第5話 桜木玲争奪戦

桜木と出会って、俺にも変わったことがある。

 一つは、彼女の影響でゲームを始めたこと。それまで、友人や親戚が集まった時だけパーティーゲームをする程度だった俺が、ちょこちょことステージのクリアを目指し、画面の向こうの美少女を落とすことに夢中になる時間が増えた。

 もう一つは、俺の周りの世界が変わったことだ。恋をして、誰かを好きになれば世の中がキラキラして見えるなんていうのを聞いたことがあるが、あれはマジらしい。

 でも、それ以上にイライラすることも増えた。

 桜木は学校では〈深窓の令嬢〉として振る舞っている。別にそれが嫌いという訳ではないのだが、やはり窮屈そうにしている彼女を見るとどうしても胸が苦しくなった。

 勉強も運動も、何でも器用にこなす桜木。彼女は、いつも周りからの期待の目に晒されていた。

 ストレスが溜まっているのだろうと思う。

 教室にいる時の彼女は、とても彼女らしく無かった。

 俺の知っている桜木玲では無かった。

 それが、妙に俺をイライラさせた。

 もっとのびのびと暮らしいて欲しい。

 いつだって、桜木は桜木のままでいて欲しい。

 それが俺の望みだ。

 でも、俺がそう願ったところで現実は何も変わらない。無論、口にすることもできない。

 言ったところで、桜木は変わらないだろう。

 いつものように猫を被り、お嬢様然とした態度を貫くだろう。

 それが辛かった。苦しかった。

 俺の前だけでは何の気兼ねもなく、饒舌に語ってくる。ゲームやアニメや、漫画の話。

 それらを遠慮無くできる相手が、俺以外にもいたら。

 そんな妄想に取り憑かれる。

 意味も無く。

 今日も俺は願う。無駄だと知りつつも、願わずにはいられなかった――

 ギラギラと陽光が降り注ぐ。俺は全身の毛穴という毛穴から汗を流し、学校へと続く長ったらしい坂道を歩いていた。

「なん、だ……これは……」

 声も心無しかかすれているようだ。それもそうだ。喉は既にカラカラに乾いていた。

 こんなことなら、お茶か水でも水筒に入れて持ってくるんだった。

 俺は自分の思慮の浅さを呪いつつ、背中に制服を張りつかせてぜえぜえと呼吸を荒げながら必死こいて足を動かす。

 坂道を半分ほど登ったところで、背後から声が聞こえて来た。

「おはようございます、健斗くん」

 癒し効果抜群の透き通るような声が聞こえて来た。振り向かなくとも分かる、俺の天使の声音。

 しかし俺は首だけでも振り返った。そそして視界に納める、その人物の顔を。

「ああ、今日も一日頑張ろう」

 疲れ切った中でも、そう思えるくらいにマイエンジェル――桜木玲の笑顔は心に染みた。

「えっと……頑張ってください」

 桜木と俺は同級生なのだが、というか恋人同志のはずなのだが、桜木はなぜか丁寧な口調でそう返して来た。それについて疑問に思うと色々と負けなので、もはや何も言うまい。

 桜木のエールを受けて、俺の中の体力ゲージが一挙に高まる。

「ああ、頑張るぜ、俺!」

 なんせ学校に来る目的の九割はお前に会いたいからだもん。残り一割は友達とか。勉強なんてこれっぽっちもしたくない。

 美少女にはエスカレーター機能でも働くとかそんなことは無いはずだが、桜木の表情は涼しげなものだった。さすがは桜木といったところか。

「ふふ、もうすぐですよ、頑張って」

 桜木の応援が耳に心地よかった。自然と疲れも飛び、足が軽くなる錯覚まで覚えてしまいそうだ。実際は一ミリたりとも時速が上がった訳では無いのだが、それは重要なことではない。

 校門が見えて来た。その前に立つ、ジャージ姿のスキンヘッド体育教師が俺を睨んでくる。

 俺はぺこりと一礼して、校門を潜った。桜木も俺の後ろに続く。

 なぜか俺はここ最近、学校中の先生から目の敵にされているのだった(気のせいかもしれんが)。

 桜木とつき合い出してすぐの頃、一日に五十回は授業中に指されるという謎の現象が起きた。普通は一時間に一回のあたるかあたらないかという割合のはずだが、俺は授業中に平均して五~十回は解答を求められたのだ。

 あれは、絶対に悪意のある行為だと俺は思っている。

 それはさておき、俺は生徒昇降口の前でへたれ込む。

「あー……疲れた」

「ふふ、お疲れ様」

 まだ学校が終わった訳でもないのに、というかこれから始まるのだというのに、桜木は労いの言葉を俺にかけて来た。これはきっと一日の終わりに言うべき言葉なのだろうが、この際そんなことはどうだっていい。俺は桜木のステキボイスを聞いて、自分の中で体力がい回復して行くのを感じた。

 顔を上げ、桜木を見やる。

 夏に入って、桜木は髪を切った。前は肩の腰の少し上ぐらいまであった長髪だったのだが、今は肩口で切り揃えられたセミロングに変わっている。加えて露出度も多く、生地も冬物と比べると幾分か薄くなる夏着を着ているので、彼女の自己主張控え目な胸部や白いうなじ、細い手足が惜しげも無く全面へと押し出されている。つまり、桜木の魅力が二百パーセント表に出て来ていることなる。

「……おまえ、全然疲れてないよな」

「まあ、普段から運動は欠かせていませんから」

 あれだけ急な坂を登って来て、その一言で済ませられるあたりに桜木の凄さがある。後、この丁寧口調は基本的に他人のいる前で使われるもので、俺と二人きりの場合、途端に甘えん坊になる。そのギャップがまたよかったりする。

「さて、じゃあ行くか」

 体力が回復した(気がした)俺は下駄箱で上靴に履き替える。俺の背後で、桜木も同じような行動をしているのは気配で分かった。

 それから、俺達は軽い雑談を交わしながら二階へと登る。一年生の教室は、なぜか二階にあった。

 また桜木と一日を過ごせることへの高揚感と、授業を受けなければいけないという憂鬱感が俺を襲っていた。

 

 

               ◆  ◆

 

 

