第二十七話:危ないなあ
目。
鼻。
口。
耳。
毛穴。
その他、諸々の、ありとあらゆる開口部から、どろり。と、黒赤色の液体を垂れ流した渚さん。わたしは初め、それが魔力の喪失に伴って起こる現象だと、思った。
いや、信じた。
信じたかった。
きっと魔力が失われた魔法少女。それはこんな風に、残った魔力やらなんやらを垂れ流し、それらが消えていくようにして、少々グロテスクではあるが、そうして一般人、ただの少女へ戻っていくものだと、そう信じたかった。
だが。
そのまま、初めの数秒、驚いた様子で顔に手を当て、そこに付着した液体。それを視認する。そして、顔面に当てがった手すら力を保持できず、身体の両脇にだらりと、腕が垂れ下がる渚さん。その腕だけではなく、身体ごと力が抜け、ぐらり。と、揺らぎ。
最後に目が合ったまま、そのまま力の抜けた全身が、椅子から崩れ落ちる様子を、わたしはただ、机越しに眺めることしかできなかった。
「……渚さん?」
彼女を呼ぶ声も、倒れてしまった後を追いかけるように発せられたようなもので、とても間に合っているとは言い難く。
「……な、ぎささんっ!!」
そんな声が、今や一人と一匹になった部屋に響いた。
そして次の瞬間、わたしは彼女の元へと駆け寄る。その道中にあった机も、力任せに薙ぎ倒したせいで、とても大きな音が部屋中に響いたが、それすら今は気にならない。
ただ無心で、わたしは近寄り、彼女の身体を抱え起こす。しかしその時点で気づく。必死に手繰り寄せた胴体。それすら血に濡れていて、そして温もりの失われていくような感覚が、手のひらを伝わっていることに。
普通、いくら血まみれになっていようと、それでもその人がまだ生きているのなら、その身体は暖かいはずだ。人間というのは恒温動物、常に一定の体温を保っている生物なのだから、こんな風に、冷たく、力の抜けた身体であるはずがない。
だとすると、考えられることはもう、彼女が人間ではないか、あるいは。
死んでいるか。
いや、分かっていた。そんなことはきっと、考えることもないくらい、予想が出来ていたはずだ。ただ、信じたくはなかった。
まさか、こいつが。まさか、魔法少女を。
机の上に居座り、わたしの前にいたミネットは、いつのまにか、移動していたらしい。
「全く、いきなり危ないなあ。ぼくが上に乗ってるんだから、優しく頼むよ」
地面に膝を着いて座り込み、渚さんを腕に抱えるわたし。その姿をまるで見下ろすようにして、椅子の上からこちらを眺めているミネット。そこへわたしは視線を向ける。そして、改めて歯を食いしばり、睨みつけた。
「……どういうことよ」
「ん、何がだい」
そういって顔を洗うミネット。その暢気な姿に、わたしはいよいよ我慢の限界を感じ、勢い良く、肺の奥まで空気を吸い込む。歯を食いしばり、目を大きく見開き。
その怒りを湛えたまま、手近にあったスマホ。それを思い切り投げつけた。
「おっと」
だが、そんなものはミネットにとって、大した攻撃にもならないらしい。ひらりと身を躱して、すぐに元の位置へ戻ると、こちらを改めて見つめた。
「っとっとっと、危ないってば。そんな怒ることないだろ? というか、怒る事じゃ、ないだろ?」
「いいから」
答えなさい。わたしは唸るような声で、軽薄な笑みを浮かべたような猫へ凄む。勿論、そんな風にしたところで、こいつが毛程だって怯えるとか、怖がるとか、そういうタイプではないと、分かっている。だが、それにしたって。
わたしが頼んだのは、あくまで記憶操作によって、一般人として生活させたい、一般人に戻すための記憶を植え付けて欲しい。ということで。少なくとも、殺して欲しいなんて願った覚えはない。
それに。
ミネットを疑う理由は他にもある。わたしたち魔法少女というのは、魔物の魔力に反応して、 防衛反応よろしく、魔法少女の衣装に身を包むようにできている。つまり、あの格好は、一種のセンサーとして機能しているわけで。そして今も、さっきも、わたしは私服のままだった。もちろん、今こうして、わたしの腕ですっかり血も何もかも、ひっくるめて溶ける様にさらさらと、光る粉粒になっていっている渚さんも同じく。
だから魔物が突然現れたわけでもない。
そして、その様子に驚きを見せないミネット。状況証拠的に考えて、間違いない。こいつだ。
