第三十話:原初の対価

 翌日。

 最近の習慣として、わたしはお昼前くらいに目を覚ますことが多くなって、それが癖付き始めているのだろうか。記憶こそないが、どうやら、そんな生活習慣を直そうと、設定したアラーム。それが朝の七時、八時、九時と鳴り響いているのを、過去のわたしはご丁寧に止め、そして起きたのは、11時09分。

 やってしまった。と、自己嫌悪もそこそこに、わたしは身支度を整える。正直、今日の予定はあくまでお昼過ぎからであったので、この時間に起きたところで、それには十分間に合っているのだが、しかしそれではいけない。わたしはあくまで、早寝早起きを心掛けたいのだ。

 予定。

 それは、昨日の夜中、奇遇にも出会ったひまりさん。彼女の抱える事情に寄るものだった。

 余談だが、家出は即日で辞めにした。よくよく冷静になって考えてみれば、どうしてわたしがミネットを家に置いて、自分が元々住んでいるところを飛び出さなければならないのか。そう考えると、どうにも馬鹿馬鹿しくなって、帰路に就いた。

 それに、ミネットへ訊くこともあった。

「ああ、そういえば、あの子から訊いたんだっけ」

 我ながら鬼気迫るような様相で詰め寄ったわたしに対して、彼はいつも通り、飄々とした雰囲気に戻っていて、そのまま話を進める。

 時刻は深夜の12時を過ぎて、日付が変わった辺り。そのくらいの出来事である。帰って来たわたしは、そのままミネットを呼び出す。

「対価、かあ」

「ええ、そうよ」

 椅子に腰を下ろしたわたしの前で、ミネットは机の上へ、ちょこんと座って、こちらをじっと見つめる。そして、ややあってから口を開いた。

「……なるほど、ひまりさんのことが気になるのかい」

 そう言ってこちらを見透かすような態度を取るミネット。どうやらまた、わたしの思考は筒抜けらしい。だが、それすら気にならないほど、今は切羽詰まっていた。

 時間とか、日数とか、ではない。

 わたしの気持ちが、どうにも急いていたのだ。

 お願いだから。

 お願いだから、対価の所為であって欲しい。わたしは無意識のうちに、そして意識的にも、そう願っていたのだろう。

 あのあかりさんが、ひまりさんに、あんなことをするのは、きっと対価に違いない。そうでなければ、説明が付かない。何せ、あのあかりさんだ。人懐っこく、礼儀もしっかりしていて、何より妹思い。あの要所で見せた、妹であるひまりさんを慈しむような表情。あれが嘘だったとは、思いたくない。

 ならばせめて、対価であった方が、まだしも救いがある。

「まあそこは、安心していいよ」

 そういって、ミネットは目を細める。

「ひまりさんの傷、そしてそれを付けたあかりさんの行動は、間違いなく、対価に寄るものだから」

 あかりさんの対価。それは、ひまりさん、ただ一人に指向性のある、障害性症候群の発露。と、ミネットは語った。

 つまり、人を傷つけずにはいられない、精神疾患の一つ、障害性症候群。それの対象が、ひまりさん以外には向かない。ひまりさん以外に対しては、本当本来の、社交性に富んだ性格を発揮できるが、ことひまりさんに対しては、どうしても傷つけずにはいられない病気。

 そしてその病気は、夜になると、活性化する、と。

「そもそも、魔法とか、魔物とか。そういうぼくらみたいな存在は、夜にならないと、本領を発揮できないっていうのかな。ほら、ヴァンパイアが夜にしか活動できないとか、そういう感じだよ」

 ざっくりと説明を続けるミネット。

「正確には、月明かりだね。昔から、月の光には、魔力が宿ってるとか、言われてるだろ。それに実際、犯罪発生率も、日中と、日没後だと、後者の方が圧倒的に多い。昔から、そうやって語り継がれているように、ぼくたち、魔を有する者は、夜に本来の力とか、姿を取り戻すんだ」

