第十一話:フリフリドレスの似合う歳
人の頭部とは、存外、脆いものらしい。いや、あるいは、首を切り飛ばしたせいでとっくに原型を留めていられなくなった魔物が、消え失せていく途中だったからだろうか。
とにかく、地面に熟れて落ちた柿を踏みつぶしたかのような感覚を残して、辺りにどす黒い血をまき散らした魔物は、それっきり、動かなくなった。
そしてわたしもまた暫く、放心したようにその魔物を見下していたのだが、しかしいつまでも、そうしているわけにはいかない。すぐに足をそこから離す。
それこそ、いつまでも、血みどろの生き物を足蹴にして、あまつさえ服にも血が飛んでいる。そんな姿を通行人にもで見られたりしたら、それこそ記憶操作魔法どころの騒ぎではない。きっと、明日の新聞の三面記事を飾ることになるだろう。
それこそ。
わたしは近くの窓に映った自分の姿に、足を退かしながら視線を向ける。
そこに映った、自分の姿。いや、今でこそ魔物を退治したお陰で、さっきまでの私服へと戻ったのだが。それこそ、さっきまで、世間一般では、あまりそういうファッションが、とても受け入れられない年の女が、フリフリドレスに身を包んでいるような姿が、そこにはあった。
有体に言って。
終わってる。
それこそ、今まさに事切れた魔物と、いい勝負をするくらい、グロいといっても過言ではない。
だが。
「……やっぱりなんていうか、アレだね、唯」
足元でミネットが、わたしを見上げる。
「ぼく、今後はちゃんと、魔法少女にする対象、選ぼうと思うよ」
こうやって誰かに言われると、とてつもなく腹が立つのはなぜだろう。
「あっ、ちょ、ちょっと、やめてよ唯、なんで近くのレンガを持ち上げたのさ」
「いや、もしかしたらさっきの魔物が、わたしの信頼するミネットに化けてるかもしれないから、一度殺しておこうと思ったのよ」
「……サイコパスの片鱗が現れてるねって、嘘、冗談だから。ちゃんと花壇に戻して」
それはそうとして。と、ミネットは付け加え、後ろを振り返る。それから、わたしの後ろへ歩いていく。わたしも勿論、その後を追う。
「今使ってる、もう一つの方の魔法。君が本来持っている方の、魔法なのかな。そっちも、結構危ないみたいだから、気を付けた方がいいと、ぼくは思うけどね」
そう言って、こちらに顔を向けず、足を止めるミネット。わたしは、奥歯を食いしばった。
「……余計なお世話よ」
わたしとミネットが足を止めた場所。そこは丁度、先ほどまで奈野さんが倒れていた場所だった。
倒れて、息をしていなくて、もう生きていない、奈野さんが。
倒れていたはずの地面。そこにはもう、ほとんど何も残っていない。少なくとも、今もまだ、横腹から流れ出た血が、アスファルトを汚している、なんてことも、生臭い血の香りが漂っている、なんてこともない。
ただ、奈野さんの服と、小さな袋が転がっているのみ。それ以外に、奈野さんがそこで倒れていたことを示す証拠は、何も存在していなかった。
彼女は、死んだ。その事実を、わたしは改めて認識する。
「魔法少女はね」
沈黙を、ミネットの淡々とした声が破る。
「人間みたいに、死んだ後も肉体が残り続けて、お葬式、っていうんだっけ、君たち人間の間では。それが行われて、最期はお墓に入れられる。なんてことはないんだ。死んだらただ、消える。それだけ。それこそ、魔物を殺した時のように、魔法が関連するものは、全て消える。……例外として」
小さな袋に顔を近づけ、口で咥えたミネットは、わたしの元まで戻ってくる。
わたしはしゃがみ込んで、手を差し出すと、そこにミネットは袋を落とした。
「魔物のドロップだけは、こうして残るみたいだけどね。でも、その他は何にも、残らない」
記憶も、存在も、何もかも無かったことになる。魔法によって、全部の辻褄が合わせられる。
だから、奈野舞香。彼女が存在していたことは、少なくとも一般人の認識からは綺麗さっぱり、記憶操作魔法によって消えてしまうし、洋服や、戸籍、学籍や被保険者番号なんてものに至っても、同時に書き換えられていく。ミネットの魔法は、あくまで記憶を操作する能力。
奈野舞香に関する記憶を、世間の人々から丸ごと消し飛ばす、だけに留まらない。むしろ、奈野舞香という記憶、だけではなく、記録に関しても、削除しなければならないと、それに関する人々に思わせ、その人々の手によって、消されていくのだという。