こんな風に、凄惨な殺し方をして、一体何を考えているのか、わたしは図りかねないが、というか解りたくもないないくらいだが。それでも、こいつを今ここで問いただして、同じように殺したいという気持ちは、ふつふつと込み上げていた。
勿論、彼女は善人とは言い難い生活を送ってきた。いくら人にやられたことが酷かったからといって、命まで奪っていい理由にはならない。いくら自分の願いを叶えたいからといって、人を犠牲にしていい理由にはならない。わたしが不死身だからといって、死ななくて済んだからといって、それを許していい理由にはならない。
でも、それでも、わたしは彼女に同情をするし、助けるし、贔屓にもする。それは例えば、わたしも昔、クラスメイトにいじめられていて、それは大人になって、社会に出てからも同じような目に遭ってきて、あまつさえ自殺を選んで決行してしまう程、つらい人生だったからとか、そういうわけではない。
なんて言えない。
そうだ。きっとわたしは、彼女に自分自身を重ねて見ていたのかもしれない。それこそ一歩間違えれば、わたしが彼女のようになっていた未来もあったかもしれないし、彼女だってそもそも、魔法少女なんかに手を出さなければ、そのリッグなるアルプが声を懸けなければ、幸せではなくても、人殺しに手を染めるような、魔法少女殺しに手を出すような魔法少女にはならなかったかもしれない。そんな、偶然の連続で、不幸になってしまった彼女と、わたしとを、無意識のうちに重ね合わせてでもいるのだろうか。
「……どうして。……どうして! どうして、渚さんを殺したの!」
大声を出した所で、帰ってこないと分かっている。それにこんな質問をしたところで、意味がないこともまた、分かっている。しかし、それでも彼を問い正さずには居られないで、わたしはそのまま段々と重みを失い続ける腕の感覚を憶えたまま、なるべくそこに視線をやらないようにして、ミネットを睨んだ。
「彼女が、あんたに何かした? 他でもない、殺されたわたしが、彼女を許すって言ってるんだから、もうそれでいいじゃない! それを、なんで殺したのよ!」
感情が昂り、息が上がる。込み上げてくるものを必死に堪えようとしても適わず、わたしはそのまま、震える唇で彼に怒鳴った。
「いい加減にしなさいよ……!」
もう、その抱きかかえ続けるような形をとる腕には、何の感触も残っていない。ただ軽く、そこにいたはずの渚さんは、もうどこにも見当たらない。今度こそ、部屋の中にわたしとミネットと、それだけだった。
そんな部屋の中、ミネットはしかし、悪びれもせずに答える。
いや。彼の言い分なら、そもそも彼は悪くないのだろう。
こんな魔法なんて、人知を超えた能力を勝手に付与しておいて、今更道徳なんて解かれたところで、到底納得は出来ないが。
「どうしてもなにも、君たちが、人間が決めた事だろ? 人を殺してはいけません、って。だからぼくは、その決まりごとに従って、死刑にしたんだよ」
殺したんだよ。
「っ……で、でも……」
「でもじゃない」
食い下がり、言葉に詰まるわたしへ、ミネットはその時初めて、ぴしゃりと声を大にした。
当然、驚くのも無理はない。わたしは肩を竦め、その稀有な出来事に、瞬間、呆気にとられた。
そこへミネットは続ける。
「考えてもみなよ、唯。まあ、君は勿論、死なないから、一度や二度、殺されたくらいでそんなに悩むことはないかもしれないよ。それこそ、死なないんだから、許すこともできるだろう。じゃあ、他の魔法少女は?」
「……」
「君みたいに、まさか生き返られるとでも?」
言葉を選ばずに言うと。と、ミネットは前置きをする。
黙って、何も言えなくなったわたしへ向かって。
「みんな、命は一つしかないんだよ。それを、理由はどうであれ、二つも奪って。それから更に、君自身も襲われた。彼女が魔法少女を続けるどころか、一般人に戻して欲しい、だって? とんでもない。ぼくからしてみたら、君の思考回路こそ、恐ろしく思うくらいだよ。……唯」
冷静になって考えて見なよ。そういって、ミネットは椅子から軽々と飛び降りて、わたしの近くまで寄る。その姿を、わたしはただ、唇を噛んで何も言えないまま、見ることしかできない。最早睨むなんて、とんでもない。
こうも正論をぶつけられてしまっては、何も言い返す言葉がない。
