第十五話:防御と固定
その時。
そう尋ねたわたしに、ひまりさんは不思議そうな声を上げる。
扉越しだからだろうか。少し声を張って、続けた。
「え、で、ですから、ナプキン……」
それから席に戻ったわたしとひまりさんを、あかりさんは不思議そうに、ピザを頬張りながら見る。
「どうしたの、ひま? なんか、時間かかってたみたいだけど」
苦笑いを浮かべる隣で、ひまりさんは、わたしとあかりさんの顔を交互に見つめ、それから恥ずかしそうに、そそくさとあかりさんの隣へ戻る。それを確認して、わたしも自分の席へと着いた。
ソファに腰を落ち着け、カバンから確認のために、折り畳みの手鏡を取り出す間、ひまりさんはあかりさんになにか耳打ちをしている。
大丈夫そうだ。まあ目元は赤らんでいるが、それでもお手洗いから出てきたわたしを、ひまりさんは不審に思うこともなく、小首を傾げて、手に持っていたナプキンをポーチにしまったくらいだし、あかりさんも、この様子では気付いていないだろう。
わたしはまたしても泣いてしまった、そんな怪我の功名か、落ち着いたお陰もあって、途端に空腹を感じ始め、机の上に並んだ料理を、小皿に取る。
「ぷっ、ははっ、何それ! んもう、ひまっ、気にしすぎだって!」
口元をにやりとさせ、あかりさんはひまりさんの方を見つめる。それからわたしの方へと向き直った。
「すみません、ひまったら、凄い心配性なんですよ。さっきも、綾瀬さんがお化粧直しに行った後、すぐに席を立って、後を追いかけて」
そう続けるあかりさんに、ひまりさんは身を寄せる。その表情は、恥ずかしそうに赤らんでいた。
「ちょ、お姉ちゃんっ、言わないでって」
「あはは、ごめんごめん、でもほんと、そんな心配することないって。綾瀬さんだって、もう大人なんだし、別にお手洗いで倒れてた訳でもないんでしょ? だったら、何も心配ないじゃない」
顔の前に手をやって、言葉を遮るひまりさんに、あかりさんは、しかし依然として、楽しそうに笑みを浮かべている。
「ほんと、ひまって昔からこうなんですよ。なんていうか、すぐ気になって、見に来るっていうか。この間も――わかったわかった、言わないから!」
「……ほんと?」
「うん、ほんとだって」
話の途中で、恨みがましそうな視線を向けられたあかりさんは、そこでけらけらと笑って、その話をするのをやめる。するとひまりさんも、やや納得していなさそうな表情を浮かべながら、立ち上がりかけていた腰を下ろす。
それからしばらくして。
「それでまあ、本題なんですけど」
店員さんが下げやすいように、率先して空になったお皿を重ねて、机の通路側に寄せるひまさんの隣で、あかりさんは持って来てくれた、食後のコーヒーを、わたしに渡してくれながら、話す。
「あ、どうぞどうぞ。ご馳走になったんですし、これくらいしか出来ませんけど」
「そんな気を遣わなくてもいいのに、ごめんね? ありがとう」
「いやいや、これくらいさせて下さいよ」
そう言って、となりのひまりさんにも、カップを渡す。
「はい、ひまりはココアがいいんだよね?」
「う、ん。……ありがと」
「はい、どういたしまして」
そういってココアの入ったカップを受け取るひまりさん。その様子を、優しい目で追っていたあかりさんは、ひまりさんがコップに口を付け、一口ココアを啜ってから、話を始めた。
「どこから話そうかな。取り敢えず、わたしとひまが、ミネットから受けた説明だけ、していいですか? ほら、綾瀬さんのおうちじゃあ、あんまり出来なかったから」
言われてわたしは思い返す。確かに、ざっくりとした事情を初めに伝えられ、それきりだ。何せ、余りにも大まかな説明だったので、言いたいことは伝わってくるのだが、それに至るまでの経緯が良く分からない。
サポートって、なに? 新人魔法少女には、やっぱり、研修として他の、先輩魔法少女が、サポートをする決まりでもあるのだろうか。
そんな素朴な疑問を、家での会話から思ったわたしは、素直に尋ねる。するとあかりさんは、コーヒーを啜りながら、肯定するように目を閉じた。
「……まあ、おおむねそんな感じですね。何せ、魔法少女って、わたしたちもそうだったんですけど、初めのうちは、本当に良く魔物に襲われるんですよ。なんか、惹きつけちゃうっていうか、そんな感じで。……で、それの原因なんですけど、どうやら、わたしたち魔法少女も、マイナスな感情とか、死にたいって気持ちとか、そういうのを抱えると、それを魔物に嗅ぎつけられるみたいで」
むしろより強く、魔物にとっては匂うみたいです。あかりさんはそういって、目を伏せた。それから、少し口をもごもごとさせながら、言い出しにくいことだったのだろうに、それを口にする。
「……それこそ、魔法少女の願いって、つまり現状に不満を抱いているからこそ、起こることですからね。ミネットみたいに、突然現れた、訳の分からないものに、願ってしまうくらい」
そうだ。