「学校の先生たちは、明日にでも舞香の学籍や、彼女の荷物なんかを、綺麗さっぱり片づけるだろうし、市役所の人たちは、彼女に発行されているあらゆるデータを削除し始める。勿論、彼女の親だって、もういない娘の服や家具、勉強机に化粧道具、その他諸々を捨て始めるし、携帯電話も勝手に、店員さんが解約する」
そうして、彼女はこの世界から、彼女のこれまで関わってきた人たちによって、消され、最期には忘れられていくんだ。
「勿論、それはあくまで一般人に限った話。それこそ、君の記憶まで操作する必要はないから、ぼくはいちいちそんなことをしないけど。……というか、舞香のことを忘れられたら、君がどうして魔法少女になったのか、その能力はどんな風に扱うのか、その辻褄が、今度は合わなくなってくるからね」
ミネットはそこで、わたしを見上げる。数秒、目が合った。
「……ぼくが見たところ、その能力……かなり強烈に精神を鎮静化させるみたいだね。でも、それを日常的に使おうなんてのは、考えない方がいいよ」
「あら、珍しく殊勝なことを言うじゃない。あんたこそ、奈野さんが死んじゃって、心細いのかしら」
わたしは至って冷静に、言葉を返す。
ミネットは、猫らしく伸びをした。
「いや、そういう訳じゃないんだけどね。でもまあ、ぼくらだって、何もお遊びで魔法少女を魔物と戦わせてるわけじゃない。魔物の存在は、ぼくらにとっても、わりと脅威というか、まあ、目の上のたんこぶみたいな存在だから。……誰だって、自分が使っている乗り物の調子が悪くなってきたら、心配にもなるし、荒っぽい運転は出来なくなるだろ。それと一緒さ」
「人を乗り物呼ばわりとは、随分と失礼ね。わたしが奈野さんから受け継いだ能力のレビュワーになりたくなった?」
「勘弁してよ。そんなの、『いたい』で終わりじゃないか」
わたしは貰った袋に入っているドロップは、そのまま袋ごとポケットに突っ込むと、奈野さんの洋服を掴み上げる。
中からわずかに、さらさらと、砂状になったものが零れ落ちる。わたしはそれをぱたぱたと叩き落とすと、丁寧に畳み直した。
わずかに、奈野さんの香りと、化粧品の匂いが鼻を掠める。
「この洋服は、どうするつもりなのかしら」
「ん、ああ、舞香の服かい。そうだなあ、まあこのままここに置いておいても、誰か通りがかった人が処分するように、記憶操作は出来るんだけど」
「てことは、わたしが好きにしてもいいってことね」
「……サイズは合わないと思うよ」
「着ないわよ」
普通に捨てるだけ。
わたしはそう言って、最後にもう一度、奈野さんが最後にいた場所を振り返る。だが勿論、それは何か、それこそ悲しみによる行動ではない。ただ現実的に、忘れ物がないか、それから、あの騒ぎで人が集まってきていないか、それが心配になった。もし、あの格好を見られていたのなら、いやどうせ、奈野さんのついでに、わたしも記憶操作をミネットに頼もうとしていたのだが。
あまりにも目の毒なわたしのあの格好を目の当たりにし、それこそ卒倒でもしている人がいたら、と思うと。
そのまま一思いに殺したくなっただろう。
幸い、忘れ物も、殺し忘れた一般人も、そこにはなかった。本当に、何もなく。まるで何事も起きていないかのように、ただ静かな歩道がそこにあった。
「……ミネット。あんたは今日、何処に帰るの」
これ以上パトロールを続ける気にもならず、わたしは踵を返し、元来た道を戻る。ミネットはその後を付いてきた。
「そうだね、ぼくとしては、なるべく君の側にいて、サポートさせて欲しくはあるんだけど……でも生憎と、今晩は、彼女の家に戻ろうかな」
「……奈野さんの?」
「そう」
まさか、心を読んだのだろうか。いや、だとしても構わない。少なくとも今なら、どうってことはない。
わたしは魔力の出力を上げた。そして、より強く心を落ち着かせる。
「じゃあわたし、このまま家に帰るわ。……家の場所とか、迎えとかは必要かしら?」
「いや、大丈夫だよ。こう見えて、ぼくは健脚だからね」
「猫の癖に健脚も何もないでしょうに」
とにかく。
わたしはそれから、言葉もそこそこにミネットと道半ばで別れ、そのまま公園へは戻らず、車を停めてあるコンビニへと向かう。