「人間二人も殺して、どうして無事に済むと思ったんだい? 君、もしかして、魔法少女になったことで、何か人より偉い存在にでもなったと、勘違いしているのかい? だとしたら、烏滸がましいにも程がある。少なくともぼくが知る限り、君のような、原初の願いを叶えた人間は初めてだけれど……」
君みたいに、魔法少女殺しを庇った魔法少女も、初めてだぜ。そういって、ミネットはこちらに顔を近づける。
わたしは思わず、その威圧感に気圧されて、その場から後ろに手を付いて、後ずさりをした。
フローリングを蹴る両足や、身体を支える両手、両腕が震えている。そのことに気付いたのは、その時だった。
これは怒りでも憎しみでもない。
恐怖していた。
「……ぼくはこれでも、君たち魔法少女を生み出した存在であり、縄張り意識も強ければ、それを傷つけられて怒る情だって持ってる。……唯。……渚、だっけ? あいつに襲われて、それこそ一回、殺されたんだろ?」
言葉が出ない。これは困っているからとか、言いたいことが見つからないからとか、そういう類のものではない。恐怖だ。
わたしは初めて、ミネットに対して、明確に怯えていた。
「だったら庇う必要なんて、無いじゃないか」
記憶操作は、リッグと呼ばれていた――渚さんにそう呼ばれていたカラスが、行うだろう。だから、君は心配しなくていい。そう背中に言われながら、わたしは家を飛び出した。本来あそこは自分の家で、そもそも気まずくなってか、一緒に居づらくなってか、理由はどうであれ、とにかく一緒の時間を過ごしているのが辛くなったところで、わたしがあの家から出て行くというのは、どうにもおかしな話だが、しかしわたしは家を飛び出していた。
荷物なんて、当然持っていない。
それこそ、行きがけに焦って手にした、肩から掛ける、普段使い用の鞄。それからスマホだけと、とても家を飛び出すにしては心もとないようなものだけ。だが、だからといって、折角飛び出した踵を返し、ミネットを代わりに外へ放り出すわけにもいかない。それくらいわたしは、得も言えぬ感情に囚われていた。
罪悪感。でもなければ、悲壮感でもない。
勿論、渚さんがミネットの手によって殺された。そのことに対して、悲しみは覚えるし、胸が締め付けられるような気持ちになる。どうしてあそこで、ミネットの元へ、案内したのか。そんな自分を責めるような気持ちにもなる。もしも、わたしがあそこで彼女を家に連れてこなければ、口止めと、今後の予定を話し合って、解散していれば、きっとこんなことにはならなかっただろう。
家に着くまでの数十分間。きっと、彼女の言い分、人をわたし含め三人。その人数を手にかけた言い訳を聞くには、そんな時間は、余りにも短かったろうに。
だが、これに関して責任感は感じない。何せ、一般的な思考回路で考えれば、いきなり人を襲ってきて、あまつさえその人が自分を殺して。
これが他の魔法少女だったなら。
あかりさんなら。
ひまりさんなら。
……奈野さんなら。
そう思って、立場を変えて思ってみた時のことを考えて、わたしは初めて、家を飛び出してから数十分ぶりに、ミネットの言いたいことが少しだけ分かったような気になった。
理解できた。
確かに、これがわたしなら、不死の能力を授かっているわたしであるなら、何のことはない。魔力を消費して、すぐに生き返ることも可能だろう。
だが。
これがもしわたし以外であるならどうだろう。いや、それこそ、わたしの能力を持っていると仮定して考えてもいい。
不死のあかりさんが殺された。
不死のひまりさんが殺された。
不死の奈野さんが、殺された。
そう考えた時、わたしは、さっきまでと同じように、彼女の言い分を聞いたうえで、一般人に戻して欲しい。そう思えていただろうか。
死なないなら、どうということはない。
それはあくまで、わたし個人の、極めて利己的な考え方であり。
そんな自己犠牲の精神は、それこそミネットのように感情の希薄な、あまり普段、それを表に出さないような彼であっても、わたしから見るに激昂するようなことなのだろう。
死なないからといって、殺したことが罪にならない。
そんなことはないのだ。
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