第十六話:チュー待ち
わたしの能力はともかく、ひまの方は口で説明するよりも、実際に見てもらった方が早い。あかりさんのそんな言葉に従い、わたしは二人と一緒に、レストランを出て、そのまま夜の街へと繰り出した。
というとまるで、わたしたちが遊びに出かけたかのように聞こえてしまうかも知れないが、しかしそれは大きな間違いで、実際のところ、何も楽しいことはない。
ふたりはそもそも、自称する限りにおいて戦闘が苦手らしく、それはわたしにしたって、同じことだ。勿論、奈野さんから何故か引き継げた魔法の能力、いわゆる紐の魔法? 糸の魔法? があるので、多少は戦闘に貢献できるとは思うが、あかりさんの説明を聞く限り、彼女はそもそも自分の耐久力を上げるのみらしく、ひまりさんも、固定の魔法という、未だ良く分からない説明のみだ。
魔法少女にとって、人数はイコールで強さ、ではない。あかりさんはそう言った。
「さっきもレストランで説明した通り、わたしたち魔法少女って、そもそもこうして夜、歩いてるだけでも魔物を少なからず、引き寄せてしまうんですよ。それがこんな、三人なんて大所帯にもなれば、猶更」
あたりを常に警戒しながら、わたしたちは歩く。ちなみに並びは、あかりさんが先頭。その後ろにわたしとひまりさんが、二列横並びで付いていく感じだ。
「まあ、魔力に余裕がない状態だったら、それでもいいんですけど……今回はあくまで、ひまの魔法。それの説明の為ですからね。正直、大した用意もしてませんし」
そういって、不安そうな声音を上げるあかりさん。
確かに彼女の言う通り、わたしたちはそれこそ、レストランから出たそのままの恰好で、取り敢えず車だけは例に漏れず、近くのコンビニに停め、その辺りを歩いていた。
わたしは思わず、不安になって、あかりさんのように辺りをきょろきょろと見渡す。すると隣を歩いていたひまりさんが、小さくわたしの服を引っ張った。
「あ、あの……でも、大丈夫ですよ。そんな、四六時中、歩いただけで襲われる、なんてことはないですから……」
その言葉にハッとした様子で、あかりさんも首を縦に振る。
「あー、ごめんなさい、不安にさせちゃいましたね。その、上手く説明はし辛いんですけど、あくまで、一人で歩いている時に比べて、襲われる確率が上がるってだけで、何も、それこそ常に魔物が狙ってくる、なんてことは無いですから」
聞くとどうやら、そもそも魔法少女のパトロール自体、夜中に一時間や二時間出歩いて、自らを囮よろしく、魔力も垂れ流しの状態で、ようやく一匹が掛かるかどうか、その程度らしい。
わたしはその説明を聞いて、それなら安心か。そう思う。
なんてことはなかった。
そりゃあ勿論、普通の魔法少女なら、その程度の引き寄せで済むのだろう。
普通の魔法少女なら。
だがわたしはそうではない。
精神が安定している魔法少女ならそうだとしても。
もしそれが、例えば始め、サポート役として付いてくれていた魔法少女の、それも年下、あまつさえ自分の半分も生きていない魔法少女と、折角仲を深め始めたところで死別してしまい、まだそれから日も浅く、立ち直るどころか、依然として引きずっている魔法少女なら。
歳を重ねると思う。
傷ついた心、そこに働く治癒力の様な、立ち直れるまでの時間というのは、どうも歳を取ると、弱くなっていくらしい。てっきりわたしは子供の頃、それこそ隣と前を歩く彼女たちくらいの頃は、大人というものは、歳を重ねるにつれ、感情を表に出すことがそもそも無くなり、段々と落ち着いてく、そういう傾向にあるのだと思っていた。だが違う。
少なくともわたしは、そんな風にはなれないし、それこそ目の前で、年端もいかない女の子が無残にも殺されてしまえば、こうして外を歩くだけでも、心臓がバクバクと激しく脈打つくらいには、トラウマにもなっていた。
