第十三話:どちら様?

 しかし、罪悪感から死にたいと思うのと、じゃあ実際に死のうとするのとでは、また随分と違う。

 とても言っていることが矛盾していると、そんなことはわたし自身が一番わかっているし、そもそもどうせ魔力が枯渇しない限りは死なないんだから、一度や二度、それこそ首を吊るなり、首をカッターナイフで切るなりしても、問題もない。

 どうせ、魔力の残量から考えても、10回は生き返れる。ならばそれこそ、首を吊り続けでもしたら、どの道一晩で死ねるはずだ。

 だがわたしはそれをする勇気が出てこない。だからこそ、こうして懺悔しているのだろう。

 死んだ人間の服に向かって、土下座をしたところで、結局、自分が死ななくていいような、生き続けても後ろ暗さを感じないようにしているような、そんな行為に過ぎないのだ。

 全く、我ながら卑怯だと思うし、自己嫌悪にも駆られる。

 死んだあの人の分まで。なんて言葉は、正しくわたしのように、弱い人間が、後を追う勇気も出ないがために、自分や周囲への言い訳として存在しているような言葉に過ぎない。

 奈野さんだって、本心では、それこそわたしを犠牲にしてでも、自分が生きたかったに決まっている。それに、そんな考え方は優しい奈野さんならしない。とも思わない。

 優しい優しくない以前に、人として、そう思うのは当たり前だから。だれだって、自分自身の生存が一番大切だ。

 それから、一体どれくらいの間、そうしていただろう。まるで身体に根っこでも生えたかのように、ベッドの上で一日を過ごしていた。

 どうやらわたしは昨日、泣き疲れて眠ってしまったらしい。目が覚めると、ベッドの上で、奈野ちゃんの服を抱きしめ、瞼が腫れていたのを憶えている。顔も浮腫んでいるし、化粧もそのままだ。枕に着いたファンデーションの臭いが、この後の洗濯を憂鬱とさせるし、お肌も少なからず、荒れているかもしれない。

 とはいえ、何も今日一日、暇を持て余してそうしていたわけでも、ゆっくりして良い日だったというわけでもない。むしろ、仕事を失って、すでに3日が経過しようとしているのに、わたしは貯金があるのを良いことに、それを切り崩しながら、この数日を過ごしているくらいだ。いや、今日に至っては、ご飯も食べず、ただただ死んだように寝転がっていたので――いくら何でもお手洗いには立ち上がったが。そして、それが終わるとすぐ、よろめきながらベッドへと戻ってしまったが――お金はほとんど使っていない。

 しかしだからといって、それがいつまでもこうしていい理由にはならない。

 そう、分かってはいるのだが。

 そう。それこそ、やらなければならないことは色々とある。それは例えば新しい職場を探すこと、あるいはアルバイトでも何でもいい。とにかく、収入を得る方法を探さなければならない、ということだったり、魔法少女としての活動、魔物を倒し、ドロップを手に入れ、であったり。

 分かっている。

 わたしは頭の中で巡り、何度も自分自身を急かしてくる声に、ベッドの上で目を瞑って舌打ちを打つ。

 そんなことは、分かってる。

 でも仕方ないじゃない。

 瞼を閉じて眠ろうとすると、奈野さんの最期、あの時の顔や、匂い、手の平に伝わる身体の感触に、魔物のぐちゃぐちゃという咀嚼音。それらがフラッシュバックして、それこそ酒の力を借りて、気を失うように泣き疲れでもしない限り、眠れやしない。しかしだからといって、今度は身体を起こそうとすると、魔物への恐怖で、身体が支配される。

 あの時の魔物。その不気味極まりない見た目に、ではない。あそこまであっさりと、魔法少女を殺せてしまう、その力量の差に、恐怖している。

 そんなことを考えると、こうしてすぐに、奈野さんのことをまた、考えてしまうわたしがいる。

 そうして、胸が締め付けられるような苦しみに、ベッドの上へ投げ出した全身が襲われる。きっと、もしかしたら、奈野さんもこんな気持ちを、こんな苦痛を抱えながら。そう思うと、どうにも悲しくなって。