 夜。

 闇。

 そして、月光。それらが、わたしたちの秘めている魔力を活性化させる、とのことらしい。

 それは対価においても同様で。

「だからあかり。彼女の対価も、夜にしか発現しないし。……逆に言えば、夜へ近づくにつれて、より強く顕われる。唯も、心当たりがあるんじゃないかな。ほら、初めて会った時、そして、レストランに行った時、そして、魔物狩りに出かけた時。段々と、あかりさんがひまりさんに対して、強く当たってたんじゃないかな」

「……」

 わたしは黙って、目を反らした。

 その通りだった。確かに、あの頃はそもそも、対価なんて存在自体、ミネットから聞かされていなかったし、だから意識して、注意深くして、気にかけることも無かったので、分からなかったが、確かに。

 あれは、何も取り繕っていたことが緩んでいた訳ではなく。むしろその正反対。本来の姿を、取り戻していたに過ぎない。

 そして、公園で出会ったひまりさん。彼女が泣きながら語った内容は、その対価が遺憾なく、発揮された状態。

 ひまりさんを守りたい。そう願った彼女の、対価。

 ひまりさんを守りたいのに、傷つけずにはいられない。それも、他ならぬ自分が。

「で、でもっ」

 わたしはそこで、堪え切れずに口を挟む。

「そんなの、やっぱりおかしいわよ。だって、彼女の願いは確か、妹のひまりさんを、守りたい、だったわよね。だとしたら、どうして対価で、その願いに反するようなことを……」

 痩せたいと願った人に対して、甘い物、高カロリーなものを食べたくなる欲求を付与するようなものだ。どう考えても、誰が考えても、それは明らかに矛盾している。

 守りたい人を傷つけてしまうなんて。それも、あんな凄惨に。

「……理不尽よ」

 机に目を落としながら、わたしは思わず、そう口にしていた。

 そして、耳に飛び込んでくる、ミネットの笑い声。

「っ、ははっ、あははは! あはははははは!!」

 呵々大笑するミネットは、座ったまま、大きく口を開いて、笑い始める。そして、ピタリと止まり。

 ゆっくりとこちらを見つめた。

「当たり前だろ、唯。だってぼく、初めに言ったじゃないか。アルプだって」

「……どういう、こと」

 得も言えぬ気持ち悪さ。不自然さ。気味の悪さを憶えながら、わたしは口を開く。

 そんなわたしに対して、ミネットは口元を小さく歪めた。

「アルプ……? そ、そりゃあ、確かに言ってはいたけれど……」

「なんだ、唯。君、アルプが何なのか、知らないのかい」

 悪魔だよ。

 次の瞬間、そんな声が聞こえたと同時、わたしの反らした目線の先まで、一瞬で近寄って来たミネットは、無表情でそう言い放った。

「ぼくたちは、悪魔なのさ。だから当然、契約には対価が必要だし、そしてその代わり、どんな願いだって叶えてあげられる」

 不条理、人知を超えたもの、果ては物理法則や、生命の常識。そういったものも含めて、その個人が支払える対価を持っているのであれば、どんな願いだって、叶えられる。そういって、悪魔ミネットは嗤った。

「……だ」

「騙した、なんて言うなよ」

 わたしの言葉を遮って、更に顔を近づけるミネット。その目は、静かにわたしを見つめていた。その冷徹な瞳で、語る。

「言っておくけど、ぼくは初めに行ったはずだよ。ぼくはアルプだって。……それが悪魔なのかどうか、ちゃんと調べなかったのは、君だろ?」

 そう言われて、わたしは思い知らされる。確かにミネットは、初めてわたしと邂逅した時。その時にしっかりと、自己紹介として、アルプであると、悪魔であると、自ら名乗っていたことに。

 そして、わたしはそれを、まるで種族、例えばイヌ科とか、ネコ科とか、そう言った括りだと思い込んで、流していたことに。

 勿論、そうやってアルプであると言われたところで、それがよもや、悪魔の一種であるなんて想像には至るはずもない。だが、それはあくまで言い訳だ。それこそ、調べようと思えば、いくらでも調べられたはずで。

