第二十話:消えた魔法

「いや、そんなえげつない感じじゃなくて」

 もしかして、わたしはそんなことをするタイプの人間だと思われているのだろうか――まあ魔法少女自体、手段はどうであれ、結局は魔物を殺しているだけだし、それでいうなら全員残酷ではあるけれど。

 わたしはそこで、予想が確信に変わる。

 間違いなく、これはミネットが伝え忘れているだけだ。わたしが、糸の魔法を使える、と。

 しかし、こればっかりはあの黒猫を責められない所もある。何せ、わたしはあいつの前で、この魔法を使ったことがない。初めて使用したあの時だって、わたしが糸の魔法で魔物を殺し、それを解除してからミネットはやってきた。だから、いくらあの何でも知っているぜぼくは、みたいな顔をしている黒猫にしても、知る由がない。

 わたしは、ならば。と、二人に伝える。

 奈野さんの能力を、どうしてか継承出来た、と。

 果たして、それに対して二人は、ぽかんとした顔を浮かべる。

「……いやいや」

 あかりさんが口を開く。

「いや、まさかそんな事、出来る訳無いじゃないですか。だって、固有魔法ですよ? ほら、それこそ、わたしがひまの魔法とか、綾瀬さんの魔法を使えないのと同じように、いくら元々の、糸の魔法が、軽い魔法だったとしても……それは無理ですよ」

 そういっているあかりさんの隣で、ひまりさんも怪訝そうな顔を浮かべる。だが、わたしとしてもあれは、今になって思っても信じがたいというか、どうして扱えたのか、自分でも分からないほどのことだった。使えないだろう。なんてことはわたし自身が誰よりも思っているし、どうして扱えたのか、それも知りたい。

 移しとる魔法なんて、持った覚えもないし、もしそうなら、わたしは一人で何個の固有魔法を持つことになるのだ。というかそもそも、そんな魔法の記憶は、初めての変身に際しても、頭の中に浮かんできていない。そのことからしてもやはり、説明が付かない。

「でも」

 わたしはそこで右手を前に伸ばす。そして、手近なところにある石。そこへ向けて、力を込めた。

 この力がなければ、わたしは奈野さんの顔を模した、あの気持ちの悪い化け物から、勝利を収めていないわけで。

「こうやって、実際に使えるから……」

 わたしはそう言って、手に軽く、力を籠める。イメージとしては、筋肉を強く引き絞るような、そんなイメージ。ぐっと腕全体に力を籠め、魔力を指先から、細く細く、放つ。

 あの時の戦闘と同じ、感覚。それが指先へ伝わり、かつて奈野さんが使っていた、あの魔法。

 とても細く、きらきらと月明かりで煌めく糸が――。

「……綾瀬、さん?」

 心配そうにこちらを見つめるあかりさんと、ひまりさん。わたしは、やや気恥ずかしくなって、腕を一度下ろす。

 それから手のひらに視線を向けるが、糸どころか、その欠片も出ていないのは、一目瞭然だった。

 勿論、その感覚はあった。あの時と同じ、鮮明な感覚が、手からしっかりと伝わっていた。なのにどうして。頭の中がはてなでいっぱいになりながら、わたしはそれと同じくらい、恥ずかしさを憶える。

 いやいや。格好つけて、実際に使えるから。とか言っておいて、出来ないとか。

 だっさ。

 え、だっさ。どうしよ、これ、本当に使えなかったら、というかあの一回がただのまぐれか奇跡だった、とかいうオチだったら、わたしはともかく、この二人。あかりさんとひまりさんから見た光景は、いい歳をして、格好つけて思いっきり失敗する、綾瀬さん。という、なんとも痛ましいものである。そうなったら、最早威厳も何もない。不死の能力とか関係なしに、普通に自殺する。それくらい恥ずかしい。

 実際、わたしを見つめるふたりの視線は、どちらも不安そう、というか、心配そう、というか。そんな風に、こちらに向けられている。

 やめて、そんな目で見ないで。

 本当に。

「……あ、あはは、ごめんごめん、格好つけて片手でやろうとしたら、間違えちゃった」

 震える声で、わたしは今度こそ両手を上げる。そうだ、あの時も確かに両手でやっていた。いやはや、わたしとしたことが。

「わたしは背中に嫌な汗が流れるのを感じながら、次はゆっくりと、より集中して手先に力を籠める」

「綾瀬さん、綾瀬さん。あの、地の文、漏れてます」

「へ? あ、ごめんごめん」

 改めて。

 わたしは伸ばした両腕から、再び力を籠める。未だに魔法を込める感覚は、頭で理解できている一方、それを言葉にしようとすると、どうにも説明できない妙な感覚だが、とにかく魔力をゆっくり、慎重に込めて、指先へと集約させる。