「……嫌よ……嫌っ、嫌よ、奈野さん……。何で、何でっ、死んじゃったのよ……。無理よ、わたし一人でなんて……」

 ああ。

 口にしてしまった。

 魔物と、一人でなんて、到底戦えない。

 そんな気持ちを、口に出してしまった。

 こうなれば、わたしの気持ちなんて、もう止められない。そうしている間に、目からは次から次から、涙がぼろぼろと零れ落ち、目尻からこめかみを伝って、枕を濡らしていく。

 わたしは寝返りを打って、壁を向く。こんな広い天井、見ていられない。そんな気持ちになって。

 せめて何も見ないようにして。

 まだ、彼女は子供だったじゃないか。少なくとも、わたしのように、人生の半分に差し掛かろうという歳ではない。まだまだ子供で、いろんなことをこれから経験する歳で。実際、カフェでも甘い物が好きで、初めて襲い掛かってきた、今にして思えば手負いだったとはいえ、その魔物を片手で格好つけて生け捕りにしたり。

 何のことはない。どこにでもいるような、子供だったじゃないか。

 わたしはそんなあの子を。助けられなかった。

「う、うぅぅ……嫌ぁ……」

 知り合って、それこそ一日や二日程度。それでも私は、自分でも不思議に思う程、彼女が死んだことに対して、もう二度と会えないことに対して、この上なく、辛く、悲しく思っていた。

 何故、彼女なのだろう。何故、わたしじゃないんだろう。襲われたのがわたしだったら、精々死ぬほど痛いだけで済んだし、その隙をついて奈野さんがすぐに倒してくれたはずだ。

 あんなに優しい彼女が、どうしてああもあっさりと死んで、おまけに人々から、両親から、忘れられて行かなければならないのだろう。彼女の持ち物も服も、彼女に関わる記憶ですら、彼女と関わりを持った人たちによって、疑問に思われることすらなく捨てられて。

 そんなの、あんまりじゃないか。

 そしてわたしも。

 いずれ、ああなるのだろうか。そう思うと、とても魔物を相手に、戦えるような気持には、なれなかった。

 そんなことを思って、それからしばらく、わたしは昨晩ぶりに、再び枯れるまで涙を流した。

 せめて、泣けるうちに泣いておこう。だって、きっとわたしもいつか、彼女のように。

 わたしは腕に抱きかかえた、奈野さんの服。それを大切に、大切に握りしめ、涙が付いてしまわないように、気を払って。ただひたすら、一人で泣いていた。

 しかし、いつまでも泣き続けているわけにもいかないし、増してや、こうしてベッドの上で、まさか本当に根っこを張るわけにもいかない。それに、一通り泣いたわたしは、不思議なことに、多少は気持ちが落ち着いていた。勿論、どん底に沈んでいる気持ちはほとんど変わっていないし、それは例えるなら、日も差さない水の底から、少し浮き上がった程度で、依然として海面下にあるように、わたしの気持ちも、決して明るいものではなかったが。

 まあ少なくとも、いい歳をして、いつまでも泣いているわけにも、鼻水を啜り続けている訳にもいかないだろう。そう思い直し、わたしは凡そ、20時間ぶりにベッドから降りようと、決意した。

 不幸にも、寝室に置いていたティッシュは、昨晩辺りに使い切ってしまっていて、とても涙も鼻も拭けない。そうなると、いよいよリビングに足を運ばなければならないらしい。

 わたしは、溜息を大きく吐くと、そのままゆっくり、起き上がるためにもまずは、壁際を向いていた身体を、反対に向け、扉の方を向く。

 そしてミネットと目が合った。

「おはよう」

 声にならない悲鳴を上げ、わたしは思わずその場から飛び退く。そして、後頭部を壁へ、強かに打ち付けた。

 大丈夫だろうか。

 凡そ人の身体からしてはいけないような音が聞こえてきたし、ついでにとても痛いけれど。

 さっきまでのアンニュイな気持ちは、今やすっかり、あたまいたいという感情で塗りつぶされてしまったけれど。

「だ、大丈夫かい?」

 そして、これにはさしものミネットとて、心配せざるを得なかったらしい。いささか目を細め、こちらを上目に見てくる。

「大、丈夫な訳……無いでしょ……」

 枕に顔を埋め、時間も時間なので、悲鳴を必死で押し殺しながら、わたしはついでに化粧ですっかり汚れて、どうせ洗わなければならない枕のカバーに目を押し当てる。こんな、泣き腫らした目で今更何を、という感じではあるが、それでも彼に、涙を流している姿は見せたくなかった。

 いや。

 というか、いつから居た?