 公園で話している時も。

 その後家に帰った時も。

 カフェで奈野さんと話している時も。

 奈野さんが殺されて、自棄になった時も。

 あかりさんとひまりさんが現れた時も。

 パトロールに出かけた時も。

 翌日、渚さんからリッグという別のアルプの説明を受けた時も。

 その後も。

 その後も。

 その後も。

「調べようと思えば、いつだって調べられただろう?」

歯噛みをするわたしへ、ミネットは問い詰める。

「じゃあなんでそれをしようと思わなかったか。教えてあげようか」

「……やめて」

「君は慣れていたんだよ」

「……やめてっ」

「こうやって」

「……や、めて」

「理不尽を押し付けられることに」

「やめて」

「疑問も抱かず、ただ受け入れる。それに」

「やめてっ!」

 慣れていたんだ。

 気が付けばわたしは、耳を塞いでいた。だが、それが全く意味を為さないことだと、分かっていた。

 この声は、鼓膜に届いているわけではない。

 テレバシー。初めてミネットと会った時、使っていた能力、なのだろう。実際、耳を塞いだところで、頭の中へ直接響く声。それは耳を塞ごうが、鼓膜を破ろうが、どうしようもない。

 そしてわたしは、改めて思い知らされた。

 己の無知、無力を。

「……やめて……」

 わたしは、掠れた喉で、必死に声を絞り出す。だがミネットは、口を閉ざそうとしない。

「……おいおい、対価が知りたいって言ってきたのは、唯。君だろ?」

 ちゃんと聞けよ。

 そういって、ミネットは続ける。その声が、脳内へ直接響いてくるような感覚に、わたしはいよいよ半狂乱になって、椅子から転げ落ちる。そのまま、唸り声をあげて、かき消そうとした。だが、それでも無駄らしい。

 ミネットの言葉は、依然として脳へ響くようだ。

「この際だからね。全員、教えてあげようか。まずひまりさん」

 首を横に振り、わたしは必死に自らの声を被せる。だが、認識してしまう。きっと、鼓膜を通して、音を認識して、それを言語として分かって、理解する。そういう、聴覚を経たプロセスを、このテレパシーは通っていないのだろう。そうではなく、意識へ直接作用して、理解させられる感覚。だから、聞こうとしていなくとも、訊かないようにしていても、聴いてしまう。

 あかりさんの願いは、ひまりさんを守りたい。対価は、ひまりさんを傷つけてしまう。

 ひまりさんの願いは、あかりさんに、恋愛対象として好きになって欲しい。対価は、自分があかりさんを好きという感情の喪失。

 奈野さんの願いは、お父さんとお母さんが仲良くなります様に。対価は、お父さんとお母さんから嫌われる。

「そして」

 その言葉に、わたしはいよいよ、狂ってしまいそうな気持ちになる。

 正直。

 本当に自分の気持ちへ正直になると、わたしは、彼女たち。これまで出会った魔法少女の彼女たちの願いと対価。それを改めてミネットから教えられる。そのことに対して、多少の抵抗はあれど、ここまでパニックになるほどのことではないと、我ながら分かっている。

 そうではなく。

 わたしが本当に嫌なのは、彼女たちの不幸な対価について、知ることではなく。

 恐らく予想通り、そしてその予想も最低最悪な、自ら。綾瀬唯、わたしの対価について、知ってしまうことだった。

 いや。

 きっと、わたしは薄々、分かっていたのだろう。でなければ、こうやってパニックに陥ることも無かった。それこそ、予想がついていて、その予想が、これまでの法則性からして、凡そ的外れでないと分かっている。だからこそ、嫌なのだ。

 その予想が、事実として、固定されることが。

「唯。君の願いは、死にたくない、だったね。まあ、この際だから、対価も教えてあげるよ」

 大きな願いには、大きな代償が付きまとう。

「生き返るとき、一番近くにいた魔法少女。その命を引き換えに、生き返る。それが君の対価だ」

 原初の願いには、原初の対価が付きまとう。

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