 午前の授業が終了した。俺は即座に席を立つと、教室を出る。

 普段なら桜木と一緒に屋上へと向かい、そこで彼女手製の弁当をついばむところだが、興は少し違った。

 先に行っているよう、桜木からお達しがあったのだ。何か用事があるらしい。そう時間はかからないと言っていたから、すぐに姿を現すだろう。

 るんたった~、と屋上へ出ると、扉の横に腰を下す。桜木はまだかな~とウキウキしながら待つ。

 十分くらい経った頃だろうか。そろそろ暑さに滅入り始めたところで、屋上の扉が開いた。

 桜木だ。そう思い、振り返る。

 だが――

「よう、久しぶりだな」

 気さくに手を上げ、そう挨拶をして来たのは、スーツ姿のいかにも好青年といった風体の男だった。しかもその顔には、見覚えがある。

「…………國人、にいちゃん?」

「おう、僕だ」

 その男、國人にいちゃんはニッと白い歯を見せて笑うと、俺の肩にポンと手を置いた。

「いやあ、でかくなったなあ。もう高校生か」

「にいちゃんこそ、なんだよその格好?」

 にいちゃんは自分のスーツ姿を見下すと、小首を傾げた。

「どこかおかしいか?」

「いや……おかしくはないけど」

 見なれないその姿に、少々以上に面喰ってしまった感は確かにある。

 個条國人。俺の従兄で五つ上のにいちゃん。小さい頃はよく一緒に遊んだものだ。その頃にことは、楽しかった思い出として今も俺の記憶の中に留まっている。

「どうして……?」

「ん? いやな、おまえのクラスに行ったんだがこの時間は大抵ここにいるって聞いてな」

「誰がそんなことを?」

「知らん。おまえのクラスにいたし、たぶんクラスメイトだろ?」

 あっけからんとした態度で國人にいちゃんは昔も今も変わらない。

 自由人というか、型にはまらないというか。

「それで、今日はなんで学校に?」

「ああ、たまたま近くを通ったものでな。だったらおまえの様子でも見て行こうと思ってな」

「何も今日じゃなくても……。それに父さんも母さんもにいちゃんが帰って来てるって知ったら喜ぶ」

「おじさんとおばさんな。今日はまだやることもあるし、後日また挨拶に行くよ」

「そう。……それでその格好は?」

「……そんな変か?」

 同じようなやりとりを繰り返す俺達。昔も、こんな感じでにいちゃんにはいじめられたっけ。

「いや、変とかじゃないんだけど」

「ま、俺ももう二十代を迎えちまったからな。就職しない訳にはいかないんだよ」

 國人にいちゃんは高校卒業後、単身海外を飛び回っていた。これまでにもたまに手紙が送られてきていたのだが、ついに就職する気になったらしい。

「それで、どこ受けるんだ?」

「んー、どこも」

「……え?」

 にいちゃんの言っていることがよく分からなかった。

 俺は自分の足が固まるのを感じた。

「どういう意味?」

 就職するためにはまず履歴書を書かなくてなくてはならない。それから面接を受け、合否を決定する。そんなことは常識だ。

 しかし、にいちゃんはどこの試験も受けないのだという。それでどうやって就職しようというおか。

 俺はおそるおそる訊ねた。これまでのにいちゃんの行動や性格を鑑みると、おのずと答えは出て来るのだが。

「会社を起こした」

「あー……」

 どこぞの会社へ就職したと聞かされるより、幾分も納得できる答えだった。

 この人なら、という前提つきだが。

「それで健斗、おまえはこんなところで何してんだ?」

「ん? ああ、それは……」

 にいちゃんの質問に答えようと口を開きかけて、はたと止まった。

 ちょっと待てよ、このままこの人に真実をありのまま伝えてもいいものだろうか? なんか馬鹿にされそうでかなり嫌だ。

 思えば、昔から國人にいちゃんにはそういうところがあったような気がする。他人の大事にしている物を踏みにじって喜ぶというか……、

「どうした? 大丈夫か健斗?」

 急に黙りこくってしまった俺を心配してか、國人にいちゃんが真下から俺の顔を覗き込んでくる。だがしかし、俺は顔を上げることができなかった。

 どう言い繕えば――考えるが、いい答えは浮かんでこない。

 そこへ……、

「お待たせ健斗、ちょっと時間かかっちゃって。ごめんね……え?」

 俺一人しかいないと思っていたのだろう。いつものお固い丁寧口調を引っ込め、甘えん坊なほうの桜木が勢いよく扉を開けて現れた。彼女の表情が、楽しげなものから疑問系、そして緊迫感を孕んだものへと変わる。

 にいちゃんも、桜木を呆然の体で見返していた。

「………………」

「………………」

「………………」

 数秒間、長くて二分ほどの沈黙が訪れる。

 俺達は互いに顔を見上げわせ、紡ぐべき言葉を見出せずにいる。

 最初に口を開いたのは、桜木だった。

「えーっと、この人は?」

 かなり無難な質問だ。しかし桜木よ、対人用の丁寧口調になってないぞ。

 そのことを指摘しようかとしたところで、俺が何か言うより先に國人にいちゃんが自己紹介を始めた。

「始めまして、健斗の友達かな? 僕は個条國人。健斗の従兄だよ」

 実に朗らかな挨拶だった。まるでイッパシの青年実業家でも見ているかのようだ。

「そうなんですか! 健斗くんの……」

 桜木も何がそんなに嬉しいのか、パアッと表情を輝かせた。大方、俺の昔話を知っている人とでも思ったのだろう。そして、彼女の推測は正しい。

「健斗くんって、小さい頃はどんな子供だったんですか?」

 丁寧口調に戻った桜木の質問に、國人にいちゃんが少し考えるような仕草を見せてから答えた。

「活発な子供だったかな。よく体中泥だらけにしてね、青あざや擦り傷なんかもたくさんあったよ」

「止めろよにいちゃん、そんな昔の話」

 桜木に対してこれほど強く出れる訳が無いので、國人にいちゃんに釘を指しておく。すると、にいちゃんはにっこり笑むと、俺の頭に手を置いた。小さい頃からの俺達の間の儀式みたいなものだった。

 俺から手を離すと、國人にいちゃんはトットットと靴音を鳴らして桜木に歩み寄った。何をするつもりだろうと見守っていると、唐突ににいちゃんが桜木の前で跪いた。

「あの……」

 桜木が困ったような顔をする。助けを求めてだろう、俺のほうへと視線を送ってくるが、何が起こっているのか俺が知りたかった。

 ほどなくして、答えは出た。

「一目惚れです。僕と結婚を前提にお付き合いして下さい」

「へ……?」

「は……?」

 はああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!

「訳が分かんねえよ! いきなりなんだ!」

 思わず、俺は國人にいちゃんに噛みついていた。にいちゃんは俺を振り返ること無く、決意に満ちたいい声で俺の混乱に更に拍車をかけて来た。

「恋はいつだっていきなりなんだ。健斗、おまえにもいつか分かる時が来ると思う」

「ねえよそんな時! 一生ねえ!」

「そう全力で否定するな。空しくならないか?」

 俺の頭は怒りやら焦りやら何やらでごちゃごちゃになっていた。既に自分が何を言っているのか、それすら把握できていない。

「大体、桜木とはさっき顔を合わせたばかりじゃねえかよ! そんなんで好きとか言える訳ねえだろうが!」

「フッ……まだまだ子供だな、健斗」

 必要以上に芝居がかった口調がまたむかつく。

 俺は桜木との間に割って入ると、にいちゃんの前に立ちはだかるかるようにして匂い立ちになった。

「とくにかく、だめなもんはだめだ! 他あたれ!」

「いかに健斗といえど、僕の恋路の邪魔をする権利は無いはずだ。それとも何だ? 彼女はおまえの所有物か何かか?」

 痛いところをついてくる。俺はぐっと言葉に詰まった。

 だが、こんなところで退く訳にはいかねえ。

「俺の所有物という訳じゃあねえが、俺の女ではある、いくら國人にいちゃんでもちょっかい出さねえでもらいたい」

「……俺の、女?」

 スッとにいちゃんの目が細められた。この目をする時、大抵にいちゃんは何かよからぬことを企んでいる。

 今回は、何を考えているのやら。

「……本当かい? えーっと、桜木さん、だったかな」

「はい、本当です」

 にいちゃんの問いに桜木が首肯しているのが伝わってきた。これで、にいちゃんも諦めがつくだろう。

「……ふむ、そうか」

 にいちゃんは考え込むように顎に手をあて、唸っていた。

 どうしてそんなに考え込まなくてはならないのか、俺はには分からなかった。さっさと諦めて違う女のところにでも行けばいいのに。目障りな。

「よし、決めた」

 何を決めたというのか、國人にいちゃんは口の端をつり上げると、

「また来る」

 そう言い残して、屋上から姿を消した。

 後に残された俺達は、お互いに顔を見合わせる。

 何だったんだろう、さっきのは。

 

 

              ◆  ◆

 

 

 屋上での國人にいちゃんとの再開から二日。俺達は見慣れた教室で、見慣れない顔を拝むことになる。

「な――」

 声も出なかった。何と言っていいのか分からない。

「えー、今日からこのクラスで皆さんと一緒に勉強をさせていただくことになりました、個条國人です。よろしくお願いします」

 そう言ってぺこりと頭を下げた転校生――個条國人は柔和な笑みとともに顔を上げた。

 俺は極限まで目を見開き、必死で現状の把握に努める。

 俺達の前、壇上にいるのは見るからに爽やかかつ朗らかな表情をしている俺の知り合い。彼はもう立派な社会人のはずだった。

 なのに、どうしてこんなところにいるのだ。そう疑問に思わずにはいられなかった。

 國人にいちゃんが、そこにいた。

「………………」

 おそらく、開いた口が塞がらないとはこのことなのだろう。

 驚く俺の心境を知ってか知らずか、國人にいちゃんはクラスメイトへと向けていた爽やか笑顔を引っ込め、俺に真剣な眼差しを送ってきた。

 普段はあまり見せることの無い、本気の顔だ。

 國人にいちゃんは壇上を下りると、そのままつかつかと歩き出した。

 先生に言われた自分の席では無く、俺の側に歩み寄ってきた。

「石宮健斗」

 びりっと空気を震わせるような、落ち着いた声音が耳に届く。

 これも、あまり聞いたことの無い口調だ。

 だが、確かに聞き覚えはあった。

 その昔、まだ俺が子供だった頃に一度だけ、國人にいちゃんはこういう顔をしていたことがある。

 その國人にいちゃんは俺の前にゆらりと立つとビシッと人差し指を突きつけてくる。

「おまえには負けない」

「……えーっと」

 どう答えていいのか分からず、俺はにいちゃんから周囲へと視線を飛ばす。助けを求めて級友達を見やるが、誰一人として助け舟を出してくれる者はいない。

 頼みの綱である桜木も、困ったように笑っているだけだった……。

「いったい何を言っているのですか!」

 先生がオロオロしながら仲裁に入ってくる。少々頼りないが、この際先生だっていい。誰か俺をこの場から救い出してくれ。

 俺達――この場合は國人にいちゃんを除くこのクラスの全員――が困惑に身じろぎ一つできずにいた。

 ようやく、にいちゃんは俺の心の内を察してくれたのか、先ほどの台詞につけ足した。

「桜木さんは僕がいただく」

「あ?」

 この一言には、さすがに理解が及んだ。と同時にカチンときて、思わず不機嫌そうな声になってしまう。

 しかしだが、これは仕方の無いことだろう。だって憧れの親戚のにいちゃんが俺の彼女を盗っちまうって宣言してるんだぜ? そりゃカチンともくるってもんだろう。

 が、國人にいちゃはそんな俺の反応なんか予想していたのか、落ち着いた様子で返してきた。

「……もう一度言う、桜木さんは僕がいただく」

 それは、どっからどう聞いても宣戦布告だった。

 

