たちから一人一円で募金を募っても、結果として数万円集まるようなものだよ」

「つまり、それほど手広くやってるってことですのね」

「そだねー、けど今はまだ、自分たちにあった仕事を模索している段階だと思うんだ。ただの一新興企業に、そんな広範囲の仕事を続けていけるだけの資金はないだろうし」

「……どうでしょうね」

 七星さんから目を逸らしながら、吐き捨てるように九条はそう呟いた。

 九条は前に一度、俺の従兄弟であるところの〈個条カンパニー〉社長の個条國人と会っている。その際、俺と國人兄ちゃんは桜木を巡る壮絶な戦いを繰り広げたわけなのだが、その時から九条は國人兄ちゃんを嫌っている。たぶん、俺から桜木を掻っ攫おうとしたことが原因なのだろう。……いい人なんだけどな。

「でも、何で琴音ちゃんがそんなことを聞くの?」

「へ? ああ、えーと……いつかぶっ潰してやりたい相手ですの」

「琴音ちゃん、女の子がそんな言葉を使うものじゃないよ。例え女の子じゃなかったとしてもだけど」

 めっと七星さんが九条を嗜める。けど、九条にどれほどの効果が合ったかは定かではない。

 つーか、きっとさほど効果はないだろう。何せ九条の目、恐いもん。本気で殺しに行く奴の目だもん。

 あの件は一応解決というか、和解したんだが。それほどまでに嫌いか、あの人が。

「とりあえず琴音ちゃんの私怨は置いておいて。さぁ着いたよ。再開しよう」

 ゲーム部屋に戻り、俺たちは唖然とする。

 なぜならそこには、つい数十分前までは存在しなかった大型の装置があったからだ。

 

 

                         ●

 

 

 まるでSFの世界を思わせるような巨大な灰色の塊。

 ボードサッカーのフィールドを大きくしたような長方形。その両端に、人一人がやっと建てるだけのスペースが存在している。

「……これは」

 どこかで見たような装置だった。例えば十数年ほど前。小学校の自分にテレビで、とか。

「これは『VRリンクス』っていうゲームだよ」

「……『VRリンクス』?」

「そうだよ。二人とも、端っこに立ってみて」

「は、はい……」

 桜木と九条がそれぞれ、七星さんの指示に従ってフィールドの両端のスペースに収まる。

「事前に言っておいた自分のデッキは持って来た?」

「まぁ……持って来いと言われていたので」

「わ、私もです」

「よろしい。じゃあ始めよっか」

 七星さんがデッキを手もとに置くよう言う。

「二人とも一枚引いて、試しにそこのデスクみたいなところに置いてみて」

「こ、こうですか?」

「では……」

 二人とも半信半疑でデッキから一枚ドロー。それを目の前にあるであろうデスクに置いた。

 するとその時、不思議なことが起こった。

「おお! 何これ!」

「すごい、ですわ」

 興奮気味に吐息する桜木と九条。

 それもそのはずだ。何せ、今俺たちの目の前には実際に立体映像として、二人がデスクに置いたであろうカードのモンスターが出現したのだから。

「おお」

 思わず俺も、感嘆の吐息を漏らす。

「すげーな、これ」

「そうでしょう。我が工房が誇る最新鋭のVR技術だからね」

「VRっつーかまんまソリッド……」

「おっと、その発言は多方面に敵を作るから却下だよ」

 七星さんが俺の口に人差し指を押しつけて、俺の発言を抑え込んでくる。

 つーか何してんの、あんた!

「いや、違うんだ桜木!」

 俺は慌てて桜木へと視線を移す。と、桜木は妙に引きつった笑顔を貼りつかせていた。

「どうしたの健斗? 別に私は何も言ってないよ?」

「そうですわ。別にあなたが謝る必要なんてありませんわ」

「その割にはどうして俺を睨むんだ! あと何で九条がそんな怒ったような顔になる!」

 桜木と九条の態度が揃って悪くなる。

 何となくやさぐれた感じになって、俺としては居づらいことこの上ない。

 こんな状況になったというのに、七星さんはにこにこしてるし。変わり者だとは思っていたが、ここまで常識からズレた人だとは思わなかった。

 あんなことするか、普通。……まぁ悪くない感触だったけど。

「……では、戦いの儀を始めましょう」

「そうですわね。あの変態に鉄槌を下すための戦いの儀を」

「まておまえらなんかすげー物騒なこと言ってねぇか!」

 こんな戦いの儀があってたまるか。あれって確か、もっと清々しい感じの奴じゃなかったか? 何でこんなドゥロッドゥロしてんだよ! 感動も何もあったもんじゃねぇ! どこの部族の儀式だ!