車に一度乗り込み、財布を取るついでに時計で時間を確認すると、どうやらパトロール開始から、まだ30分程度しか経っていない。しかしそうだろう。それくらいすぐに、奈野さんが襲われ、わたしが倒したのだ。体感ではもっと、長いような、けれど奈野さんとの会話は短かったような、そんな良く分からない感覚だけは覚えている。
駐車場を使わせて貰ったお礼として、わたしはコンビニで適当に買い物を済ませる。しかしどうにも、夜中に外を出歩くと、ついついいろんなものを買ってしまう。そういえばそこで、わたしは晩御飯を全然食べていないことに気付く。忘れていた、パトロールをするまで、あれやこれやと考えて、ドキドキしっぱなしで、すっかり食事が喉を通らなかったのだ。
少し悩んでから、わたしは久しぶりにお高いウィスキーを瓶で買う。それから炭酸水。それをかごに入れると、ずっしりとした感触を手で感じながら、次にお弁当コーナーへと向かった。
だがそこでまたしても思い出す。そうだ、食べかけのご飯が、まだ家に残っていたはずだ。仕方ない、わたしは手に持っていた、美味しそうなソーセージのチーズフォンデュなる、とても興味深い商品へ泣く泣く別れを告げ、元に戻した。
ごめんね、ソーセージくん。
明日は食べるから。
買い物を終え、コンビニのごみ箱へ奈野さんの衣類を捨てたわたしは、レジ袋を車の助手席へ積み、ハンドルを握る。そのまま安全運転で、ゆっくりと家へと車を走らせた。
そしてマンションの駐車場に車を停め、部屋へ入る。そこで靴を脱ぎながら、改めてミネットに言われていた言葉を思い出す。
確か、この感情を抑制する、魔法。これは使い過ぎると良くない。どころか、使うこと自体がおすすめ出来ない、とか言っていたな。
だが、ミネットに言われるまでもなく、そんなことは分かっている。事実、この魔法――と呼ぶにはあまりに原理が科学的過ぎるこれは、確かに人体に対して、少なくとも良い作用を及ぼさない類のものであることは、使用者であるわたしには理解できる。
それこそ、わたしが持っている、異質なまでのリジェネ。そして不死性。それがなければ、凡そ扱い切れる代物ではないのだろう。何せ、自らの脳みそを素手で引っ掻きまわすような行為だから。
痛覚や、感情。それらは全て、脳みそから発せられる電気信号や、神経伝達物質によって齎される。それは脳の中枢、偏桃体と呼ばれる場所から生み出され、前頭前野が、それを評価する。
何気なく触っているスマホを下ろした先に、中年の男の人が生首だけでこちらを見つめていた時、大概の人間は声を上げ、飛び退こうとするだろう。それは全て、脳から生み出される刺激によって生まれる行動や感情、この場合は嫌悪感だし、逆にいきなり、100万円を好きに使っていいとなれば、興奮するのも、同じく脳からの刺激が、喜びという感情を生み出すものである。
感情とは、心から生まれるものではない。何のことはない、脳みそが下した結論に過ぎない。
そして、わたしの魔法は、その脳みそが下した結論を、ほとんどマスキングしてしまう。だからあの時、奈野さんが助からないと悟ったわたしは、自分と、それから奈野さんにその魔法をかけた。よもや、相手の魔法を、相手の死後に譲り受けることが出来る魔法までおまけで付いて来るとは、流石に優遇され過ぎで予想外だったが、それはいいとして。
だからあの時、わたしと奈野さんは、特に奈野さんは絶体絶命の状況にありながら、それでも痛覚と負の感情にマスキングを施したおかげで、冷静に話が出来ていたし、わたしもそれを、同じく冷静に訊くことが出来た。
しかし、いつまでもこの魔法を使い続けるわけにはいかない。負の感情も、無くてはならないから、この人類が生まれてから今まで、進化の過程で淘汰されてこなかったわけだし、それこそ泣くという行為一つとっても、あれはとてもストレスの解消になる。だから人は、本来であれば視界が涙で塞がるというリスクがありながら、それでも泣きたくなるのだ。
我が身が危険な状態で泣きたくなるのは、その為である。
「……いつまでも、目を反らすわけにいかないのよね」
奈野さんが死んだこと。
それに、わたしは魔法無しで向き合わなければいけない。
あ、そうか。
本当に死んだんだ。あの子。
最後にそう思って、わたしはそのまま、マスキングに充てていた魔力を、全て絶った。
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