 

                ◆ ◆

 

 

「何なのですか、あの男は!」

 昼休み、俺、桜木、九条の三人は互いに顔を突き合わせて弁当を食べていた。

 いつもなら俺と桜木の二人だけしかいない屋上でのランチタイムなのだが、この日は九条が不機嫌さを隠そうともせず現れた。お陰で桜木からの「あーん」はお預けだ。

「どうした、いきなり?」

 九条琴音。長い金色がかった髪に細く華奢な手足。

 まるで、触れれば壊れそうな陶器のような美しい体つきをしているが、その実脱ぐと凄い。前に一度九条家へと出向いたことがあるが、その時に九条の下着姿を拝見したことがある。あれは一度見たら忘れられない。

 彼女の言いたいこと、その内容は大体予想がつく。

 だがしかし、俺はあえてすっとぼけた。メシの時まで、國人にいちゃんの話題なんか嫌だったからだ。

 そんな俺のデリケートな男心など全くもって分かっていない九条は食事中にも関わらずやおら立ち上がって拳を掲げた。

「あのような男に玲や石宮が屈することなどありませんわ。略奪愛などにし最良の結果が生まれることはあり得ませんもの」

「ふーん……ちなみにそれどこ情報?」

「どこだっていいことですわ」

 つーん、と九条がそっぽを向いて唇を尖らせる。情報源を口にするつもりは無いらしい。

 まあ、別にいいけどね。

「ふふ、ありがとう琴音ちゃん。でも大丈夫だよ、私の心は健斗だけだから」

「そ、そうですか……」

 歯の浮くような台詞、という言葉があるが、さっきみたいな言葉がさらっと出てくるあたり桜木らしい。そして九条がかなり赤くなっていた。

「それならばいいのです。しかし、もしわたくしの力が必要になったら、その時は遠慮無くおっしゃってください」

「うん、ありがとね琴音ちゃん。……まあでも九条財閥の力が必要になる事態って言うのは考えずらいかな?」

「ま、そうだな」

 適当に相槌を打つ俺。九条は俺の何が気に入らなかったのか、キッと一睨みしてきた。

 言い忘れていたが、九条はいいとこのお嬢様だ。それも世界でも屈指の大富豪の娘だとかで、言葉づかいなんかも俺達のような下々の者とは違っていた。

 しかし、ではなぜ九条が俺達と同じ学校に通っているのかと言えば、両親の教育方針という奴らしい。一般的な学校に通い、他人の上に立つ人間として何が必要か、考えられるようになって欲しいのだそうだ。この話を九条から聞いた時、俺は「そんな人間が実在するんだな」と感心したものだ。

「――まあそれはそれとして」

 九条はさっと髪を掻き上げると、指の間からキラキラとした謎の発光体を風に泳がせつつ口を開いた。

「この後、一勝負いかがですか、玲」

「うん、いいよ。私も新しいデッキ造ったから」

 俺も桜木と話しを合わせるために、ゲームやらアニメやらを色々とプレイしたり拝聴したりしているが、やはり俺みたいなにわかでは到底追いつけそうに無い領域に二人はいた。

 先ほどの情報だって、九条の持っているゲームから持ってきたものに違い無かった。

 後どうでもいいけど、おまえらどんだけ仲良くなってんの?

 

 

               ◆ ◆

 

 

 桜木がそうであるように、九条もまたオタクだった。

 本人は上手く隠しおおせているつもりでいるが、この間彼女の家に行った時にその手の片りんのようなものをちらと見る機会があった。

 それでとやかく言うつもりはないのだが、金持ちのお嬢様にもそれなりの悩みはあるようで、その趣味を周囲の目を憚って表に出せないことに苦しんでいた時期があった。

 そこで何がどうなって仲良くなったのか、俺の知らない内に九条と桜木はお互いにかなり仲良くなっていたのだ。

 そんなことはどうだっていい。

「ブラ○ク・マジシ〇ン・ガ○ルで攻撃!」

「何の――わたくしはトラップ、聖なるバ○アーミラーフ〇ースを発動しますわ!」

「その子はお仕事しないことで有名! カウンタートラップ、盗賊○七つ道具発動!」

「ぐ……」

 何がどうなっているのかよく分からないが、ともかく今は九条のほうが劣勢らしい。悔しげに歪められた表情も中々絵になるあたり、やっぱり九条って美人なんだなあと思わさせられる。

 九条の場にいたモンスター? が墓地とやらに行き、彼女の場はがら空きとなる。あるのは伏せカードが一枚。

「更に私はリバースカードオープン! リビングデッドの呼び声!」

 クトゥルフじゃないのか。

 俺は以前に見たTRPG動画を思い出しながら、そんなことを思った。

「ブ○ック・マジ○ャンを特殊召喚!」

「まだですわ! 激流○を発動! モンスターが特殊召喚された時、場の全てのモンスターを破壊しますわ!」

「くっそう……」

 今度は桜木が悔しがっていた。

 二人の場にはカードが綺麗さっぱり無くなり、最初は五枚あった手札も使い切っていた。

「でも、その状態から逆転するのは至難の業だよ」

「そう……しかし、もしわたくしがここでモンスターを引けたら面白くはありません?」

「それはそうだけど、でもそんなにうまくはいかないんじゃない?」

「ええ、でも、おもしろいですわよね?」

 にやりと九条が不敵な笑みを浮かべる。それは、もしかしたらという嫌な予感を誘うものだった。

 九条が山札の一番上に手を置く。

「わたくしのターン!」

 雄叫びと同時、九条の右手が後ろへ引かれる。

 引いたカードはなんだ!

 いつの間にか、見ているだけの俺も熱くなってしまっていた。

「く……」

 九条の表情が苦悶に歪む。どうやら、望んでいたカードでは無かったらしい。

「…………ターンエンドですわ」

「私のターン!」

 バッと桜木も山札からカードを引いた。こちらは、にやりと笑んだ。

「やはり琴音ちゃんに主人公補正は無かったみたいだね! これで私の勝ちだよ!」

 勝利宣言とともに桜木が場に出したカードは、

「クリボーを召喚!」

 バアアアアン! と桜木の背後に効果音が見えたような気がした。同時に、九条の背後にもガアアアアン! という効果音が現れたような気がする。

「クリボーで攻撃!」

「AIBOォォオオオオオオオ――」

 そして九条の負けが決定した。

 

 

                ◆ ◆

 

 

