第二十三話:略奪系魔法少女

 魔法少女、四日目。

 昨日のあの出来事の後、わたしはどうやら、記憶こそ曖昧ではあるが、浴びるようにお酒を飲んでしまったらしい。買った憶えすらないジャックダニエルの瓶が半分ほどまで減っており、割るために使ったウィルキンソンのペットボトルも、何本か机に並べられているのを見て、うんざりした気持ちになる。

 この歳になって、嫌なことがあると、すぐにこうしてお酒に逃げてしまうのはわたしの悪い癖だ。いや、それこそこれが二十歳そこそこなのだとしたら、まあ分からないでもないけれど。しかし、この歳にもなって、嫌なことを酒で忘れると、どうなるか。

 二日酔いの頭で洗面所に立ち、深く溜め息を吐く。

「……うぅ」

 呻き声しか喉から発せられないほど、倦怠感が全身を襲っている。それこそ、このままもうひと眠りしていいんだったら、わたしは迷うことなく、もう一度あの愛しき布団へと身を投げ、そのまま惰眠を貪るだろう。

 いや。

 それでいうなら、実際にそうしても何ら問題はない立場に、わたしはあるわけだが。

 無職。

 実際、こんなお昼前の時間に二日酔いの頭で目覚めているくらいなのだから、二度寝をしたところで、今更どうってことはないのだが。

「ぼくは昨日、散々止めたんだよ? でも魔法を切った辺りから、コンビニにふらふら出かけて、帰ってきたらがぶがぶ飲み始めるもんだからさ。ちょっとは自制してくれないと、一緒に住んでるぼくも困るっていうか」

 さっきから足元でぐちぐとと言っているこいつが鬱陶しい。

「……丁度、新しい足拭きマットを探してたところなのよ。その毛並みなら、玄関にぴったりだわ」

 そういって睨みを聞かせ、わたしは足元でうろうろとしているミネットを洗面所から追い出す。

 いや。この口うるさくこちらの身を変に案じてくる黒猫は、わたしの二度寝を妨げる要因ではなくて。

 先ほども述べたように、わたしは現在、職についていない。いわゆる、無職である。勿論、貯金はそれなりにある方だし、まだまだ働かなくてもいいくらいの貯金額と、前の会社での仕打ちを考えれば、今は、取り敢えず向こう一ヶ月は療養のために、この地位へ甘んじていてもいいくらいだ。

 それこそ、わたしの身の上を考えれば、絶対にそうした方がいい。大人しく休んで、心身ともに快復してから、職を探し始めた方が、絶対に良い。

 けれど、これまで働き詰めだった人間が、急に仕事をしなくなると、禁断症状というわけではないけれど、どうにも落ち着かない気持ちになるのは何故だろうか。

 それこそ、二十二、三歳辺りから、六年余りもの間、わたしは働き詰めだった。それこそ、恋愛も遊びも、何もないまま、する暇も確保できないまま、ひたすら会社勤め。楽しみもなく、嫌なことは酒で洗い流す生活。そんな人間が、職をある日失い、自殺すら出来ず、あまつさえ常に死と隣り合わせの生活を夜な夜な送り、死ねない身体になって。

 これでどうやら、人間らしい生活。社会に少しでも接するような生活を求めているというのだから、我ながらもう良く分からない。

 そんなことを考えながら、わたしはその後、コンビニで買ってきた履歴書に、文字を認める。まあ幸いというべきか、その履歴書自体はすぐに出来上がったので、それは問題ないとして。

 問題は、志望動機だった。

「ねえ、ミネット」

 わたしは机から両手を離し、伸びをしながら、横を見る。ミネットは丁度、わたしが拾い忘れていたペットボトルのキャップがいたく気に入ったようで、それを執拗に手で弾いては追いかけ、また手で弾いては追いかけるという、良く分からない遊びに興じていた。

 レースのカーテン越しに見る外は快晴で、丁度肌寒さも感じない、心地よい気温を、開いた窓越しに室内へ満たしてくれている。

「ん、どうしたの」

 その手をパッと止め、こちらを振り返るミネット。わたしは足元に転がってきたキャップを拾い上げ、机の上に置く。

「アルプって、志望動機も相談に乗ってくれたり、するの?」

 それから実際に、アルプという種族に属しているところのミネットが、わたしの志望動機に一体どれほどの貢献をしてくれたか、それはともかくとして――ちなみに相談自体には乗ってくれた。そして、存外的を射た発言をしてくれた――その日の夜。

 生憎と今日は、あかりさんとひまりさんはパトロールに行かない。というより、行けないらしいので、わたしは一人で夜道を歩いていた。

 交換したラインで聞くところによるとどうやら、やはりあの年齢で、毎夜、深夜徘徊をしていては、ご両親も良く思わない、とのことだった。なので、今日は一人でのパトロールである。