わたしはここ数日、というか、もっと過去を辿ると、それこそここ数年位、あのアブノーマルな、凡そ常識では考えられないほど劣悪な職場環境に身を窶し、今でも魔法少女として、非現実的な現状にいて、すっかり忘れていたことだが。
普通の人は、あんな風に、いきなり現れた喋る黒猫なんて、突飛な存在に対して、本気で願ったりしない。普通なら、幻覚か、あるいは気が触れたと思ってしまうだろう。
猫が喋るなんて。常識的に考えて有り得ない。
「猫の忍者に狙われてるわけでもあるまいし、ね」
「……?」
「……へ?」
わたしはあくまで、この少し暗くなっていく空気に、ちょっとした冗談のつもりで言ってみたのだが、しかし二人には通じなかったらしい。あれ、あの話、有名じゃないのかな。
少なくとも、今わたしの目の前で、ぽかんとした様子でこちらを見つめているあかりさんと、その隣で真顔になり、小首を小さく傾げたひまりさんには、通じないらしい。
そうか、最近の女子高生は、そもそもネットロア、一昔前のにちゃんねるなんて、そもそも存在自体知らないのか。
うーん。
これがジェネレーションギャップか。なるほど。
結構辛い。
「ま、まあ、とにかく、ただでさえ、成りたての魔法少女って、結構それだけで、魔物を引き寄せるんです。だから、そのサポート役として、ミネットは、新しく生まれた魔法少女の女の子には、先輩の魔法少女を、さっきも言ったように、サポート役として当てがうみたいです」
そこで、わたしはようやく、言いにくそうにしていたあかりさんの態度に合点がいく。
なるほど。
「それが、奈野さんだった、って訳ね」
言いにくいことを、これ以上言わせるつもりにもなれず、わたしは自らその名前を口にした。すぐに二人の顔が強張るのを見たが、しかしそれは、二人が気を病むことでも、気を遣うことでもない。
ただ、わたしの自覚が甘かっただけだ。
魔法少女として、魔物達と戦うということが、どういうことか。文字通り命懸けで、いつ死んでしまうとも、殺されてしまうとも分からない状態で、戦い続けるということが、どういうことか。それに関しての自覚、責任感が欠如していたが故に、あの出来事は起こってしまったわけで。
少なくとも言いにくそうにすることも、気不味そうに目を反らすこともない。すべてはわたしのせいだから。
「……まあ、誤魔化しても仕方ないですもんね」
初めに口を開いたのは、あかりさんだった。その目はとても悲しそうに眉を顰め、視線を下に落としたまま、言葉を続ける。「わたしたちも、ミネットから、聞いてはいたんです。新しい魔法少女が、生まれたって。で、そのサポート役として、舞香ちゃんが選ばれたことも。だから、正直安心してました」
聞けば、どうやら奈野さんは、この辺りでは本当に有名な、実力者だったらしい。勿論、魔法少女としての歴が1年を超えて、ベテランとされるらしい、この界隈では、言ってみれば彼女はまだ、新米の域を出ない程度だったらしいが、それでも魔法の威力もさることながら、何よりあの戦略性。そして、冷静な判断によって、凡そ三か月ではありえないほどの、ドロップを手にしていたらしい。そういえばあの公園で、ミネットも言っていたか。実力者だとか。
そんな話を伝えると、あかりさんはやや首を傾げる。
「いや、むしろあの子の魔法、それ自体は、何のことはない、ありふれた物だったみたいですよ。当人が言ってました」
思案顔のあかりさんは、そう言った。
「凄いのはむしろ、応用力だったみたいで。元々、奈野さんが与えられた魔法は、あくまで手から紐を出して、拘束する。そんな程度だったみたいです。だから、太さも当然、指くらいの太さだし、おまけにそんな大量には出せないし」
それをどんどん練習して、魔力を更に上乗せで込めることによって、その糸の細さ。それを可変にしたのだという。それが一体、どれくらい凄いことなのか、あくまで精神操作の魔法を司るわたしには、良く分からないけれど。
「……こう、ぎゅって、細くなれーって思ったら、細くなる感じ?」
恥を承知で訊いてみた。
すると、あかりさんは机から身を乗り出して、それに反論する。
「いやいやいやいや! そんな単純なものじゃないですって! というかそもそも、魔法の性質を、魔力の上乗せで書き換えようだなんて、思いもつかないし、そもそも思っても実現できないですよ!」
未だにその凄さが、いまいちピンと来ないわたしは、首を傾げる。するとあかりさんは、少し悩んでから、手元にあったスプーンを手に取る。それをわたしに差し出した。
「じゃあ、これで例えるとですね。今から、このスプーンを、細ーいワイヤーにしてくださいって言われて、出来ますか? あ、ちなみに道具は無しですよ」
後、本当にするのもやめてくださいね。そういって、わたしに手渡してくる。
冷たい金属の感触。恐らく、ステンレス製か何かだろう。わたしはそれを渡された瞬間、結論に至った。
「いや、無理よ。……奈野さんは出来るの?」
そんなに怪力だったの?