 カードゲームに二時間以上の時間を要してしまった放課後。

 俺達が生徒昇降口まで下りると、國人にいちゃんは壁にもたれかかるような格好で読書をしながら待っていた。

 にいちゃんは俺達が下りて来たことに気がつくと、読んでいた本を閉じてスッと壁から体を剥がした。

「遅かったな」

「先に帰ってくれりゃよかったのに」

 今朝のことがあるためか、俺は内心にもやもやとしたものが生まれる。そのせいで、口調も刺々しくなるが、にいちゃんは一向に気にしていないようだ。

 まあ半分以上は自業自得な訳だし、しょうがないといえばしょうがないのだが。

「そう言うな。せっかく桜木さんと同じ学校に転入したんだ。一緒に帰りたいじゃないか」

 さらりととんでもないことを言う。

 俺は桜木達より一歩前に出ると、國人にいちゃんにつめ寄った。

「桜木にちょっかい出すなよ……!」

 できるだけ強い口調で凄んでみる。が、もともとこういう啖呵を切ることに慣れていない俺は、自分でも迫力に欠けているなと思わざるを得なかった。

 にいちゃんが肩を竦める。

「そうは言うがな健斗、それは無理な話だ」

「何が無理なもんか。にいちゃんが今すぐ学校を止めて自分の会社でも経営してれば何の問題もないだろう」

「ハッハッハ、それじゃあ桜木さんに会えないじゃないか」

「会わなくていいだろ別に」

「そういう訳にもいかない」

 急に真面目くさった口調になる國人にいちゃん。俺のように啖呵切って睨んでいるという訳でもないのに、いいようのない圧迫感がある。

 まるで、心臓を握りつぶされようとでもされているかのような……。

「僕は桜木さんを好きになってしまった。だから僕は桜木さんに会いたい。それとも健斗、おまえには僕の自由を阻害するどんな権利があるんだ?」

「それは……」

 俺はもごもごと言い淀んだ。

 確かに、考えてみればそうだ。にいちゃんが無理矢理桜木を手籠めにしたというのならまだしも、ただ会いたいというその思いまでも俺には否定できないはずだ。

 にいちゃんが毎日桜木と顔を合わせ、言葉を交わし、それで桜木の心が動いたとしても、それは桜木の決めること。

 俺に、一体どんな権利があってにいちゃんの自由を奪おうというのか。

「……別に会いに来られるのは構いませんが」

 俺が黙りこくっていると、背後から桜木の声が響いた。

 対人用の丁寧な口調。その中にある、一本の確かな芯。

 凜とした響きは、確固たる意志を持って放たれたものであると俺には分かった。

「私があなたを好きになることはありません」

 きっぱりと、桜木が宣言した。先ほどのカードゲームをしていた時の彼女とは違う、明らかな強さを感じさせる。

「なぜなら私には、好きな人がいるからです」

 シンと静まり返った。

 心地の悪い静寂が俺達の間に去来する。

 まず口を開いたのは、國人にいちゃんだった。

「ハハ、これは素晴らしい。君はそこの愚弟のことを心から愛していると?」

「はい。……そして健斗くんは愚か者ではありません」

「ふーん……へえ」

 にいちゃんは興味深そうに桜木を見つめていた。やがて彼女の観察が終わると、今度は視線を俺に向ける。

「ずいぶんと好かれているようだな、健斗」

「ああ、そのようだ」

「幸せ者め」

「ほんと、そう思うよ」

「だが、これで終わりだと思うなよ?」

 ビッとにいちゃんが人差し指を俺に突きつけてくる。好きだなー、そのポーズ。

「俺は諦めないからな。じゃあね、桜木さん」

 二度目の宣戦布告をして、桜木の別れの挨拶をするにいちゃん。九条にも手を振り、踵を返して去って行く。

 國人にいちゃん……。

「本当に、何なのですかあの人は!」

 たった一人、この場で九条だけが憤慨を露わしていた。

 

 

                ◆ ◆

 

 

 翌日からも、國人にいちゃんは学校に顔を出し続けた。桜木への求愛行動も続き、度を超すということは無かったもののかなりうざったいことには違いない。

 連日続く桜木ラブアタックに、にいちゃんのことを少しばかり気にしていた女子達も脈無しと判断したらしい。一週間が経った頃には完全ににいちゃんと桜木のペアリングを応援する立場へとシフトチェンジしていた。

「……分からなくはない」

 今、廊下では國人にいちゃんが桜木に愛をささやいているところだった。にいちゃんのよく回る弁舌に桜木が鬱陶しげに眉根を寄せているという構図は、見る角度によってはお似合いのカップルのようにも見える。

 背は高いわ行動力はあるわそこそこ顔はいいわと悪いところのほうが見つかりにくいにいちゃんと、パッと見流麗で〈深窓の令嬢〉とまで呼ばれる桜木は、二人合わせればどことなく近寄り難い雰囲気を持っている。

「またやってますわね」

 あきれ顔で、呟く九条を振り返り、俺は再び廊下へと目をやった。

「ああ、よく飽きないもんだなと感心するよ」

「ずいぶんと余裕ではありませんか?」

「そんなことは無い。ただ、何をどうしていいのか分からないんだ。初めてのことだからな、こんなことは」

 誰かとつき合うことも、こうして横からかっさらわれるかもしれないという状況に陥ることも、俺はかつて経験したことがなかった。

 だから、勝手がよく分からないというのが本音だ。

「そうですか。……ですが早めに手を打っておいたほうが賢明かもしれませんわよ」

「? ……どういう意味だ?」

「どういう意味もこういう意味もありませんわ。一度、玲とよくお話合いになったほうがよろしいのではないかと思いまして。よもや、この間の言葉、あれで満足している訳ではないのでしょう?」

「……あたり前だ。あの後でも、ああしてにいちゃんは桜木の前に現れる。どうにかしないと、俺のほうがダメになっちまう」

「ふふ、でしょう。そこでわたくしが一肌脱いで差し上げましょう」

 そう言って九条が取り出したのは、二枚のチケットだった。

「何だそれ?」

「最近、わたくしの実家がテーマパークの建設に力を入れていまして、開園前に何人かのモニターを集めてアトラクションを体験してもらい、感想をもらいたいのですわ」

「タダか?」

「もちろん」

 九条はその二枚のチケット――『九条エリアパーク』モニタ特別招待券なるものを俺に渡してきた。

「これを差し上げますから、どうかお二人で楽しんできてください」

「いいのか?」

「はい、お二人にはずっと仲良しでいてもらいたいですから」

「サンキュ……でもどうしておまえそこまで俺達のために色々としてくれるんだ?」

「………………」

 そう難しい質問でも無かったと思うのだが、九条はぷいと顔を背けた。お陰で彼女がどんな表情をしているのか分からなかった。

 なぜか耳まで真っ赤になっていたこと以外は。

「な、何ででもいいではありませんか! わたくしはただ、お二人がお別れする場面など見たくないだけですわ!」

「……そうか、ありがとう」

 相変わらず九条は顔を背けたままだったが、彼女の心づかいは痛いほどにありがたかった。

 友達っていいもんだな。改めてそう思う。

 

 

                ◆ ◆

 

 

 週末の日曜。俺は九条にもらったチケットを使い、早速桜木を『九条エリアパーク』へ誘うことにした。

「どうしたの、それ?」

「九条にもらった」

 なぜもらったのかについては……言わなくてもいいだろう。桜木も、さほど気にしていないみたいだし。

 このテーマパークは九条グループがメインで建設を進めているらしい。どこかの弱小企業も一枚噛んでいるらしいのだが、とうとう九条からその弱小企業の名前を聞き出すことはできなかった。

「このテーマパーク、一番の売りはあの大きなお城みたいだね」

「ああ、どんなアトラクションが待っているんだろうな」

 もちろん、ジェットコースターやコーヒカップなど、お馴染みの遊具も多数揃っている。他のパークと差別化を図るために、色々と趣向を凝らしたものがあるらしいのだが、そのあたりの前情報は持っていない。「行ってみてのお楽しみですわ」と九条から情報提供をしてもらえなかったのだ。

「ま、とりあえず入ろうぜ」

「うん、そうだね」

 俺達は揃って『九条エリアパーク』へと入った。

 

 

                ◆ ◆

 

 

「わー、すごーい!」

 まるで子供のようなはしゃぎっぷりだ。

 桜木は観覧車の窓から眼下を見下し、感嘆の吐息とともにそんな声を漏らした。

 『九条エリアパーク』の目玉の一つであるこの大観覧車は、普通の観覧車と一味違う。

 普通の観覧車が円状に回転するのに対して、この観覧車は球状に回転する。見たままを言わせてもらうのなら、乗り場は通常より少しだけ後ろから搭乗する。そして、斜めにゆっくりと回転するのだ。

 斬新といえば斬新で、無謀といえば無謀と言えるこのデザインのお陰で、俺達は今観覧車の中ほどにいる。

 頂上までは、もう少しあった。

「景色、すごく綺麗だよ!」

「……そうだな」

 いつもの砕けた口調でそう報告してくる桜木に、俺は微笑ましい気持ちになって返した。

 ずっと見ていられる。そう思わせるくらい、この桜木は可愛かった。

 やっぱり桜木だなあと思う。

「でもまあ……」

 せっかくなので桜木ばかりではなく景色も楽しもうと俺も窓の外へ視線を落とす。

 広がる景色。水平線と空の境がはっきりとしており、人の生活の香りが漂って来そうな街並みが広がっている。

「……ん?」

 そうやって目線を下げていると、観覧車のちょうど真下に、米粒ほどの小さな影を見つけた。その影から伸びる触手のようなものが二本、左右に揺れており、何というか……とても気持ち悪かった。

「………………」

 よく目を凝らすと、それは人間のようにも見える。というかそうとしか見えない。

 俺が誰だろう? と疑問に思っていると、俺のほうを振り返った桜木が問いを投げかけて来る。

「どうしたの?」

「いや、あれ……」

 俺は真下を指差した。桜木もそれに続きそちらを見やる。

 そこにあるのは、やはり触手が左右に揺れる人影らしきもの。

「……誰?」

 桜木も俺と同じ疑問にぶちあたったらしく、そんな疑問符を飛ばしてきた。ただ、それに俺が答えられるはずもなく、俺達は密室で二人、無言になった。

 先に耐えかねたのは、もちろん俺だ。

「もしかして、にいちゃんかもな……」

 さすがにそれは無いだろうという希望的観測に基づき、俺は冗談混じりの口調で言った。「そんな訳ないじゃんww」的な返しを期待していたのだが、彼女の答えは俺の希望とは真逆を行った。

「……そうかもしれないね」

 真剣に、というより鬱陶しげ紡がれた言葉に、俺はむしろ戦慄のようなものを覚えた。

 なぜあいつがここにいる? そんな疑問ももちろんあった。

 だがしかし、もっと他に留意するべき点があるだろう。

 それは……、

「にいちゃん、どんだけだよ」

 俺が九条からチケットをもらったがつい昨日のことだ。そして、桜木を誘ったのは今朝。

 つまり、にいちゃんが「俺達が遊園地でデートする」ことを知る時間は無かったはずだ。

 なのに、なぜいる!