「……ちなみに、ぼくが来たのはさっきだよ」

 わたしの言いたいことを汲み取ったか、あるいは心を読んだか。どちらにせよ、ミネットはわたしの元へ近づいて座り直すと、そう答える。

「というか、昨日言っただろ。昨晩はともかく、今晩からは唯の家に泊まることにするよ、って」

「……」

 言ってたわね。

 それから、わたしはとりあえず、目の前に鎮座しているミネットを押し退けると、涙を拭う。それから、改めてベッドを降りた。

 久しぶりに立ち上がったせいで、ふらふらと立ち眩みがする。足の感覚がどうもおかしい気もするし、それに身体も凝っている。肩なんか、たまらなく痛い。

 わたしは両腕を上にあげ、大きく伸びをしたり、身体を捻じったりして、軽くストレッチをしながら、いつも通り、姿見の前に立つ。

 そして次の瞬間、寝室の窓に飛びついて、カーテンを勢い良く締めた。

「っはぁっ、はぁっ……! あ、危なぁ……!」

 鏡越しに見た窓は、カーテンが全開だった。

 そして忘れていた。わたしは今、下着姿だったのだ。

 そうだ。

 昨日の記憶、家に帰ってきてから、ベッドに入るまでの記憶が鮮明に蘇る。思い出した。昨日、服が汚れていたから、わたしは脱ぎ散らかしたんだった。そしてそのまま泣き疲れて、横になって寝ていて、起きてからもそのままで。

 幸い、この家はアパートの二階。それに、周りに高い建物もないし、何よりわたしなんかの下着姿を見たいと思う、奇特な人間がこの世に存在するとは思えないので、何も問題はないのだが、そうではなく。むしろ、見せびらかしているヤバい女がいると通報でもされたら、と思うと、ゾッとする。

 死ねないけど死にたくなるだろう。

 とにかく、まずは服だ。わたしは握り締めていたカーテンから手を離すと、ベッドを整え、それからクローゼットへと向かう。しかしまあ、本当に殺風景なクローゼットだ。さっき、何も仕事をしていなくて、貯金を切り崩しているのだから、当然節約を心掛けなければならない。などと言っておいて、舌の根も乾かない内だが、服くらいは買い揃えてもいいかもしれない。幸い、働いている間は使う暇がなかったということもあって、貯金額は平均のそれを大きく上回っている。少なくとも、服くらいなら、何も問題はないかもしれないし。

 それに、何より出不精のわたしが外に出る動機にも繋がるだろう。今でこそ、ミネットの手前、あまり落ち込んだ雰囲気を出してしまわないよう、弱いところを見せないように張り切ってはいるが、だからといって、元気が出たわけでも何でもない。今だってベッドに戻りたいし、丸一日何も口にしていないというのに、お腹は一切空いていない。むしろ気持ち悪さを憶えるほどだ。

 とりあえず、外に出ても恥ずかしくない程度の服を手に取り、わたしはそれを着る。それから、つるされているビジネスバッグの蓋を開け、手を突っ込む。そうしてメイク落としシートを取り出すと、改めて姿見に目をやった。

 これはひどい。

 少なくとも、シートでどうにかなるものではない。

 わたしは溜息を吐いて、再びバッグの中にそれを戻す。そして、そろそろ鼻水も保てなくなってきたので、ずるずると鼻を啜りながら、リビングへと出た。

「あ、そうそう、言い忘れてたんだけど」

 ミネットが後ろから駆け寄る。

「近くのエリアの魔物狩りを担当してもらってる、魔法少女二人に、お邪魔してもらってるよ」

「へ?」

 扉を開けると、果たしてそこには。

 殺風景なリビングの机。その一人掛けの椅子に小さく座った少女と、その後ろで、背もたれと肩に両手を置いて、同じくこちらを見つめている少女。

 その二人と目が合った。

「……あ、え、と……どちら様?」

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