 じんわりと熱を持つ感覚。それを大きく吸い込んだ息を止め、タイミングを合わせて。

 一気に放出。

「……」

「あ、えと……だ、大丈夫ですよ、ほら、綾瀬さんも、十分強力な魔法、二つも持ってるじゃないですか! それだけでも、十分凄いことですから、ね!」

「う、うん、そうです、よ……! おねえちゃんもわたしも、一つだけ、だし」

 近くへ近寄り、フォローをしてくれる二人。わたしはその二人の、焦ったような表情を見て、にっこりと微笑み。

「えへっ」

 ポケットからスマホを取り出した。

「あ、近くの薬局、まだ空いてるみたいだね。ちょっと、お買い物してきていい?」

「え、ああ、何か買うんですか?」

「ドクロの書かれた瓶」

「それ毒です」

 その後、二人に腕や服を掴まれながら、わたしは久しぶりに駄々を捏ねた。

「やだやだ! もうやなの! わたし死ぬの! 止めないで!」

「いや止めますって! てか魔力の無駄ですから!!」

「綾瀬さん、おちおち、落ち着いてっ……」

「やあだー!」

 と。

 まあわたしがそれから、正気に戻った頃。

 改めて二人には、魔物に襲われたとき、奈野さんが息絶えたところでわたしが魔法を使えたこと。それを説明する。

 幸い、わたしの先ほどまでの取り乱し様から、皮肉にも信憑性は上がったらしく、信じてくれはしたらしい。だが、それがどうして今は使えないのか、その原因は、分からず終いだった。

 あの時と、今との差異といえば、あの時は変身をしていたとか、魔物が近くにいたとか、その程度だったが。しかしそれにしたって、朱莉さん曰く。

「魔法少女の衣装を着て、強化されるのはあくまで魔法の強さとか、身体能力とかですからね。……恐らく、変身していない状態で使えないんだったら、変身したところで、同じだと思います」

 とのこと。それを訊いて、わたしはいよいよ、原因が分からなくなる。あの時は正直、精神をマスキングして、落ち着き払っていたとか、大きな感情の揺れ幅があったとか、そういったことは考えられるが、まさかこの魔法が、そういった怒りや憎しみ、悲しみなどで覚醒する。なんて、そんなご都合主義ではないことくらい、とっくに知っている。

 あくまで、現実的だ。残酷なほど。

 だから、もしも今使えない要因、あるいは、あの時だけ使えた要因があるのだとしたら。

 それはもっと、理に適ったものだろう。

 そんなことを思いながら、コンビニに止めた車のカギを開け、わたしは車に乗り込む。行きと同じように、助手席にはあかりさん。ひまりさんは、後ろに乗り込んだ。

 時刻は夜の9時半を、かなり過ぎた頃。この後、一度家まで戻って、ふたりが自転車で、家まで帰る時間を思うと、それこそ家に付くのは10時を回ってしまう。わたしは申し訳なくなって、二人に謝った。

「ごめんね、夜遅くになっちゃって。おうちの人、心配してない?」

 しかし、あかりさんは首を横に振る。

「ああいえ、大丈夫ですよ! わたしたちの家、結構そういうのには、緩いので!」

 そして後ろで、ひまりさんも頷く。

「そもそも、普段からこうだから……たまに心配はされます、けど」

 それを聞いて、わたしは改めて思う。

 彼女たちは確かに、魔法少女j。その命運を背負って、毎夜戦っている。しかし、その一方で、普段は普通の少女。女子高生である。幸い、彼女たちの家は、放任主義というか、そういう家庭らしいので、問題はないみたいだが、どこの家庭もそう、というわけではない。それこそ、夜遅く出歩くことに、難色を示す家庭だって、少なくはないのだ。