鼻で息をするのもしんどくなっていたのだろう。わたしは気が付くと、口を小さく開き、そこから息を漏らしていた。目は乾き、手足が冷たくなっていくのを感じる。とても平静とは言えない。
その時。
何のことはないのだが、車道を一台の車が走り、わたしたちを追い越した。ただそれだけのことで、普段のわたしなら、そもそも気にも留めないほどの出来事だった。
が。
「ひっ……!」
情けない声を上げ、その場にうずくまる。
両手を頭に寄せ、力の入らなくなった足は、最早立ち上がることを拒絶する。目だけは見開いているのが自分でも分かるほどで、身体が上下してしまう程、息も荒くなる。
怖い。
そんな気持ちが、全身を瞬く間に覆ってしまった。
「あ、あやせ、さん」
その様子に一早く気付いてくれたらしいひまりさんが、わたしの元へ駆け寄ると、隣にしゃがみ込む。そうして、すぐにあかりさんも駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか?! ど、どうしました?」
水の中から聞いているかのように、二人の声がぼやけて耳に入る。わたしは、しかしそれに返事を出来るほどの余裕もない。ただ息を荒げ、見開いた目から、無意識に流れ出る涙を必死に抑えようと、頑張るくらいしか出来ない。だが、そもそも人の涙腺とは、そんな水道の蛇口みたいに、捻れば止まる。 なんてものではない。増してやこうして、本能的な恐怖に苛まれてしまえば、もうどうしようもない。
怖い怖い怖い怖い。そんな感情が、思考回路すら鈍らせる。足先から、冷たい水が競り上がっていくような、そのまま全身を包み込んでしまうような感覚に襲われる。
無理なんだろうか。わたしのように、大した心の強さも無ければ、大したスキルも身体能力も備えていない。ただ死なないだけの人間に、魔物を倒して過ごす。なんて生活は。
いや。そもそも。
わたしは今や、魔法少女に身を落とした身。そもそも、人ですらない。
人間を名乗るなんて、おこがましいのでは。
「綾瀬さん!!」
あかりさんの声が響く。
わたしはハッとして、顔を上げた。
視界一杯に映る、あかりさんの、怒ったような、辛そうな、そんな表情が、そこにはあった。
「……綾瀬さん、しっかりしてください」
静かにこちらを見つめ、口を開くあかりさん。その声に、わたしはようやく、少しだけ。本当に少しだけではあるが、気を持ち直す。
顔を離したあかりさん。そしてわたしは遅れて、頬に熱い感覚を憶える。
ヒリヒリとする、その感覚は、やがて、痛みへと変わって。
「……え、えっと、ご、ごめんね」
どうやら、頬を思い切り叩かれたのだと、そこで理解した。
「いっ、いえ、こちらこそ、申し訳ありません……」
見ているこちらからしても、苦痛を憶えるほど、申し訳なさそうな表情をそこで浮かべるあかりさん。その横では、心配そうにひまりさんが、わたしのことを見つめていた。
「すみませんでした。その、手荒な真似をして、本当にもうしわけありません」
そう言って、こちらに深く頭を下げるあかりさんに、わたしは顔の前で激しく手を振る。
「い、いやいや、謝らないでよ! そんな、何もあかりさんは悪くないじゃない!」
きっと、彼女はわたしの頬を張ったことに対して、謝っているのだろう。実際あの後、というか今も、わたしの頬は未だにヒリヒリと痛むが、それにしたって、あれは何も彼女がわたしを憎らしく思ってのことではないと分かっている。
「あれでしょ? 多分、わたしがあのまま病むと、それこそ魔物を余計におびき寄せちゃうからやっただけ、なのよね?」
そういうと、彼女は首を縦に振る。
「はい……。でも、だからといって、綾瀬さんの顔を叩いたのは、事実です。だから」
目を固く瞑り、手を強く握ったあかりさんは、わたしの前に立つ。
「叩いてもらって、大丈夫です」
「……いやいやいやいや!! 叩けないって!」
潔すぎる。
わたしは慌てて、彼女の手を握った。