 これが戦慄せずにいられるだろうか……。

「……次、何乗る?」

「……メリーゴーランド」

 俺達は窓際から離れ、座席に腰を下した。その際にゴンドラが揺れたが、その程度で慌てふためけるような精神的余裕は俺達には無かった。

 現実逃避気味に、この後の予定を俺達は話し合った。

 そう、それはまるでにいちゃんのことを頭の片隅に追いやるがごとく。

 

 

               ◆ ◆

 

 

 桜木の希望通り、俺達はメリーゴーランドの前にいた。まだ開園していないはずなのだが、俺達の他にもカップルや子供連れの家族などがいて、少々以上に意外に思った。

 この人達も、みなテスターなのだろうか?

 俺は周囲に視線を飛ばしながら、何となくそんなことを思った。

 まあ、感想をもらえるのなら多いに越したことは無いのだろう。

「さ、早く乗ろう、健斗」

「えっと……」

 いきなり何を言い出すのかと思えば。

 桜木が俺の服の袖を引っ張ってメリーゴーランドへの搭乗を促してくる。俺はこんなものに乗りたいとはちっとも思っていないので、どう言って断ろうかと頭を巡らせた。

 正直言って、これに乗っている桜木の姿を眺めているだけで俺は満足なのだ。一緒に乗ってしまえば、楽しんでいる桜木を眺めることなどできないので俺はこの柵の外にいたい。

 だが、そんな俺の男心など知る由もないであろう桜木の顔は、早く一緒に楽しみたいと如実に語っていた。

 こんな顔をされては、断るに断れないじゃないか……。

「……分かったよ」

 ついには俺が折れて、桜木と一緒にメリーゴーランドの回る馬の背中に跨ることになった。

 以外だったのは、この馬だ。九条家のが造ったものなら、どうせ装飾過多のゴテゴテとしたデザインに決まっているだろうと高を括っていたのだが、実物を見てみるとそうでも無かった。

 簡素、とうには少しばかり装飾品が多いが、それも他のパークの馬に比べても若干多い程度のものだ。決して目を背けたくなるとかそんなことは無かった。

 俺と桜木は揃ってメリーゴーランドのゲートを通った。同じ馬の前に桜木、後ろの俺が跨り、他のお客さんもそれぞれに乗り込んで、係員がスタートさせる。

 ゴウン! と情緒もへったくれも無い音がして、馬達は一斉に周り出す。聞いているだけで楽しくなるような明るい音楽とともに、子供達のキャッキャというハシャギ声が聞えてきた。

 それを聞いているだけで、こちらも楽しくなってくるから不思議だ。

「……やっぱり、子供はいいね」

 突然、桜木が小声でそんなことを呟いた。

どうしたのだろうと俺が不思議に思っていると、

「私も子供、欲しくなっちゃったなあ……」

「ぶっ!」

 危うくこんな公衆の面前で吹き出しそうになった。

 な、ななな何を言っているんだ桜木! 俺達はまだ学生だぞ! そういうのは一歩一歩段階を踏んでだなあ!

 頭の中ではいくらでも説教じみた文句を思いつく。だがしかし、それらを口にすることは俺にはできなかった。言おうとしたところで、パクパクと酸素を求める金魚のように俺の口が開閉するだけだ。

「ふふ、健斗おっかしー」

 首だけで振り返った桜木の表情はイタズラっぽいものだった。

 おそらく、先ほどの発言も冗談なのだろう。分かってはいるのだが、俺のような純情少年からしてみればそんな冗談にうまい返しなどできるはずもない。

「冗談だよ」

「……分かってる」

 顔中が熱を持つのを感じながら、俺はそっぽを向いた。

 口調も、自然と不機嫌なものになる。それが少しばかり嫌だった。

「怒った?」

「怒ってねえ」

 そうして俺達は一しきりメリーゴーランドを楽しんだ。

 回転木馬が止まり、俺達を含めた客が全員馬から下りる。

 その時、俺は気づいた。桜木も俺が見ていたものに気づき、そちらを見る。

「………………」

「………………」

 それまで楽しい雰囲気だったのが一気に青ざめたものに変わる。

 俺達の間に、冷たい風が吹く。テンションだだ下がりだ。

 國人にいちゃんが、そこにいた。

 

 

               ◆ ◆

 

 

「やあやあ、二人とも奇遇だね」

 國人にいちゃんがわざとらしく右手を上げて、俺達に歩み寄って来た。

 俺はわざと棘のある口調でにいちゃんに尋ねた。

「どうしてここにいるんだ?」

「どうしてって、当然だろ?」

「何が当然だと言うんですか?」

 桜木もどこか不機嫌そうで、しかもそれを隠そうともしないものだからいつもの丁寧口調に毒が混じっている。それをあえて止めさせようとは、俺はしなかった。

 にいちゃんはそんな桜木の毒のある言い方を気にしたふうも無く、平然とした調子で肩を竦めてみせる。

「桜木さんがここにくるという情報を得てね」

「……誰からです?」

「言ってもいいけど、僕ともデートしてくれない?」

「お断りします」

 キッパリと断固拒否の態度を示す桜木。それに対しにいちゃんはどこか他人を小馬鹿にしたような態度を取った。

「いいのかい? それじゃあ情報源を聞き出せないよ?」

「それほど聞きたいとも思っていませんので。それでは、私達はデートの続きがありますので」

 言って、立ち去ろうとする桜木。俺も彼女の後に続き、にいちゃんに背を向け――

 ――ようとした。

「九条銅器――知ってるかい?」

「あ? 誰だそれ?」

 俺と桜木の足が止まり、にいちゃんを振り返る。國人にいちゃんは俺達の反応に満足したらしく、にやりと笑んだ。

「知らないはずはないんだけどね」

「知らねえよ、そんな名前の人」

 ん? 待てよ、九条……?

「もしかして……」

 桜木も俺と同じ答えに行きついたのらしい、目を丸くして、呟きを漏らす。

 それを見て、さらににいちゃんの笑みが濃くなった。

「そう、九条琴音さんのお父さんにあたる人だ。彼が僕に今日のことを教えてくれた」

「な……」

 驚きに言葉も出ない。

 九条の父親が情報源。ならば、もとをたどれば九条琴音が発信源ということになる。

 俺達が別れることを望んでいないと言っていた、あの九条が……、

「デタラメ言ってんな!」

 俺は思わず声を荒げていた。

 だって、あの九条がそんなことをする訳が無い。

 俺は自分の中に過ぎった一つの考えを必死に否定した。

 同時に、にいちゃんの言葉も否定する。

 しかしにいちゃんの口調は、余裕に満ちていた。

「デタラメなんかじゃないよ。僕は銅器さんの言葉に従ってここにいる。君達のジャマをするためにね」

「何のためにそんなことをするんです!」

 隣で桜木も苛立ったような声を上げる。

「知らないよ、そんなことは。ただしこれは事実だ。僕の会社と銅器さんの会社は提携を結んでいてね、僕自身も彼と交流がある。彼と僕はいわゆる友人なんだ」

 まるで自慢話をする幼い子供のように、無邪気を装うにいちゃん。

 昔からこうだ。こんな態度で、何もかもを煙に巻いたような、人を喰ったような態度ばかり取って、俺達のペースにさせない。

 分かっている。分かってはいるのだが、どうしようもなかった。

 もう、俺達はにいちゃんの術中にハマっているのだ。

「たぶん琴音さんは僕に情報をリークするつもりなんか無かったんじゃないかな? 彼女の名誉のために言わせてもらうけど、単に父親との他愛無い会話の中でうっかり口走ってしまったとか、そんなオチだよ」

