第二十二話:奈野さん

 糸の魔法。それをどうしてあの時に使えたのか、あの時にだけ、使えたのか、その理由は全く持って分からない。そういって、ミネットはわたしの用意した供物――ちゃおちゅ~るを舐めた。

「でも唯の記憶には、確かに魔法を使った形跡があるんだよね。だから、嘘じゃないってのは、分かるんだけど……」

 訳知り顔というか、とにかく普段からどうにも、知ったような口を利くミネットが、珍しく当惑している。それだけでわたしとしても、逆にミネットが本当に、この一件に関しては全く知らないと、そう納得させられる。

「本当に何でなんだろう。……言うまでもないことだけど、唯。君に、人の能力を模倣するとか、そういう魔法は与えられてないはずだから……」

 というかそもそも、二つ目の魔法を使える時点で、かなりおかしいんだけどね。そういって、ミネットは最後の一絞りのキャットフードを、ぺろぺろと舐める。

「まあ、願いを叶え続けるために、不死の魔法が常時発動してると考えたら、不死の魔法は固有魔法じゃない。なんて解釈も出来るけど……それにしたって、ねえ」

 わたしもその言葉にうなずく。確かにミネットの言う通り、死にたくない。というわたしの願いを叶え続けるために、一つ目の魔法が、固有魔法という括りから外れて存在しているのなら、つまりわたしの固有魔法は、イコール精神操作の魔法、ということになる。だから、そこは辻褄が合う。が。

 それにしても、三つ目の魔法。今は使えない、失われた魔法であるところの、糸の魔法。それについては、一切説明が付かない。それこそミネットも、わたしの頭の中を覗いてか何なのか、その糸の魔法を使った。ということについては、真実であるという確証を得ている以上、これは何も、わたしが今際の時に見た幻覚。という線は消えている。

 そうなると、いよいよ訳が分からない。これでは、ミネットがあかりさんとひまりさんの二人に、綾瀬唯の使える魔法は二つだ。と説明したことにも、納得がいく。そりゃあそうだ。なにせ、ミネットはやっぱり、本当に知らなかったのだから。

「一応、ぼくの方でも色々調べてはみるけど」

 名残惜しそうに舌で口元を舐め取りながら、ミネットは続ける。

「あの魔法は、もう使えないものと思っておいた方が、いいかもね」

 その言葉は、言われるまでもない。元よりそうなるであろうと、さしものわたしも覚悟はしていた。

 それこそ、不死の魔法を利用した戦闘スタイルを、あかりさんから教わろうとした辺りから、すでに思考回路は切り替えたつもりだ。いつまでも使えない魔法を、あれがあれば。なんて思う程、わたしは子供ではない。その線引きは、この歳にもなれば、出来るつもりだ。

 だが。

 今は亡き奈野さん。あの子の使っていた魔法を、皮肉にも一度だけとはいえ、使えてしまったからこそ、今こうして使えないことは、余計に重く、わたしへ圧し掛かる。勿論、これに関しては、わたしも悪くなければ、ミネットも悪くない。きっと、誰の責任でもない。強いて言うなら、あの時あの魔法が使えたのは、奈野さんがそれこそ、今際の時に起こした奇跡としか説明のしようがない。今となっては、思い返してみればわたしがあの魔法を放ったかどうか、その記憶すら危ういほどだ。

 奈野さん。

 ミネットはどうやら、眠るということを必要としないらしく、リビングで過ごしている。そう聞いて、わたしはせめて、と、引き出しから夏場に使っていた大判のタオルケットと、それから食器の丼皿に、水を張って、それを渡す。それから、寝室へと入った。

 そして、扉を閉めた後、ベッドに寝転んだところで、思わずその名前を呼んでしまっていた。

「……どうしたら、良いのかな」

 もう涙も枯れ果てたのか、わたしはただ、そう言って枕に頭を預けたまま、目を閉じる。

 当然、今更こうしていくら願ったところで、奈野さんが生き返るわけではない。それこそ、わたしはすでに一度、願いを、軌跡を叶えて貰っている立場だ。今更、それをもう一度、なんて思う程、傲慢でもないつもりだ。

 けれど。

 あかりさんとひまりさん。あの二人と同じ年の奈野さんが、死んでしまった理由。死ななければならなかった理由について。

 きっと彼女も、生きていたなら、あの二人ともこうして出会っているかもしれないわけで。

 わたしは想像する。

 あかりさんと、ひまりさんと、それからわたしと奈野さん。その四人で、魔物を夜な夜な退治して回る。そんな、チームを。もしそれが実現できたなら、どれほど良かったことか。

