第十七話:先輩と後輩

「そういえば、まだ色々と気になったことあるんだけど、聞いていいかしら?」

「あ、はい、どうぞ?」

 そういってくれたあかりさんに、わたしはお礼を言って、話を進める。

 大体、どれくらい歩いただろう。腕時計の時間から歩行速度を概算するに、3キロほどだろうか。あかりさんの提案で、ここいらで休憩をはさみ、来た道を別の道を通って引き返すことになったわたしたち三人は、近くのベンチを見つけて、そこに腰かけていた。

「その、色々あるんだけど……こうやって、パトロールするのって、やっぱりあれなの? 何か、魔法少女毎に縄張りとか、そういうのもあるのかしら」

 そういえば前に、縄張りがある、みたいなことを奈野さんから聴いていたような気がして、わたしは尋ねる。するとあかりさんは、少し悲しそうな顔を浮かべた。

「まあ、そうですね。縄張りっていうか、んー、でもまあ、基本的に魔法少女同士は、それこそ同じアルプによって契約した人同士でもない限りは、会おうとは思わないですかね」

「ん、どうして?」

「まあ、ごく一部の魔法少女に限った話、だとは思うんですが……あまりこの界隈も、治安というか、全員が全員、親切で優しい訳ではないですからね。それこそ、願いの為にドロップを捻出できない魔法少女が、別の魔法少女を襲う、なんてことも、あくまで噂ではありますけど、聞くくらいですし」

 確かに、リターンは大きいですからね。そういって、あかりさんはどう言ったものか考えるように、口元へ手をやった。

 そういえば確かに。奈野さんも、他の魔法少女が怖い、ということを言っていた。あれはそう言うことだったのかと、わたしは遅れながらに理解する。

「考えても見て欲しいんですけど、例えば、わたしたちと綾瀬さんは、ミネットっていう、信頼できるアルプによって、紹介された仲じゃないですか」

「ミネットのことは全然信頼できないけどね。なんでか人の部屋に入り込んできてたし」

 これは二人に直接言えないことだが、正直、あのドラ猫が連れてきた魔法少女と聞いて、少し身構えたくらいだ。

 そんなわたしの反応に、あかりさんはくすりと笑う。

「まあ、確かにちょっと、ミネットは適当なところがありますけどね。でもまあ、そうやって、ミネットをお互いに知ってたら、安心できるじゃないですか」

 そう言われて、わたしは首を縦に振った。確かにまあ、これを認めるのは癪だが、それもまた一理ある。サポート係として紹介されたとき、少なからず、安堵しなかったわけではない。

「でも、中にはいるらしいんです。一個ドロップを落とすか落とさないか、分からない魔物を狩るよりも、魔法少女からドロップを奪い取った方が、効率的で、それに大量のドロップを狙えるからって考える魔法少女が」

 その話に、わたしは、まあそりゃあそうだろう。と、納得する。普通の魔法少女が、だいたいひと粒で何日ほど、願いを持続させられるのか、わたしには分からないが、勿論多いに越したことはない。それこそ、気を病むことがダイレクトに魔物をおびき寄せることに繋がる身体だ。ドロップが少なくなり、不安になって、魔物に襲われた。では元も子もない。

 あかりさんは、カバンの中に手を入れてがさごそと何かを探し、それから程なくして、小さなピルケースのようなものを取り出した。それを振り、中から出てきたドロップを見つめる。

「……わたしたちからすると、そんなことをして、人の願いを踏みにじってまで叶える願いに、価値なんかないと思うんですけどね。そんなことをするくらいなら、わたしは自分自身の力で、ひまを守れるようになりたいです」

 手のひらのドロップを見つめ、そう強く呟いて、口の中へ放り込むあかりさん。それからピルケースを次に、ひまりさんへと渡した。

「ほら、ひまもそろそろ魔力、ヤバいんじゃないの?」

 それから聞いた話によると、どうやらあかりさんの願いとは、『ひまを守れるようになりたい』というものだったらしい。といっても、何もひまりさんが元々、病弱な身体で生まれたわけでも、増してや学校でクラスメイトなどからいじめを受けていたわけでもなく。