 だけどそれが、九条家からにいちゃんへと情報を流すきっかけになった。それは疑いようの無いことだった。

「……それで、あなたはどうするつもりですか?」

 凜とした声音が、俺達の体を揺さぶる。

 にいちゃんは俺から桜木に目を向けると、温和な態度を崩さないままに右手を差し出してきた。

「思い通りにならないのなら思い通りにする。それが僕のやり方だよ」

 この一言で、俺は全てを悟った。

 こいつは、何もかもを知っている、と。誕生日から年齢から住所から電話番号に至るまで、何でも。

 俺達のことを、特に桜木のことを知っている。

 余すところなく。

「一緒においで。それで全て解決だ」

「は――」

 俺はそいつの言っていることが分からなかった。

 理解できなかった。

 解決? 一体何を言っているんだ、こいつは。

 俺の脳内は混迷を極める。何が起こっているのか、理解が追いつかない。

「待て待て待て待て待て待て待て待て!」

「どうした健斗? 今いいとこなんだが」

「何がいいとこだ! ストーカーがまがいなことまでしやがって! おまえにどれだけの情報網があるか知らないが、絶対に桜木は渡さねえぞ!」

 言ってしまってから、ハッとした。

 俺は何を言っているんだろう、と。

 しかし、間違ったことも言っていないという自信があった。

 桜木が心変わりしたっていうんなら話は別だが、こんな方法で桜木を連れて行かれても誰も幸せになんかなりはしない。

 なのに、どうしてこいつは……。

「あんたは一体何がしたいんだ!」

「言っただろう? 桜木さんが欲しいと」

「く、桜木もなんか言ってやれ!」

「………………」

 桜木は黙っていた。考え込むように俯き、ジッと自分の爪先を見つめている。

「桜木?」

 俺はなぜか心配になり、彼女の肩に手を置いた。

「ふむ」

 國人にいちゃん……いや國人はあごに手をあて、目を閉じた。

 シンとあたりが静まり返る。

 足音一つしない、静かな空間が出来上がっていた。

「ではこうしよう」

 目を開けた國人はズンズンと歩み寄り――桜木の手を取った。

「な……!」

 狼狽して、反応が遅れてしまった。

 その隙に、國人は桜木の手を引いてどこぞへと走って行く。

「『カイガンの城』で待っている!」

 そう言い残し、國人と桜木は白い煙に覆われてしまう。

 煙が晴れる頃には、二人の姿は既に無かった。

 これは、どういうことだ……!

 

 

              ◆ ◆

 

 

 『カイガンの城』。このパークの中央部にある中世の古城をモチーフにしたアトラクションの名前だ。昨日九条から渡されたパンフレットのサンプルに書かれていた。

 全高数十メートルにも及ぶ巨城で、中にはRPGのダンジョンも連想させるしかけがいくつも施されているという。

 このパークの、目玉の一つ。

 ふざけてるのか……。

 ぎりっと奥歯が鳴った。

 こうしている今も、桜木が何をされているのか分かったものじゃない。

 早く行かないと。

 俺は『カイガンの城』へ向かって駆け出した。

 そう遠い場所にあるわけじゃない。城の足下まではおよそ五分程度走り続ければ辿り着く。

 すぐに到着した。

「ここか」

 俺は見上げるほどもある巨城に、訳も無く感動を覚えていた。

 ――と、今はそんな場合じゃ無かった。

「入り口は……」

 さすがに壁をよじ登ったりはできなので、素直に入り口を探す。すると、反対側に入り口があるという旨の看板を見つけ、それに従いそちらへと向かう。

 確かにあった。係員がにこにこと笑顔で俺を見ている。

「いらっしゃいませー、こちら『カイガンの城』入り口になります」

 朗らかな営業スマイルを顔いっぱいに浮かべ、係員が入城を促しくる。

 どのみち桜木を救うためには選択支は無い。俺は係員に入り口でチケットと交換でもらったフリーパスを見せ、あっさりと入城した。

 入ってすぐに、更衣室があった。右が男子用で左が女子用だ。

 他に客はおらず、それがまた不気味さを水増ししていた。

「どうすれば……」

 俺が困惑していると、背後から係員の声が響く。

「勇者に変身してくださーい」

 勇者?

 俺は更衣室の横にあるカーテンで仕切られた場所を開けてみた。するとそこは、様々なサイズ、色のコスプレ衣装がずらりと並んでいた。

「……これを着ろってのか?」

 この嬉し恥かしコスプレ衣装を?

 冗談だろ、と思った。どうして俺がこんなことを、と。

 しかし、俺は首を振り、その疑念を追い出した。

 さっさと着替えろ俺、でないと桜木が。

 おそらく國人と一緒にいるであろう桜木の怯えた姿が思い浮かび、俺は数ある衣装の中から適当に一つを手に取った。

 着てみると、どこかで見たような衣装だった。

 黒いコートに黒いズボン。おまけにアンダーまで黒で統一されているというのだからその徹底ぶりが伺える。

 次に選ばなくてはならないのは武器だ。

 俺は一本より二本のほうがいいだろうという単純な理由で黒と水色の双剣を手に取った。それを背中に担ぎ、ダンジョンへと足を踏み入れる。

 

 

◆◆

 

 

 ダンジョンは基本的に螺旋階段になっており、しばらく登るとボス部屋に辿り着くという感じだ。

 テーマパークのアトラクションとしては、かなり力の入っているほうだと思う。

 俺はまず、第一のボス部屋へと辿り着いた。

 立ちはだかるようにして目の前にある大扉を開ける。見た目の重厚さからもっと重たいのかと思っていたが、そうでも無かった。一度力を加えてやれば、後は機械じかけの自動ドアだ。

 俺がボス部屋に足を踏み入れると、背後で一人でに扉の閉まる気配がした。

 ズン! と腹の底を震わせるような地響きとともに、俺の前に巨大な怪物が現れた。

 全身を厚い毛で覆われた、上半身は人間、下半身は馬――ミノタウロスだ。

 ミノタウロスの身長は、俺の倍近くあった。こんなもんと戦えとか、九条家は一体何を考えているんだ!

 ミノタウロスが手にしていた巨大なオノを振り被る。

 グオ! と風切り音ととものそのオノを振り下ろす。警告も何もあったものじゃ無かった。

 俺は間一髪でオノによる攻撃をかわし、床の上を転がった。右足を擦り剥いたが、気にしていられるような状況でも無い。

 俺は素早く顔を上げ、ミノタウロスのオノが振り下ろされた場所を見た。床がへこみ、塗装も大部分が剥げている。

 ゾッとした。こんなのに勝てる訳が無い。

 俺は背中の剣を一本引き抜くと、ミノタウロスに切っ先を向けた構える。だが、足は震えかなりへっぴり腰だ。こんなんでこいつを倒せる気が全くしなかった。

「くそ、やるしかないか……!」

 俺はガクガクブルブルと震える自分の足を握り拳を作って叩くと、雄叫びとともにミノタウロスへと接近した。ミノタウロスも俺に敵対の意志ありと判断したのか、はたまた違う理由からか、再度オノを構える。

 今度は横薙ぎに払ってくる。俺はその一撃を身を屈めることでどうにか避け、さらに近付く。

「ああああああああああああああああああああああああああああ!」

 叫び、剣を逆手に持ちかえる。

 ぐさっとミノタウロスの胸に突き刺した。

 しかしそれだけだ。ミノタウロスが行動不能になることは無く、なおも俺の息の根を止めようとその巨躯を駆動させる――

 そう思われた。

 俺は反射的に固く目を閉じ、ミノタウロスの攻撃に身構える。

 だが、次の一撃がもたらされることは無かった。

 おそるおそる、薄く目を開ける。すると、俺の目の前には行動を停止したミノタウロスがいた。

「やった、のか……?」

 完全に動くことの無くなったミノタウロスの瞳に光は無く、おそらくは倒したのだろ言うと思われる。

 それが証拠に、ミノタウロスの背後がライトアップされ、次の階へと続く扉が出現した。

 あそこから上へ行けばいいのか?

 俺はミノタウロスから剣を引き抜くと――勢いよく血が飛び散ったりということは無かった――扉へと向かった。

 次のボスの待つ部屋へと続く階段を登る。

 

 

◆◆

 

 