 アスファルトを歩く足元を眺めながら、わたしは人通りのない道を、当てもなくぶらぶらと歩く。

 そしてそのまま、人通りの少ない路地を選択して、より奥へ奥へと進んでいく。正直、どういったところに魔物がいるのか、それすら分からないし、なんなら魔法少女に対して特段の敵意を持っているらしい魔物は、こうしてわたしが歩いているだけで、それが囮や撒き餌の如く、近づいてくるだろうから、こうして人通りの少ない路地を歩いているのは、魔物を探して、というよりも、むしろ。

 わたし自身が魔物と接敵した際に、民間人へ無用な混乱を招かないように。との心遣いであった。

 だが、わたしは忘れていた。

 魔法少女として、これから生きていくうえで、本当に気を付けなければならないのは。

 魔物でもなく。

 民間人の目でもなく。

「あんた、魔物? それとも、魔法少女?」

 他の魔法少女である。ということを。

「――っ!」

 ほとんど、それは反射的な行動だった。

 夜道で、人通りの少ない道で、それでなくとも、魔物か魔法少女か、なんて出合い頭に、粗暴な口調で聞いてくる相手に心当たりのないわたしは、それこそ何かを思考するよりも早く、身体が動いていた。そして、結果的にそれは正解だったらしい。

 事実、飛び退いたわたしが、先ほどまでいた場所に、突き刺さったもの。それが何か分かるより早く、視界から消えていた。だが、少なくとも明確な敵意、攻撃の意志、それこそ殺意すら孕んでいることは、明確で。

「っと、外したか」

 正面に立つ少女は、そう言って、少し悔しそうにこちらを睨みつける。その顔は、やはり知らない顔で、わたしはそのまま数歩、すり足で後退した。

「いきなり、とんでもないことしてくれるわね」

 平静を装って、わたしはその少女へと話しかける。しかし本心では、とてつもない恐怖を抱いていた。なるほど、これが奈野さんの言っていた、略奪を目論む魔法少女か。当然、意外ではなかったが、しかしやっぱり、不意打ちだったり、いきなり殺そうとして来たり、そういうことはしてくるタイプらしい。少なくとも、こちらを力で恫喝して、ドロップを奪い取る。なんて程度の話ではない。そんな悠長なことをしていては、それこそ略奪する側にばかり、力の優位性があるわけではないのだ。もしも相手が己より魔法に長けていたなら、それこそ返り討ちに会う可能性だってあるだろうし。それに、願いを叶えるために、切羽詰まっているのだから、そんな冷静な思考回路は、もう持ち合わせていないと思っておいた方がいいだろう。

 むしろ。

 こんな死と隣り合わせの魔法少女なんかになって、魔力が尽きれば願いも叶え続けることは出来ない。そんな状況に置かれて、切羽詰まらない方がおかしい。わたしだってきっと、あかりさんやひまりさん、奈野さんと出会っていなかったら、そんなストレスに耐えかねていたように思うし。

 まあ、だからといって、むざむざやられてやるつもりは、無いけれど。

「へえ、魔法少女なんだ、お姉さん。てっきり、魔力の気配がしたから、魔物が化けてるのかと思ったけど……そういうわけでもないみたいだね」

「あなたこそ、魔物みたいに卑怯な手で、随分なご挨拶してくれたじゃない。噂には聞いてたけど、何? わたしのドロップ、盗もうっていうの?」

 これは魔物と魔法少女の戦闘ではない。それ故、わたしも、目の前にいる彼女も、服装はそのまま。わたしの服装も、それこそ家を出た時のままだし、彼女に至っても、恐らくは私服のままであると思われる。

 喧嘩腰の言葉を返し、わたしは彼女を睨みつける。

 そして次の瞬間。

 一度小さく、極めて面倒くさそうに見える素振りで溜息を吐いた彼女は、いつからか、恐らく初めから握っていた、小ぶりの刃物らしきものを、握りしめた。

 次の瞬間。

 その握り締めた刃物を振るった動作。それと連動するようにして、わたしのすぐそばへ出現したもの。それは、馬鹿馬鹿しい程のサイズを有する、メスだった。

 手術などで、皮膚を切るための、あの鋭利な刃物。医学ドラマなどで良く目にするあれが、まるで初めからそこにあったかのように、出現して。

「とにかく、死んで」

 そんな声が聞こえた次の瞬間。

 彼女の手元にばかり目がいっていたわたしは、その手の動きがそのまま伝わってるが如く、振るわれたメス。それを住んでのところで避け切れなかった。

 ぐじゅり。

 そんな鈍い音を立てて、咄嗟に飛び跳ねた身体。その跳躍の力を得るため、最後まで地面を蹴っていた右脚が、付け根から切断される感覚を憶える。

 なるほど。どうやら今際の時にこそ、魔力の使い方とは、思い返すように、我が物として扱えるようになるらしい。実際、身体に満ちる魔力の感覚を憶えながら、わたしは強化された身体の感覚を、激痛の中で感じていた。

