第二十八話:家出(一人暮らし)

 それにしても、財布の一つも持たずに、家を飛び出すとは、わたしはこの歳にもなって、未だ計画性というものを、切羽詰まった状況で発揮できないらしい。

 幸い、このITが発達したご時世であるので、コンビニなどで支払いをする際、持ってきたスマートフォンがあれば、ある程度はどうにかなるのだが、それはあくまで、コンビニなどなら。

 つまり、渚さんが殺された理由、ミネットの言い分などを理解したうえで、それでもまだ納得までは出来ない状態の心を落ち着けるため、自ら家を飛び出し、公園でコーヒーでも飲むのには、支払いに事欠かないが、しかし。だからといって、この決済方法、クイックペイが、ホテルでも使えるとは限らない。

 というか。

「……」

 地図アプリを開いて、近くのホテル――ラブホテルを調べてみたところ、使えるとは限らないどころか、使えなかった。

 現金、あるいはクレジットカードのみ。

 その簡素な文字に、わたしは思わず舌打ちをする。

 どうしてなのよ。

 そのクレジットカードをスマホに登録して、クイックペイとして使ってる。そういうシステムなのに。

 対応してなさいよ。

 とまあ。

 こんな愚痴を一人思ったところで、対応していないものは対応していない。わたしは溜息を吐いて、缶コーヒーに口を付けた。

 公園。

 実際に、行く当てもないわたしは、結局近くのコンビニで、それこそあかりさんとひまりさんと、パトロールの際に駐車場を借りていたコンビニへ赴き、そこで缶コーヒーなどを買って、それから近くの公園へと足を運んでいるのだった。

 あの公園は、そういえば色々と思い出があることを、そこでふと思い出す。

 桑名公園。

 土地面積だとか、そういうのは良く分からないのだが、広さは大体、テニスコートを横に二つ並べた様な広さ。その左半分は平坦で、何も遊具などがない土地。対する右半分は、小さな滑り台が真ん中に敷設されており、右奥にはブランコ。しかしまあ、それも十年前と比べると、随分簡素なものになっているように思う。

 恐らく、危険性などが再評価され、行政の指導なりが入って、解体、再整備されたのだろう。最近知ったことだが、今や公園には基本的に、ボール遊び全般を禁止する看板が貼り付けられているらしい。それこそ、こんな風に、魔法少女なんかになってしまう前までは、公園なんて久しく足を運んでいなかったのだが、しかしまあ、少なくともわたしが子供の頃は、そんな野暮な看板を、見かけなかったように思う。

 ボール遊び禁止って。

 じゃあ公園で何をして遊べというのだ。

 まさか、けんけんぱとか、めんことか、おままごととか。そういう遊びをしろとでも言うのだろうか。

 とにもかくにも、昔は子供の遊び場だった公園は、今やすっかり、不便な場所へとなってしまったらしい。

 そして。

 その公園が見えてきたところで、わたしは無意識のうちに肩を落とし、またしても溜息を吐いた。

 渚さん。

 彼女が死んでしまった。そのことに対して、まあ結局、彼女の自業自得ではあるのだろうし、少なくとも奈野さんの時の様に、目に見えて落ち込んでいる、という自覚があるわけでもない。こんなことを言うと、わたしは冷徹な人間に見られてしまうかもしれないが、しかし、彼女と出会ってから、別れるまで――今生の別れへ至るまで、それこそ時間にして、数時間も経っていない。あまつさえ、あんな激痛を伴う殺され方までされているわけで。

 殺されることに理解は出来て、納得は出来ていなくて。だからといって、繰り返しになるが、わたしは彼女に対して、同情をしているわけでもない。

 そりゃあもちろん、殺されたときは驚いたし、憤ったし、悲しいとも思ったが、それはあくまで、あんなふうに殺されたことに対して。誰だって、自分が紆余曲折あれど、庇った、庇おうとした人間をあんな風に殺されて、悲しくないわけがない。だが、いざこうして冷静に、夜風に身体を当てていると、現実味を帯びて、彼女の死を受け入れることが出来る。