 第二フロアにいたのは、ネズミのようなボスだった。

 尻尾を持ち、普段は四足歩行が常識な生物が二本脚で立っている様は、不気味というより一種の恐怖をもたらしてくる。

 俺は黒と水色の二本の剣を構え、そのネズミ野郎と対峙した。

「……くっくっく」

 唐突にネズミ野郎の肩が小刻みに震え出す。それが笑っているのだと理解するのに、およそ数秒の時間を要した。

 ネズミ野郎は人間のそれよりはるかに突き出した口もとを歪めて言う。

「オマエ、ミノタウロスを倒したのか」

 ネズミ野郎は俺を指差し、一定のリズムで口を開閉させる。声自体はフロアに備えつけのスピーカーから流れて来ているようだ。

「……それがどうした」

「勇敢な小僧だ。だが、オデは奴のようには行かないぞ」

 フィクションにおいてその台詞はほとんど負け確定だ。

 俺はこれまで桜木と交際していく上において培ってきた知識と経験、そこで得た教訓から、このネズミがただの雑魚だなと結論づけた。

 とはいえあのミノタウロスよりは強いだろうことは予想がつく。なんせあいつより上層を巻かされていることだし。

 ここは、即行で一撃必殺がいいだろう。

 俺は剣の切っ先を足下に向けると、そのまま勢いよく駆け出した。

 ザンッと右手に持った黒いほうの剣を振り上げる。

「――くそ!」

 俺は思わず歯噛みした。

 俺の放った一撃は空中を切り、ネズミ野郎にはかすりもしていなかったのである。

 慌てて背後を振り返る。

「いやあ、ずいぶんと情熱的だねえ」

 ネズミ野郎の口の動きに合わせて、スピーカーから聞こえてくる声が俺の神経を逆撫でしようとしているとしか思えなかった。

 俺は額に青筋を浮かべながら、ぐっと両足に力を込める。

 再び、ネズミ野郎に肉薄する。が、またしても俺の剣技はネズミ野郎の素早さによって交わされてしまう。

「今度はこっちから行くぞ!」

 スピーカーから流れて来る声に少し遅れて、ネズミ野郎が接近して来る。俺が振り返ると、すでに俺の目と鼻の先にいた。

 ガッとネズミ野郎の腕が突き出される。速度はそうなく、難無くかわせるレベルだ。

 俺はネズミ野郎の攻撃をかわすと、すぐに体勢を立て直した。

 ぐりんと腰を捻り、下段からの切り上げをお見舞いする。

 びりっという布の裂ける音がして、ネズミ野郎の小汚いローブの下の素肌が露わになる。

 金属質な色合いをした、硬質な肉体だった。

 いやそれは肉体というより、ロボットと評したほうがいいだろうか。

 これほどまでの精巧な出来栄え……さすがに九条家が一枚噛んでいるだけのことはある。

 だがしかし、それもこれで終わりだ。

「ふっ――」

 俺は肺の中の空気を全ては気出して、上方に上げていた右腕を引き、今度は左手に持っていた剣をネズミ野郎に突き出す。

 黒い剣はその切っ先をネズミ野郎の頭部に吸い込まれるようにして突き刺さった。

 ネズミ野郎が動かなくなる。

「……やったか?」

 自分の中で確信が持てず、俺は自信の無い問いかけを誰に対してでも無く投げかけた。

 答えは、背後で扉が開くことで知れる。

 階上へと続く階段。

 上のフロアには、どんなボスが舞っているのだろうか……。

 

 

◆◆

 

 

 三つめのフロアのボスは、人間の形をしていた。

 ただし、こちらも前のネズミ野郎と同じようにロボットなのだろうが。

「……よくここまで辿り着いたな」

 どこかで聞き覚えのある台詞が飛んで来る。俺は両手に剣を構え、ダッと駆けた。

 右腕に剣を振り上げる。そうするとそいつの視線は俺の右腕に注がれていた。

 直後に反対側、左腕の剣を振るう。

 ガキィッと金属音が鳴り、俺の剣はそいつの体をぶちあたった。

 だが、それだけだった。

 そいつは痛みに顔を歪めるでもなく、ダメージを負った形跡すら見せず、むしろにやりと笑んでいた。

 ネズミ野郎の時とは違い、スピーカーから声が響いてくることはない。

 自前の声帯を持っているかのように、そいつの口が滑らかに動く。

「私を前の二人と一緒にするなよ? あいつらほど私は弱くは無い」

 これも割とお馴染みの台詞だろう。桜木の話と自身のゲーム経験を合わせて考えるのなら、この台詞を言うボスはマジで強い。一生懸命にレベル上げをして、技を磨いて、それでようやく勝てるほどに。

 しかし、そんなことでひるんでいる場合では無い。さっさと最上階へ向かわなくてはならない。

 俺は素早くそいつから剣を話すと、一旦距離を取った。

 やりにくい。そう思わせるだけの外見的な特徴があった。

 人間の形というのは既に言った通りなのだが、それに加えて女の子の容姿をしているのだ。

 そいつはバッと両腕を広げると、不敵な笑みを浮かべる。

「先の二人は四天王の中でも小物。キサマなど、私一人で十分なのだよ」

「………………」

 あー、一気に雑魚キャラっぽくなったな。

 俺は左腕に持っていた剣を逆手に持ち替え、もう一度そいつに駆け寄る。

 ババッと左腕を振るう。当然、防御に徹すれば防がれる程度の斬撃だ。

 案の定、俺の左の剣は受け止められた。

 しかしこれで、そちらの腕の動きは封じた。

 俺は間髪入れずにもう片方の剣を額の穴目がけて突き出した。ちょうど俺の持つ剣が入るくらいの大きさだ。

 ネズミ野郎の時と同じように、吸い込まれるように切っ先が額を貫く。

「やった……か?」

 ボスの動きも鈍くなっている。後数秒もすれば停止するだろう。

 そう、思ったのだが。

「く――この!」

 ブン! と上半身を振るう。その反動で俺は後方へと飛ばされたのだが、落ち着いていれば着地に失敗することは無い。

 俺は地面にしっかりと足を着け、目の前の人型ロボットを睨み据える。

「くそ、なんで!」

 前の二人は一か所に剣を突き刺せば動きを止めたのに、どうしてこいつは止まらない!

「……言っただろう? 私は前の二人とは違うと」

 そいつは表情から余裕を消し、憤怒に彩られた顔で俺を睨みつけて来た。

 かなり恐い……。

「今度はこちらから行くぞ……!」

 宣言と同時、そいつが一足飛びに俺の懐まで潜り込んで来る。俺は反応が遅れ、避けようとする頃には奴の拳が俺の腹を捉えていた。

 だが、衝撃が伝わって来ることは無かった。

 なぜなら――

「く、ふう」

 それが何かの演出なのか、そいつは口から血を吐き出し、地面に倒れた。

「な、何が……?」

 何が起こったのか分からず、俺は目を見開くことしかできない。

 倒れ伏したまま、そいつの苦しげな呻き声が微かに聞えて来た。

「……活動、限界か」

「活動限界!」

 そんなものがあるのか。

 しかし、考えてみれば当然かもしれなかった。こんな強い奴が無制限に動き回られたら勝ち目など無い。

「地球上では、三分が限界だ」

「どこの光の星の戦士だ!」

 思わずツッコンでいた。

 ともかく、これでこのフロアのボスは倒したらしい。

 俺が登って来たほうとは逆の場所の扉が開く。

「じゃあ、俺行くからな」

「………………」

 返事が無い。ただの屍のようだ。

 俺はそいつの亡き骸を放っておいて、階上へと向かった。

 

 

◆◆

 

 

 ここが最終フロアらしい。なぜそれが分かったかというと、入り口のところに『最終ステージ』と書かれていたからだ。

 高度が高くなるにつれ、段々と緊張感を失う設定だなあ……。

 とにもかくにも、最終フロアに着いた。

 そこで俺を待っていたのは、個条國人その人だった。

 彼は最初こそ俺に背中を向けていたが、ゆっくりと振り返ると満面の笑みを浮かべた。

「四天王、その内の三人を打ち倒し、よくぞここまで来た」

 妙に芝居がかった物言いが、苛立ちを誘う。

「桜木はどこだ!」

「なに、心配するな健斗。桜木さんなら無事だよ」

「どこだと聞いている!」

 解けかけていた緊張の糸を張り詰め、俺は國人に歩み寄った。その胸倉を掴み、ぐっと引き寄せる。

 鼻と鼻が触れ合わんばかりの距離で、俺達は互いに見つめあった。

 彼の瞳の中で、憤怒だけが表層している俺がいる。

「……まあそう焦るな」

「何だと!」

「桜木さんを取り戻したければ、僕を打ち倒すことだ」

「……あんたが最後のボスって訳か」

「その通り」

「いいだろう」

 俺は掴んでいた國人の胸倉を離し、剣を構えた。

 たったそれだけの動作が、妙に重々しかった。体中を倦怠感が襲う。

 怪我などはしていないはずだが、それでもこの人に勝てるかどうか自信が無かった。

「では、始めよう――最後のゲームを」

 ふざけてやがる――俺は即座に切りかかろうとしたが、彼は俺の攻撃を手の平をこちらに向けることで制止をかけて来る。

 俺は面喰い、思わず攻撃の手を止めた。

「何の真似だ……?」

 訝しむ俺に、國人はちっちっちと人差し指を左右に揺らした。その動作がまたいらっとする。

「早合点してもらっては困るなあ……。誰も暴力で決着をつけようなんて言ってないだろう?」

「……ここに来るまで、俺は暴力三昧だったんだがな」

 この場に至るまでの苦しく険しい道のりを思い出し、俺は顔をしかめる。

 何が面白いのか、國人はにやりと笑んで、

「言っただろう? 最後のゲームを始めよう――と」

「……ゲーム?」

「その通り」

 パチンと國人が指を鳴らす。すると、部屋の奥から薄型液晶テレビと最新ゲーム機を乗せた台車が現れた。それを引くのは、見覚えの無い外国人。

「……何をするつもりだ」

「かの有名な『マリ○カート』は知っているだろう? この中にはその最新版が入っている。これで僕と勝負しようじゃないか」

「………………」

 理解に苦しんだ。

 少し考え、了承を示す頷きを見せる。

確かに、暴力沙汰よりはいくらもマシな勝負内容だろう。

國人は俺の反応を満足の行くものとして受け取ったようで、ただでさえにやにやしていた。

 これはおそらく、相手の得意分野での勝負、ということだろう。

 だが――と俺も心の中でにやついていた。

 マリカーなら家で妹と何度も対戦している。戦績は俺のほうが負け越しているが、最近は大差をつけられることは無くなった。つまり、俺のマリカー技術が向上している証拠だ。

 大丈夫だ。自分にそう、言い聞かせる。

「では始めよう」

 國人の開始の合図とともに、俺達は床に座り、W○iリモコンを手に取った。

 