「心配しなくても、わたし、そんなことしないし! というか、別に怒ってないし! むしろ、感謝してるくらいだからさ、気にしないで!」
大体、それでなくても、妹のひまりさんが見ている前で、あかりさんをそんな風に、頬を叩き返すなんて、出来るわけがない。わたしは人を辞めた自覚はあっても、何も悪魔に身を落とした自覚まではない。
それからわたしは、数度の説得で目を開けようとすらしない彼女を何とか、ひまりさんと二人掛かりで説得し、ようやく歩き出させた。
「……本当に、申し訳ありませんでした」
咄嗟の判断。それ故に、悔やんでいるのだろうか。あかりさんは、最後にとても辛そうな顔でそういうと、前へと向き直り、パトロールの為に足を再び動かし始めた。その後ろで、どうしたものかと、あわあわと所存無さげな様子のひまりさんは、わたしの方を向く。
「……あ、あの……」
同じく眉を顰め、悩んでいる様子のひまりさん。わたしは、彼女もお姉さんの行き過ぎた責任感の強さに、どうしたものかの悩んでいるのだろう。そう思い、声をかけた。
「いや、大丈夫だよ? その、なにもわたし怒ってるわけじゃないし、あかりさんの行動だって、正しいことだし……。むしろごめんね? その、変にパニックになっちゃって……」
実際、わたしがあの場で、それこそ車の音なんかに平静を欠いていなければ、そもそもあかりさんが、わたしの顔を叩くことも無かった。だから、一切気にしてなんかいないし、それこそ、気にしていないことに関してこうも二人して気を揉まれると、それこそ居心地が悪いというか、なんというか。
ひまりさんは、そんなわたしの言葉を聞いて、スカートの裾を握った。それから、暫く悩んで、身を寄せる。
「そ、その……。じゃあわたしを叩いてくださいっ!」
「なんで?」
え、マジでなんで?
ほら、あかりさんもきっと、さっきの行動を反省してさ、落ち込みながら殊勝な態度で、折角前歩いてたのに。
びっくりしてこっち見てんじゃん。
「ひ、ひま?!」
驚いた様子で振り返ったあかりさんと、同じく驚いて横を向いたわたし。その視線を受け、しかしひまりさんは臆することなく、決心した様子で目を瞑る。その顔をこちらに差し出してきた。
が。
……なんか、違うんだよなあ。
わたしはこの緊迫した空気に似合わず、そんなことを思う。
なんか、これから叩かれるかもと身構えているにしては、そもそもスカート握っちゃってるし、目を固く瞑ってるし、顎を軽く突き出してるし。
普通、叩いてくださいって状態なら、少なくとも顎は引くと思うけど。
これじゃあまるで、チュー待ちみたいだなあ。
「……ひま。あんたそれ、本気でやってるの?」
だがお陰で。
先ほどまでの空気はどこへやら、わたしと顔を見合わせたあかりさんも、もう耐えられなくなったのだろう。一つ大きくため息を吐くと、呆れ返った笑みを浮かべ、ひまの元へ近づく。
ひまりさんは、しかしこの場で一人だけ真剣らしい。目を瞑ったまま、唇を動かす。
「ほっ、本気だよお姉ちゃん! だって、お姉ちゃんの責任は、わたしの責任だから!」
……?
再びあかりさんと目が合う。
そして二人とも、真顔で首を同じ方向に傾げた。
それから、あかりさんはわたしの方を真顔で見つめながら、右腕を伸ばし。
いわゆるOKサインを右手で作り。
「えい」
ひまりさんのおでこにデコピンを食らわせた。
「いたっ!」
首を仰け反らせ、おでこを抑えるひまりさん。それから目を開き、わたしとあかりさんの方を見つめた。
「……行きましょうか」
「ええ、そうね」
わたしたちはそのままスタスタとその場を離れる。
「ちょ、ちょっと、待って、お姉ちゃん、綾瀬さん!」
背後からそんな声が聞こえたが、わたしはそのまま歩みを進め続けた。
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