 わたしは、あの時、奈野さんが殺されてしまうあの時まで、全く知らずにいた。よもや魔物が、あそこまで凶暴で、こちらを、魔法少女を殺しにくる、そんな存在だなんて。

 未練がましい。

 そう分かっていながら、わたしは吊るされている、奈野さんの服に手をかけ、気が付けばそのまま、ベッドへ戻っていた。

 こんなことをしても、奈野さんは帰ってこない。そう分かっていながら、こんなことをするのだから、わたしはやはり、向いていないのかもしれない。

 魔法少女に。

「……魔法少女、やめたいです」

 泣きながらまた、ベッドの上で頭を下げ、土下座をする。

「……あの時、死んでしまっていたら、奈野さんは、死なずに済んだんじゃないかって、そんなことを、思うんです」

 誰に向けるでもない言葉を続ける。

「……だから、お願いします。魔法少女なんて、もうやめさせてください」

 死にたくない。なんて、そんな願いはわたしにとって、過ぎた奇跡で。

 取り消せないと分かっていても、そんな奇跡を叶えてくれる力がもし、少しでもわたしにあるのなら。

 そんな願いはもう、要らないから。

 それよりも、奈野さんを。

 あの優しかったあの子を、せめて人並みに。生きさせてほしかった。

「綾瀬さん」

 そんなわたしの肩を、優しく抱き寄せる手。それは、小さく、白く、柔らかな手で。

 ハッとして見上げた顔。その目に映っていたのは、まぎれもなく。

 あの奈野さんだった。

「……そんな寂しいこと、言わないで下さいよ」

 奈野さんは微笑む。

 わたしは、心臓が高鳴るのを感じる。心臓が早鐘を打つように血液を巡らせ、息が上がる。見開かれた目が、乾く感覚に、何度も瞬きを繰り返した。

「……あ、ああ、あ……」

 奈野さん。

 わたしは握り締めていた服から手を離す。そして、正面に立つ奈野さん。その身体へと手を伸ばし、力強く抱きしめた。

 これは夢だろうか。

 そう疑ってしまうが、しかし抱きしめた手のひら、腕、肩を伝う感触。温もりは、紛れもなく生物のそれで。

 いや、夢ならそれでもいい。

 そう思い、わたしはその手に力を籠めた。

「あははっ、痛いですよ、綾瀬さん」

 そういって愉快そうに笑う奈野さん。しかしわたしは、もう何も言わない。いや、言えなくなって、ただ涙だけを流しながら、力強く抱きしめた。

 もう何処へも離さない。そんな気持ちを込めて。

「……今まで、どこに、行ってたの……」

 温もりを感じながら、わたしはそんな彼女の身体に腕を回して、抱きしめる。緊張で、首が締まるような感覚を憶えるほど、息が詰まる。何せ、ずっと思っていたから。

 奈野さんは、もう死んだと。

 二度と、帰ってこないものだと。

「いやあ、すみません。ちょっと、治療に手間取ってて……ごめんなさい、心配、掛けましたよね」

「心配なんてもんじゃないわよっ、ばかっ!」

 笑みを浮かべる奈野さん。その手をわたしは強く掴む。

「……生きてたなら、生きてたって、言いなさいよ……!」

 思ってもいない、強い言葉が口を突いて出る。いや、本当に言いたいことは、そんな言葉じゃない。それよりももっと、言いたいことはいっぱいあるはずだ。だがわたしは、どうしても恨みの一つも言わなければ、気が済まない。そんな気持ちで、言葉を重ねる。

「わたしが、いったいどれだけ心配したと……思ってるのよ。生きてるなら生きてるって、そう言ってくれたら、良いじゃない……」

「えへへ、ごめんなさい……でも、病院の中だし、携帯も使えなくて……ついさっき、動けるようになたくらいなんです」

 そういって笑う奈野さんの身体は確かに、衣類もあの時の様な、かわいらしい服装とは程遠い。いわゆる病院着と形容されるような服が纏われており、擦過創の治療の為か、手足のあちこちにも、包帯が巻かれている。

「……もう、痛く、ないの?」

 気になって尋ねたわたしに、奈野さんは答える。

「ええ、もう大丈夫ですよ。……少し痛いですけど、でもそれより」

 綾瀬さんに、早く会いたくて。

 そんな言葉を聞いて、わたしはようやく、少しだけ救われた気持ちになった。

 ああ、奈野さんも本当は、あの時、寂しかったんだ。

 わたしと、もう二度と会えない。そのことに対して、少しだけでも寂寥感を得てくれていた。そう思って、安堵した。

 そう思って、少しだけ救われた気持ちになった。

 いや。

 それは嘘だ.。

 本当は、そんな言葉を聞きたかったんじゃない。

「……そっか、でもまあ、よかったわ」

 わたしはそういって、力を籠める。

 奈野さんを抱きしめる手に、ではない。

 現実世界で、奈野さんの、その姿を模倣した、魔物の首を絞める手に。

 より一層、力を籠めた。

 正直、不死の能力を持っているわたしとしては、もう少し、もう少しだけでもこの幻覚に、今だけでも身を委ねてしまっても 良かったのだが。それこそ、不死の魔力は、体感として、後数十回の死は逃れられるだけの量を、魔力として持っていたし。ただ、いつまでもこんな風に、ありもしないことを思っていられるほど、精神操作をかけたわたしは、冷静さを欠いてはいなかったらしい。

 残酷なことだ。

 今だけ味わえる、そんな夢にも浸らせてくれないとは。

 わたしは続ける。

「ごめんね、奈野さん」

 未練を振り切るように、わたしは更に力を籠める。そして、涙で歪んだ視界、あるいは幻想を見せる魔力が、殺されそうになっている魔物の影響で歪んだ視界の中、奈野さんの姿を最後に見つめる。

「ごめんね」

 奈野さん。わたしはまだ、そっちに行けないみたいよ。

 そんなわたしの胸中に抱いた言葉。それを皮切りに、雲散霧消していく視界の中。

 わたしは頽れた魔物の身体を、その姿を見ないように、ベッドから放り投げた。

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