 受け入れて、悲しくは思わなかった。

 ミネットのあの言い分が、わたしを強く理解させたのだろう。彼女が殺されるべき人間である。ということを。

 それこそ、あかりさんやひまりさんに、その凶刃が向いていたかもしれないし。

 ひまりさん。

 公園に足を踏み入れたわたしは、初め、そんなことを思った。そして、すぐに腕時計へ目を落とす。確かに時刻は深夜の12時を少し過ぎた頃合い。だから、こんな時間に、彼女がこの公園にいるわけがない。と、初めは疑った。

 何せ、彼女一人なのだ。

 パトロール、だろうか。いや、だとしたら、だから不自然だ。なにせ、彼女たちの能力は――特にひまりさんの能力は、とても戦闘向きとは言えないようなもので。それこそ、あかりさんが一人で出歩いているなら、それも納得は出来る。まだしも彼女は、素の戦闘能力が高いから、最悪一人でも倒せないことはないだろう。

 だが、ひまりさんは。彼女の能力は、あくまで、視認した先の魔物を、空間ごと固定する、というような能力。その能力は強大である分、連発したり、止め続けたり出来るようなものではないはずだから、こんな風に、一人でひまりさんがパトロールしているというのは、それこそわたしに言わせてみれば、死にたがっているようなものだ。

 魔物が跋扈し始める、こんな時間に。

「……ひ」

 まりさん。

 と言いかけて、わたしは口を慌てて閉じる。何せ、わたしから見えているのは、あくまで彼女の後姿だけ。それこそ、これで声をかけて、違った場合、わたしはただの危ない人と、見ず知らずの子から認識される。それは正直、避けたい。

 でも、ひまりさんっぽいのよねえ。

 そう思いながら、わたしは、それでももし違った時のことも考えて、一応、何食わぬ顔で公園の、バイク止めのパイプを避けて、中へと入る。その際、どうにも内気というか、変に慎重なわたしは、靴底をわざと地面へ擦らせて、音を立てることも忘れない。

 そして、果たして。

 その音に反応したのか、平然を装ったわたしの視界端で、びくりと肩を震わせた彼女は、こちらへ慌てた様子で顔を向ける。そこでわたしは、今初めて気づいたような様子で、彼女の方を見た。

 その顔は、確かにひまりさんだった。

 目元が、この暗い公園でも分かるくらい、泣き腫らしているという点に目を瞑れば、いつものひまりさんだった。

「え、あっ、綾瀬、さん……」

「ん、やっぱりひまりさんか。良かった。奇遇ね」

 触れるべきか、それとも触れないべきか。彼女が泣き腫らしている様子は、それこそわたしが、このくらい公園の中、10メートルほど離れたところから、振り返った顔を一瞥した位でわかるほどだ。きっと本人も、それについて、気付いているだろう。だが、当然、彼女の性格を思うに、気付かれたくはないだろうし、そして触れられたくもないだろう。

 そんなことを考えながら、わたしはひとまず、彼女の元へと近づく。

「あれ、どうしたの、お散歩?」

 ちなみにわたしは家出です。

「へっ、えと、その……、はい、お散歩、です。ちょっと……お散歩」

「へえ、そうなんだ」

 ……。

 ……。

 ……。

 約一分間の沈黙。

 その間、わたしはどうするべきか、視線を左右へ泳がせながら考えて、コーヒーをちびりと飲んで、無意味に座ったお尻の位置を調節して、と。まあ色々と、挙動不審になってはいたのだが、それはひまりさんも同じく。

 鼻を啜ったり、顔を背けて目を拭ったり、震える息で深呼吸してみたり。まあ、彼女なりに泣いているのを隠そうとはしていた。

 うん。気まずい。というか、どうにもわたしはこの公園で、トラブルを抱えている女の子と良く出会うな。奈野さん然り、ひまりさん然り。

 だって、明らかに泣いてたもの。で、そんなところにわたしは、よせばいいのに突っ込んだもの。……まあ、それも無策で、という訳ではなくて、つまり彼女の身を案じて、保護するために、なのだが。

 それこそ、わたしの能力があれば、いざというときは自身を囮にするくらいのことは出来るし、一人でこのまま、公園にいるところを見て見ぬふりして、ふらふらとお散歩できるほど、強靭なメンタルでもないし。