「え? だって仕方ないでしょ?」

「そうですわ。あなたが悪いのです」

「そうか悪かった。俺が悪かったからその目を止めてくれ」

 そんなブラックホールよりハイライトのない黒い瞳を俺に向けないでくれ。魂まで冥界に召されちまう。

 俺は必死の訴えが通じたのか、はぁと桜木は小さく、溜息を吐いた。

「……ま、その辺のことは後々話すとして」

「……わかりました」

「ええ、今はこの勝負を楽しみましょう」

 桜木たちの顔つきが、女の子から勝負師のそれへと変貌する。

 ぴりっとした空気が、俺の神経を更に委縮させる。


「「さぁ、ゲームを始めよう」」


 ……おまえら、それ別作品の主人公の台詞だからな?

 

 

                        ●

 

 

 勝敗は……端的に言って桜木の勝利だった。

 このゲーム、実は俺も数日前に始めたのだ。けど、ルールがさっぱり覚えられん。複雑怪奇過ぎてな。

「……さぁ九条さん、敗者がどんな目に遭うか、わかっているよね?」

「くっ……ええ、敗者はカードに魂を封じられる」

 え? 何それ恐い。じゃあそのカードを破いてしまえば、そいつは完全にこの世から消えてなくなることになるんじゃね?

 このゲーム、そんな罰が待っているのか。やらなくてよかった。

「その通り。けど、私は寛容だから。そんなことはしないよ」

「……ありがとう、と言った方がいいんでしょうね」

「それは九条さんの自由。けど覚えておいて」

 桜木はくるりとデスクに背を向ける。

「私は、あなたの挑戦をいつでも受けて立つから」

 そう言い残し、颯爽とその場を離れる桜木。

 とはいえ、俺のところまで戻ってくるだけだけどな。何だ、この茶番は。

「ふむ……なるほどねー」

「何かわかったんですか?」

「うんうん、わかっちゃったよ、桜木ちゃん」

「何がわかったというんですの?」

「VRって実は、カードゲームに向かないんじゃないかってこと」

「…………」

 桜木と九条が確かに、みたいな顔をしている。俺はにはよくわかんが。

「確かに。……いちいちフェイズの確認が表示されてモンスターの動きが止まるのは鬱陶しかったし」

「せっかくの大迫力が台なしでしたわ」

 ふーん、そんなもんか。俺は立体映像で見れて、結構面白かったけどな。

「アニメでは、フェイズ確認なんてしてなかったから。何だかすごくテンポが悪い気がします」

「うーん……でもルール上、フェイズ確認は外せないしなー」

「そうですわよねぇ……やはり、向いていないのかもしれませんわ」

「ま、いいんじゃないですか。結論も出ましたし」

「うん、そうだね。アドベンチャーやシュミレーションはちゃんとできたし」

「そうですわね。この線で進めて問題ないと思いますわ」

 どうやら一件落着のようだ。よかったよかった。

「それで? 今日の体験会はこれでお開きですか?」

「そーだねー。みんなにはお礼とかしたいけど」

「気にしなくていいですよ。それより早く帰ってやらないといけないことがあって」

「やらないといけないこと? なーに?」

 七星さんが可愛らしく首を傾げる。俺もわからないから教えて。

「ふふん、ちょっと二人の今後について、ですかね」

「ふーん? おつきあいするって大変なんだねぇ」

「違いますわ、七星さん。この男が節操なしなだけですわ」

「へ? 石宮ちゃん、そんなに浮気性なの?」

「違いますよ!」

 何でそうなるんだ。俺は断じて浮気性な男ではない。

「その辺は嘘発見器にかければわかることだから」

「嘘発見機なんて持ってたのかよ、おまえ」

「うん、持ってたよ。使い方はねー、まず椅子に縛りつけるでしょ。それからねー」

「わかったもういい。聞きたくない」

 それは嘘発見器とは言わない。拷問って言うんだぜ桜木よ。

 俺は桜木の虚言を耳を塞いでシャットアウトする。