え、何。
この能力って、もしかしてその魔法の紐を、物理的に、怪力で引き延ばしてたってこと? ボブ・サップか何か?
「いや、そうじゃなくて」
「あ、よかった」
本当に良かった。
「つまり、それくらい難しいってことです」
「……」
いまいちよく分からない例え話ではあるが。
しかしまあ、それくらいの偉業を、彼女は難なくこなしていた。あかりさんが言いたいのは、つまりそういうことなのだろう。それくらい、魔法というのは、そもそも意識とか、能力でどうこうなるものではないと。つまりそういうことを伝えたいらしい。
「話を戻しますね。つまり、それくらいの能力を持っていて、魔法少女の界隈でも、トップランカーだったわけですよ。多分、この辺りじゃ、名前を聞いたことがない人はいないくらい。だから、安心してたんです」
だから、正直言って、わたしたちがその後にサポート役として、綾瀬さんに付くのが、正直かなり不安で。そこであかりさんは、初めて明確に、弱音を吐いた。
「それこそ、わたしとひまの能力だって、そんな大したものじゃないし、そもそも、わたしたちって、歴が浅いんです」
「……どれくらい?」
あかりさんとひまりさんは、それぞれ指を二本と三本立てる。
「二か月と三か月? え、それなら奈野、さんと対して変わらないじゃない」
「二週間と三週間です」
「…………」
わたしは黙って、コーヒーを啜る。
どうやら、わたしが言えた柄ではないのは重々承知の上だが、この二人も、大概歴が浅いらしい。
魔法少女歴三日のサポート役に、二週間と三週間の魔法少女。
ミネット。あんた、ちゃんと考えたんでしょうね。
「……ちなみに能力とかは、聞いてもいいのかしら」
いくらサポート役。とはいえ、研修を担当するような役割とはいえ、わたしはそこで、ふと奈野さんの言葉が脳裏を過った。魔法少女とは本来、あまり仲良しこよしをするものではなく、魔物より、他の魔法少女を警戒するものだと。ならば、こうして手の内を明かすようなことは、そもそもタブー、失礼にすら値するのではないかと。
しかしどうやら、この二人に限っては、そんなことはないらしい。気を遣っていたわたしが肩透かしを食らう程、あかりさんは答えてくれた。
「え、全然いいですよ? えっと、わたしが防御……というか耐性? ですかね。つまり、とことん打たれ強くなる、みたいな感じです。で、ひまは――」
「だ、だめっ」
そこで言葉を遮るひまりさん。一瞬、言いたくないのだろうか。やっぱり。と、少し申し訳なさを感じてしまったが、そうではないらしく。
「……わたしが、言うの……」
そういって、あかりさんの袖をつまみ、俯いていた。その様子に、初めびっくりしたような表情を浮かべていたあかりさんは、しかし愛らしそうに笑みを浮かべると、ひまりさんの方を指していた手を引く。
「ちゃんと説明、できるの?」
人見知りの性格をからかうように、そう言ってにやけた。だがひまりさんは、一度力強く頷く。
「……がんばる」
そうしておどおどとわたしの方へ向き直ると、またしても顔を赤くして、恥ずかしそうにもじもじとしながら。やがて、ひまりさんは口を開く。
「……固定、です」
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