 あくまで、まだ成人もしていない彼女たち。そんな彼女たちが、命を賭してまで、叶えたい願い。それにわたしは少なからず、心苦しさを憶えた。

 分かっていっる。

 こんな心苦しさは、所詮自己満足だ。そんな同情より、わたしが持っているドロップを二、三粒でも彼女たちに上げた方が、喜ばれる。それは重々理解している。

 だが、これまで魔物を一体しか、自分の力で倒していない私にしてみれば、このドロップはとても貴重なものであり。それでなくとも、奈野さんの、数少ない遺品である。そんなものを、簡単に手放せはしなかった。

 こんな風に、まだ年もそこそこの女の子だのに、可哀想。なんて気持ちを抱えている一方で、しかしそれに対して、わたしが救いの手を差し伸べるわけでもない。こんな矛盾した自分が、また少し、嫌いになる。

「……そういえばさ」

 あかりさんとひまりさんの雑談の裏でそんなことを考えながら、ハンドルを握っていたわたしは、自分のそんな思考を振り払うように、二人へ話しかける。

 正確には、ひまりさんへ。

「あかりさんの願いって、ほら。ひまりさんを、守りたいだったじゃない?」

「ん、はい、そうですよ」

 あかりさんはそう言って頷く。そう。それに関しては、わたしも知っている。だが、ひまりさんは?

 与えられる魔法が、願いによって定められるものだとしたら。ひまりさんは?

「じゃあ、ひまりさんの願いは――「教えらえません」――何だっ、た、の……」

 と。

 わたしが質問の言葉を言い終わるよりも早く、その間に差し込むようにして、ひまりさんはぴしゃりと答えを返してきた。

 教えられません。

 その言葉にびっくりして、わたしは思わずバックミラー越しに彼女を見る。しかしひまりさんは、難しそうな顔を浮かべて、俯いているばかりで、どうにも話を続けにくい。

 もしかして、なにか訊いちゃったらいけないことを、聞いてしまったのだろうか。そんなことを考え、わたしは少し不安に駆られる。

「……え、と。……ごめんね、ううん、ごめんなさい、ひまりさん。聞かれたくないこと、だったかしら」

 信号待ちで止まった車内で、わたしは後ろを振り返り、ひまりさんへ話しかける。確かに、願いとは本来、あかりさんの様に、ポジティヴなものばかりとも限らない。それこそ、胸を張って教えられる願いだけじゃない。そんなことを、わたしはすっかり失念してしまっていたらしい。

 他ならぬわたし自身、人においそれと教えるのを躊躇ってしまうような、そんな願いだというのに。

 失敗した。

「……い、いえ」

 ひまりさんは俯いたまま、小さく返事をする。その表情は相変わらず険しいもので、両手は膝の上で、固く握られている。どうやら本当に、言いたくないらしい。

 わたしは勿論、そんなひまりさんに対して、更に答えを、是が非でも聞こう。なんて思ってもいないし、それこそ言いたくないのなら、それは言うべきではないと思っている。何も、魔法少女になった願いを知らなかったところで、それが戦闘に影響を及ぼす訳でもない。むしろ。

 変な情が湧いてしまうのも、それはそれで考え物だ。

 しかしあかりさんは。

 苛立ったような溜息を吐くと、シートベルトをがちゃりと外し、後部座席に身を乗り出した。

「……あのねえ、ひま」

 幸い、信号待ちなので、シートベルトを外すくらい、まあ、多少は危ないけれど、それでも運転中ではないから、そこまでの問題はない。

 それよりも、問題なのは。

「あんた、綾瀬さんが聞いてるんだから、それくらい答えたら? あんたは綾瀬さんの願い、知ってるくせに」

 そういって、やけにひまりさんへ、強く言及し出したあかりさん。その高圧的な態度だった。

 わたしは思わず驚く。勿論、姉妹なのだから、多少は納得のいかないこととかもあるだろう。だが、それにしたって、あかりさんのこんな、怒ったような態度。そして。

 そんな態度に対して、本当に恐ろしく思っているが如く、怯えた様な目で、あかりさんを見つめるひまりさん。その怯え方は、少なくとも、姉妹の喧嘩によるそれではなかった。

「……ご、ごめんなさい……」

 小さく開いた口から、息切れ交じりに、蚊の鳴くような声で謝罪を述べるひまりさん。わたしは、慌てて、先ほどの質問を取り消す。

「い、いやいや、いいのよ? 別に、そんな、言いたくないなら言わなくても……」

「……ひま?」

 だが、あかりさんはわたしと同じようには、考えてくれていないらしい。むしろ、尚も執拗に喋らせようとする。

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