「ファミレスでも言ったと思うんですけど、わたしの方が魔法少女の歴としては、ひまより一週間浅いんです」

 あかりさんはそう言って、帰り道を歩きながら、頭の後ろで手を組む。ひまりさんの方を見つめると、こくこくと頷いていた。

「あっ、わたしの方が、一週間早く、魔法少女になって……」

 相変わらず、人と話すのが苦手なのだと、言外に分かる様子で、ひまりさんは俯きながら、小さい声で教えてくれる。そこでわたしは、ファミレスで二人が、二週間と三週間しか、魔法少女になってから経っていない。そう言っていたことを思い出す。 なるほど。てっきりあの時、わたしは二人の示した二本と三本の指よりも、先入観で、あかりさんの方がきっと早く魔法少女になったのだろうと、勝手に思い込んでしまっていた。だが、実際は逆らしい。というか、それこそ指で示した通りらしい。

 あかりさんが、魔法少女歴二週間で。

 ひまりさんが、魔法少女歴三週間。

「……意外ね」

 わたしは思わず、思ったことを口にしてしまう。だがそれに対して、後悔の念すら起こらないほど、本当に意外だった。

「てっきりわたしは、あかりさんが先輩なのかな、なんて思ってたんだけど……ひまりさんが先なんだ」

 あかりさんは振り返る。

「あはは、まあ、そう思いますよね」

 そういって、自慢げな笑みを浮かべた。

「でも、魔法少女になる順序が逆だったとしても、ひまはやっぱり、かなり素質があるみたいで。本当に強いんですよ?」

 何故か本人より自慢げな様子で、こちらに微笑むあかりさん。

 その服が、まるでマジシャンの早着替えよろしく、先ほどまでの服装、パーカーにショートパンツという、活発な印象の服から変わっていることに気付いた。慌てて隣を見ると、それはひまりさんも同じらしい。

 息を呑み、わたしは視線を恐る恐る、下に降ろす。

 その姿は二人と同じく、魔法少女の姿へと、変貌していた。

 フリルのあしらわれた、とてもかわいらしいその服装。場違いながらも、二人はその服装が相変わらず、似合っていて。これがどこか写真スタジオなら、とても微笑ましい光景ですらあるのだろう。

 だが。

 わたしたち魔法少女にとって、それは可憐な変身シーンでもなんでもなく。

 むしろ二度と変身したくない、とすら思っていた程、おぞましいものだった。

 魔法少女が、その本来の姿に戻る時。

 それは、近くに魔物がいる証拠で。

「お姉ちゃんっ!!」

 これまで聞いたことがないくらいの大きな声で、ひまりさんはわたしの側にぴったりとくっつきながら、あかりさんに声をかける。だがその頃にはもう、あかりさんは準備を始めていたらしい。

「わかってる、大丈夫っ!」

 緊張した面持ちで、ひまりさんの方を見つめたあかりさん。それからすぐにわたしの方へ視線を向けてきた。

 目が合って、頷く。

 何も言わなくとも、近くに魔物がいることくらい、わたしだって分かる。そして、あかりさんもまた、それを理解してくれたらしい。小さく息を吸い込むと、わたしとひまりさんに背を向けた。

「ひま、いつものやり方で行くよ」

 家でも、ファミレスでも聞いたことのないくらい緊迫した声で、あかりさんは背中越しに声をかけてくる。ひまりさんもそれに呼応するように、短く返事をした。

 息が荒くなる。背中に冷や汗がまた滲む。わたしはもう、この格好に恥ずかしいとか、そんなことは言っていられなかった。

 恐怖。

 それはわたしが死ぬかもしれない。なんて心配から感じる恐怖ではない。

 思い起こしてしまうのだ。

 奈野さんが死んだときのことを。

 血で染まっていく、かわいらしい衣装のことを。

 血生臭い、魔法少女の本懐のことを。

 ストレスで胃がきりきりと痛み、眩暈すら感じる恐怖の中、わたしは必死に、それでも辺りを見渡した。そして、少なくとも今のところ、魔物が近くに存在していないことだけ確認する。幸い、ここは住宅街とはいえ、それなりに大通りから一本中に入った程度の道で、車道も片側一車線の道路。歩道にも十分にスペースはある。場所を移そうと思えば、それこそ公園まで戻ることも、出来ないことはない。直線距離にして、目測50メートル。走って10秒もかからないだろう。