 それに今のわたしは、一人になろうと家を飛び出したものの、やっぱり一人きりは辛かった。

 話を訊いてほしい。わけではないけれど、それでも、誰かと話したくなっていた。

「……ごめんなさい」

 と。

 初めにその沈黙を破ったのは、ひまりさんだった。

 わたしはその謝罪の意味が分からず、返答に困っていると、彼女は続ける。

「……その、お見苦しいところを、お見せしてしまって」

「ああ、えと……いや、うん……」

 下を向いて蚊の鳴くような声で呟くひまりさんの隣で、わたしも同じように、両手で持った缶コーヒーへと目を落とす。

「どうか、したのって……聞いてもいい?」

 我ながら頑張った方だと思う。少なくとも、これで正直、年下の、それも高校生くらいの女の子と話すのがあまり得意ではないわたしにしては、上出来な返しが出来たと思う。

 そして、そんなわたしからの問いに、彼女は小さく首を縦に振った。

「はい」

 泣いていた理由。それを、彼女はぽつりぽつりと話し始める。

「その、家で……ちょっと、嫌なことがあって」

「……うん」

「えと……それで、辛くなって、家を飛び出して……ご、ごめんなさい、ちょっと、綾瀬さんに、会えるかなとか、そんなことを……思って……」

 自転車で来た。という。

 なるほど。確かに、薄々気になっていた疑問が、これで一つ解消された。その疑問とは正しく、彼女がどうして、家からあまり近いとは言えない距離にあるこの公園まで、来ていたのか、という疑問。なるほど、どうやら、わたしを探していたのだろうか。

 いや、探していたというより、彼女の性格のことだ。わたしの家まで来るような度胸は湧いてこず、かといって、家の近くの公園などに居ては、それはそれで、家から近いということで、精神的に負荷がある。そして悩んだ末、この公園で一人、泣いていた。ということだろうか。

 わたしは思ったことを、取り敢えずそのまま口にした。

「かわいい」

「え、え?」

「あ、いやごめん、何でもないの」

「……?」

 怪訝そうな顔を浮かべるひまりさんに、わたしは慌てて首を横に振る。しかし、実際かわいい。というか、いじらしい。なんだ、この子、わたしを頼ってくれたのか。なるほど。

 泣いているところ、とても申し訳ないけれど、わたしはそんなことを、不謹慎にも思っていた。し、口にも出ていた。今度、通販でチャックでも買おう。わたしはお口にチャックをしなければならないようだ。

「じゃなくて、ありがとうね」

「……ありがとう?」

 わたしはゆっくりと頷くと、腰を浮かして席を詰める。

「だって、わたしを頼ろうとしてくれたんでしょ? だから、ありがとうって思って」

 頼りになるタイプの人間ではないと、我ながら思うが、それでもこんなわたしを頼ってくれた。それが今は、ありがたかった。何せ、救いたいと思っていた女の子を、理由は正当であれ、救えなかった。そのことでかなり、精神的に参っていた所だ。張り切りたくもなる。

「……その辛いこと、っていうのは、具体的に、何かあったの?」

 わたしは改めて、そう彼女に問いを投げた。正直、どうしてわたしの身の回りにいる女の子は、こうも家庭的なトラブルを抱えているのか、もしかしてこれが、渚さんの言っていた、対価、というものだったのだろうか。そんなことを思いながら――対価。

 それについて、そういえばわたしは、渚さんに、訊けていないことをふと思い出した。そして、ミネットにも。

 魔法少女なら、誰しもが持っている対価。もしかすると、先ほどは冗談のつもりで思ってみた、家庭環境の悪化という、対価に関するわたしの予測は、こうなれば存外、間違いでもないのかもしれない。

「…………」

 またしても長い沈黙。その間、ひまりさんはとても辛そうに顔を顰め、何度かこちらを向こうとしたり、口を思い切って開こうとしてはいたのだが、しかしそれを止めて。かと思えばまた意を決して。

 それを何度か繰り返している間、わたしは黙って待っていた。そして。

「……お姉ちゃん……が」

 わたしに酷いことをするんです。

 そう言って、涙の滲む目でこちらを見つめてきた。

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