 だが。

 そうして、昨日あかねさんがやっていたような、魔力による身体能力の強化。それを会得したところで、右足を切り落とされたという事実。それは変わらない。

 熱いのか冷たいのか。それすらあやふやになるような感覚。そして、遅れてやってくる激痛。それを感じ、辛うじて残った左足で、一度地面に着いた私は、しかしすぐに崩れ落ちる。

 バランスを崩して、右半身が地面へ強かに打ち付けられる感覚。凸凹としたアスファルトが、皮膚へ食い込み、更なる痛みを生じさせた。

「――っぁぁああ!!」

 痛い。

 耐えられない。

 吐きそうだ。

 いっそ、許されるのなら、わたしはこのまま、気を失うなり、このまま悶え苦しんで泣き声を上げるなり、そういうことをしていただろう。というか実際、眼前に敵を捉えていながら、わたしはその目を固く瞑り、歯を食いしばって、痛みに喘ぐくらいしか、出来ることはなかったのだから。

「っもう、逃げんなって!!」

 だが、焦っているのは相手も同じらしい。いや、どう考えてもわたしの方が、命に関わる怪我をしている以上、どう考えても焦っているのだから、切羽詰まっているのだが。しかし、恐らく中学生か、高校生くらい。一般的な魔法少女の年齢から逸脱していない彼女も、相当に同様に、切羽詰まっているらしい。

 先ほどまで、一瞬とはいえ、わたしが左脚を着いて立っていた場所。そこを狙って掠めた、現実ではありえないようなサイズのメス。それが今度はわたしの頭上。そこへ風切り音を立てて薙いで行く様を感じながら、わたしはそんなことを思っていた。

 きっと、こうして他の魔法少女を襲うということは、やはり相当に焦っているわけで。

 それこそ、願いが空前の灯火が如く、揺らめているような状態であるわけで。

 そうなれば、刃が鈍るのも理解できる。

 正常な判断に基づく戦闘など、凡そ出来たものではないだろう。

 わたしと彼女のどちらも。

 膝上15センチ。それくらいの長さを残して、すっぱりと切り落とされたわたしの太もも。その断面は、未だに焼けるような痛みを伴う。当然、立ち上がることなど、最早不可能だ。それこそ、立位を維持していたかったなら、飛び上がった後、着地するときにこそ気を配っておくべきで。今こうして、片足が失われた状態で、地面に伏しているような体制になってしまっては、凡そ片足で起き上がることなど、最早不可能に近い。

 人間というのは、そもそも片足で立ち上がることなど、無理なように出来ている。いくらわたしの両手が使えていたとしても、長らくデスクワークで鈍っていた身体だ。そんな筋力など、あるはずもない。

 雌雄は決した。

 幸い、不死の身体であるところのわたしは、いくら殺されたところで、魔力の残っている限り、それを消費して生き返るのは造作もないだろう。それこそ、ビルの屋上から飛び降りて、全身の骨も何もかもぐちゃぐちゃになった後ですら、五体満足で生き返られたほどだ。切り落とされた右脚に関して、痛みこそあれど、心配はしていない。

 だが。

 殺されてから生き返るまで。その間に、多少のブランクは生じる。それが大体どれくらいなのか、あるいは身体の損傷具合によって変わるのか。それは分からないが、少なくとも瞬時に身体が再生して、復活。というわけではないらしい。そうなれば、その間は全くの無防備。死体も同然で。

 その間に、この少女によって、ドロップを奪われてしまうことは、火を見るより明らかだった。

 いや。わたしの集めたドロップ――奈野さんの仇であるあの魔物。あいつから得たドロップだけなら、まだ良い。だが、その奈野さんから受け継いだドロップ。あれまで略奪されてしまっては、流石に困る。

 未練がましいかもしれないが。あれは、奈野さんの数少ない忘れ形見だ。

 事実、これまでただの一粒も使わずに、取っておいたものだ。

 奈野さんが。

 生きて帰ってきた時の為に。

 その時に、返すために。

「っ、ああ、ああっ、うぅううう!!」

 声にもならない悲鳴を上げてわたしは、立ち上がる。

 これだけは。

 命に代えても、守らなければならない。

「……負けるわけにはっ、いかないのよっ……!」

 自分へ言い聞かせるような言葉。それを発して、血の滲むような思いでわたしは近く中に手を付き、よろめきながらも立ち上がる。

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