「……ひま、綾瀬さんから離れないでね」

 自らの鼓動が耳に届くほどの静寂の中、あかりさんは辺りを依然として警戒しながら、ひまりさんへ話しかける。

「その代わり、わたしはひまを守るから。……綾瀬さん」

 そして今度はわたし。

「なに、かしら」

 怯えている様子を必死で悟られないように、魔法を頼るのではなく、あくまで自制心で恐怖心を抑えながら、わたしは彼女に返事を返す。喉が震えて、生唾も飲み込めない。

 あかりさんは、いつどこから襲われてもいいように、姿勢を低く取りながら、前方を見つめて呟いた。

「……ミネットから、綾瀬さんの魔法について、色々と聞いてます。すみません」

「わたしの……? あ、ああ、別に、良いわよ。不死の魔法について、でしょ?」

 死ねない魔法。わたしは、最悪の場合、この二人の為に囮にでもなってやる。そう心に誓いながら、綾瀬さんの背中を見る。

 まだ高校生。小さく、薄い身体。そして勿論、わたしのように死なないわけじゃない。あくまで魔法を付与されただけの、身体は至ってその辺にいる高校生。殴れば傷つくし、噛み付かれたら血も出る。そして、当然死ぬ。

 それは隣にいるひまりさんもそうだ。実際、わたしを庇うように寄せている身体は、ふるふると怯えたように震えている。

 慣れることはない。

 みんな、怖いのだ。

「はい。それと、もう一つの魔法も」

 もう一つ?

 二つじゃなくて?

 そう言おうとしたその時。それは出てきた。

 まるで夏の陽光で溶けていく、アスファルトの上に落ちたアイスクリームの映像を巻き戻したような、なんとも言い難い現れ方で、ずるり、ぬるりと音を立て、地面からその姿を顕現させる。その見た目は、やはり形容しがたいもので。それでも例えるなら、メロンを縦に切った後、左半分だけが直立しているような、半球型。そして大きさもやはり、スイカやメロンの様な、両腕で抱えるほどの大きさ。色は真緑色。

 それが一つ、形を成していた。

「……なによ、あれ……」

 無意識のうちに、わたしは驚愕の声を上げていたらしい。それほどまでに非現実的で、まるで既存の生物、そのどれとも合致しない見た目は、見ているだけで、どうにも不安定な気持ちにさせられる。

 それこそ、人体標本が歩いているとか、表皮を剥がされた化け物の様な姿とか、そういった、グロテスクな見た目ではない。しかし、その形のまま、重力を無視して宙に浮きあがったところで、まるで悪い夢でも見ているかのような、そんな気持ちにさせられる。

 とてもではないが、近寄りたいとは思えない。

 そして、そんな気持ちのまま、わたしは思わずその場から後ずさりをする。

 その横を抜けて、ひまりさんが一歩、前へ出る。それから、深呼吸の後に腕を擡げた。その指は、ピースサインのように人差し指と中指だけを突き立てた状態で、それを魔物の前へと翳す。

 勿論、何も魔物にピースサインを送ったわけではない。しかし、かといって直接、接触を試みたわけでもない。実際、ひまりさんよりも近くに立っていたあかりさんですら、魔物からの距離は大体、5メートルは離れている。どう頑張ったって、手を伸ばして届く距離ではない。

 ましてや。

 その二本指をゆっくりと閉じただけで、それまでびくびくと、まるでこちらの視界がおかしくなったかのように、その場で不規則に、そして小刻みに動いていたそれ。その動きを止めることなど、出来るはずもない。

 だが事実、その魔物の動きは、それまでの動きが一変。まるで趣味の悪いオブジェか何かのように、ぴったりと動きを止めていた。

 繰り返しになるが、まるで夢でも見ているような感覚で、わたしはそれを見つめる。

「ありがと、ひま」

 あかりさんはそう小さく礼を言う。それに対して、ひまりさんは酷く苦しそうな、辛そうな声で返答を返した。

「多分、後10秒……」

「十分だ、よっ!!」

 そういって、魔物、なのだろうか。それに駆け寄るあかりさん。その足は全力疾走で動き、数秒も経たずに魔物の元へと、到達した。そして。

 凡そ魔法少女には似つかわしくないほどの、大ぶりの包丁。大きさと形は一瞬しか目に映らなかったが、恐らく三徳包丁か、肉切り包丁か。とにかく、その刃物を、どこからか取り出して。

「おらぁ!!」

 切っ先を下に振りかざしたそれを両手で握り込み、そのまま近づいた魔物の身体へ、勢いよく突き立てた。

 ぐじゅり。

 何とも言えない音を立て、刃物が魔物へと突き刺さる音。

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