 

◆◆

 

 

 レース終盤、ファイナルラップを迎えてなお、俺と國人の間に決定的な差は無かった。

 だが、決定的でなくとも、ほんの微細な差異であろうとも、俺達の間には確かな溝があった。

 後数センチの距離が、埋まらない。

 國人が一位、俺が二位。二人とも、大したアイテムは手に入らない。

 純粋なスピードの勝負になる。

 俺は加速を狙うため、彼の操るマ○オの背後に入ろうと何度も試みている。しかし、それをさせまいとしているのか國人のマリ○は俺の操るル○ジが背後に回る度に左右へと車体を揺らしている。

 中々追い抜くことができない。

 勝負は、次のカーブだ。

 いくらこの人でも、曲っている途中にキャラクターを左右に揺らすことはできないだろう。

 だから、カーブを使って加速を狙う。

 それしかなった。

「……く、そ!」

 カーブに差しかかった。火花が散り、俺は○リオの背後に迫る。

 ○イージの周りに風が巻き起こる。加速している証だ。

 そのままマリ○を抜き去り、直線コースへ。

 当然のように、すぐさまマ○オが○イージの背後に。俺と同じ戦略を取るつもりのようだ。

 だが、そうはさせない!

 俺は國人がそうしていたように、リモコンを操りル○ージの車体を左右に揺らす。それにより、國人は加速ができない。

 そしてゴール!

 ルイ○ジが一着でゴールし、俺は國人に勝利を納めた。

「あーあ、負けちゃったか」

 國人はさして悔しそうでも無くリモコンを床に放った。それから天井を仰ぐと、フッと笑みを浮かべた。

「最後は行けると思ってたんだけどなあ……」

「俺の勝ちだな」

 俺は純粋に勝利を喜べなかった。桜木の無事を確かめるまでは、そういう気分になれないのだ。

「ま、負けちゃったことだし、いいよ。桜木さん、出ておいで」

 國人がどこぞへと声をかける。すると、そのすぐ後に桜木が姿を現した。

 まるで俺達の勝負を見届けていたかのように、俺達の背後から。

「健斗!」

 すぐさま駆け寄って来る桜木を抱き止め、俺は彼女の無事に思わず涙を流しそうになった。

「大丈夫か! 変なことされたりしてねえよな!」

「うん、大丈夫。……それどころか凄いおもてなしされちゃった」

 國人のことは眼中に無いのだろうか。完全に他所向けの言葉づかいと顔つきでは無かった。

 まあこっちの桜木のほうが好きだから別にいいけど。

「おもてなしって……?」

「ああ、うん」

 頷いて、桜木は言った。どんなおもてなしを受けたのか。

 それを聞いて、俺は開いた口が塞がらなかった。

 

 

◆◆

 

 

 結論から言えば、桜木を助けたいと思って行った俺のあれやこれやは全て無駄になったということだ。

 桜木は結局のところ何か暴行を受けた訳でも、嫌な思いをした訳で無いらしい。そりゃ最初は突然に連れ去られる格好となってしまったため、驚いたらしいのだが、お姫様然とした扱いを受け(本人は決して認めようとしないが)、まんざらでも無かったようだ。

 あのフロアボス達も、来場者が絶対に倒せるような設計にされていたそうだ。それはそうだろう。無理ゲーなんて押しつけられても、普通に一般的な人々じゃ途中で投げ出してしまうのが目に見えている。こういうテーマパークは少々ゲーム性に欠けたとしても、来場者に気持ちよく、楽しんで返ってもらうことが目的なのだから。

 閑話休題。

 マリカー勝負は俺の勝ちだった。つまり桜木を返してもらえる。

 もともと本人の同意無しに無理矢理自分のものにしようとなど、國人にいちゃんは考えていなかったらしい。

「それでも、ずっと口説いてくるんだから」

 そう言っていた桜木の表情はどこか残念そうだった。俺の到着が後数分でも遅れていたなら、きっと口説き落とされていたかもしれない。

 いや、そういう考えかたをするのは止めよう。

 とにもかくにも、俺は無事にいちゃんの手中から桜木を救出することができた。何よりこの事実が大事だ。

「いやあ、それにしても君達は仲がいいね」

 にいちゃんの口調や態度に、非難の色は無い。むしろ、感心しているようにも取れる。

 と同時に、反省の色も無い訳だが。

 俺はにいちゃんに向き直り、ポンと肩に手を置いた。

「今回は残念だったな。ま、その内にいちゃんにもいい出会いがあるさ。悪いけど、桜木のことは諦めてくれ」

「ハッハッハ、何を言ってるんだ健斗、僕はまだ桜木さんを諦めちゃいないよ?」

「は?」

 惚けたようにあんぐりと口を開ける俺。その様を面白がるように、にいちゃんの口調は軽快だ。

「今回は引き下がるさ。でも、次回は同じようには行かない」

「次回なんてねえよ!」

 また何か騒ぎを起こす気かこの放浪アニキは!

「ま、それまではせいぜい仲良しでいることだね」

 余裕の笑みを崩さないにいちゃん。

「く――ぜってえ桜木は渡さねえからな!」

 本人を側に置きながら、勝手に渡すだのなんだのと言い合っている俺達は、はたして端から見ればどう映るのだろう。

 あまり考えたくないな。

 俺のこれ以上嫌なことを考えなくても済むように、思考を遮断した。

 にいちゃんに聞きたいこともあるし。

「それで、これからどうするんだ?」

「どうするもこうするも、会社に戻ってあいつらと一緒に世界を目指すさ」

「では、自主退学されるのですか?」

「そうなるだろうね。でもね桜木さん」

 にいちゃんは桜木にウインクすると、ピッと人差し指を突きつけた。

「また君のハートを盗みに来るからね!」

「一度たりとも盗まれてねえよ!」

 俺が叫ぶと、にいちゃんはやれやれというように肩を竦め、首を振る。

「ま、そんなことより」

「そんなことだと!」

 人の彼女を性懲りも無く狙う宣言しておいて、そんなことだと!

 にいちゃんは俺の反応を軽く無視して、

「健斗、おまえ達つき合いだしてどのくらい経つ?」

「えーっと……半年ほどですけど?」

 俺の変わりに桜木が答え、にいちゃんがうーんと唸った。

「そうか……なあ、健斗」

「何だよ」

「そろそろ、名前で呼んであげたほうがいいんじゃないか?」

「んな!」

 なんてことを言いやがる、このくそアニキ! そんなことが簡単にできる訳が無いだろう!

「桜木さんから聞いたんだけど、まだ『桜木』なんて他人行儀な呼び方をしているらしいじゃないか」

「あんたには関係のないことだろ!」

 それは俺のタイミングでどうにかするさ!

 にいちゃんは「ハッハッハ」と声を上げて笑うと、

「んじゃあな」

 俺が抗議の視線を向けるより早く、にいちゃんが踵を返す。俺は文句を言う間も無くその後ろ姿を見送っていた。

 後に残されたのは、俺と桜木の二人だけ。

「……えーっと、桜木?」

 彼女を呼ぶと、びくっと肩を振るえたのが分かった。

「何?」

 笑顔が少しだけ引きつっている。どうしたのだろう?

「どうした?」

「何でもないよ」

 にいちゃんの姿が消えたことで、桜木の口調もいつも通りになっている。

「とりあえず、帰ろうぜ桜木」

「………………」

 桜木に言って、俺は歩き出す。後ろから桜木の足音が聞こえて来た。

 出口へと向かうには、入って来たほうとは逆のほうに設置されているエレベーターに乗らなければならない。

 俺達は揃ってそのエレベーターに乗り込み、一階のボタンを押す。

 ゴウン! と機械音を響かせ、エレベーターが動き出した。

 一階に到着するまで、お互いずっと無言だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                FIN

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