 ポンッと、七星さんが俺の肩に手を置いた。

「だめだよ、浮気なんてしたら。女の子はね、好きな人にはずっと、自分だけを見ていてほしいものなんだから」

「七星さん……もしかして過去につらい恋を体験したことが……?」

「ううん、この前やったギャルゲーでそう言ってたよ」

「あっ……そうですか」

 だめだこの人。本気でゲーム開発しかしてこなかったパターンだ。

「さて、ではそろそろおいとましましょうか、みなさん」

「そうだね、これ以上長居しても迷惑かけるだろうし」

「えー? みんなもう帰っちゃうのー?」

 七星さんが九条に縋り着くようにして飛びかかる。

「もっと遊ぼうよー」

「あなたはゲーム開発がありますでしょう!」

「大丈夫だよー、スケジュール調整するからー」

 七星さんと九条がじゃれているその横で、この島で働いているみなさんは顔を真っ青にしていた。……あまり深く考えないことにする。

「それに、わたくしも帰ってやることが」

「どーせゲームでしょー」

「他人をそんなゲームしか取り柄のない人のように言わないで下さいまし!」

「別にそこまでは言ってねぇんじゃ……」

 二人を仲裁しようと口を挟んだ。……が、聞く耳持たないらしい。

 もう知らん、その内帰れるだろう。

 俺は九条と七星さんから視線を外す。

 そういや、桜木はどこ行ったんだ?

 きょろきょろと周囲を見回し、先ほどの立体映像装置のデスク部分にその姿を発見した。

 俺は桜木に近づき、ポンと肩を叩いた。

「なれなれしいよ」

「普通に傷つくから止めてくれ、そんなマジトーンで言うの」

「……健斗が悪いんだよ」

 ぶーっとむくれる桜木。その姿も可愛くて、思わずつんつんしたくなっちゃう。

「ちょっと止めてよ。私今、怒ってるんだよ」

「わかってるって」

「わかってないからそいうことするんでしょ」

 桜木に手を払い除けられても、めげずにつんつんを続行する。

 と、次第に本気で頭にきたらしい。桜木の鋭い右フックが俺の鳩尾を深くえぐる。

「ぐえ……!」

 その場に膝を突く俺。それを冷たい眼差しで見下す桜木。

「だから、止めてって言ってるでしょ?」

「す、すまん……」

 そうだよ、こいつの体育の選択科目は空手だった。俺はバドミントン。

 その道のプロなら桜木のパンチはなんてことないものだろう。けど、俺はプロではないし何より全く経験すらしたことがない。

 桜木のパンチをかわすことなんてできず、ましてや堪えるなんてことができるわけがない。

 俺はぷるぷると全身を震わせ、桜木の視線を堪える。あと痛みにも。

「それではお二人とも、帰りますわ」

「あれ? 七星さんは?」

「ああ、職員の方に引きずられていきましたわ。……全く、あの方は」

「はは、ずいぶんと仲がいいんだね」

「……ええ、そうですね。まぁあれでもお友達……ですから」

 九条が少し気恥かしそうに視線を逸らし、頬を染める。

 そんな彼女の反応が可愛いとか、そんなことを思う余裕は俺にはない。

「さぁ出は帰りましょう。外にヘリを待たせてあるらしいですわ」

「そうだね。今日は楽しかったなー」

「わたくしもですわ。VR技術には向かないゲームもある。それがよくわかりました」

「あのアドベンチャーゲームは大迫力だったねー」

「ええ、すごく素敵でしたわ」

「お、おまえら……」

 俺を置いてさっさと行ってしまおうとする桜木と九条。

 いや、いいから少しは俺の心配をしてくれ。

 声にならない声で、そう訴える。

 そして同時に思った。

 これから先、たくさんの時間が経って、VR技術が格段に向上したのだとしても決して変わらないものがある。

 それは、現実に存在する生身の女の恐さだ。――俺は今日、そう確信したのだった。

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